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一章【災禍操るポンコツ娘】
泥まみれ(2)
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季節は春。されど第一大陸は温暖な気候でビサックが暮らす森もすでに夏の様相。セミ達の声がやかましい。そして儚い命の合唱よりなお騒々しい悲鳴が断続的に上がる。
「無理ですううううううううううううううううううううううううううううううっ!!」
声の主は全身泥だらけになった少女。いや、本当に泥だろうか? 酷く臭い。まるで獣のフンのような匂い。その悪臭が容赦無く彼女の鼻孔と涙腺を刺激する。
「こんなのどうにもなりません! 降参します!」
「早いわ! まだ開始してから三十分も経っとらんぞ!」
怒鳴りつけたのはアイム。ニャーンからよく見える位置の木の枝の上に立ち、額に青筋を浮かべている。彼は根性無しが嫌いなのだ。
「能力を使え! なんのためにやっておるのか忘れたか!」
「そんなこと言われたってえ!」
言ってる間にも、またどこからともなく飛んで来た「矢」が背中に命中した。もちろん矢じりはついておらず、代わりに臭い泥の詰まった動物の腸を先端に括りつけてある。
命中し、パンと弾けたそれからまた悪臭を放つ汚泥がぶちまけられた。修道女の証たる僧服は今や見る影も無い。
「もう嫌あああああああああああああああああああああああああああっ!!」
『嬢ちゃん、あんまり大口開けてると、泥が口に入るぞ』
「!?」
思ったより近くから聴こえたビサックの声。慌てて口を閉じたニャーンは周囲に視線を走らせる。すると左手方向、二十mほど離れた位置の木陰に彼がいた。すぐさまそちらへ向かって走り出す。
「お願いしますお願いしますお願いします! 捕まってください!」
「手を抜いちゃ怒られちまう。すまねえな嬢ちゃん」
「ああっ、また!」
泣きながら迫ったニャーンの前で木々が作り出す影の中に溶け込み、姿を消すビサック。アイム曰く、彼は影の精霊に祝福されし者。陰影と一体化して誰にも視認できない状態になるらしい。
「落ち着け、さっき教えたじゃろう。ビサックの力は影の中にいる限り目に映らず気配も気取らせないものなのだと。見えぬだけだ、まだ近くにおる」
「そ、そんなこと言われても……」
怯えつつ周囲を見回すニャーン。本当に全く見えないし、森の中などあちらもこちらも影だらけ。しかも熟練の猟師であるビサックは足音一つ立てず移動できる。どう考えても素人に見つけられるはずがない。
「こんなの無理ですよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」
また泣き出してしまった。ため息をつくアイム。
(まあ、初日か)
今も各国は正体不明の「怪塵使い」の噂に戦々恐々としているはず。それに自分が長くここに留まっていれば、怪塵から救えたはずの命が余計に失われる。悠長に時を費やせる状況ではないのだ。
とはいえ本人の性格が性格、無理をさせ過ぎて心が折れてしまっても困る。二度と立ち直れなくなりかねない。
「やむをえん、始まったばかりだしな。もういいビサック、今日のところはしまいにする。トドメを刺してやれ」
「わかった」
「え?」
すぐ傍から上がった声で振り返るニャーン。その顔面にビサックの手が悪臭を放つ泥をなすりつける。
今日一番悲痛な叫びが、再び木々の合間に木霊した。
「じゃ、邪悪です……神様、やっぱり背教者ユニティは邪悪な存在でした……私のような婦女子をいじめて喜ぶのです……」
アイムに案内され近くの温泉までやって来たニャーン。森の中に岩を敷き詰めて作った湯舟がある。泥だらけの僧服を脱ぎ、裸になった彼女はタライですくった湯を何度も自分にかけ、丁寧に石鹸で肌を磨いた。
ビサックが詫びにとくれたのだ。蜂蜜や植物の油を使ったそうでとても良い香りがする。しかし完全に汚泥を落としたはずの肌からはまだ異臭が漂っているような気も。やっぱりもう一度と流したばかりの肌を再びこする。どんどん小さくなっていく石鹸。いつもならもったいないと思うけれど、今回ばかりは倹約根性より乙女の美意識が勝る。
それに、お湯を使えるなんて本当に久しぶり。旅の間に溜まった垢もしっかり落としておきたい。
