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三章【限りなき獣】
アリアリ・スラマッパギ(2)
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針葉樹林の間を抜ける一本道。歩き切ったアイムはついに鉱山の手前の街に到着した。想像より広く、立派な建物も多い。そして港町とは違って朽ち果ててはおらず、人の姿もある。
だが高台から街を見下ろした彼には、それが本当に人間なのか確信が持てなかった。
「なんだ……あれは……?」
口を縫い合わされている、両目もだ。皮膚はつぎはぎだらけで変色。そうだとわかるのは全員が裸だから。こんな厳寒の地で男も女も一糸まとわぬ姿のまま黙々と働き続けている。髪や眉などの体毛さえ見当たらない。剃ってあるのか抜け落ちたのか。
「いや、そもそも……呼吸しとらん。あやつら死人か?」
この寒さ、息を吐けば当然白くなる。なのにそうなっていない。つまり呼吸していない。ならばあれらは動く死体? 死体を労働力として使っているとでも?
「その通りだよ」
「!」
背後から知らない男の声が響いた。そう思った直後、強烈な力で殴り飛ばされ、急斜面を転がり落ちる。大したダメージは無いが完全に不意を突かれた。
爪を突き立てて落下速度を殺し、跳ね起きて頭上の襲撃者を睨みつける。
「何者じゃ!?」
「シギャア!」
相手は答えず、再び問答無用で襲いかかって来た。熊に見えるが口から無数の触手を吐き出す熊など他の大陸では見たことが無い。それに言葉を話せそうにも見えない。
振り下ろされた爪を片手で受け止め、即座に反撃の蹴りを叩き込む。
「すっこんどれ! 貴様に用は無い!」
「ウヴォエッ!?」
腹を蹴られた衝撃で口からさらに大量の触手と肉塊を吐き出す化け物熊。いや、そもそも化け物なのは吐瀉された肉塊の方だったようだ。ビチビチと跳ね回るそれが完全に外へ出た途端、熊の方は動かなくなる。
「これも死体か……!?」
死体を触手の化け物が動かしていた。そうとしか思えない光景。
「ハハハ、徒手空拳で倒すとは大したものだ。流石は星獣アイム・ユニティ」
「なっ!?」
また声のした方へ振り返るアイム。今度は攻撃されなかったし声の主もその場に留まっている。
目線の高さは同じ。けれど向こうは鉱山側、つまり街へ続く斜面の下にいた。なのに視線が水平にぶつかる。
巨漢というわけではない。宙に浮いているのだ、光る円盤の上に立って。
「魔力障壁……」
「そう。君も使えるはずだよね、オクノケセラに教わってたもの」
いったいどうなっている? 困惑の度を深めるアイム。名前はともかく星獣であることや育て親が嵐神オクノケセラだとはまだ誰にも教えたことが無い。なのにこの若造はどうして知っている?
そう、若い男だ。紫がかった銀髪と鉛色の濁った目を持つ青年。人間の美醜の感覚にはまだ疎いものの、おそらくは整っているであろう容姿で飾り気のない普通の服とコートを纏っている。
人間にしか見えない。なのにこちらの秘密を知っていて、なおかつ魔力障壁を使える。これでは話が違う。
『しっかり学べ子犬。この術は魔力障壁と言ってな、読んで字の如し魔力で盾を形成して身を守る魔法だ。次の攻撃までに覚えておけば必ず役に立つ。本当ならお主等に教えてはならん決まりなのだが、まあ一匹くらい構わんじゃろ。魔力障壁なぞ基礎中の基礎だしな』
――オクノケセラはそう言っていた、魔力障壁は神々にしか使えない技だと。人間には使い方を教えていないから。
となると、まさかとは思うが。
「神か? 奴の言っていた他の六柱の誰か……」
あるいはさらに上位の神。創世の三柱かもしれない。
しかし、そんなアイムの推察に男は声を上げて笑う。
「アハハハハハハハハハハハハハハハハハハ! 僕が神? 神だって? 面白いことを言うな君は。そんなわけないだろう、僕は徹頭徹尾ただの人間だよ」
「ならば何故魔力障壁を使える!」
「君だって使えるじゃないか。こんなもの魔力さえあれば誰でも使えるんだよ、大したことじゃあない」
「……!」
