89 / 136
四章【赤い波を越えて】
迎撃準備(2)
しおりを挟む なにか、とてつもなく冷えた物が首筋に触れた感触がして飛び起きる。首に手を当てながら辺りを見渡したシュウは、目を見開いて後ずさった。
「おはよう、シュウ」
そこには、予想通り優しげな微笑みを浮かべた親友と恋人を兼任している男がいた。夜を過ごした後、夜警に行ったはずだというのに。一体いつ帰ってきたのか、すでにベッドの中に熱が戻っている。
「相変わらずのお寝坊さんだな、お前は」
シュウの髪を一撫でして、柔らかくもない頬にキスを……なにをしているんだコイツは、と眉間に皺が寄った。
「お前は人が寝てる間になにしてんだ」
「キスマークの一つや二つ、つけてやろうかと」
まあ、つかなかったが……と残念そうに唇に手を当てる親友に頭がキリキリと痛む。
「俺は肌が焼けているし厚いだろ。つきにくいのは当たり前だ」
そう言うと、シルベリアは笑みを浮かべた。
「だったらシュウ、お前が俺につけてみないか?」
俺の肌なら白いからすぐにつくだろう? と言ってくるシルベリアに、シュウは心底呆れ果てた。開いた口が塞がらない。
「何でお前はそう朝っぱらから濃いんだよ……!」
「ん? まあ、俺も男だからな」
わははと笑うシルベリアに、これだからお貴族様はと言いながらベッドを出た。昨夜すっかり脱がされてしまった服を拾い上げて洗濯カゴに放り入れておく。
歯磨きをしながら歩いていき、新聞受けに刺さっている束を引き抜く。その瞬間ぴゅうと隙間から入ってきた風に身をすくめた。
いくら部屋を温めていたとしても、外から入ってきては意味がない。適当にクローゼットから出した服を着て、シルベリアの背中に身を預ける。
ごく僅かにシルベリアの方が高いが、ほとんど同じ体温に背丈。こうしてくっついていると馴染んで、溶け合いそうになる。
エディスだとこうはいかない。アイツは体温が低いからと考えながら新聞を開いたシュウは、
「……なんだこれ」
愕然として呟いた。
その日、イーザックに選んでもらった書庫の魔法書を読み耽っていたエディスは、突然の訪問者を告げるチャイムの音に起き上がる。
どこでも好きな本を読んでくれていいと許可を得たエディスは、来る日も来る日も魔法書を周りに積み上げてはイーザックやレウと議論を繰り返している。
そこにやって来たのがシルベリアと知ると、昨年カーグラック大学院で発表された文献について意見を聞こうと嬉々として彼を出迎えた。
「レイヴェンたちが……!?」
だが、彼が持ってきた新聞の一面の見出しを見た途端、今の今まで浮かべていた花のような笑顔はどこに捨てたのかというしかめっ面へと変えてしまう。
そこに書かれていた罪状は、殺人未遂――城に戻ってきたキシウと口論になり、激昂した彼女がティーセットを薙ぎ倒して廊下にいた兵士から剣を奪って追いかけてきたのだという。
「姫じゃなくなっても命を狙われるのか!」
憤り、拳を膝に叩きつけるシルベリアに、一同は同意を示した。
「十中八九、あのクズ女の嘘だろ」
これでレイアーラが国庫を無駄に浪費させる悪女であれば出てこなかった反応だろう。だが、彼女は献身的に各地の孤児院や修道院を通っており、災害があれば直接向かって人々の手を取り励ましの言葉を掛けた。それは積極的に情報を集めていないエディスの耳にさえ入ってきていた。
慈悲深く慎ましい彼女が、華美な装束を纏うことはない。宝石ではなく花や職人のレースで身を飾る彼女独自のスタイルは女性の圧倒的な支持を得ており、今年の社交界の一大ブームにさえなっているというのが、イーザックの見識だった。
「いやぁ~……これは、これは」とイーザックが言葉を詰まらせる。
「ブラッド家は一手を打ってくるでしょうねぇ」
その通りで、翌日の新聞にはハイデが皇太子エドワードとして名乗り出たと書かれてあった。
それを握り締めてきたシュウが「あれは俺の兄だ、地毛は俺と同じ緑だ」と髪を引っ張りながら言うのを聞き、やはりと目を伏せる。
ハイデは自分の兄などではなかった。エドワードを捜して監視下に置こうとしていたか、母親であるキシウを追っていたかのどちらかだろう。
落胆はしない。奴の目的など分かりきっていたからだ。最初から怪しかった。けれど「人の屑」くらいは言ってもいいだろう。兄の皮膚を、声を顔に貼りつけて、他人に誘いかけていたなんて考えるだに怖気が走る。
だが、ふと顔を上げると凍り付いた顔の一同と目が合い、エディスは「ごめん」と口にした。