すると近くの岩陰から響く少年の声。
「えらい言われようじゃ。お主のためにしてやっとるのに」
「何が私のためですか! 貴方たちは単に私をいじめて楽しんで──って、まままっまだそこにいるんですかユニティ!?」
てっきりもう小屋へ戻ったものと思っていた。青ざめ、赤くなり、そしてまた青ざめる。
「あ、あわ、あわわわわわわっ」
泡を流し、湯舟に飛び込むニャーン。途端、真っ青になった顔がまた赤くなる。
「あつううううううううううううううううううううううういっ!?」
「おい、湯の湧き出し口近くに入ったな? 粗忽者、さっき教えたじゃろ、なるべく逆に行けと。ここの湯は人間にはちと熱い。一番遠い位置でようやく適温になる。ビサックがそう言っとった」
「う、うう、散々です……どうして私がこんな目に……」
一旦湯船から出たニャーンは這いつくばるような姿勢で移動し、なんとかアイムの言う温度が低いポイントを探して再び入湯。続いて泣きながら問いかける。
「そんなところで何してるんですか……まさか覗き? 英雄のくせに」
「ワシがお主の裸を見て何の得をすると言うんじゃ? 忘れてるかもしれんが、こちとら星獣ぞ。人間のメスに欲情したりせん。洗濯してやっとるだけじゃ。一張羅が泥だらけのままで構わんならここにほっといて帰るぞ」
「あ、なるほど。それはどうもありがとうございま……ん?」
またも会話の途中で気付くニャーン。すぐさま湯から出て走り寄り、岩陰を覗く。流浪の大英雄は本当に彼女の僧服を手洗いしていた。妙に慣れた手つきで。
「ぎゃあああああああああああっ! 待ってください、せめて下着は私が!」
「は? なんでじゃ?」
「なっ、なんででもいいからこっちへください! できれば触らないで!」
裸を見られないよう必死に腕だけ突き出して伸ばす。するとアイムはスタスタ近付いて来て上下の下着を彼女に手渡した。ついでにチッと舌打ち。
「どうやって触らずに渡せっちゅうんじゃ。ワシゃ怪塵使いちゃうわい」
「……」
ぷるぷる震えるニャーン。受け取った下着はすでに湿っているし汚れ一つ無い。つまりすでに洗われている。乙女にとっては大変な恥辱。
さらに言うと今、多分見られた。素っ裸の姿を。
「へんたい……ちかん……」
「やかましい! 汚れが落ちたんならさっさとあがって服を着ろ! 着替えはここに置いとくからな、アホ娘!」
「無理ですううううううううううううううううううううううううううううううっ!!」
声の主は全身泥だらけになった少女。いや、本当に泥だろうか? 酷く臭い。まるで獣のフンのような匂い。その悪臭が容赦無く彼女の鼻孔と涙腺を刺激する。
「こんなのどうにもなりません! 降参します!」
「早いわ! まだ開始してから三十分も経っとらんぞ!」
怒鳴りつけたのはアイム。ニャーンからよく見える位置の木の枝の上に立ち、額に青筋を浮かべている。彼は根性無しが嫌いなのだ。
「能力を使え! なんのためにやっておるのか忘れたか!」
「そんなこと言われたってえ!」
言ってる間にも、またどこからともなく飛んで来た「矢」が背中に命中した。もちろん矢じりはついておらず、代わりに臭い泥の詰まった動物の腸を先端に括りつけてある。
命中し、パンと弾けたそれからまた悪臭を放つ汚泥がぶちまけられた。修道女の証たる僧服は今や見る影も無い。
「もう嫌あああああああああああああああああああああああああああっ!!」
『嬢ちゃん、あんまり大口開けてると、泥が口に入るぞ』
「!?」
思ったより近くから聴こえたビサックの声。慌てて口を閉じたニャーンは周囲に視線を走らせる。すると左手方向、二十mほど離れた位置の木陰に彼がいた。すぐさまそちらへ向かって走り出す。
「お願いしますお願いしますお願いします! 捕まってください!」
「手を抜いちゃ怒られちまう。すまねえな嬢ちゃん」
「ああっ、また!」
泣きながら迫ったニャーンの前で木々が作り出す影の中に溶け込み、姿を消すビサック。アイム曰く、彼は影の精霊に祝福されし者。陰影と一体化して誰にも視認できない状態になるらしい。
「落ち着け、さっき教えたじゃろう。ビサックの力は影の中にいる限り目に映らず気配も気取らせないものなのだと。見えぬだけだ、まだ近くにおる」
「そ、そんなこと言われても……」