たしかにそう、神々のルールで伝授を禁じられているだけで方法さえ知ってしまえば人でも星獣でも扱うことはできる。つまりあの男は何らかの手段で知識を得ただけの人間。当人の言を信じるなら、そういうことになる。
「ならば質問を変えよう……死体を操っているのは貴様か?」
「質問の仕方が悪いね、答えはノーだ。死体を操っているのはあくまでそれに特化させた人工生物だよ。今さっき君が熊の口から吐き出させたやつだ。そいつらを作って操っているのが僕かという質問であればイエスと答えよう」
「何者じゃ貴様……何の目的でこのようなことをする? 第七大陸の者達をどこへやった!」
「答えを急かすなよ坊や。教えてやってもいいが、まずは僕と戦え。話はその後だ」
「何?」
「特別に先に教えてやると、あそこで働いているのは実験に耐えきれず命を落とした者達の成れの果てで、港町やこの街に住んでいた住民の生き残りはもちろんいる。まだね」
まだ。それはつまり、この先の保証は無いという意味合い。
「……貴様を殺しても解放されるか?」
「ああ、いいね。それを景品にしよう。君が勝ったら全住民を自由にする。僕が勝ったらご褒美は無し。もちろん説明はしてあげるよ、君が嫌がったとしてもね。それは戦闘行為そのものに対する報酬だ」
「なら死んでくれ」
身構え、殺気を迸らせるアイム。この男さえ殺せば第七大陸の民を救える。正体が何者かなど後で調べればいい。今はとにかく無事な者達の救出を優先する。
彼はそのためにアリアリ・スラマッパギに挑んだ。
そして、敗れたのだ。
ズウラには信じられない。まさか、そんなことがあるはずない。動く死体や大陸一つが一人の男に支配されているという事実より、もっとずっと信じがたい。
「アイム様が負けた?」
だが事実だ。
『一度や二度でなく何度もな。何回挑んでも奴には勝てなかった』
巨狼となり本来の力を発揮しても太刀打ちできない。アリアリ・スラマッパギという男の実力は次元が異なる。あれから千年の時を経た今でさえ一対一では勝てる気がしない。
アイムにとってこれは屈辱と後悔の歴史である。だからあまり語りたくなかった。どうして勝てなかった? 何故に救ってやれなかったのかと、いつも暇さえあれば自問している。
――アリアリはやはり知っていた。どういうわけかアイムが第六大陸で修業中の青年に依頼され調査に訪れたことまで知っていて、傷つき地べたに這いつくばらされた彼の前に一人の女を連れて来たのだ。
その女は青年の捜していた姉だった。あの男は「この日のために取っておいた」と子供のような無邪気な笑みを浮かべて彼女を殺した。一片の躊躇も無く。
そしてアイムの目の前で死体の口に人工生物を押し込んだ。青年の姉は触手に操られる動く死体となり、死後の尊厳まで踏みにじられたのである。
『あやつは、アリアリという男は人の顔が苦痛や悲憤で歪むのが好きなのだ。そのためだけにより強い力を求める。自分の肉体に処置を施し、改造を重ね、尋常ならざる能力を獲得してもまだ満足しておらん。会う度に強くなっていく。精霊に祝福されし者ではないが、それを上回る異能と身体能力を有しているものと思え。見た目に騙されれば一瞬で餌食になるぞ』
長年かけてあの男の実力と性癖だけは知ることができた。あれは本当に他者を苛むことが好きなだけの男だ。それ以外にはロクに興味が無い。日々どうすればより効率的に苦痛を撒き散らせるかばかり考え、研究している。ニャーンに興味を示したのも、おそらくはそのため。
他にわかっているのは不老であること、ほとんど不死に近い生命力も持つこと。右に並べる者のいない博識であり、およそ知らないことは無いようにも思える。他者が頑なに秘密にしていることでさえ、どういうわけか奴は簡単に暴き出す。
『ニャーンとは対極の存在だ。だから、なるべく会わせたくなかったのだがな……』
第七大陸の実情を知れば囚われの人々を助けたいと言うに決まってる。それも恐れていた。
しばらく黙り込んでいたグレンが腕を組みながら呟く。
「あの大陸には手を出すな……そう言い伝えられているのも、そのためか」
『そうじゃ』
肯定するアイム。全大陸にそう指示を出したのは他ならぬ彼自身である。下手にアリアリを刺激すると何が起こるかわからない。そして、自分にはおそらく止められない。
『奴は強すぎる』
何度も挑んで、そして負けた。その度に心を折られ絶望を味わった。