イーザックが持ち出した酒を呑んだシュウは、それはもう酔っ払った。一緒に呑んでいたレウが言うには北部の酒は度数が強いかららしい。
エディスがいるならと、戦闘科に移動になったシルベリアは酔った素振りもなく呼び出しに応じていった。
宛がわれたソファーにシュウを促し、自分もその隣に座る。だが、なにを聞いても話そうとしないので、エディスはふーっと長く息を吐いた。
彼にしては珍しい行動だが、余程父か兄とそりが合わないのか、呑まないとやっていられないのだろう。
「ちょっと待ってろ」
ポンポンとシュウの背中を叩いてから部屋を出ていく。自由に出入りをしていいと許可をもらっている厨房から必要な物を取って引き返す。
「ほら、飲め」
白く丸みを帯びた、取っ手のないカップを相手の手に握らせる。
「酒じゃなくて悪い……けど、甘くしといたから」
ごくりと喉を鳴らし、一口飲んだ青年は苦笑した。
「甘めとも言わねえよ」
それを聞き、エディスは少しだけ顔を安堵で綻ばせる。飲み終わった後、受け取ったカップを目の前のテーブルに置く。
「もう、今日は寝ろよ。シルベリアじゃなくて悪いけど、代わりに俺がいてやるからさ」
相手が頷いたのを見、エディスはカップと一緒に持ってきていた毛布を手に取った。
「ほら、来いよ」
苦笑して膝をポンポンと叩くと、シュウは遠慮なく膝に頭を乗せ、目を閉じた。
「おやすみ」と言うのに同じ言葉を返し、シュウの肩まで毛布を掛ける。それから、会議が終わったシルベリアが迎えに来るまでの間、頭を撫で、膝を貸していた。
「本当に、能力者ってのは厄介だな」
まるで運命の相手みたいに大事にするとレウに言われたエディスは首を傾げた。
だが、睡魔の囁きに敗北を喫していたエディスは「そうかもな……」と呟いて瞼を閉じた。ベッドにはレウが運んでくれるだろうと、信じて。
「おはよう、シュウ」
そこには、予想通り優しげな微笑みを浮かべた親友と恋人を兼任している男がいた。夜を過ごした後、夜警に行ったはずだというのに。一体いつ帰ってきたのか、すでにベッドの中に熱が戻っている。
「相変わらずのお寝坊さんだな、お前は」
シュウの髪を一撫でして、柔らかくもない頬にキスを……なにをしているんだコイツは、と眉間に皺が寄った。
「お前は人が寝てる間になにしてんだ」
「キスマークの一つや二つ、つけてやろうかと」
まあ、つかなかったが……と残念そうに唇に手を当てる親友に頭がキリキリと痛む。
「俺は肌が焼けているし厚いだろ。つきにくいのは当たり前だ」
そう言うと、シルベリアは笑みを浮かべた。
「だったらシュウ、お前が俺につけてみないか?」
俺の肌なら白いからすぐにつくだろう? と言ってくるシルベリアに、シュウは心底呆れ果てた。開いた口が塞がらない。
「何でお前はそう朝っぱらから濃いんだよ……!」
「ん? まあ、俺も男だからな」
わははと笑うシルベリアに、これだからお貴族様はと言いながらベッドを出た。昨夜すっかり脱がされてしまった服を拾い上げて洗濯カゴに放り入れておく。
歯磨きをしながら歩いていき、新聞受けに刺さっている束を引き抜く。その瞬間ぴゅうと隙間から入ってきた風に身をすくめた。
いくら部屋を温めていたとしても、外から入ってきては意味がない。適当にクローゼットから出した服を着て、シルベリアの背中に身を預ける。
ごく僅かにシルベリアの方が高いが、ほとんど同じ体温に背丈。こうしてくっついていると馴染んで、溶け合いそうになる。
エディスだとこうはいかない。アイツは体温が低いからと考えながら新聞を開いたシュウは、
「……なんだこれ」
愕然として呟いた。
その日、イーザックに選んでもらった書庫の魔法書を読み耽っていたエディスは、突然の訪問者を告げるチャイムの音に起き上がる。
どこでも好きな本を読んでくれていいと許可を得たエディスは、来る日も来る日も魔法書を周りに積み上げてはイーザックやレウと議論を繰り返している。
そこにやって来たのがシルベリアと知ると、昨年カーグラック大学院で発表された文献について意見を聞こうと嬉々として彼を出迎えた。
「レイヴェンたちが……!?」
だが、彼が持ってきた新聞の一面の見出しを見た途端、今の今まで浮かべていた花のような笑顔はどこに捨てたのかというしかめっ面へと変えてしまう。
そこに書かれていた罪状は、殺人未遂――城に戻ってきたキシウと口論になり、激昂した彼女がティーセットを薙ぎ倒して廊下にいた兵士から剣を奪って追いかけてきたのだという。
「姫じゃなくなっても命を狙われるのか!」
憤り、拳を膝に叩きつけるシルベリアに、一同は同意を示した。
