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二章【雨に打たれてなお歩み】
炎の少女
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ミーネラージス修道院。大陸東部ニアベイ共和国北端、なだらかな平原にぽつんと佇むこの施設は預けられた子供に教育を施し、ゆくゆくは独り立ちしてもらうための育成の場である。共同生活を通じ社会性を、神への祈りと教典から道徳を、そして授業により知識を学ぶことが出来る。
第六大陸では同様の施設が各地に存在しており、ここはその一つに過ぎない。石造りの高い壁で囲まれた姿は一見すると戦のため築かれた砦にも見える。実際に古い軍事施設を転用した例もあるのだ、ここは違うが。
現在この施設の責任者はメリエラ・イスウォルビンという老齢のシスター。教主が女性と決まっているように、やはり各地の教会や修道院も代表者は女性になることが多い。
だからチャンスはあるはずなのだ。この大陸では女の方が有利。自分もまた努力次第で高い地位に就ける。
(もしかしたら教主にだって)
プラスタ・ローワンクリス。つい先日十四になったばかりの彼女は、すでに大きな野望を抱いている。ミーネラージス開設以来の才女などと呼ばれているが、かつて同じ評価を受け、今はここの責任者になっている現院長と同じ結果で満足はしない。目標は高ければ高いほど良い。
(私が教会を変える。いや、この大陸そのものを改革する)
今日も彼女はそのために熱心に授業を受けていた。教室にいる他の子供達は退屈そうでやる気が無い。けれど彼女は違う。将来のため必要なことだと理解している。
自主学習も欠かしておらず、授業内容はすでに知っていることばかり。構わない、反復して脳に刻み込む。彼女は本当は平凡な人間。自覚がある。けれど努力する凡才は怠惰な天才より上。そう信じてもいる。
「このように第二大陸の人々はその歴史から航海術や造船技術に長けており、怪塵に汚染され大いに危険性の増した現在の自然環境でも彼等の能力は重宝されています。ヤーナフ、例を挙げてみなさい」
「ええっ?」
社会学の教師シスター・アミルに名指しされ、男子生徒ヤーナフは狼狽する。机の木目に面白い形が無いか探しており、話をろくに聞いていなかったのだ。
「えっと……大陸と大陸の間の行き来……」
「それだけですか?」
シスター・アミルの冷徹な眼差しは見る者の心に深く刺さる。一部にだからこそ良いと言う者もいるけれど彼は違った。彼は優しいお姉さん派。だから委縮しつつ必死に答えを探す。
「ええと……ええと……」
「しっかりしろよヤーナフ。ポンコツニャーンみたいだぞ」
「なら、貴方は答えられますね。代わりに回答なさいムスティラ」
「へへっ、貿易でしょ? 大陸間で商売するには第二大陸の船乗りの力が欠かせないって先生さっき言ってたじゃん」
ムスティラは得意気に答えた。ところがシスター・アミルはそんな彼に近付き、さらに冷たい眼差しで見下ろす。
「あ、あれ……?」
「たしかに話は聞いていたようです。その点は褒めましょう。しかし、私が話したことをそのまま答えたのでは不十分。ヤーナフの回答とも大差ありません。プラスタ、貴女ならわかりますね?」
「はい」
彼女は赤い髪をかき上げつつ澄まし顔で回答する。
「人の移動、物資の移動、それらも重要ではありますが、大陸間の交流において最も重視されるべきは情報の共有です。危険な航海をして大陸間を繋ぎ、情報のやり取りを行ってくれる人達がいなければ、私達は他の大陸の様子を知ることができません。
昔ならそれでも構わなかったでしょう。けれど現在は怪塵という世界規模の脅威が存在しており人類全体がその危険に晒され続けています。知らない間に世界のどこかで未曾有の危機が起こっているかもしれません。だから他大陸から運ばれて来る情報は他のどんなものより高い価値を有します」
「結構。期待以上の答えです、皆も見習いなさい」
「ありがとうございます」
褒められても笑顔一つ零さない。そんなプラスタの態度にカチンと来る者もいる。特に今しがた恥をかいたムスティラが食ってかかった。
「ハッ、なんだよ未曽有の危機って。怪物なんか現れたってどうせすぐにやっつけられるじゃん。どこに現れたとか知らなくたって問題無いさ」
「そうだよ、第一大陸では『神の子』グレン・ハイエンドがどんな怪物もあっという間に倒すって聞いたぜ。第六にも祝福されし者は何人かいるし」