やがてあちらから提案して来た。第七大陸は遊び場であり研究の場、自分の縄張り。ここにさえ手を出さなければ他は見逃してあげようと。
『ワシは、その条件を飲んだ』
アリアリに勝てば第七大陸の民は解放。その約束は引き続き有効で彼だけは何度でも挑むことができた。けれど、やはり勝てない。どうしてもあの男にだけは勝つことができない。
『第七の者達には死ぬまで詫び続けても足りん。ワシは、あやつらを見殺しにした』
大多数を守るために少数を犠牲にするしかなかった。だから他の大陸で英雄と呼ばれる度に本当は心が痛んだ。自分はそう呼ばれる資格など無いと知っていたから。
グレンやズウラ、そしてニャーンを鍛えたのは本物の英雄を生み出すためでもある。紛い物とは違う真の英雄を。
「アイム様……」
『案ずるな』
不安な視線を背中に感じ、アイムはまた頭を振る。打ち明けたのは退路を無くすため。逃げ道を封じて今度こそ最後まで戦い抜く。幸いニャーンという希望が生まれた。もう自分のような老兵は必要無い。惜しむことなく命を賭せる。
『あやつだけは絶対に救い出す。そのためにお主等を連れて来た。すまんが、死ぬ気で付き合ってもらうぞ。今度こそ絶対に負けてはならん!』
「も、もちろんです!」
「言われるまでもない」
アイムの話を聞いて弱気になっていたズウラも改めて固く決意する。グレンは元々全く動揺していない。彼は薄々アイムの抱える弱さと苦悩に気が付いていた。そしてその上で彼を尊敬し続けて来たのだ。
「アイム、あんたは誰が何と言おうと、あんた自身がどう思っていようと英雄だ。その力も絶対にこの先の未来で必要になる。だから死ぬなよ」
『わかっておる』
年経た星獣は嘘をついた。知恵ある獣は齢を重ねるほど嘘が上手になるもの。
ニャーンさえ救えれば良い。あの娘がいれば星は救われる。
彼はもう、それしか考えていない。
だが高台から街を見下ろした彼には、それが本当に人間なのか確信が持てなかった。
「なんだ……あれは……?」
口を縫い合わされている、両目もだ。皮膚はつぎはぎだらけで変色。そうだとわかるのは全員が裸だから。こんな厳寒の地で男も女も一糸まとわぬ姿のまま黙々と働き続けている。髪や眉などの体毛さえ見当たらない。剃ってあるのか抜け落ちたのか。
「いや、そもそも……呼吸しとらん。あやつら死人か?」
この寒さ、息を吐けば当然白くなる。なのにそうなっていない。つまり呼吸していない。ならばあれらは動く死体? 死体を労働力として使っているとでも?
「その通りだよ」
「!」
背後から知らない男の声が響いた。そう思った直後、強烈な力で殴り飛ばされ、急斜面を転がり落ちる。大したダメージは無いが完全に不意を突かれた。
爪を突き立てて落下速度を殺し、跳ね起きて頭上の襲撃者を睨みつける。
「何者じゃ!?」
「シギャア!」
相手は答えず、再び問答無用で襲いかかって来た。熊に見えるが口から無数の触手を吐き出す熊など他の大陸では見たことが無い。それに言葉を話せそうにも見えない。
振り下ろされた爪を片手で受け止め、即座に反撃の蹴りを叩き込む。
「すっこんどれ! 貴様に用は無い!」
「ウヴォエッ!?」
腹を蹴られた衝撃で口からさらに大量の触手と肉塊を吐き出す化け物熊。いや、そもそも化け物なのは吐瀉された肉塊の方だったようだ。ビチビチと跳ね回るそれが完全に外へ出た途端、熊の方は動かなくなる。
「これも死体か……!?」
死体を触手の化け物が動かしていた。そうとしか思えない光景。
「ハハハ、徒手空拳で倒すとは大したものだ。流石は星獣アイム・ユニティ」
「なっ!?」
また声のした方へ振り返るアイム。今度は攻撃されなかったし声の主もその場に留まっている。
目線の高さは同じ。けれど向こうは鉱山側、つまり街へ続く斜面の下にいた。なのに視線が水平にぶつかる。
巨漢というわけではない。宙に浮いているのだ、光る円盤の上に立って。
「魔力障壁……」
「そう。君も使えるはずだよね、オクノケセラに教わってたもの」
いったいどうなっている? 困惑の度を深めるアイム。名前はともかく星獣であることや育て親が嵐神オクノケセラだとはまだ誰にも教えたことが無い。なのにこの若造はどうして知っている?
