ワールド・スイーパー

秋谷イル

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四章【赤い波を越えて】

迎撃準備(2)

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「まだ許せんか?」
 兵士達が血気盛んに大声を出して士気を上げている最中、彼女の心境を見抜いて語りかけたのはアイムだった。
「許すとか、許さないとかじゃなくて……」
 俯いたまま答えに窮するニャーン。否定しかけたものの、たしかに彼女の中にはまだ第四大陸の対怪物部隊に対する怒りや嫌悪感が残っている。彼等が誇らしげに身に着け掲げている装備の数々が誰の手で、どうやって造られたものかを知ってしまったせいだ。

 ユニ・オーリ。かつてアリアリ・スラマッパギと名乗っていたその男は第七大陸の民を長年虐げ続け、人でなく家畜や実験材料として扱って来た。第四大陸の兵士達が怪物に対抗すべく装備している武器や兵器の数々は、そんなあの男が開発したものなのである。
 つまり、あれらは第七大陸の人々の犠牲の上に存在する代物。七大陸中で一・二を争うここ第四大陸の繁栄も多くの人々が地獄を見たからこそ成り立っているのだ。
 でも、わかっている。それは仕方のないことだったと。

「……わかってるんです。あの人は強くて、きっとこの大陸の人達だって逆らうことなんてできなかった。その上で身を守るための武器を渡すなんて言われたら、取引に応じるしかない。そういうことだったんですよね」
「わかっておるなら不満を顔に出すな。奴らは共に戦う仲間なのだ」
「はい」
 厳しいなと思いながらもニャーンは素直に従った。深く呼吸して心のざわつきを抑え、密やかな怒りと嫌悪が表情に出ないよう平静を保つ。
 許すことが大切です、そう言っていた恩師の顔がまた脳裏に浮かんできた。院長先生はいつでも穏やかに笑っていたけれど、本当は同じように激しい感情を抱え込んでいたのかもしれない。あの強さを見習おう。

「もう大丈夫です」
「ほうか」

 そんな二人の一連のやり取りを見守り、微笑ましいと笑うスワレ。
「ふふ、本当に仲が良いなあの二人。兄、やはりもっと積極的にアプローチした方がいいぞ。このままではアイム様に取られかねん」
「それはねえよ」
 こちらは妹の揶揄に対し、あからさまに唇を尖らせるズウラ。彼の好意はすでにスワレの口からニャーンへと伝わってしまっている。三ヶ月前のあの戦いの後、そう聞かされて唖然とした。それからしばらく妹とは口を利かなかったし、ニャーンとも気まずい空気になってしまった。
 ただ彼は知っている。アイムにとってのニャーンは娘のような存在なのだと。スワレだって以前言っていたではないか『父性に目覚めてしまっている』と。だからアイムがニャーンを伴侶とするようなことは無いと思う。彼は意外と種族の違いにもこだわるし。
 それに第七大陸では危機の連続で恋の話をする暇など無かったが、この三ヶ月の間にはちゃんと話し合う機会があったのだ。そして直接言われた。

『すみません。今はまだ、そういうことを考えられません』

 きっぱりと。当然の話だと思う、なにせたった三ヶ月後には宇宙の免疫システムが大挙して押し寄せて来ると判明したのだ。主力である自分達に色恋に現を抜かす暇があるはずもない。
 けれど彼女は、こう言葉を続けてくれた。