「だいたいさ、大災害から千年経ってるのにみんなまだ生きてるじゃん? その程度なんだよ結局。そんなに怖がる必要無いって」
「だよな」
「一回も見たことないし」
男子生徒達は多くがムスティラの意見に賛同した。女子の一部も「たしかに、ちょっと大袈裟だよね」などと囁き合う。
「貴方達……」
生徒同士の意見交換も大事だと思って見守っていたシスター・アミルは、流れが次第にプラスタへの批判に変わり始めたところで止めようとした。
しかし──
「馬鹿じゃない?」
当の本人がバッサリ斬り捨てる。氷の視線と言われるアミルのそれとは対極にある眼光。それがぐるりと教室内を一瞥した。あまりの迫力に全員が押し黙る。
見る者全てを焼き尽くす炎。プラスタの目にはそれが宿っている。
「千年経っても滅んでいない? だから大したことない? 先人の努力と犠牲をなんだと思ってるの? 千年経ってもまだ解決していないのよ、この問題は。そんなに簡単に片がつくなら誰も苦労しないし、とっくの昔に全て片付いてる。そうなっていない時点で怪塵への対処がどれだけ困難なことか想像つくでしょ? もう一度訊くわよ、アンタら揃いも揃って馬鹿しかいないの?」
「いや、その……」
ムスティラは怯んだ。なのにヤーナフが言い返す。
「ば、馬鹿って言う方が馬鹿なんだぞ!」
「ならアンタも馬鹿よ。たった一言で矛盾してるじゃない。それとも私が馬鹿だから理解できないだけ? ほら、もう一度詳しく説明してみなさい」
「う、ううっ……」
やはり勝てなかった。この教室にいるのは十三歳から十五歳の生徒。もっと年上でさえプラスタと議論して勝つことはできない。当然の結果である。
「そこまで」
パン。頃合いと見て手を叩き、今度こそ止めるアミル。
一応、プラスタにも注意する。
「プラスタ、私も貴女と同意見です。しかし、言い方はもう少し考えなさい」
「はい、感情的になってしまいました。反省します」
「よろしい」
この子が反省すると言ったなら、次からは本当にそれを活かして来る。心配はいらないだろう。他の子達もへこまされて大人しい。そろそろ授業を再開せねば。
だが、視線を少し持ち上げた瞬間、動きを止める彼女。氷の視線を持つ女が何かを見て凍り付いてしまった。
「先生?」
「あれ……は……」
開きっぱなしの窓の外を見ているようだ
つられて子供達も振り返る。
「何かあるの?」
「って、なにあれ!?」
一斉に上がる悲鳴。何事かと他の子達も駆け寄って行く。プラスタもやはり事態を確認すべく動いた。
そして見る。近付いて来る黒山を。
いや、山のように巨大な獣。
「まさか、あれ……」
聞いたことがある。かの有名な「異端者」はそのような姿に化けると。けれど本当に彼だとして、どうしてここに?
「アイム・ユニティ……」
──呟いたその時、巨獣の背から赤い鳥が飛び立つ。さらに大きく目を見開いた彼女は、誰よりも先に走り出した。
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現在この施設の責任者はメリエラ・イスウォルビンという老齢のシスター。教主が女性と決まっているように、やはり各地の教会や修道院も代表者は女性になることが多い。
だからチャンスはあるはずなのだ。この大陸では女の方が有利。自分もまた努力次第で高い地位に就ける。
(もしかしたら教主にだって)
プラスタ・ローワンクリス。つい先日十四になったばかりの彼女は、すでに大きな野望を抱いている。ミーネラージス開設以来の才女などと呼ばれているが、かつて同じ評価を受け、今はここの責任者になっている現院長と同じ結果で満足はしない。目標は高ければ高いほど良い。
(私が教会を変える。いや、この大陸そのものを改革する)
今日も彼女はそのために熱心に授業を受けていた。教室にいる他の子供達は退屈そうでやる気が無い。けれど彼女は違う。将来のため必要なことだと理解している。
自主学習も欠かしておらず、授業内容はすでに知っていることばかり。構わない、反復して脳に刻み込む。彼女は本当は平凡な人間。自覚がある。けれど努力する凡才は怠惰な天才より上。そう信じてもいる。
「このように第二大陸の人々はその歴史から航海術や造船技術に長けており、怪塵に汚染され大いに危険性の増した現在の自然環境でも彼等の能力は重宝されています。ヤーナフ、例を挙げてみなさい」
「ええっ?」
社会学の教師シスター・アミルに名指しされ、男子生徒ヤーナフは狼狽する。机の木目に面白い形が無いか探しており、話をろくに聞いていなかったのだ。
「えっと……大陸と大陸の間の行き来……」
「それだけですか?」
シスター・アミルの冷徹な眼差しは見る者の心に深く刺さる。一部にだからこそ良いと言う者もいるけれど彼は違った。彼は優しいお姉さん派。だから委縮しつつ必死に答えを探す。
「ええと……ええと……」
「しっかりしろよヤーナフ。ポンコツニャーンみたいだぞ」
「なら、貴方は答えられますね。代わりに回答なさいムスティラ」
「へへっ、貿易でしょ? 大陸間で商売するには第二大陸の船乗りの力が欠かせないって先生さっき言ってたじゃん」
ムスティラは得意気に答えた。ところがシスター・アミルはそんな彼に近付き、さらに冷たい眼差しで見下ろす。
「あ、あれ……?」
「たしかに話は聞いていたようです。その点は褒めましょう。しかし、私が話したことをそのまま答えたのでは不十分。ヤーナフの回答とも大差ありません。プラスタ、貴女ならわかりますね?」
「はい」
彼女は赤い髪をかき上げつつ澄まし顔で回答する。
「人の移動、物資の移動、それらも重要ではありますが、大陸間の交流において最も重視されるべきは情報の共有です。危険な航海をして大陸間を繋ぎ、情報のやり取りを行ってくれる人達がいなければ、私達は他の大陸の様子を知ることができません。
昔ならそれでも構わなかったでしょう。けれど現在は怪塵という世界規模の脅威が存在しており人類全体がその危険に晒され続けています。知らない間に世界のどこかで未曾有の危機が起こっているかもしれません。だから他大陸から運ばれて来る情報は他のどんなものより高い価値を有します」
「結構。期待以上の答えです、皆も見習いなさい」
「ありがとうございます」
褒められても笑顔一つ零さない。そんなプラスタの態度にカチンと来る者もいる。特に今しがた恥をかいたムスティラが食ってかかった。
「ハッ、なんだよ未曽有の危機って。怪物なんか現れたってどうせすぐにやっつけられるじゃん。どこに現れたとか知らなくたって問題無いさ」
「そうだよ、第一大陸では『神の子』グレン・ハイエンドがどんな怪物もあっという間に倒すって聞いたぜ。第六にも祝福されし者は何人かいるし」
「だいたいさ、大災害から千年経ってるのにみんなまだ生きてるじゃん? その程度なんだよ結局。そんなに怖がる必要無いって」
「だよな」
「一回も見たことないし」
男子生徒達は多くがムスティラの意見に賛同した。女子の一部も「たしかに、ちょっと大袈裟だよね」などと囁き合う。
「貴方達……」
生徒同士の意見交換も大事だと思って見守っていたシスター・アミルは、流れが次第にプラスタへの批判に変わり始めたところで止めようとした。
しかし──
「馬鹿じゃない?」
当の本人がバッサリ斬り捨てる。氷の視線と言われるアミルのそれとは対極にある眼光。それがぐるりと教室内を一瞥した。あまりの迫力に全員が押し黙る。
見る者全てを焼き尽くす炎。プラスタの目にはそれが宿っている。
「千年経っても滅んでいない? だから大したことない? 先人の努力と犠牲をなんだと思ってるの? 千年経ってもまだ解決していないのよ、この問題は。そんなに簡単に片がつくなら誰も苦労しないし、とっくの昔に全て片付いてる。そうなっていない時点で怪塵への対処がどれだけ困難なことか想像つくでしょ? もう一度訊くわよ、アンタら揃いも揃って馬鹿しかいないの?」
「いや、その……」
ムスティラは怯んだ。なのにヤーナフが言い返す。
「ば、馬鹿って言う方が馬鹿なんだぞ!」
「ならアンタも馬鹿よ。たった一言で矛盾してるじゃない。それとも私が馬鹿だから理解できないだけ? ほら、もう一度詳しく説明してみなさい」
「う、ううっ……」
やはり勝てなかった。この教室にいるのは十三歳から十五歳の生徒。もっと年上でさえプラスタと議論して勝つことはできない。当然の結果である。
「そこまで」
パン。頃合いと見て手を叩き、今度こそ止めるアミル。
一応、プラスタにも注意する。
「プラスタ、私も貴女と同意見です。しかし、言い方はもう少し考えなさい」
「はい、感情的になってしまいました。反省します」
「よろしい」
この子が反省すると言ったなら、次からは本当にそれを活かして来る。心配はいらないだろう。他の子達もへこまされて大人しい。そろそろ授業を再開せねば。
だが、視線を少し持ち上げた瞬間、動きを止める彼女。氷の視線を持つ女が何かを見て凍り付いてしまった。
「先生?」
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