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一章【災禍操るポンコツ娘】
目覚め(1)
しおりを挟む森の中、わずかに切り拓かれた空間。そこに建つ一軒の小屋。時は早朝、小鳥の囀りが聴こえ、ニャーン・アクラタカはゆっくり瞼を開く。
「むにゃ……?」
目にかかった桜色の髪。その隙間から周囲を見渡し、疑問を抱いた。天井も壁も丸太を組んだもの。それほど広くない室内。絵や動物の骨が飾られている。正面にかまど一つの簡素な炊事場。使い古された鍋もある。美味しそうな香り。誰かが住んでいる家。それは間違いない。
でも、どこだっけ?
(たしか私、背教者ユニティに見つかって、それから、え~と……)
流浪の英雄アイム・ユニティ。生まれて初めて目の当たりにした実物は、そこらにいる普通の子供と大差ないように見えた。
けれど、大国の刺客から助けてくれた彼は、巨大な狼に変身して──
「!」
思い出したニャーンは髪と同じ色の瞳をめいっぱい見開き、一気に起き上がる。
手に触れた柔らかい感触。今まで身を横たえていた寝台。おそるおそるシーツをめくり上げると一般的に使われる藁でなく毛皮が敷かれていた。しかも真っ黒。その色と感触がまたも記憶を刺激する。
「こ、これって、まさか……」
「おう、お目覚めかい尼僧の嬢ちゃん。よく眠っとったなあ。きっと疲れてたんだろ」
突然、横合いからかけられた声。驚いて振り返れば予想と違う人物がそこにいた。赤毛でヒゲもじゃの大男。顔が毛だらけなため齢はいまいちわからない。
「貴方は……?」
「ありゃ、覚えとらんか。昨夜ここに来た時にはもう、うつらうつらと舟をこいでおったもんな。オイラぁ猟師をしとるもんで名はビサックだ。ほれ、そのへんに飾ってある骨はこの手で仕留めた獲物だよ。ここはオイラの家」
「猟師さん……」
すると、やはりこの毛皮は──最悪の可能性を想像したニャーンは寝てる間に着崩れてしまった僧服の乱れを直し、胸の前で両手を組んで冥福を祈る。
「ユニティ、まさか貴方ほどの方が彼に仕留められ毛皮になってしまうなんて……けれど、とても快適でぐっすりと眠れました。ありがとうございます。このご恩は一生忘れません、どうか安らかに……」
「おいっ」
すぺんっ。背後から平手が飛んで来て頭を叩かれる。
再び振り返れば黒髪碧眼で生意気そうな少年がこっちを見ていた。開け放しの窓越しに呆れ顔で。
「ユ、ユニティ!? 生きてたんですかっ」
「ワシが人間の猟師ごときに仕留められるか。本気で言っとるなら丸飲みにして朝メシにするぞ、アホンダラ」
「見ず知らずの他人の家だというのに、本当にぐっすり眠っとったのう。妙なところだけ度胸がありよる」
あまりに気持ち良さそうに寝続けるので、起こさず暇潰しの散歩へ出かけていたという。アイムのその言葉に唇を尖らす彼女。怠惰なように言われるのは心外だ。
「毛皮を敷いたベッドなんて初めてだったのです! 近頃は野宿ばかりでしたし」
「わかっとる、冗談じゃ、言い訳せんでええ」
「はは、面白い子だ。とりあえずほれ、顔でも洗って来い。朝飯はできとるでな」
「ごはん!?」
目の色を変えるニャーン。なるほど、さっきから感じていた美味しそうな匂いはそれか。急いでベッドから飛び降り、靴を履いた。そのまますぐテーブルにつきそうな勢いだったものの、ふと気が付いて足を止める。内股でもじもじ。
「あっ、ええと……御不浄はどちらに……?」
「便所ならそこの出口を出て左にある。水場は家のすぐ横、見りゃわかるよ」
「ありがとうございます! 少々お待ちを!」
「いや、オイラたちはもう食ったからゆっくり──」
最後まで聞かず、慌てた様子で飛び出して行く。すると、しばらくして顔と手をびしゃびしゃに濡らしながら帰って来た。