怯えつつ周囲を見回すニャーン。本当に全く見えないし、森の中などあちらもこちらも影だらけ。しかも熟練の猟師であるビサックは足音一つ立てず移動できる。どう考えても素人に見つけられるはずがない。
「こんなの無理ですよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」
また泣き出してしまった。ため息をつくアイム。
(まあ、初日か)
今も各国は正体不明の「怪塵使い」の噂に戦々恐々としているはず。それに自分が長くここに留まっていれば、怪塵から救えたはずの命が余計に失われる。悠長に時を費やせる状況ではないのだ。
とはいえ本人の性格が性格、無理をさせ過ぎて心が折れてしまっても困る。二度と立ち直れなくなりかねない。
「やむをえん、始まったばかりだしな。もういいビサック、今日のところはしまいにする。トドメを刺してやれ」
「わかった」
「え?」
すぐ傍から上がった声で振り返るニャーン。その顔面にビサックの手が悪臭を放つ泥をなすりつける。
今日一番悲痛な叫びが、再び木々の合間に木霊した。
「じゃ、邪悪です……神様、やっぱり背教者ユニティは邪悪な存在でした……私のような婦女子をいじめて喜ぶのです……」
アイムに案内され近くの温泉までやって来たニャーン。森の中に岩を敷き詰めて作った湯舟がある。泥だらけの僧服を脱ぎ、裸になった彼女はタライですくった湯を何度も自分にかけ、丁寧に石鹸で肌を磨いた。
ビサックが詫びにとくれたのだ。蜂蜜や植物の油を使ったそうでとても良い香りがする。しかし完全に汚泥を落としたはずの肌からはまだ異臭が漂っているような気も。やっぱりもう一度と流したばかりの肌を再びこする。どんどん小さくなっていく石鹸。いつもならもったいないと思うけれど、今回ばかりは倹約根性より乙女の美意識が勝る。
それに、お湯を使えるなんて本当に久しぶり。旅の間に溜まった垢もしっかり落としておきたい。
すると近くの岩陰から響く少年の声。
「えらい言われようじゃ。お主のためにしてやっとるのに」
「何が私のためですか! 貴方たちは単に私をいじめて楽しんで──って、まままっまだそこにいるんですかユニティ!?」
てっきりもう小屋へ戻ったものと思っていた。青ざめ、赤くなり、そしてまた青ざめる。
「あ、あわ、あわわわわわわっ」
泡を流し、湯舟に飛び込むニャーン。途端、真っ青になった顔がまた赤くなる。
「あつううううううううううううううううううううううういっ!?」
「おい、湯の湧き出し口近くに入ったな? 粗忽者、さっき教えたじゃろ、なるべく逆に行けと。ここの湯は人間にはちと熱い。一番遠い位置でようやく適温になる。ビサックがそう言っとった」
「う、うう、散々です……どうして私がこんな目に……」
一旦湯船から出たニャーンは這いつくばるような姿勢で移動し、なんとかアイムの言う温度が低いポイントを探して再び入湯。続いて泣きながら問いかける。
「そんなところで何してるんですか……まさか覗き? 英雄のくせに」
「ワシがお主の裸を見て何の得をすると言うんじゃ? 忘れてるかもしれんが、こちとら星獣ぞ。人間のメスに欲情したりせん。洗濯してやっとるだけじゃ。一張羅が泥だらけのままで構わんならここにほっといて帰るぞ」
「あ、なるほど。それはどうもありがとうございま……ん?」
またも会話の途中で気付くニャーン。すぐさま湯から出て走り寄り、岩陰を覗く。流浪の大英雄は本当に彼女の僧服を手洗いしていた。妙に慣れた手つきで。
「ぎゃあああああああああああっ! 待ってください、せめて下着は私が!」
「は? なんでじゃ?」
「なっ、なんででもいいからこっちへください! できれば触らないで!」
裸を見られないよう必死に腕だけ突き出して伸ばす。するとアイムはスタスタ近付いて来て上下の下着を彼女に手渡した。ついでにチッと舌打ち。
「どうやって触らずに渡せっちゅうんじゃ。ワシゃ怪塵使いちゃうわい」
「……」
ぷるぷる震えるニャーン。受け取った下着はすでに湿っているし汚れ一つ無い。つまりすでに洗われている。乙女にとっては大変な恥辱。
さらに言うと今、多分見られた。素っ裸の姿を。
「へんたい……ちかん……」
「やかましい! 汚れが落ちたんならさっさとあがって服を着ろ! 着替えはここに置いとくからな、アホ娘!」
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