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一章【災禍操るポンコツ娘】
覚醒(2)
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嗚咽を漏らして泣いていると、昨日のように呼びかけられた。
「嬢ちゃん、あまり落ち込むな。そうそうすぐに上手くはいかんもんさ」
「……ビサックさんもですか?」
彼もある日いきなり祝福されし者になったという。だったら自分と同じ経験をしているかもしれない。そう思って訊ねる。
でも、返答は歯切れが悪い。
「ああ、いや……この力は、オイラと相性が良かったみたいでな……」
「……そうですか」
つまり最初から上手に使いこなせたのだろう。それを知って急激に心が冷めてしまった。涙は止まり、体の汚れを落としてから湯舟に身を沈める。相変わらずかなり熱い湯。それでも心臓に熱は戻らない。
自分だけだ。きっと自分だけがこの世で唯一駄目な存在なんだ。そんなはずも無いのに、そういう思考で頭がいっぱいになる。もう二度とここから動かず、じっと朽ちて行くべきなのだと。
そしてまたビサックの声。
「のぼせるから、あんまり長湯はするなよ?」
「はい……」
辛うじて返事をした後、ふっと疑念が湧く。どうして彼はこちらが湯に浸かっているとわかった? 当てずっぽうか水音が聴こえたか、それとも──
(力を使って覗いてるんじゃ……?)
匿ってくれて食べさせてもらって、恩人なのはわかっている。だとしても一度疑い出すと止まらない。なにせ覗きをするのに最適な能力。しかも年齢は四十五らしい。それならまだまだ精力は旺盛なはず。考えれば考えるほど背筋が寒くなって来る。
危機感を抱いたニャーンは体を両腕で隠し、さらに深く湯に沈んだ。湯温は高く、頭も熱くなっていく。叫んだらアイムに聞こえるだろうか? けれど、考えすぎかもしれない。いや、だとしても──茹だった頭は余計に思考がこんがらがり、わけのわからなくなった彼女は瞼を閉じる。
その瞬間、予想だにしなかった感覚を得た。
(あれ?)
目を閉じているのに周囲の全てが見える。色の無い世界で周りにあるものの形と動きを明瞭に認識できる。どころか見えないはずの場所まで見えてしまう。
ビサックは変わらず岩陰で座ったまま。こっちに向いてすらいない。疑ったことを強く恥じる。同時に混乱。
(なにこれ? なにこれ? どうしてわかるの? 私の妄想? それとも現実? それに、なんだかだんだん……)
意識が薄れる。水中を漂う感覚。遠く響くビサックの声。呼びかけられている。けれど何を言ってるかわからない。返事もできなかった。
ニャーンはのぼせて気絶した。
ビサックはニャーンを抱えて小屋まで戻ると、アイムと共に悪戦苦闘に陥った。
「お主がついとりながら何をしとるか!」
「す、すまねえ。なんか急に静かになったとは思ったんだけど、女の子だし確認するにも勢いが必要で……」
「小娘相手にそこまで遠慮は必要なかろう。まだ子供じゃぞ」
「いやいや、アイム様の感覚なら人間なぞ皆子供だろうけど、ここまで大きく育ってると流石になあ……」
「ええい、面倒な。もうええわい、とにかく体は拭けた、服を着させてやれ」
「すまん嬢ちゃん。ええと、下着はこうして……いや、こうか? クソ、女のは巻き方がわからん。アイム様は?」
「ワシもわからん。というかお主、ちゃんと目を開けて作業せんかい」
「うるさいのう、だったらアイム様がやってくれりゃええじゃろ」
「だからワシにはわからんと言うに」
「千年も生きとるくせに」
「うるさい。ワシの育て親なんかな、常に全裸じゃったぞ。人間もめんどくさい服なんぞ着るのはやめてそうしたらええんじゃ」
「狼と一緒にするな。人には羞恥心ってものがある」
「それが面倒だと言うんじゃ、まったく」
口論はなおも続いたが、しばらく頑張ってなんとか服を着せ終えた。
「ハァ……若い娘さんとの生活ってのは思ったより大変なもんだ。息子の方がずっと気楽だったぞ。女房がいりゃ任せられたのに」
「手紙は今も来るのか?」
「はっ、もう何年も音沙汰が無い。薄情なもんだ」
「離れたのはお主の方だろう」
「……わかっとる」
疲れ、アイムの言葉に傷付けられ、椅子に腰を下ろすビサック。だからといって当たり散らしたりはしない。
ため息と共にもう一度立ち上がると、倉庫から酒ビンを持って来た。
「嬢ちゃんはしばらく目を覚まさんだろう。扇いでやりつつ一杯やるか?」
「おう、ええのう。服は嫌いだが酒は好きだぞ」
嬉々として話に乗るアイム。二人は陶器のカップに注いだそれをちびちびと飲み始める。そしてまた言葉を交わした。
「すまん」
「いや、いいよ……アンタのおかげで寂しくはない。アイツもオイラと別れて今は幸せなはずだ。それでいいんだ……それでな」
自分に言い聞かせるように言うと、ビサックは残りを一気に呷って、それから次の一杯を盃に注いだ。
──夜になり、ようやく目を覚ましたニャーンはベッドから這い出る。なんだかひどく喉が渇いていた。