「十中八九、あのクズ女の嘘だろ」
これでレイアーラが国庫を無駄に浪費させる悪女であれば出てこなかった反応だろう。だが、彼女は献身的に各地の孤児院や修道院を通っており、災害があれば直接向かって人々の手を取り励ましの言葉を掛けた。それは積極的に情報を集めていないエディスの耳にさえ入ってきていた。
慈悲深く慎ましい彼女が、華美な装束を纏うことはない。宝石ではなく花や職人のレースで身を飾る彼女独自のスタイルは女性の圧倒的な支持を得ており、今年の社交界の一大ブームにさえなっているというのが、イーザックの見識だった。
「いやぁ~……これは、これは」とイーザックが言葉を詰まらせる。
「ブラッド家は一手を打ってくるでしょうねぇ」
その通りで、翌日の新聞にはハイデが皇太子エドワードとして名乗り出たと書かれてあった。
それを握り締めてきたシュウが「あれは俺の兄だ、地毛は俺と同じ緑だ」と髪を引っ張りながら言うのを聞き、やはりと目を伏せる。
ハイデは自分の兄などではなかった。エドワードを捜して監視下に置こうとしていたか、母親であるキシウを追っていたかのどちらかだろう。
落胆はしない。奴の目的など分かりきっていたからだ。最初から怪しかった。けれど「人の屑」くらいは言ってもいいだろう。兄の皮膚を、声を顔に貼りつけて、他人に誘いかけていたなんて考えるだに怖気が走る。
だが、ふと顔を上げると凍り付いた顔の一同と目が合い、エディスは「ごめん」と口にした。
イーザックが持ち出した酒を呑んだシュウは、それはもう酔っ払った。一緒に呑んでいたレウが言うには北部の酒は度数が強いかららしい。
エディスがいるならと、戦闘科に移動になったシルベリアは酔った素振りもなく呼び出しに応じていった。
宛がわれたソファーにシュウを促し、自分もその隣に座る。だが、なにを聞いても話そうとしないので、エディスはふーっと長く息を吐いた。
彼にしては珍しい行動だが、余程父か兄とそりが合わないのか、呑まないとやっていられないのだろう。
「ちょっと待ってろ」
ポンポンとシュウの背中を叩いてから部屋を出ていく。自由に出入りをしていいと許可をもらっている厨房から必要な物を取って引き返す。
「ほら、飲め」
白く丸みを帯びた、取っ手のないカップを相手の手に握らせる。
「酒じゃなくて悪い……けど、甘くしといたから」
ごくりと喉を鳴らし、一口飲んだ青年は苦笑した。
「甘めとも言わねえよ」
それを聞き、エディスは少しだけ顔を安堵で綻ばせる。飲み終わった後、受け取ったカップを目の前のテーブルに置く。
「もう、今日は寝ろよ。シルベリアじゃなくて悪いけど、代わりに俺がいてやるからさ」
相手が頷いたのを見、エディスはカップと一緒に持ってきていた毛布を手に取った。
「ほら、来いよ」
苦笑して膝をポンポンと叩くと、シュウは遠慮なく膝に頭を乗せ、目を閉じた。
「おやすみ」と言うのに同じ言葉を返し、シュウの肩まで毛布を掛ける。それから、会議が終わったシルベリアが迎えに来るまでの間、頭を撫で、膝を貸していた。
「本当に、能力者ってのは厄介だな」
まるで運命の相手みたいに大事にするとレウに言われたエディスは首を傾げた。
だが、睡魔の囁きに敗北を喫していたエディスは「そうかもな……」と呟いて瞼を閉じた。ベッドにはレウが運んでくれるだろうと、信じて。
0
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説

【完結】偽りの告白とオレとキミの十日間リフレイン
カムナ リオ
青春
八神斗哉は、友人との悪ふざけで罰ゲームを実行することになる。内容を決めるカードを二枚引くと、そこには『クラスの女子に告白する』、『キスをする』と書かれており、地味で冴えないクラスメイト・如月心乃香に嘘告白を仕掛けることが決まる。
自分より格下だから彼女には何をしても許されると八神は思っていたが、徐々に距離が縮まり……重なる事のなかった二人の運命と不思議が交差する。不器用で残酷な青春タイムリープラブ。
辺境伯家次男は転生チートライフを楽しみたい
ベルピー
ファンタジー
☆8月23日単行本販売☆
気づいたら異世界に転生していたミツヤ。ファンタジーの世界は小説でよく読んでいたのでお手のもの。
チートを使って楽しみつくすミツヤあらためクリフ・ボールド。ざまぁあり、ハーレムありの王道異世界冒険記です。
第一章 テンプレの異世界転生
第二章 高等学校入学編 チート&ハーレムの準備はできた!?
