ワールド・スイーパー

秋谷イル

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一章【災禍操るポンコツ娘】

旅は続く(2)

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「よろしかったのですか、あのまま行かせて。随分と気に入っておいでのようでしたが」
 報告のため訪れたドルカの問いに、執務室での机仕事の合間、短い休憩を楽しんでいたナラカは口の端を歪める。
「たしかにニャーン嬢の能力は諦めるには惜しい。あの力を自由に運用することができたなら我々は無敵の国家となろう」
 しかしと呟き、まだ湯気を立てるカップを机に置く。人払いのため使用人は下がらせた。だから申し訳ないがドルカの分は無い。
 ドルカも気にしない。会話はそのまま続く。
「アイム・ユニティとグレン・ハイエンドを敵に回す危険を考えたら、とてもではないが手を出せんよ。あの二人を上手に出し抜けるとも思えないしな」
 人は老いるほど嘘に長ける。アイムやグレンとてそれは同じ。見事にニャーンを騙してワンガニの民も欺いた。街に入った直後、騒ぎを起こしたのは印象付けるため。自分達が敵対関係にあるという噂を利用し決闘へとつなぐための布石。
 そして自分に人を集めさせ、衆目の前でニャーン・アクラタカの能力と人格をアピールした。あの戦い、彼女は自身の命を狙われながら一度も攻撃を仕掛けなかった。おかげで人々はこう思っただろう、心優しい娘だと。実際その通りなので、そこに嘘は無い。
 けれど、その事実が目を曇らせる。いくら優しかろうが、怪塵の除去に有用な力を保有していようが、それでもやっぱり彼女は気まぐれに世界を滅ぼせる存在なのだ。そちらの事実からは意識を逸らさせた。
「怖いねえ、やはり彼等は敵に回せない。私の嘘にも気付いていながら黙ってくれていたわけだし、こちらもその恩に報いようじゃないか」
「はっ」
 軽く頷いて了承の意を示すドルカ。彼にも感謝しなければいけない。八年も秘密を抱え続けて、それでも仕えてくれているのだから。

 ──玉座は父を殺して簒奪した。恥じてはいない。向こうもこちらを殺そうとしていた。だから先に毒を盛った。
 無能でこそなかったが希代の浪費家。あれを始末したことは王として成し遂げた最初の仕事であり、最大の功績だったと今でも確信している。

「本当に怪塵が一掃される日が来るかはわからない。だが、もしそうなったら彼女の力は無用の長物となる。無理をして確保するほどの宝ではないよ」
「なるほど」
 それにこの国にはグレンがいる。あの律儀な男のことだ、こちらが裏切らない限り敵に回ることも無い。彼を擁している時点ですでにティツァルサウティリは実質的な第一大陸の覇者。これ以上の武力を求める必要性も薄い。
「我々が今すべきは次への備え。怪塵の無い世界か、それともさらなる地獄か。どちらが来ても対応できるようにしておかねばならん。それこそが為政者の務めだ」
「ご立派です」
「ふふ、それにな将軍」
「はい?」
「我々には彼女は眩しすぎる。そうは思わんか?」
「……たしかに」
「いるものだな、こんな世界にも。純粋無垢なまま生きる人間が」

 あの輝きが曇らなければ、怪塵に包まれ長く続いていたこの星の暗黒時代にも、いつか光が差し込むだろう。
 そう思った時、ナラカはふっと思い出した。

「危ない危ない」
「どうなさいました?」
「危うく取り立てるのを忘れるところだった。さあ金を払えドルカ。あの賭けは私の勝ちだったぞ。見立て通り、ニャーン嬢が勝利したではないか」



「……今頃は第二へ渡ったか」
 屋敷の窓から西を見つめ独りごちるグレン。アイムは人間と異なる時間の感覚で動いている。次に会うのはいつになることやら。
「グレン様」
「どうした、クメル?」
 いつの間にかすぐ近くに立っている彼女。ここまで接近する気配に気付けなかったとは情けない。久しぶりに恩人に会えて気が緩んでしまった。引き締め直さないと。
 そう決意した彼に、クメルもまた決然とした眼差しで告げる。
「私は諦めません、ニャーンさんのように」

 まっすぐな瞳。あの少女と同じ嘘の無い視線。
 だから純粋に好意が伝わって来る。

「私は……」
 それでも応えることはできない。そう言おうとしたが、クメルが近付いて来て彼の唇に指を当てた。
「今、街では少しずつ皆の意識が変わり始めています。ご存知ですか?」
「いや? どういうことだ?」
「見るからに臆病なのに貴方に立ち向かったニャーンさんの姿を見て、自分達も、もっと頑張ろうと生き方を見つめ直しているのです。それにグレン様がアイム様に負けたことも一因となりました。一人に頼っていてはいけない。街と都、そして国は皆が力を合わせて守っていくものなのだと」
「……そうか」

 グレンには突然、目の前の女性が眩く見えた。
 そして視線をもう一度窓の外に向ける。夕暮れの光に照らされた街全体が同様の輝きを放っているように思える。

「そういう、ことなんだな……」
 長い付き合いだ、彼はアイムが戦う理由も知っている。未来に希望を繋ぐこと。人間が彼のように星を守れる存在へと成長するまで盾となること。
 それを知ったからこそ彼を超えなければならないと思った。恩に報いるため、彼以上の強き英雄になろうとしてきた。
 でも、今やっと理解出来た。もっと気を抜けという言葉の意味。何もこれは自分一人で成し遂げなければならないことではなかったのだ。

 この世界に生きる全ての命が、あの男の夢を叶え得る希望。
 神の子は、この世に一人だけではない。

「グレン様、お優しい顔……」
「む、そうか?」
「いつか、そんな顔を私にも向けてもらいたいです。いえ、私だけに見せる表情が欲しい。諦めません。たとえクビになったって、必ず振り向かせて見せます。私もニャーンさんに勇気を貰いました。アイム様にまで悪態をつける彼女は私の良いお手本です」
「そうだな」
「わっ」
 クメルの頭を撫でた彼は、懐かしそうにその感触を楽しむ。
「もう、また子供扱いして……」
「実際まだ幼い。だが、この意識を塗り替えたいなら好きにするといい。もちろんクビになどするものか。クメルは私にとって家族の一員だからな」
「えっ、それってどういう──」
「孫のようなものだ」
「子供より下!? ちゃんと大人扱いしてください、私もう二十歳なんですよ!」
「ああ、本当に大きくなったものだ」
「おじいちゃん目線やめて!」



 ──再び海辺。実はまだ第一大陸である。第二大陸へ渡る前に何故かここへ寄りたいとアイムが言うので一日休んで行くことにした。近くには、すっかり風化した廃村しかない。つまり今夜は野宿決定。
 焚火を挟み、二人で向かい合いながら夕食にする。
「あ、意外と美味しい」
 自分で仕留めたタコの脚にかぶりつき嬉しそうに咀嚼するニャーン。火で炙っただけのそれは歯応えも適度で心地良い。
「じゃろう? 見た目が悪いからと言って敬遠してはいかん。不細工なくせに美味い生物などいくらでもおる」
「外見で判断してはいけないんですね。人と同じで」
「そういうこっちゃ」
「ただ、美味しいけど、ちょっと噛み切りにくいかも……」
 むぐむぐと口を動かす彼女。アイムが絶妙な焼き加減で調理してくれたことはわかるのだけれど、それでもなお彼女にはやや固め。
「アゴが鍛えられてええ。アゴの弱い奴は歳を取ったらすぐに歯が抜けるぞ」
「へえ、そうなんですか。じゃあ、ちゃんとよく噛んで食べます。むぐむぐ」
「まあ、お主にゃいらん心配かもしれんが」
「? どうしてです?」
「……薄々そうじゃないかと思っておったが、本当にポンコツじゃな」
「ひどい」
「お主、グレンとあやつの侍女を見てどう思った?」
「ああ、あの二人、お似合いですよね。グレン様、再婚なさったりするのかなあ?」
「歳はかなり離れとるぞ」
「えー、でも、あのくらいの歳の差なら割といますよ。グレン様って多分三十から四十歳くらいでしょう?」
「ワシと前に戦ったのが三十年前なのにか?」
「……あれ?」

