ワールド・スイーパー

秋谷イル

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最終章【鳥と獣と箒の女神】

繰り返される挫折

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 ――扉をくぐった先は赤い砂で覆われた大地だった。その光景がニャーンにキュートを構成する怪塵の本来の姿を思い出させる。
 そして母星の置かれている状況と今しがた自身の犯した罪も再認識させた。
「キュート……私は間違ってるよね」
【合理的に考えるなら、そうです。貴女はアイム・ユニティを見捨てるべきでした】

 彼を切り捨てれば母星の危機は回避された。唯一にして最大の脅威が排除されれば母星への攻撃は即座に取りやめられたはずである。
 けれど彼女は逆の選択をした。アイム・ユニティ一人のために母星に残った者達の命を脅かしたのだ。これは他者の生命を大切にする彼女らしからぬ判断だと思う。
 けれど、同時にキュートはこうも思う。相反する感覚だが、これもまたニャーン・アクラタカにとっては当然の決断だと。

【貴女にとってアイム・ユニティは母星に残った人々と等価ということでしょうか?】
「……わからない。わからないよ、そんなの」
 命の価値に優劣は無い、などと綺麗事を言うことはできない。ニャーンはしっかり自覚している、彼女にとって命には格差があるのだと。あるいはそれは役割の違いと言った方が正しいのかもしれない。
 アイムとの旅の中で何度も釣りや狩りをして他の生物を殺めた。あれらの生命が人より劣るものだとは思わないが、それでも彼女にとって彼等はあくまでも己の命を明日へと繋ぐための糧だった。それこそが彼等の役割なのだと、そう思う。
 全ての命には役割がある。当事者がどう思っていようと、それはたしかに各自に割り当てられている。人という種が食物連鎖の頂点に立ったことは不思議でも理不尽でもなく、生命が何十億年もかけて進化を重ねた過程で辿り着いた答えの一つ。自然の摂理。
 別の星では人間が被食者で別の生命体の腹を満たし、彼等の繁栄を支える役割を担っているかもしれない。それだって残酷に思えるけれど、その星の歴史が導き出した最適解。
 そう、答えは歴史が作り出すのだ。全ての生命に優劣を、格差を、順位を割り当てる認識は個の経験によっても生じる。
「スワレちゃんもズウラさんも……ビサックさんとグレン様とクメルさんも、みんなみんな私には大切なの。もう誰も死んで欲しくない。誰も――」

 だからアイムだって見捨てられない。
 いや、彼こそが最も切り捨てがたい。

「ずっと一緒にいて、たくさん助けられて、教えてもらって……今の私にとって一番大事なのは彼なの。みんな大好きだけど、アイムはもっと大切。だから選んだ。母星のみんなは、もしかしたら生き延びてくれるかもしれない。でも私が見捨てたら、彼だけは絶対に死んでいた」
『だったらいいじゃない。アンタはアンタが正しいと思うことをしなさい』
 プラスタの声が会話に割り込んで来る。キュートがついて来てくれたおかげで彼女も同行できたようだ。
『今はもうアンタも神様でしょ。アルトゥール様が言ってたじゃない、この試練はアンタがどんな役割を担う神か決めるためのものだって。だからいいのよそれで。素直に心に従って正解だと思う道を進むべきなの。そうでなきゃ永遠にやりたくもない仕事を続ける羽目になるわよ』
「……うん、そうだね」
 自分でもまだ神として何をすべきか、はっきりわかっているわけではない。でもアルトゥール達の言っていたように悪意を祓う存在になれたらとは思う。もしそれが可能なら、誰も二度と悲しい思いをせずに済む。
 そのために、できることから一つ一つ試していこう。
「なるべく早く終わらせなくちゃね。ズウラさん達に迷惑をかけちゃうし」
『その意気よ、頑張りなさい。アタシも助言くらいならしてあげるわ』
【私もお手伝いします】
「うん、ありがとう二人とも。じゃあ出発! まずは人のいるところを探そう!」

 ――そうしてニャーンは、真に神となるための試練に挑み始めた。アルトゥールは彼女を母星と同じ『悪意』によって宇宙の脅威と化しつつある惑星へ送り込んだのだ。
 再びユニ・オーリの時と同じ奇跡を起こせばいい。破滅をもたらす『悪意』という名の毒を浄化し無害化する。それが可能なら従来の免疫システムによる暴力的な解決策は不要となる。
 ただし、この時のニャーンは正しく認識できていなかった。奇跡とは不可能に近い確率で起こる事象。だからこそ『奇跡』と称される。
 その事実を知らずにいた。



 彼女は繰り返す。失敗と挫折を。かつて守界七柱が味わったのと同じ後悔を何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も。
 どうしても、あの時の奇跡を再現することができない。
「ごめん、なさい……」
 ある星ではユニのような悪意の塊と出会い、彼を止めようと奔走しているうちに別の悪が致命的な病原体を撒き散らすのを許してしまった。たった一人の強大な敵に気を取られすぎて他の悪意の存在を見逃したのだ。結果として滅亡の訪れを早めた。免疫システムによる攻撃を待つまでもなく、人類が死滅してしまった。
「ごめん、なさい……! ごめんなさい……!」
 泣きながら地面をかき毟り、何度も失われた命に謝罪する。彼女だけ生き残った。神として人の病など受け付けなくなった肉体を持つ彼女一人だけがこの星の上で生存している。他の生命は全て、赤子から老人、虫から獣に到るまで絶滅させられてしまったのに。
 誰も傷付けたことのなかった少女が、けっして彼女の意図した結果ではなかったといえど高度に発達した文明を死に追いやってしまったのだ。
 自責の念に苛まれる彼女の前に、一時だけアルトゥールが現れて淡々と諭す。

「受け入れなさい」

 神となった以上、同じような光景はこれから何度だって目にする。どのみちこの星は滅んでいたのだと、彼女はそう言う。
「彼等を滅ぼしたのは彼等自身の悪意だ。君は単に滅亡の回避に失敗したに過ぎない。それも本来なら彼等が自分で行うべきことだった」
「だとしても!」
 ニャーンは涙を拭って立ち上がる。絶対にこの悔しさを忘れてはならないし次を諦めるつもりも無い。この宇宙にはまだ『悪意』によって脅かされている星がある。彼女はすでにそう教えられている。
「諦めません! 次は、次は絶対に……!」
「……」
 アルトゥールは強情な少女を憂いに満ちた眼差しで静かに見つめる。未来を見通す彼女の眼には眼前の幼子が進む先で待つ過酷な現実もすでに見えている。
「君は我々とは違う。我々は最初から神だったが、君は人として生まれた。人と神では精神構造が異なっている。人の心は本来、星一つの滅亡に関与した事実に耐えられない。なのにまだ続けると言うのか? 心が壊れてしまうぞ」
「壊れません」
 ああ、それも知っているよ――胸中でのみ同意しつつ、やがて根負けしたアルトゥールは新たな扉を開いた。旅立ちの時とはデザインの異なる簡素な一枚のドア。
「ならば行きなさい、次の星へ」
「はい」
 ニャーンは迷うことなく、その扉もくぐり抜けた。



 そしてまた彼女は繰り返す。心に重くのしかかる挫折を味わい続ける。
 善意から救いの手を差し伸べ、時には離れて見守り、あらん限りの知恵を絞って、勇気を持って決断し、悪意を祓うための試練の旅路を歩み続ける。
 けれど報われない。どれだけ頑張っても何度繰り返しても成功しない。努力次第でどんな不可能も可能になると、そう信じていた心が折れて砕けてしまいそうになる。
 二種族間の対立によって、また星が滅んだ。
 自国以外の他を全て隷属させようとしていた国が反乱によって滅亡した。
 悪意によって創設された宗教が、その悪意を散々に撒き散らしてから自壊する様も見た。
 星そのものが悪意の塊で、己を強化するために、そしてその力で他の生命を弄ぶためだけに他の星々を喰らうようになった強大な悪にも出会った。免疫システムと協力することでどうにか封印に成功したものの、彼女は本当は彼を説得したかった。なのに言葉が足りず力による解決に頼るしかなかった。