起きた時のためだろう、テーブルの上に水差しとカップが置かれていたのでありがたく一杯いただく。美味しい。水分が体中に染み渡る。もう一杯。それでやっと満足する。
「ふう……」
正確な時間こそわからないが、すでに日は落ちており視界は真っ暗。室内には他に誰もいない。ビサックは昨夜の自分と同じように倉庫で眠ったようだ。豪快ないびきがドアを隔てても聴こえて来る。
アイムは上。確認した彼女は外に出て力を使った。怪塵を集めて翼を形成し、ジャンプしながら羽ばたくと簡単に屋根の上へ。逃亡中に数え切れないほど飛んだから、これにはすっかり手慣れてしまった。
「騒々しい」
「すいません」
早速叱られる。やはり向こうも気付いていたらしい。目線の動きからそうではないかと思っていたのだ。彼は屋根の一番高い部分に座っていて、ニャーンも翼を消すとその隣に腰を下ろす。
彼は邪魔だともなんとも言わず、ただ問いかけて来た。
「何か掴んだな?」
「はい」
即答するニャーン。たしかに掴んだ。それはすでに彼女の中にあったのだ。でも今まで全く意識していなかったから、自分でもこんなことができると思わなかった。
辺りは真っ暗。頭上から降り注ぐ星灯りも弱々しい。なのに今は周囲にあるもの全てが昼間のようによく見えている。わからないのは色だけ。白と黒と灰色の世界。けれど全て鮮明。輪郭、質感、動きは瞼を閉じてもはっきりと認識できる。
怪塵があるから。微量であっても大気中に漂い、様々な物質に付着している。その存在を認識し操作できる彼女は周囲の全ての怪塵の位置情報を把握することにより、それらが触れている物体も立体的に知覚する。してしまえる。
完全に透明な素材だけで作られた家具があるとしよう。室内に置いたそれらは目に映らない。けれど砂や水を撒いて付着させれば、どこにあるのかもその物体の形状も判明する。つまりはそういう仕組み。
この力を使えば、能力で姿を消したビサックも捕捉できるだろう。
「これを教えたかったんですか?」
「それだけなものかよ。お主の能力なら、その程度のことはできるとわかっていた。だが、まだまだ。もっと応用は効く。どんな力も使い方次第。お主にも、自分で思っとる以上の可能性が眠っている」
アイムは信じていた。信じてくれていた。当人ですら諦めかけたニャーン・アクラタカという人間の可能性を。
それを知って、彼女はまた自分を恥じる。
「ごめんなさい……」
「何を謝る?」
「私、挫けるところでした……こんなに早く、まだ始めたばかりなのに、全部投げ出してしまおうとしていた」
「人間はそんなやつばかりじゃ。別におかしなことではない」
寿命が短い種族は気も短いのだと彼は言う。そうやって生き急ぐ人間、死に急ぐ人間をこれまで数え切れないほど見て来たと。
ニャーンもそう思う。自分達人間は結論を急ぎ過ぎる。
「急がなくてもいいんですね……」
「あんまりのんびりされても困るが、まあ困るだけだ。多少の問題はワシが片付けてやる。お主は焦らず前に進め。ワシもな、今回は少し反省した。らしくなく急かすような真似をしてしまった。許せよ、こっちも許す」
「もしかして、これってそのために買ってくれたんですか?」
自分の着ているものをつまんで問いかけるニャーン。花柄の刺繍が施された可愛らしい寝間着。こんなものをビサックが持っているとは思えない。だからきっと訓練用のあの服と一緒にアイムが買って来てくれたのだろう。
彼は素直に認める。そしてまた問い返す。
「適当に選んで買ったが、気に入ったか?」
「はいっ」
「他にも服は色々買った。ビサックのやつがお主に合わせて仕立て直しておったぞ。明日からは好きに着るが良い。どうせあの訓練用の服はもう一度でお役御免じゃろう」
言外に、そうしてみせろと激励されていることに気付き、ニャーンは微笑む。
「がんばります」
「うむ」
二人の頭上では、星が静かに瞬いていた。
「嬢ちゃん、あまり落ち込むな。そうそうすぐに上手くはいかんもんさ」
「……ビサックさんもですか?」
彼もある日いきなり祝福されし者になったという。だったら自分と同じ経験をしているかもしれない。そう思って訊ねる。
でも、返答は歯切れが悪い。
「ああ、いや……この力は、オイラと相性が良かったみたいでな……」
「……そうですか」
つまり最初から上手に使いこなせたのだろう。それを知って急激に心が冷めてしまった。涙は止まり、体の汚れを落としてから湯舟に身を沈める。相変わらずかなり熱い湯。それでも心臓に熱は戻らない。
自分だけだ。きっと自分だけがこの世で唯一駄目な存在なんだ。そんなはずも無いのに、そういう思考で頭がいっぱいになる。もう二度とここから動かず、じっと朽ちて行くべきなのだと。
そしてまたビサックの声。
「のぼせるから、あんまり長湯はするなよ?」
「はい……」
辛うじて返事をした後、ふっと疑念が湧く。どうして彼はこちらが湯に浸かっているとわかった? 当てずっぽうか水音が聴こえたか、それとも──
(力を使って覗いてるんじゃ……?)
匿ってくれて食べさせてもらって、恩人なのはわかっている。だとしても一度疑い出すと止まらない。なにせ覗きをするのに最適な能力。しかも年齢は四十五らしい。それならまだまだ精力は旺盛なはず。考えれば考えるほど背筋が寒くなって来る。
危機感を抱いたニャーンは体を両腕で隠し、さらに深く湯に沈んだ。湯温は高く、頭も熱くなっていく。叫んだらアイムに聞こえるだろうか? けれど、考えすぎかもしれない。いや、だとしても──茹だった頭は余計に思考がこんがらがり、わけのわからなくなった彼女は瞼を閉じる。
その瞬間、予想だにしなかった感覚を得た。
(あれ?)
目を閉じているのに周囲の全てが見える。色の無い世界で周りにあるものの形と動きを明瞭に認識できる。どころか見えないはずの場所まで見えてしまう。
ビサックは変わらず岩陰で座ったまま。こっちに向いてすらいない。疑ったことを強く恥じる。同時に混乱。
(なにこれ? なにこれ? どうしてわかるの? 私の妄想? それとも現実? それに、なんだかだんだん……)
意識が薄れる。水中を漂う感覚。遠く響くビサックの声。呼びかけられている。けれど何を言ってるかわからない。返事もできなかった。
ニャーンはのぼせて気絶した。
ビサックはニャーンを抱えて小屋まで戻ると、アイムと共に悪戦苦闘に陥った。
「お主がついとりながら何をしとるか!」
「す、すまねえ。なんか急に静かになったとは思ったんだけど、女の子だし確認するにも勢いが必要で……」
「小娘相手にそこまで遠慮は必要なかろう。まだ子供じゃぞ」
「いやいや、アイム様の感覚なら人間なぞ皆子供だろうけど、ここまで大きく育ってると流石になあ……」
「ええい、面倒な。もうええわい、とにかく体は拭けた、服を着させてやれ」
「すまん嬢ちゃん。ええと、下着はこうして……いや、こうか? クソ、女のは巻き方がわからん。アイム様は?」
「ワシもわからん。というかお主、ちゃんと目を開けて作業せんかい」
「うるさいのう、だったらアイム様がやってくれりゃええじゃろ」
「だからワシにはわからんと言うに」
「千年も生きとるくせに」
「うるさい。ワシの育て親なんかな、常に全裸じゃったぞ。人間もめんどくさい服なんぞ着るのはやめてそうしたらええんじゃ」
「狼と一緒にするな。人には羞恥心ってものがある」
「それが面倒だと言うんじゃ、まったく」
口論はなおも続いたが、しばらく頑張ってなんとか服を着せ終えた。
「ハァ……若い娘さんとの生活ってのは思ったより大変なもんだ。息子の方がずっと気楽だったぞ。女房がいりゃ任せられたのに」
「手紙は今も来るのか?」
「はっ、もう何年も音沙汰が無い。薄情なもんだ」
「離れたのはお主の方だろう」
「……わかっとる」
疲れ、アイムの言葉に傷付けられ、椅子に腰を下ろすビサック。だからといって当たり散らしたりはしない。
ため息と共にもう一度立ち上がると、倉庫から酒ビンを持って来た。
「嬢ちゃんはしばらく目を覚まさんだろう。扇いでやりつつ一杯やるか?」
「おう、ええのう。服は嫌いだが酒は好きだぞ」
嬉々として話に乗るアイム。二人は陶器のカップに注いだそれをちびちびと飲み始める。そしてまた言葉を交わした。
「すまん」
「いや、いいよ……アンタのおかげで寂しくはない。アイツもオイラと別れて今は幸せなはずだ。それでいいんだ……それでな」
自分に言い聞かせるように言うと、ビサックは残りを一気に呷って、それから次の一杯を盃に注いだ。
──夜になり、ようやく目を覚ましたニャーンはベッドから這い出る。なんだかひどく喉が渇いていた。
起きた時のためだろう、テーブルの上に水差しとカップが置かれていたのでありがたく一杯いただく。美味しい。水分が体中に染み渡る。もう一杯。それでやっと満足する。
「ふう……」