 おかしい。やっとそのことに気が付くニャーン。

「え? 待ってください、グレン様って何歳なんです? まさか十歳くらいの時に貴方と戦ったんですか?」
「んなわけがあるか。あやつの逸話を思い出せ、あやつは妻を失った後に能力に覚醒した、そうだな?」
「そ、そう聞いています……」
「ということは、祝福されし者になった時にはすでに妻を持つ歳だったわけだ。その後にワシと知り合い、たまに稽古をつけてやるようになった」
「ふむふむ」
「ふむふむじゃないわい。ここまで言えばわかるじゃろうが、答えてみい」
「え、えーっと……」
 ニャーンは腕組みして、しばらく考えてからぽんと手を打つ。
「五十歳! 十五歳くらいで結婚する人が多いので、その後で奥さんを亡くされて貴方と知り合い、三十年前に大ゲンカ! どうです? これでだいたい合ってるでしょう?」
「大外れじゃ」
 アイムが見せる落胆の度合いはさらに深まる。もう底無し穴のようだ。
「話の流れも加味せんかい。その答えじゃ最初の予想と大して変わらん。あやつはとうに百歳を超えておる。あの娘っ子とは曾爺さんと曾孫くらい離れとるんじゃ」
「百歳!? で、でも、とてもそうは見えませんでしたけど……?」
「祝福の効果だ。祝福されし者の中には、たまに若返ったり、老化が停止する者も現れる。あやつもその一人だ」
「じゃあビサックさんも?」
「いや、あれは真っ当に歳を取り続けておる、この先はわからんが。グレンも最初の頃は普通に歳を取り続けた。そして、いつからか全く老けなくなった。祝福の力に馴染むほど人から遠ざかる。そういうことかもしれん」
「……」

 ニャーンは言葉を失う。話の趣旨もやっと理解できた。
 自分もまた、そうなる可能性があるのだ。

「私……どうなるんでしょう……」
「わからん。その答えを得るには進むしかない。お主がどうなるか、この星がどうなるか、未だ見ぬ道の先を知りたくば、歩みを止めるな」
「……はい」

 ──しばらくしてニャーンは暖かな寝床に横たわった。獣の姿に戻ったアイムの背中である。このあたりに宿になる建物など残っていないそうで、しかたなく貸してくれた。
 相変わらず心地良い感触の毛皮。獣くさいのに妙にほっとする。おかげで、すぐに眠くなってきた。

「ヨダレを垂らすなよ」
「むにゃ……」
 アイムが呼びかけた時には、すでに彼女は寝入っていた。まあ聞いていたところで生理現象なのだからどうしようもない。今度シーツでも買ってやるかと考える。この先も旅は続く。怪物の発生率は辺境の地ほど高く、野宿をする機会も少なくない。少しでも快適に過ごせるようにしてやらねば。大切なこの星の希望だ。
 とにかく自分も眠ろう。瞼を閉じるアイム。もちろん周辺への警戒は眠っていても怠らない。敵が近付いて来ればすぐにわかる。

 守らなければ。この少女を。大地に生きる全ての命を。
 それが星獣の使命。そして彼自身の願い。

 それはそれとして気になる。ニャーンは寝返りが多い。そのたびに背中がもぞもぞしてくすぐったい。
「タ、タコぉ……いやぁ……つよぃぃ……」
(寝言も多い娘だ)
「たべちゃった……おなかが空いてても、まるのみはだめですよユニティ……」
『お主の中のワシは、いったいどういうイメージなんじゃい!?』

 シーツよりテントを買ってやった方がいいかもしれない。こんな夜がこれから繰り返し訪れるのかと思うと、今から気が滅入る彼だった。
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