第三章 高等学校編 さあチート&ハーレムのはじまりだ!
第四章 魔族襲来!?王国を守れ
第五章 勇者の称号とは~勇者は不幸の塊!?
第六章 聖国へ ~ 聖女をたすけよ ~
第七章 帝国へ~ 史上最恐のダンジョンを攻略せよ~
第八章 クリフ一家と領地改革!?
第九章 魔国へ〜魔族大決戦!?
第十章 自分探しと家族サービス
完結【進】ご都合主義で生きてます。-通販サイトで異世界スローライフのはずが?!-
ジェルミ
ファンタジー
32歳でこの世を去った相川涼香は、異世界の女神ゼクシーにより転移を誘われる。
断ると今度生まれ変わる時は、虫やダニかもしれないと脅され転移を選んだ。
彼女は女神に不便を感じない様に通販サイトの能力と、しばらく暮らせるだけのお金が欲しい、と願った。
通販サイトなんて知らない女神は、知っている振りをして安易に了承する。そして授かったのは、町のスーパーレベルの能力だった。
お惣菜お安いですよ?いかがです?
物語はまったり、のんびりと進みます。
※本作はカクヨム様にも掲載しております。

神様に嫌われた神官でしたが、高位神に愛されました
土広真丘
ファンタジー
神と交信する力を持つ者が生まれる国、ミレニアム帝国。
神官としての力が弱いアマーリエは、両親から疎まれていた。
追い討ちをかけるように神にも拒絶され、両親は妹のみを溺愛し、妹の婚約者には無能と罵倒される日々。
居場所も立場もない中、アマーリエが出会ったのは、紅蓮の炎を操る青年だった。
小説家になろうでも公開しています。
2025年1月18日、内容を一部修正しました。
勇者一行から追放された二刀流使い~仲間から捜索願いを出されるが、もう遅い!~新たな仲間と共に魔王を討伐ス
R666
ファンタジー
アマチュアニートの【二龍隆史】こと36歳のおっさんは、ある日を境に実の両親達の手によって包丁で腹部を何度も刺されて地獄のような痛みを味わい死亡。
そして彼の魂はそのまま天界へ向かう筈であったが女神を自称する危ない女に呼び止められると、ギフトと呼ばれる最強の特典を一つだけ選んで、異世界で勇者達が魔王を討伐できるように手助けをして欲しいと頼み込まれた。
最初こそ余り乗り気ではない隆史ではあったが第二の人生を始めるのも悪くないとして、ギフトを一つ選び女神に言われた通りに勇者一行の手助けをするべく異世界へと乗り込む。
そして異世界にて真面目に勇者達の手助けをしていたらチキン野郎の役立たずという烙印を押されてしまい隆史は勇者一行から追放されてしまう。
※これは勇者一行から追放された最凶の二刀流使いの隆史が新たな仲間を自ら探して、自分達が新たな勇者一行となり魔王を討伐するまでの物語である※

悪役令嬢の独壇場
あくび。
ファンタジー
子爵令嬢のララリーは、学園の卒業パーティーの中心部を遠巻きに見ていた。
彼女は転生者で、この世界が乙女ゲームの舞台だということを知っている。
自分はモブ令嬢という位置づけではあるけれど、入学してからは、ゲームの記憶を掘り起こして各イベントだって散々覗き見してきた。
正直に言えば、登場人物の性格やイベントの内容がゲームと違う気がするけれど、大筋はゲームの通りに進んでいると思う。
ということは、今日はクライマックスの婚約破棄が行われるはずなのだ。
そう思って卒業パーティーの様子を傍から眺めていたのだけど。
あら?これは、何かがおかしいですね。

S級冒険者の子どもが進む道
干支猫
ファンタジー
【12/26完結】
とある小さな村、元冒険者の両親の下に生まれた子、ヨハン。
父親譲りの剣の才能に母親譲りの魔法の才能は両親の想定の遥か上をいく。
そうして王都の冒険者学校に入学を決め、出会った仲間と様々な学生生活を送っていった。
その中で魔族の存在にエルフの歴史を知る。そして魔王の復活を聞いた。
魔王とはいったい?
※感想に盛大なネタバレがあるので閲覧の際はご注意ください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる