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二章・夢の終わり
少女のままで(1)
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「ッ! ハっ……!!」
全身血まみれになりながらようやく亀裂を抜けたアイズは、その瞬間に凄まじい痛みのおかげで正気に戻った。わけのわからない幻覚は消え失せ、おさらくは長年かけて水に侵食され生まれたのであろう広い空間の端に立つ。
「リリ、ティア……!」
彼女の全てを見通す瞳でなくとも、その空間にいる他の二人の姿はよく見えた。壁全体に陽光石が含まれ発光しているのだ。そんな神秘的な洞窟の中心に少女達が立っている。
「アイズ……!」
泣きながら怯えた表情で固まっているリリティア。その身体に触手を巻き付け微笑んでいるのは、この場に似つかわしくない豪奢なドレスに身を包んだ金髪の美しい少女。胸元には青い宝石付きの大きなブローチ。瞳も同じ色で、その目で穏やかな眼差しをアイズに向けて来る。
「ようこそいらっしゃいました、わたくしの舞踏会へ」
「舞踏……会?」
「ええ、人間だった頃から踊るのが大好きだったのです。だから最後の思い出作りにこの場を用意いたしました。ご覧ください、こんな素敵な空間は他のどこにも存在しないでしょう?
足元は水たまり。周囲は岩の壁。ところどころ苔むし、虫やトカゲも這い回っている。陽光石の光に満たされているだけでとても清潔とは言えないその空間を彼女はうっとり見渡した。
その瞬間にアイズは走る。どうにかここまで持って来た剣を抜いて迷わず心臓を狙う。アイリスの弱点はそこにある『魔素結晶』なる物質だと前回の戦いで知った。
しかし、傷だらけで動きの鈍った彼女の速度は見る影も無く鈍っていた。しかもアイリスは予測していたらしい。いとも簡単に触手で弾かれ、水しぶきを上げながらまた壁際まで転がってしまう。
「くっ……!」
「せっかちですね、わたくしの人生最後の晴れ舞台ですのよ? もっとゆっくり、この素敵な一時を堪能させてくださいな」
「晴れ舞台だと?」
ゆっくりと起き上がりながら思い出すアイズ。舞台――前回倒したアイリスも、たしか同じ言葉を言っていた。それに人生最後とはなんだ?
「まさか……死にたいのか、お前は……」
「不思議ですか? 当然のことでしょう、無理矢理こんな体にされてしまったのですもの」
アイリスの体からさらに何本もの触手が飛び出てアイズに近付いて来た。剣で切り払っても少女は顔色一つ変えない。
「ふふ、痛みもありません。こんなもの完全に怪物ですわ」
だから死にたいのだと、彼女は小さく呟く。同時にアイズは理解した、前回倒した少女もきっとそうだったのだと。
「死にに来たのか……お前も、あの娘も……殺されるためだけに、私達の前に……」
「ええ、正確には『貴女』の前に」
「私……?」
「自覚が無いのですね。私達『アイリス』にとって貴女の存在は救いなのです。他のどの天士でもなく、貴女だからこそ私達を救うことができる」
どういう意味だ? 彼女達に死をもたらすだけなら他の者にも可能なはず。何故こんなに特別視されている? 考えてみてもアイズには全く心当たりが無い。
少女は再びアイズを見つめ、微笑む。獲物をいたぶる猫のように。けれどアイズの瞳はその目の奥に深い悲しみと疲れを感じ取った。
もう終わらせたい。
「だから、お付き合いくださいな。シエナと同じようにこの子には傷一つ付けません。貴女に来て欲しかっただけ。彼女は無事に帰すとお約束します、その代わり――」
アイリスは動き出す。シエナとは前回倒したアイリスの本当の名か? では彼女は?
問いかける眼差しに返答は無い。その代わりドレスの下からさらに膨大な数の触手が解き放たれ殺意に満ちた攻撃を仕掛けて来る。歯を食い縛り、激痛を堪え、アイズは横に動いた。それを追いかけ少女も鋭くターンする。同じステップを踏むように。
「さあ! 一緒に踊ってくださいな!」
――少女達は一人ずつ、そこへ連れて行かれた。カーネライズ帝国の帝都ナルガル。その地下に秘密裏に建造された研究施設へと。
施設の主である若き錬金術師は彼女達に毎回同じ説明をした。
「この世界には魔素と呼ばれる物質があります。そして、これを自在に操ることのできる人間も稀に生まれて来ます。先人達の研究の結果、特に十代の少女にその素質を持つ人間が多いと判明したのです。先日採取した唾液を検査した結果、貴女もそうだと判明した」
だからと彼の言葉は続き、少女達は眠りに落ちる。あらかじめ飲まされていた睡眠薬の力に抗い切れず。
「だから……こうしなければなりません。この国では皇帝陛下の血縁にのみ因子が確認されている。貴女がたは家系を辿ればどこかで皇室と交わっている名家の御息女。選ばれたのは、そのせいなのです……」
そんな理由で『彼女達』は『化け物』にされた。
「私達は貴族の娘、元より夢など見ていませんでした! いつかはお家のために望まぬ結婚を強いられる! そんなことはわかっていた! けれど、そうじゃなかった! それ以下でした!」
少女の猛攻は続く。洞窟内という狭い空間の中だからだろう、シエナと彼女が呼んだ前回のアイリスのように巨大化したりはしない。しかし矮小な空間内だからこそ膨大な数の触手を用いた変幻自在の攻撃を避け続けることは難しい。
「ぐうっ……!」
傷付いた肉体と大量の出血。自然と手足は重くなり回避も反撃も精彩を欠く。アイズの肉体にはさらなる傷が刻み込まれ、ダメージは蓄積する一方。
それでもどうにか凌げているのは、やはりこの目のおかげだ。彼女には全ての触手の動きが完全に把握できている。
その目が、ほんの小さな一瞬の活路を見出した。
(ここだ!)
踊る――その言葉の通り、少女はアイズに寄り添うようにすぐ近くの位置を保っている。遠距離からでも攻撃はできるはずなのに、決して遠ざかろうとはしない。だからこそいつでも剣は届く。
アイズの突き出した切っ先は触手と触手の間を縫うように正確に心臓へ吸い込まれた。
が、ほんのわずかに皮膚を切り裂いただけで逸れる。
「!」
自分でも驚きながら倒れ伏すアイズ。足を滑らせ転んでしまった。こんなことは記憶にある限り初めて。
顔をしたたかに打ち付けたせいで意識が飛びかける。けれど、そこに追撃は来ない。
鼻血で足元の水溜まりを濁らせながら、両腕に力を込めて立ち上がる。
睨みつけた先には少女の顔。悲しく笑い、涙する青い瞳。
「殺してください」
もうそれしかない。人間に戻ることはできない。狂った皇帝の殺戮の道具。その皇帝への復讐を誓った錬金術師の仕返しの手段。
そんなものにされてしまった自分達には、未来なんて残されていない。
少なくとも、かつて思い描いた夢は掴めない。
「私達の身体は今も変化を続けています。魔素の内で眠っているものを制御しきれないのです。やがてこの姿を保つことさえ出来なくなるかもしれない。だから、どうか……」
自分達がまだ人の姿を、夢見る少女の形を留めていられる間に終わらせて欲しい。
「わがままなのはわかっています。けれど、私は踊りながら死にたい。いつか世界一素敵な殿方と出会って、たとえその人と結ばれなかったとしても永遠に残る思い出を作る。そう願っていました。その夢を叶えてください」
「私は女だ」
言い返すと、初めて少女は本当の笑みを見せた。苦笑だったが。
「わかっています。でも、私が見てきた中で一番綺麗な方。だから不満はありません」
「……」
アイズはしばし沈黙し、怯えて竦んでいるリリティアに視線を移す。
あの少女を守らねばならない、それが自分に課せられた使命。
けれど、その前に確かめておきたい。
「彼女も、そうだったのか?」
「シエナは劇を観るのが好きでした。いつかは自分も演じる側になりたい。脚本を書き、自らその舞台に役者として上がり、人々を楽しませたいと」
「そうか」
知っておきたかった。
それがきっと、彼女を殺した自分の負うべき責任だから。
「すまない」
待たせてしまった。あと少し、ほんの少しだけだが、まだ動ける――全力で彼女の心臓を貫いてみせる。
「約束しよう。今度は、お前の番だ」
「ああっ……」
少女は感極まって自分の手を胸に抱く。そしてそこにあるものを捧げるように両腕を広げた。
「ありがとうございます、それでは、もう一度だけ」
次の瞬間、再び無数の触手による猛攻がアイズを襲った。
全身血まみれになりながらようやく亀裂を抜けたアイズは、その瞬間に凄まじい痛みのおかげで正気に戻った。わけのわからない幻覚は消え失せ、おさらくは長年かけて水に侵食され生まれたのであろう広い空間の端に立つ。
「リリ、ティア……!」
彼女の全てを見通す瞳でなくとも、その空間にいる他の二人の姿はよく見えた。壁全体に陽光石が含まれ発光しているのだ。そんな神秘的な洞窟の中心に少女達が立っている。
「アイズ……!」
泣きながら怯えた表情で固まっているリリティア。その身体に触手を巻き付け微笑んでいるのは、この場に似つかわしくない豪奢なドレスに身を包んだ金髪の美しい少女。胸元には青い宝石付きの大きなブローチ。瞳も同じ色で、その目で穏やかな眼差しをアイズに向けて来る。
「ようこそいらっしゃいました、わたくしの舞踏会へ」
「舞踏……会?」
「ええ、人間だった頃から踊るのが大好きだったのです。だから最後の思い出作りにこの場を用意いたしました。ご覧ください、こんな素敵な空間は他のどこにも存在しないでしょう?
足元は水たまり。周囲は岩の壁。ところどころ苔むし、虫やトカゲも這い回っている。陽光石の光に満たされているだけでとても清潔とは言えないその空間を彼女はうっとり見渡した。
その瞬間にアイズは走る。どうにかここまで持って来た剣を抜いて迷わず心臓を狙う。アイリスの弱点はそこにある『魔素結晶』なる物質だと前回の戦いで知った。
しかし、傷だらけで動きの鈍った彼女の速度は見る影も無く鈍っていた。しかもアイリスは予測していたらしい。いとも簡単に触手で弾かれ、水しぶきを上げながらまた壁際まで転がってしまう。
「くっ……!」
「せっかちですね、わたくしの人生最後の晴れ舞台ですのよ? もっとゆっくり、この素敵な一時を堪能させてくださいな」
「晴れ舞台だと?」
ゆっくりと起き上がりながら思い出すアイズ。舞台――前回倒したアイリスも、たしか同じ言葉を言っていた。それに人生最後とはなんだ?
「まさか……死にたいのか、お前は……」
「不思議ですか? 当然のことでしょう、無理矢理こんな体にされてしまったのですもの」
アイリスの体からさらに何本もの触手が飛び出てアイズに近付いて来た。剣で切り払っても少女は顔色一つ変えない。
「ふふ、痛みもありません。こんなもの完全に怪物ですわ」
だから死にたいのだと、彼女は小さく呟く。同時にアイズは理解した、前回倒した少女もきっとそうだったのだと。
「死にに来たのか……お前も、あの娘も……殺されるためだけに、私達の前に……」
「ええ、正確には『貴女』の前に」
「私……?」
「自覚が無いのですね。私達『アイリス』にとって貴女の存在は救いなのです。他のどの天士でもなく、貴女だからこそ私達を救うことができる」
どういう意味だ? 彼女達に死をもたらすだけなら他の者にも可能なはず。何故こんなに特別視されている? 考えてみてもアイズには全く心当たりが無い。
少女は再びアイズを見つめ、微笑む。獲物をいたぶる猫のように。けれどアイズの瞳はその目の奥に深い悲しみと疲れを感じ取った。
もう終わらせたい。
「だから、お付き合いくださいな。シエナと同じようにこの子には傷一つ付けません。貴女に来て欲しかっただけ。彼女は無事に帰すとお約束します、その代わり――」
アイリスは動き出す。シエナとは前回倒したアイリスの本当の名か? では彼女は?
