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三章【限りなき獣】
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あれから十日、ようやく状況が落ち着いて来たのでニャーンはかねてより考えていたことを実行しようと決めた。第七大陸での出来事を経てズウラに『信頼できる』と判断されたためテアドラスに入ることを許してもらった白い怪物を自分の元に呼ぶ。
【お待たせしました】
「全然待ってないよ」
苦笑するニャーン。彼女は、あの日スワレと一緒に座っていた平たい石に再び座って待っていた。外は明るいが地上は深夜。なので他の皆は家の中で眠っている。
スワレは一命を取り留め、意識も戻り、今は静養中。無事帰って来たニャーンを見て大きな声を上げて泣いてくれた。こちらも彼女が生き延びてくれたことに喜び、抱き合ってしばらく二人共に泣きじゃくった。
ズウラも安心した様子。でも二度と同じようなことは御免だと、日中は地上に出て一人で訓練に励んでいる。この間の戦いで掴んだより大きな力を引き出すコツをしっかりとものにしておきたいらしい。
アイムはいない。ニャーンが助けた第七大陸の生き残り達の処遇を巡って第四大陸の二人の王と交渉中。彼等の得た技術や兵器の多くは第七大陸の犠牲の上に成り立っている。だから恩を返せと脅しをかけてくると言っていた。交渉が成立したら彼等は第四大陸で保護してもらえる。
生き残りは数百人いて、挙句に全員が全く教育を受けていない獣同然の状態。流石にテアドラスでは受け入れきれない。だから仕方ない。心配だけれどそうするのが最善。
「あの人達、どうなるんだろうね……」
【アイム・ユニティに任せておけば大丈夫でしょう。彼は交流が広く、交渉力もあります】
「そうだね……」
第七大陸での様々な出来事は悪い夢だったかのように思えることもある。でも紛れもなく現実で、ユニ・オーリという一人の人間が千年以上もの間、多くの人々を苦しめ続けて来た。
その彼は、もういない。少なくとも彼が直接他人を害することも二度と無い。
【彼のような人間の死でも、貴女は悼むのですね】
「そう教えられたから」
俯いていたニャーンは否定せずに顔を上げる。全ての命は尊い。誰もが平等に価値を持つ。他人を尊重し、自分自身と同様に大切にしなければならない。誰かが亡くなったなら悲しみ、その魂の安寧を祈りなさい。ずっとそう言い聞かされてきた。
ユニ・オーリの価値観はそんな彼女とは全く違った。正直言って彼という人間を理解したいとも尊重したいとも思えないほどに。
だとしても少し寂しい。アイムもグレンもズウラも、テアドラスの人々もユニの死を全く悼んでいない。だからだ。自分が死んだ後、誰にも泣いてもらえず、思い出してすらもらえなかったらと考えると悲しくなった。
それなら、せめて自分だけは、彼の死を目の当たりにした唯一の聖職者だけはその死を悼むべきだと思うのだ。
嫌な記憶だとしても、せめて一人くらい覚えていたっていいだろう。
【今から貴女が実行しようとしていることも、一般的な人間の心理に照らし合わせると奇妙な行動だと思います】
「私、変な子だから」
やはり、これも忘れていない。目の前にいるこの鳥は家族と親友を殺した仇。本来なら憎むべき存在。実際に一度はこの世から消し去ろうとした、激しい怒りと憎しみをぶつけて。
でも彼は真っ先に第七大陸へ駆けつけてくれた。あの時、ユニに殺されかけた瞬間に助けに来てくれていなかったら今ここに自分はいない。
その後もたくさん助けられた。第七大陸の人々を守り抜けたのも、アイム達を死なせずに済んだのも彼のおかげ。
彼はただ使命を実行しているだけだろう。赤い怪物として人々を虐殺していた時のように。
だとしても感謝したい。そして、その証に贈り物をしたい。
思考を読める彼にはすでに伝わっている。だけど、ちゃんと言葉にすることは大切。ニャーンは白い怪物の顔をまっすぐ見つめ、命名する。
「貴方の名前は、今から『キュート』です」
【本当によろしいのですか? その名前は貴女の――】
「はい、弟の名前です」
赤ん坊のうちに戦禍に巻き込まれ命を落とした、たった一人の弟。彼が生まれてすぐに修道院に送られたため、言葉を交わすことすらできなかった大切な存在。
その名を彼に託す。この願いと共に。
「これからも私と一緒にいてください。皆を守るために貴方の力が必要なんです」
【はい】
元よりそれが自分の使命。ニャーン・アクラタカに管理権限が移行した時点で彼女の命令に従うことは当然の話。キュートと名付けられた怪物は迷わず頷く。
彼には感情など無い。だから何も感じない。けれど、亡き弟の名を仇敵に与えることが本来なら苦痛を伴う行為だとは理解している。実際に彼女の思考は微かな痛みを訴えている。
なのに本心からの感謝も伝わってくる。彼女は嘘をついていない。だからこちらも絶対に虚偽で応じない。もしその機能があったとしても。
キュートは気付かなかった。この瞬間、自分が変わったことに。名前には力があるのだ、名付けられたものに変化をもたらす力が。
彼は今、名を与えられたことで『抗体』から別の何かへ変わり始めた。
ニャーンは立ち上がると一歩前に出てキュートへ近付く。
そこですぐに足を止め、律義に確認を取った。
「抱きしめてもいいですか?」
【どうぞ】
すぐに彼女は抱き着いて来た。
強く、震える手で。
「ありがとう……しばらく、このままでいさせて」
【はい】
やはり第六大陸、第七大陸と立て続けに心に傷を負ったせいで精神的に弱っている。そんな彼女の肩に翼を重ね、キュートは約束した。
【貴女は必ず守ります】
彼は初めて神々の意志を疑う。この星の破壊は宇宙の存続のため必要な措置。けれど、その結果として彼女を苦しませるなら本当は間違っている。
貴方もそう思いますか? 虚空を見上げて問いかけた、この名前の本来の持ち主を探して。
知りたい。彼も、本物のキュートも彼女の幸せを願っているのだろうか。
とてもとても、それを知りたい。
「困ったな」
遥かな高みでため息をつく彼女。たしかにアイムは辿り着いた。アリアリ・スラマッパギ、いやユニ・オーリが望んだ領域へ。そして彼女が望んでいた未来に繋がる分岐へ。地上全てを見渡せる黄金時計の塔の最上階に在る彼女は、けれどもまた吐息を漏らす。
「これでもう、トゥールは一切容赦せんぞ」
ニャーン・アクラタカの覚醒に続いてアイムまでもが宇宙規模の脅威になった。まだ不完全とはいえ、あれはもう他の六柱にとって無視できる存在ではない。グレン・ハイエンドやズウラの力もさらなる成長を遂げる可能性が高い。
やはり、ここだった。この星こそが失われた『地球』の輪廻した新たな特異点。運命を左右する者達を生み出す青い星。だから彼女はこの地を見守り続けた。
だが彼女の友は、眼神アルトゥールは、すぐにもさらなる増援を送り込むだろう。十万程度では終わらない。この広大な宇宙を守る『抗体』全てをここに差し向けたとしてもおかしくない。かの惑星を消滅させた時のように。
未来は変えられない――彼女の友は、そう断言した。どれだけ足掻こうと人類に生存の可能性は無いのだと。
「困った困った」
たしかに、ここまで来てもやはり勝機が見えない。ニャーン・アクラタカの力は免疫システムにとっては最大の脅威だが、あくまで免疫システムに限った話。他の六柱がその気になれば直接乗り込んで来てあっさり打ち負かしてしまうだろう。本来の職分に反しているこちらには直接的介入を禁じるルールが適用されるが、宇宙の危機ともなれば向こうは遠慮する必要が無い。
「あと一歩足りんのだ、子犬。お前はもう少しだけ頑張らねばならぬ」
アイム・ユニティ、その名に込められた願いを知って欲しい。ユニ・オーリの計画もトゥールの厳正な裁きも覆せる可能性を彼は秘めている。
「やはり、やらねばならんかな」
友との約束を破るのは気が咎める。自分達に制約を課した創造主の意志にも逆らうことになってしまう。
だとしても黙ってはいられない。もう長いこと見守って来たのだ、情など移りに移ってしまっている。
「そもそも、あの腐れ外道をこの世界に招いて一連の災禍の原因を作り出してしまった原因はワシの姉らしいからの。まったく、ろくでもないことをしてくれたわキリスめ」
自分には身内として責任を果たす義務もある。
ということにして、己を納得させた。
彼女は少しの間だけ待った。最適なタイミングを探りつつ。
そしてついに、今がここだと断ずる。トゥールのような正確な未来予知はできないが、ここまでハッキリと分岐が見えている状況なら関係無い。むしろ、ここを逃せば次は無い。
「さあ、始めるぞ。これがワシから課す最後の試練じゃ息子よ」
信じている、彼等なら乗り越えられると。この試練を突破し、絶望的な状況を打破する鍵を手に入れてくれると。
「手加減はせんからな。ワシ一人に敗れるようなら所詮それまでの話」
試練を与える神、嵐神オクノケセラは黄金時計の塔の頂点に立ち、その身を包む黄金の光をより強く輝かせた。輝きは眼下の惑星全体を包み込み、そして――
宇宙と大地とを完全に隔絶してしまった。
(四章に続く)
【お待たせしました】
「全然待ってないよ」
苦笑するニャーン。彼女は、あの日スワレと一緒に座っていた平たい石に再び座って待っていた。外は明るいが地上は深夜。なので他の皆は家の中で眠っている。
スワレは一命を取り留め、意識も戻り、今は静養中。無事帰って来たニャーンを見て大きな声を上げて泣いてくれた。こちらも彼女が生き延びてくれたことに喜び、抱き合ってしばらく二人共に泣きじゃくった。
ズウラも安心した様子。でも二度と同じようなことは御免だと、日中は地上に出て一人で訓練に励んでいる。この間の戦いで掴んだより大きな力を引き出すコツをしっかりとものにしておきたいらしい。
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「あの人達、どうなるんだろうね……」
【アイム・ユニティに任せておけば大丈夫でしょう。彼は交流が広く、交渉力もあります】
「そうだね……」
第七大陸での様々な出来事は悪い夢だったかのように思えることもある。でも紛れもなく現実で、ユニ・オーリという一人の人間が千年以上もの間、多くの人々を苦しめ続けて来た。
その彼は、もういない。少なくとも彼が直接他人を害することも二度と無い。
【彼のような人間の死でも、貴女は悼むのですね】
「そう教えられたから」
俯いていたニャーンは否定せずに顔を上げる。全ての命は尊い。誰もが平等に価値を持つ。他人を尊重し、自分自身と同様に大切にしなければならない。誰かが亡くなったなら悲しみ、その魂の安寧を祈りなさい。ずっとそう言い聞かされてきた。
ユニ・オーリの価値観はそんな彼女とは全く違った。正直言って彼という人間を理解したいとも尊重したいとも思えないほどに。
だとしても少し寂しい。アイムもグレンもズウラも、テアドラスの人々もユニの死を全く悼んでいない。だからだ。自分が死んだ後、誰にも泣いてもらえず、思い出してすらもらえなかったらと考えると悲しくなった。
それなら、せめて自分だけは、彼の死を目の当たりにした唯一の聖職者だけはその死を悼むべきだと思うのだ。
嫌な記憶だとしても、せめて一人くらい覚えていたっていいだろう。
【今から貴女が実行しようとしていることも、一般的な人間の心理に照らし合わせると奇妙な行動だと思います】
「私、変な子だから」
やはり、これも忘れていない。目の前にいるこの鳥は家族と親友を殺した仇。本来なら憎むべき存在。実際に一度はこの世から消し去ろうとした、激しい怒りと憎しみをぶつけて。
でも彼は真っ先に第七大陸へ駆けつけてくれた。あの時、ユニに殺されかけた瞬間に助けに来てくれていなかったら今ここに自分はいない。
その後もたくさん助けられた。第七大陸の人々を守り抜けたのも、アイム達を死なせずに済んだのも彼のおかげ。
彼はただ使命を実行しているだけだろう。赤い怪物として人々を虐殺していた時のように。
だとしても感謝したい。そして、その証に贈り物をしたい。
思考を読める彼にはすでに伝わっている。だけど、ちゃんと言葉にすることは大切。ニャーンは白い怪物の顔をまっすぐ見つめ、命名する。
「貴方の名前は、今から『キュート』です」
【本当によろしいのですか? その名前は貴女の――】
「はい、弟の名前です」
赤ん坊のうちに戦禍に巻き込まれ命を落とした、たった一人の弟。彼が生まれてすぐに修道院に送られたため、言葉を交わすことすらできなかった大切な存在。
その名を彼に託す。この願いと共に。
「これからも私と一緒にいてください。皆を守るために貴方の力が必要なんです」
【はい】
元よりそれが自分の使命。ニャーン・アクラタカに管理権限が移行した時点で彼女の命令に従うことは当然の話。キュートと名付けられた怪物は迷わず頷く。
彼には感情など無い。だから何も感じない。けれど、亡き弟の名を仇敵に与えることが本来なら苦痛を伴う行為だとは理解している。実際に彼女の思考は微かな痛みを訴えている。
なのに本心からの感謝も伝わってくる。彼女は嘘をついていない。だからこちらも絶対に虚偽で応じない。もしその機能があったとしても。
キュートは気付かなかった。この瞬間、自分が変わったことに。名前には力があるのだ、名付けられたものに変化をもたらす力が。
彼は今、名を与えられたことで『抗体』から別の何かへ変わり始めた。
ニャーンは立ち上がると一歩前に出てキュートへ近付く。
そこですぐに足を止め、律義に確認を取った。
「抱きしめてもいいですか?」
【どうぞ】
すぐに彼女は抱き着いて来た。
強く、震える手で。
「ありがとう……しばらく、このままでいさせて」
【はい】
やはり第六大陸、第七大陸と立て続けに心に傷を負ったせいで精神的に弱っている。そんな彼女の肩に翼を重ね、キュートは約束した。
【貴女は必ず守ります】
彼は初めて神々の意志を疑う。この星の破壊は宇宙の存続のため必要な措置。けれど、その結果として彼女を苦しませるなら本当は間違っている。
貴方もそう思いますか? 虚空を見上げて問いかけた、この名前の本来の持ち主を探して。
知りたい。彼も、本物のキュートも彼女の幸せを願っているのだろうか。
とてもとても、それを知りたい。
「困ったな」
遥かな高みでため息をつく彼女。たしかにアイムは辿り着いた。アリアリ・スラマッパギ、いやユニ・オーリが望んだ領域へ。そして彼女が望んでいた未来に繋がる分岐へ。地上全てを見渡せる黄金時計の塔の最上階に在る彼女は、けれどもまた吐息を漏らす。
「これでもう、トゥールは一切容赦せんぞ」
ニャーン・アクラタカの覚醒に続いてアイムまでもが宇宙規模の脅威になった。まだ不完全とはいえ、あれはもう他の六柱にとって無視できる存在ではない。グレン・ハイエンドやズウラの力もさらなる成長を遂げる可能性が高い。
やはり、ここだった。この星こそが失われた『地球』の輪廻した新たな特異点。運命を左右する者達を生み出す青い星。だから彼女はこの地を見守り続けた。
だが彼女の友は、眼神アルトゥールは、すぐにもさらなる増援を送り込むだろう。十万程度では終わらない。この広大な宇宙を守る『抗体』全てをここに差し向けたとしてもおかしくない。かの惑星を消滅させた時のように。
未来は変えられない――彼女の友は、そう断言した。どれだけ足掻こうと人類に生存の可能性は無いのだと。
「困った困った」
たしかに、ここまで来てもやはり勝機が見えない。ニャーン・アクラタカの力は免疫システムにとっては最大の脅威だが、あくまで免疫システムに限った話。他の六柱がその気になれば直接乗り込んで来てあっさり打ち負かしてしまうだろう。本来の職分に反しているこちらには直接的介入を禁じるルールが適用されるが、宇宙の危機ともなれば向こうは遠慮する必要が無い。
「あと一歩足りんのだ、子犬。お前はもう少しだけ頑張らねばならぬ」
アイム・ユニティ、その名に込められた願いを知って欲しい。ユニ・オーリの計画もトゥールの厳正な裁きも覆せる可能性を彼は秘めている。
「やはり、やらねばならんかな」
友との約束を破るのは気が咎める。自分達に制約を課した創造主の意志にも逆らうことになってしまう。
だとしても黙ってはいられない。もう長いこと見守って来たのだ、情など移りに移ってしまっている。
「そもそも、あの腐れ外道をこの世界に招いて一連の災禍の原因を作り出してしまった原因はワシの姉らしいからの。まったく、ろくでもないことをしてくれたわキリスめ」
自分には身内として責任を果たす義務もある。
ということにして、己を納得させた。
彼女は少しの間だけ待った。最適なタイミングを探りつつ。
そしてついに、今がここだと断ずる。トゥールのような正確な未来予知はできないが、ここまでハッキリと分岐が見えている状況なら関係無い。むしろ、ここを逃せば次は無い。
「さあ、始めるぞ。これがワシから課す最後の試練じゃ息子よ」
信じている、彼等なら乗り越えられると。この試練を突破し、絶望的な状況を打破する鍵を手に入れてくれると。
「手加減はせんからな。ワシ一人に敗れるようなら所詮それまでの話」
試練を与える神、嵐神オクノケセラは黄金時計の塔の頂点に立ち、その身を包む黄金の光をより強く輝かせた。輝きは眼下の惑星全体を包み込み、そして――
宇宙と大地とを完全に隔絶してしまった。
(四章に続く)
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