そう、若い男だ。紫がかった銀髪と鉛色の濁った目を持つ青年。人間の美醜の感覚にはまだ疎いものの、おそらくは整っているであろう容姿で飾り気のない普通の服とコートを纏っている。
人間にしか見えない。なのにこちらの秘密を知っていて、なおかつ魔力障壁を使える。これでは話が違う。
『しっかり学べ子犬。この術は魔力障壁と言ってな、読んで字の如し魔力で盾を形成して身を守る魔法だ。次の攻撃までに覚えておけば必ず役に立つ。本当ならお主等に教えてはならん決まりなのだが、まあ一匹くらい構わんじゃろ。魔力障壁なぞ基礎中の基礎だしな』
――オクノケセラはそう言っていた、魔力障壁は神々にしか使えない技だと。人間には使い方を教えていないから。
となると、まさかとは思うが。
「神か? 奴の言っていた他の六柱の誰か……」
あるいはさらに上位の神。創世の三柱かもしれない。
しかし、そんなアイムの推察に男は声を上げて笑う。
「アハハハハハハハハハハハハハハハハハハ! 僕が神? 神だって? 面白いことを言うな君は。そんなわけないだろう、僕は徹頭徹尾ただの人間だよ」
「ならば何故魔力障壁を使える!」
「君だって使えるじゃないか。こんなもの魔力さえあれば誰でも使えるんだよ、大したことじゃあない」
「……!」
たしかにそう、神々のルールで伝授を禁じられているだけで方法さえ知ってしまえば人でも星獣でも扱うことはできる。つまりあの男は何らかの手段で知識を得ただけの人間。当人の言を信じるなら、そういうことになる。
「ならば質問を変えよう……死体を操っているのは貴様か?」
「質問の仕方が悪いね、答えはノーだ。死体を操っているのはあくまでそれに特化させた人工生物だよ。今さっき君が熊の口から吐き出させたやつだ。そいつらを作って操っているのが僕かという質問であればイエスと答えよう」
「何者じゃ貴様……何の目的でこのようなことをする? 第七大陸の者達をどこへやった!」
「答えを急かすなよ坊や。教えてやってもいいが、まずは僕と戦え。話はその後だ」
「何?」
「特別に先に教えてやると、あそこで働いているのは実験に耐えきれず命を落とした者達の成れの果てで、港町やこの街に住んでいた住民の生き残りはもちろんいる。まだね」
まだ。それはつまり、この先の保証は無いという意味合い。
「……貴様を殺しても解放されるか?」
「ああ、いいね。それを景品にしよう。君が勝ったら全住民を自由にする。僕が勝ったらご褒美は無し。もちろん説明はしてあげるよ、君が嫌がったとしてもね。それは戦闘行為そのものに対する報酬だ」
「なら死んでくれ」
身構え、殺気を迸らせるアイム。この男さえ殺せば第七大陸の民を救える。正体が何者かなど後で調べればいい。今はとにかく無事な者達の救出を優先する。
彼はそのためにアリアリ・スラマッパギに挑んだ。
そして、敗れたのだ。
ズウラには信じられない。まさか、そんなことがあるはずない。動く死体や大陸一つが一人の男に支配されているという事実より、もっとずっと信じがたい。
「アイム様が負けた?」
だが事実だ。
『一度や二度でなく何度もな。何回挑んでも奴には勝てなかった』
巨狼となり本来の力を発揮しても太刀打ちできない。アリアリ・スラマッパギという男の実力は次元が異なる。あれから千年の時を経た今でさえ一対一では勝てる気がしない。
アイムにとってこれは屈辱と後悔の歴史である。だからあまり語りたくなかった。どうして勝てなかった? 何故に救ってやれなかったのかと、いつも暇さえあれば自問している。
――アリアリはやはり知っていた。どういうわけかアイムが第六大陸で修業中の青年に依頼され調査に訪れたことまで知っていて、傷つき地べたに這いつくばらされた彼の前に一人の女を連れて来たのだ。