『でも次の攻撃を切り抜けられたら、その時には必ずお返事させていただきます』

 今はそれだけで十分だ。元々叶わぬ恋かもしれないと思っていたのだし、希望が繋がっただけでありがたい。おかげで、あれ以来ずっと気力が奮い立っている。
 すぐに機嫌を直した彼は左手を肩の高さまで持ち上げ、手の平をスワレに向けた。そろそろ出発の時間、各自が持ち場につかなければならない。
「ニャーンさんを頼む。こっちはオレに任せろ」
「ああ、必ず守るとも。いつか私の義姉になるかもしれん人だしな」
 自分の手も上げ、ズウラの手を叩くスワレ。本当は兄の方がニャーンを直接守りたいはず。でも能力的に彼が本領を発揮できるのは母星の上。だから護衛はこちらが任されることになった。
「宇宙ってのは寒いらしい。なら私の力もいつも以上に強くなるだろう」
「だからって無茶するなよ。お前も生きて帰ってこい」
「わかってる」
 三ヶ月前の事件以来、兄は心配性になった。自分とニャーン、どちらが欠けてもきっと酷く落ち込む。だから死ぬつもりは無い。どうしてもそれが必要な状況に陥らない限り。
 スワレは再びアイムとニャーンを見つめる。アイムは変身するため誰もいない広いスペースへと歩き始めたところだ。見送ったニャーンの方も白鳥の方を向いて声をかける。
「キュート、お願い」
【はい】
 次の瞬間、三ヶ月前の事件の直後にニャーンによって名を与えられた白い怪物は卵のような形の継ぎ目が一切無い美しい『船』へと変形した。驚く周囲の者達。
「おお、あれが宇宙を駆ける船」
「綺麗なものだな」
「しかし、どうやって飛ぶんだ? 翼も何も無いぞ」
 眉をひそめる兵士達。どうやっても何もあれを構成しているのは怪塵である。怪塵の集積体たる怪物は周囲の生物の思考を読んで形態を変えるそうで、つまりは人間の想像力が反映されるからか飛行することは滅多に無いのだが、飛行能力があるという事実は広く知られている。しかも重力や風に関係無く自在に浮遊できるのだ。ニャーンがいつもの翼で空を飛べるのも、実際にはその力によるところが大きい。
 そんな怪塵で作られた船が飛べないはずはあるまい。
「どうせならもっと大きな船にしてくれたら良かったのにな。あるいは数を増やすか」
「凶星との戦いを考えると、あれ以上の大きさにはなれんのだそうだ。大きくなるほど怪塵の密度が薄くなって防御性能が落ちる」
「なるほど……」

 まあ、そればかりが理由でもない。この三ヶ月、ニャーンはアイムやグレンと共に再び世界中を巡って可能な限りの怪塵をかき集めた。そしてそれら全てを防衛機構に変え、戦力に乏しい地域に配備したのである。
 あの船は戦場で現地調達した怪塵を使えばより大きく強く増強できる。だから母星の怪塵は極力人々を守ることに使おう。そんな彼女の提案に他の面々は異を唱えなかった。彼女らしいし、実際星を守っても人が全滅してしまっては何の意味も無い。

「将来的には、もっと大勢が宇宙に上がることになるんだよな」
「ああ、そうなったらいよいよ安泰だ」
 未来を想像して胸躍らせる兄妹。今回の戦いで膨大な量の怪塵を手に入れたら、それらは母星を取り巻くとてつもなく巨大な砦と防衛機構群に転用される計画だ。その運用のために大勢の人間が宇宙へ上がることになる。
「しっかし、地底に住んでた俺達まで宇宙へ行くなんてな」
「兄はまだだろ。私は一足先に行ってくるよ、兄の想い人と一緒に」
「こいつ!」
「ははは、帰ってくる頃にはさらに仲良くなっているかもしれん。妹に取られる不安に怯え、せいぜい悶々としていろ!」
 兄をからかいながら白い船に近付いて行くスワレ。足音に気付いて振り返ったニャーンの表情は落ち着いているように見える。でも――
「い、いよいよ、ですね」
「声が震えてますよ」
「す、すいません。やっぱりその、怖くて……」
「大丈夫、私がついてます」
【私もいます】
 スワレが肩を叩き、キュートは船体の側面に入口を開いた。中には前後に並んだ高さの違う座席が二つ。ニャーンは友人に背を押されて上段の席へ。
 座席は思ったより柔らかく、そして温かかった。アイムの背中に乗っている時の感触を思い出し、少しだけ不安が和らぐニャーン。
「行きましょう、私達なら必ず勝てます」
「……はい」
 杖を握りしめて頷く彼女。決意を確かめたスワレも中に乗り込んで座席に着く。するとすぐさま搭乗口が閉ざされた。船体の上半分は透明になっていて外の景色が見える。
 ヌダラスとスアルマが二人を見つめた。
「武運を祈る」
「後ろを気にせず、星を守ることに専念してくれ。地上は我々に任せれば良い」
「はい、ありがとうございます」
 複雑な心境を隠し、二人の王の激励に応じるニャーン。スワレは思う、この人はやるべき時にはできる人なのだと。だからきっと、この戦いも勝利に導いてくれる。
「ニャーンさん、どうかご無事で。スワレもな」
「ついでのように言うな」
「あ、あの、ズウラさんも気を付けてくださいね。その、例のお話は、帰ってから……」
「はいっ!?」
 まさかこの場で言及されるとは思っていなかったらしく、声を上ずらせるズウラ。別れ際に兄の情けない姿を見せられたスワレはため息をつく。
「私達が帰るまでに度胸を鍛えておけ」
「うるせえ! あっ、ニャーンさんのことじゃないですからね!」
「はい。それじゃあえっと……行ってきます」
『済んだか?』
 巨狼となったアイムの問いかけ。人の姿でも短時間なら宇宙で活動可能だが、やはり基本的にはこちらの姿で戦うことになるという。
『急かすな、ゆっくり話させてやれ』
 窘めたのは光の巨人と化したグレン。両者の威容を見慣れていない人々は目と口を大きく開けて呆気に取られてしまう。

「で、でかい……」
「アイム様はともかく、グレン・ハイエンドもあんな姿になれるのか……」
「流石は最強の能力者だな」
「何、でかければでかいほど弾は当てやすい」
「おい馬鹿、今は味方だ」

 連合軍は戦車も多数保有。性能実験と称して実際に戦わされたことがあるニャーンは、あれらの防御力と火力がたしかに怪物に対しても有効だと知っている。破壊した凶星の欠片や怪塵が怪物と化して襲って来ても簡単にやられはしないだろう。地上にはズウラ達能力者も多数残る。
 きっと大丈夫。そう自分に言い聞かせた彼女はアイムを見上げて頷いた。
「もう行けます」
「こちらも」
 追従するスワレ。少女達の返答を聞いてアイムは空を見上げる。赤い光達がさっきよりいくらか大きく見えた。つまり近付いて来ている。おそらく、あと数時間内に第一防衛線に到達。自分達はそれより先に持ち場に辿り着かねばならない。
『行くぞ、ついて来い』
「はい!」
 大地を蹴って跳躍するアイム。巨大な質量の高速移動に伴って生じた突風が地上の人々に砂埃を叩きつける。悲鳴が上がっても構わず空へと駆け上がって行く彼。魔力障壁を蹴ってさらに上へ上へと上昇を続ける。瞬く間にその姿は小さな黒点と化した。少し遅れてグレンも閃光となり、後を追いかける。というより瞬時に追い付いた様子である。光と同化できる彼の移動速度はこの地上の何者よりも速い。
「私達も行きましょう、ニャーンさん」
「はい。お願い、キュート!」
【了解しました。離陸します】

 そしてニャーンとスワレを乗せ、白い宇宙船も飛び立つ。アイムやグレンと同等の速度では流石に二人の少女の肉体が負荷に耐えられないと判断し、彼等よりはゆっくりと。
 おかげで二人には、もう一度地上に残る者達を見渡す余裕があった。数万の兵士達とナナサンら将官、二人の国王、そして祝福されし者達とズウラ。あちらも名残惜し気にこちらを見上げている。必ずまた会いたいと、お互いにそう思った。

「いってきます」
 ニャーンがそう言った瞬間、船は急速に加速を始める。配慮されているとはいえ、それでも十分強烈な負荷が二人を襲った。それだけの速度が無ければ短時間で持ち場の第二防衛線まで辿り着くことはできない。
 星の重力を無視できる怪塵で形作られた船は上に向かって船首を向け、そのまままっすぐに直進した。どんどん地上が遠ざかり、空の色が青から濃紺に近付いて行く。もはや雲ですら遥かに下へ置き去り。
 いよいよ宇宙。星と人類の命運をかけた決戦の場。
 そう思った。それでも逃げずに立ち向かうことを改めて決意した。
 なのに二人は宇宙へ行けなかった。


『簡単に事が運ぶと思うのか? 残念ながら決戦前にもう一つ試練がある』
「えっ?」


 ――どこからともなく響いた知らない女の声に驚いた直後、進路上に青白い光の壁が現れ、激突した宇宙船を弾き返す。
 船は回転しながら地上へと落下して行った。
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