「す、すいません、手ぬぐいを……」
「慌てなさんな」
苦笑と共に差し出される手ぬぐい。それを受け取り、また驚く彼女。ビサック達が同様に顔を拭いたりしたはずなのに、しっかり乾いている。気を遣って別のを渡してくれたのかもしれない。それに対する感謝も込めて頭を下げる。
「ありがとうございます」
ビサックも軽く目を見張った。
(器量良しだなあ)
今さらながらにじっくり見て感心。雰囲気こそ垢抜けないが、容姿はかなり整っている。尼だけあって礼儀作法もまあまあ。僧服なぞ着ていなければ、どこぞの令嬢と言われても信じただろう。そして若い。こんな娘が一人で何ヶ月も放浪を続けていたという。よくぞ無事だったものだ。改めて同情の念も抱く。
「今、朝飯を持ってくる。座ってなさい」
「あ、手伝います」
「ええてええて、皿によそるだけだ」
やんわり断る彼。大きな手に肩を押され回れ右したニャーンは、不承不承といった顔でテーブルにつく。幼い頃から修道女。修道院では基本的に全ての仕事を自分達の手で行う。だから人任せだと落ち着かない。
対面にはアイム。こちらは陶器のカップで茶を啜っている。彼もまた自分の食事が用意されるのを待っているのだろうか? いや、そういう感じには見えない。
「あのう、お食事は?」
「食った」
「オイラたちはもう済ませたよ。あとは嬢ちゃんだけだし、ゆっくり食べな」
言いつつ、湯気立ち上る皿をニャーンの前へ置くビサック。いっそう強烈に香る芳香に刺激され少女の腹は急かすような音を立てた。慌てて両手で押さえる。
「も、申し訳ありません。はしたない真似を」
「ええってええって」
「さっきまでのお主の方がよっぽどじゃわい。つまらんことなぞ気にしとる暇があったら冷めんうちに喰え。美味いぞ、こいつの飯は」
獣肉と山菜、それからキノコを煮込んだシチュー。おそらくは獣の脂によるものだろう、小麦粉を使わずとも十分とろみのついたそれは、本来ニャーンのような少女が朝から頂くには重い一皿である。
けれど全く気にならない。彼女は瞬く間にそれを平らげてしまう。
そして、残念そうにじっと空になった皿を見つめた。
「ご……ごちそ──」
「ビサック、もう一杯食わせてやれ」
「あいよ」
「あっ」
食後の感謝の声を遮り、木皿を持って立ち上がるビサック。すぐにまたたっぷり盛った皿を手に戻って来た。ニャーンの前に置いて頷く。
「遠慮はいらん、腹いっぱい食べなさい」
「す、すみません……」
「いちいち謝るな。どうせ一人で旅をしてた間はロクなものを喰っとらんかったのだろう。そのほっそい手足を見ればわかるわい」
「うう、はい……」
指摘通り、ニャーンは若い娘であることを差し引いても痩せぎすである。数ヶ月もの間、十分な栄養を摂っていなかったからだ。
全く何も食べなかったわけではない。村娘だった頃、親から教わった知恵。そして教会で習った知識により野草や山菜を見分けることは得意。だからそういうものばかり採って食べていた。
一応、狩りや釣りも試みたのだが、全く知識が無い上、どんくさいのでことごとく失敗。たまたま傷付いて地面に落ちている鳥を見つけたこともあったけれど、どうしても殺めることはできず、逆に手当てを施してしばらく面倒を見た。やがて肩から飛び立って行ったあの子は今も元気にしているだろうか?
そんなわけで逃亡中は飢えてばかり。捕まること、そして自分の力で他人を傷付けてしまう可能性を恐れ、街などにも滅多に立ち寄らなかったので、このシチューは久しぶりに口にしたマトモな食事なのである。
「美味しいです……ううっ」
「泣くな泣くな」
辟易するアイム。千年生きた大英雄も、少女が泣くと対処に困る。
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