 それでもなお繰り返す。何度も何度も。
 挑戦と失敗、敗北と挫折を積み重ねる。

 やがて思い知った。だから自分達の星は攻撃されたのだと。神々だって、できることなら多くの生命を救いたい。けれど、より多くを救うには迅速な決断が必要で、一つの星を蝕むまでに到った悪意は他の星々へとその毒を撒き散らす前に星ごと消し去るしかない。他の方法ではどうしようもないからこその苦渋の決断。
 守界七柱は自分より早くそれに気が付き、実行していただけ。
 それを理解してもやはりニャーンは諦められない。

「次は……次、は……」

 長い旅路と何度も渦中に身を投じた闘争によって僧服は擦り切れ、小さくなり、今はもう最後の一片となって懐に大切に仕舞われている。代わりにキュートが再現してくれた純白の僧服を纏って大きな都市の廃墟を歩む。

「次、は……」

 とある星で受けた呪いにより顔の右側に負った火傷が治らなくなった。相手によっては怖がってしまうので、仕方なくこれも怪塵で作った仮面で隠す。
 毒で濁った赤い水面に映る自分の顔を見て、それでもまだズウラは愛してくれるのかなと心配になった。スワレも今の自分と友達のままでいてくれるだろうか?

「次……」

 右腕の肘から先が無くなった。やはり再生できなかったため怪塵で補う。

「どう、して……」

 左足も欠けてしまった。怪塵で補う。

「どうやったら……こんなの……」

 やっとわかってきた。母星での戦いは幸運だったのだと。あの時、自分達は免疫システムとユニという二つの強大な敵を前に心を一つにしていた。星を脅かす脅威と唯一絶対の悪がそれを可能にさせた。
 全員で、たった二つを相手にしたら良かったのだ。だから奇跡が起こせた。
 けれど普通はそうはいかない。本来、悪意とはアイムに砕かれ母星を汚染した怪塵のように広く拡散し、どこにでも当たり前に偏在しているものなのだと知った。特に高度に文明が発達して人口が爆発的に増加した社会ではそうなりやすい。
 それでいて、いつどこで急に肥大化し星や宇宙を脅かす脅威へと成長するかわからない。事前に予測できるのはアルトゥールだけ。なのに彼女は後戻りできない段階に踏み込むまではけして手を出さない。人が自ら過ちに気付くことを願っている。
 彼女は誠実で、厳しく、そして優しい神様なのだ。それも、ようやく理解できた。

「もう……無理だよ……」
『諦めるな』
【諦めてはいけません】

 弱音だって何度も吐いた。心が折れて砕けて挫けて、それでも立ち止まることはできない。
 たった二人の同行者が、どうしても絶望することを許してくれない。
 疲れて、膝をついて、倒れ、泥の中に横たわった。そのまま永遠に眠ってしまいたい誘惑にかられる。
 そしてやっぱり、叱られてしまう。

『立ち上がりなさい馬鹿!』

 自身も泣きながら励ますプラスタの姿が脳裏に浮かぶ。どうして自分はただの記憶に過ぎないのかと悔しがっている。
 だから、そんな彼女の涙を止めたくて、また四肢に力を込める。
 でも立ち上がれない。やっぱりもう休みたい。

【貴女の心は、まだ完全に諦めてしまってはいません】

 心を読めるキュートの指摘。ニャーン自身も目を逸らそうとしている本心を見抜いて冷淡に言い当てる。
 そう、どんなに折れても彼女は諦めることができない。元の僧服が無くなって、全身に無数の傷を負って、ビサックから貰った杖までも折れてしまい、怪塵で無理やり繋ぎ合わせたような今でもやはり諦めきれない。
 もう、とっくに母星は滅んでしまっているかもしれない。その光景を想像するだけで激しい後悔と罪悪感に苛まれる。時間の感覚が狂っていて、あれからどれだけの月日が経ったかはわからないけれど、それでも数年が経過したことくらいならわかる。

「ごめんなさい……ごめんなさい……」

 謝りながら、それでもニャーンは立ち上がり、前進を再開した。神となった時点で彼女は不老になったのだ。生命力も限りなく不死に近い。飲まず食わずでもずっと歩き続けられる。傷付いても大抵の場合ならすぐに修復される。
 不思議なことに流す涙が尽きることも無い。
 幾度もの失敗と、数え切れないほどの救えなかった命への悔恨を背負ったままニャーンはさらに旅を続けた。
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