その女は青年の捜していた姉だった。あの男は「この日のために取っておいた」と子供のような無邪気な笑みを浮かべて彼女を殺した。一片の躊躇も無く。
そしてアイムの目の前で死体の口に人工生物を押し込んだ。青年の姉は触手に操られる動く死体となり、死後の尊厳まで踏みにじられたのである。
『あやつは、アリアリという男は人の顔が苦痛や悲憤で歪むのが好きなのだ。そのためだけにより強い力を求める。自分の肉体に処置を施し、改造を重ね、尋常ならざる能力を獲得してもまだ満足しておらん。会う度に強くなっていく。精霊に祝福されし者ではないが、それを上回る異能と身体能力を有しているものと思え。見た目に騙されれば一瞬で餌食になるぞ』
長年かけてあの男の実力と性癖だけは知ることができた。あれは本当に他者を苛むことが好きなだけの男だ。それ以外にはロクに興味が無い。日々どうすればより効率的に苦痛を撒き散らせるかばかり考え、研究している。ニャーンに興味を示したのも、おそらくはそのため。
他にわかっているのは不老であること、ほとんど不死に近い生命力も持つこと。右に並べる者のいない博識であり、およそ知らないことは無いようにも思える。他者が頑なに秘密にしていることでさえ、どういうわけか奴は簡単に暴き出す。
『ニャーンとは対極の存在だ。だから、なるべく会わせたくなかったのだがな……』
第七大陸の実情を知れば囚われの人々を助けたいと言うに決まってる。それも恐れていた。
しばらく黙り込んでいたグレンが腕を組みながら呟く。
「あの大陸には手を出すな……そう言い伝えられているのも、そのためか」
『そうじゃ』
肯定するアイム。全大陸にそう指示を出したのは他ならぬ彼自身である。下手にアリアリを刺激すると何が起こるかわからない。そして、自分にはおそらく止められない。
『奴は強すぎる』
何度も挑んで、そして負けた。その度に心を折られ絶望を味わった。
やがてあちらから提案して来た。第七大陸は遊び場であり研究の場、自分の縄張り。ここにさえ手を出さなければ他は見逃してあげようと。
『ワシは、その条件を飲んだ』
アリアリに勝てば第七大陸の民は解放。その約束は引き続き有効で彼だけは何度でも挑むことができた。けれど、やはり勝てない。どうしてもあの男にだけは勝つことができない。
『第七の者達には死ぬまで詫び続けても足りん。ワシは、あやつらを見殺しにした』
大多数を守るために少数を犠牲にするしかなかった。だから他の大陸で英雄と呼ばれる度に本当は心が痛んだ。自分はそう呼ばれる資格など無いと知っていたから。
グレンやズウラ、そしてニャーンを鍛えたのは本物の英雄を生み出すためでもある。紛い物とは違う真の英雄を。
「アイム様……」
『案ずるな』
不安な視線を背中に感じ、アイムはまた頭を振る。打ち明けたのは退路を無くすため。逃げ道を封じて今度こそ最後まで戦い抜く。幸いニャーンという希望が生まれた。もう自分のような老兵は必要無い。惜しむことなく命を賭せる。
『あやつだけは絶対に救い出す。そのためにお主等を連れて来た。すまんが、死ぬ気で付き合ってもらうぞ。今度こそ絶対に負けてはならん!』
「も、もちろんです!」
「言われるまでもない」
アイムの話を聞いて弱気になっていたズウラも改めて固く決意する。グレンは元々全く動揺していない。彼は薄々アイムの抱える弱さと苦悩に気が付いていた。そしてその上で彼を尊敬し続けて来たのだ。
「アイム、あんたは誰が何と言おうと、あんた自身がどう思っていようと英雄だ。その力も絶対にこの先の未来で必要になる。だから死ぬなよ」
『わかっておる』
年経た星獣は嘘をついた。知恵ある獣は齢を重ねるほど嘘が上手になるもの。
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