正確な時間こそわからないが、すでに日は落ちており視界は真っ暗。室内には他に誰もいない。ビサックは昨夜の自分と同じように倉庫で眠ったようだ。豪快ないびきがドアを隔てても聴こえて来る。
アイムは上。確認した彼女は外に出て力を使った。怪塵を集めて翼を形成し、ジャンプしながら羽ばたくと簡単に屋根の上へ。逃亡中に数え切れないほど飛んだから、これにはすっかり手慣れてしまった。
「騒々しい」
「すいません」
早速叱られる。やはり向こうも気付いていたらしい。目線の動きからそうではないかと思っていたのだ。彼は屋根の一番高い部分に座っていて、ニャーンも翼を消すとその隣に腰を下ろす。
彼は邪魔だともなんとも言わず、ただ問いかけて来た。
「何か掴んだな?」
「はい」
即答するニャーン。たしかに掴んだ。それはすでに彼女の中にあったのだ。でも今まで全く意識していなかったから、自分でもこんなことができると思わなかった。
辺りは真っ暗。頭上から降り注ぐ星灯りも弱々しい。なのに今は周囲にあるもの全てが昼間のようによく見えている。わからないのは色だけ。白と黒と灰色の世界。けれど全て鮮明。輪郭、質感、動きは瞼を閉じてもはっきりと認識できる。
怪塵があるから。微量であっても大気中に漂い、様々な物質に付着している。その存在を認識し操作できる彼女は周囲の全ての怪塵の位置情報を把握することにより、それらが触れている物体も立体的に知覚する。してしまえる。
完全に透明な素材だけで作られた家具があるとしよう。室内に置いたそれらは目に映らない。けれど砂や水を撒いて付着させれば、どこにあるのかもその物体の形状も判明する。つまりはそういう仕組み。
この力を使えば、能力で姿を消したビサックも捕捉できるだろう。
「これを教えたかったんですか?」
「それだけなものかよ。お主の能力なら、その程度のことはできるとわかっていた。だが、まだまだ。もっと応用は効く。どんな力も使い方次第。お主にも、自分で思っとる以上の可能性が眠っている」
アイムは信じていた。信じてくれていた。当人ですら諦めかけたニャーン・アクラタカという人間の可能性を。
それを知って、彼女はまた自分を恥じる。
「ごめんなさい……」
「何を謝る?」
「私、挫けるところでした……こんなに早く、まだ始めたばかりなのに、全部投げ出してしまおうとしていた」
「人間はそんなやつばかりじゃ。別におかしなことではない」
寿命が短い種族は気も短いのだと彼は言う。そうやって生き急ぐ人間、死に急ぐ人間をこれまで数え切れないほど見て来たと。
ニャーンもそう思う。自分達人間は結論を急ぎ過ぎる。
「急がなくてもいいんですね……」
「あんまりのんびりされても困るが、まあ困るだけだ。多少の問題はワシが片付けてやる。お主は焦らず前に進め。ワシもな、今回は少し反省した。らしくなく急かすような真似をしてしまった。許せよ、こっちも許す」
「もしかして、これってそのために買ってくれたんですか?」
自分の着ているものをつまんで問いかけるニャーン。花柄の刺繍が施された可愛らしい寝間着。こんなものをビサックが持っているとは思えない。だからきっと訓練用のあの服と一緒にアイムが買って来てくれたのだろう。
彼は素直に認める。そしてまた問い返す。
「適当に選んで買ったが、気に入ったか?」
「はいっ」
「他にも服は色々買った。ビサックのやつがお主に合わせて仕立て直しておったぞ。明日からは好きに着るが良い。どうせあの訓練用の服はもう一度でお役御免じゃろう」
言外に、そうしてみせろと激励されていることに気付き、ニャーンは微笑む。
「がんばります」
「うむ」
二人の頭上では、星が静かに瞬いていた。
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