問いかける眼差しに返答は無い。その代わりドレスの下からさらに膨大な数の触手が解き放たれ殺意に満ちた攻撃を仕掛けて来る。歯を食い縛り、激痛を堪え、アイズは横に動いた。それを追いかけ少女も鋭くターンする。同じステップを踏むように。
「さあ! 一緒に踊ってくださいな!」
――少女達は一人ずつ、そこへ連れて行かれた。カーネライズ帝国の帝都ナルガル。その地下に秘密裏に建造された研究施設へと。
施設の主である若き錬金術師は彼女達に毎回同じ説明をした。
「この世界には魔素と呼ばれる物質があります。そして、これを自在に操ることのできる人間も稀に生まれて来ます。先人達の研究の結果、特に十代の少女にその素質を持つ人間が多いと判明したのです。先日採取した唾液を検査した結果、貴女もそうだと判明した」
だからと彼の言葉は続き、少女達は眠りに落ちる。あらかじめ飲まされていた睡眠薬の力に抗い切れず。
「だから……こうしなければなりません。この国では皇帝陛下の血縁にのみ因子が確認されている。貴女がたは家系を辿ればどこかで皇室と交わっている名家の御息女。選ばれたのは、そのせいなのです……」
そんな理由で『彼女達』は『化け物』にされた。
「私達は貴族の娘、元より夢など見ていませんでした! いつかはお家のために望まぬ結婚を強いられる! そんなことはわかっていた! けれど、そうじゃなかった! それ以下でした!」
少女の猛攻は続く。洞窟内という狭い空間の中だからだろう、シエナと彼女が呼んだ前回のアイリスのように巨大化したりはしない。しかし矮小な空間内だからこそ膨大な数の触手を用いた変幻自在の攻撃を避け続けることは難しい。
「ぐうっ……!」
傷付いた肉体と大量の出血。自然と手足は重くなり回避も反撃も精彩を欠く。アイズの肉体にはさらなる傷が刻み込まれ、ダメージは蓄積する一方。
それでもどうにか凌げているのは、やはりこの目のおかげだ。彼女には全ての触手の動きが完全に把握できている。
その目が、ほんの小さな一瞬の活路を見出した。
(ここだ!)
踊る――その言葉の通り、少女はアイズに寄り添うようにすぐ近くの位置を保っている。遠距離からでも攻撃はできるはずなのに、決して遠ざかろうとはしない。だからこそいつでも剣は届く。
アイズの突き出した切っ先は触手と触手の間を縫うように正確に心臓へ吸い込まれた。
が、ほんのわずかに皮膚を切り裂いただけで逸れる。
「!」
自分でも驚きながら倒れ伏すアイズ。足を滑らせ転んでしまった。こんなことは記憶にある限り初めて。
顔をしたたかに打ち付けたせいで意識が飛びかける。けれど、そこに追撃は来ない。
鼻血で足元の水溜まりを濁らせながら、両腕に力を込めて立ち上がる。
睨みつけた先には少女の顔。悲しく笑い、涙する青い瞳。
「殺してください」
もうそれしかない。人間に戻ることはできない。狂った皇帝の殺戮の道具。その皇帝への復讐を誓った錬金術師の仕返しの手段。
そんなものにされてしまった自分達には、未来なんて残されていない。
少なくとも、かつて思い描いた夢は掴めない。
「私達の身体は今も変化を続けています。魔素の内で眠っているものを制御しきれないのです。やがてこの姿を保つことさえ出来なくなるかもしれない。だから、どうか……」
自分達がまだ人の姿を、夢見る少女の形を留めていられる間に終わらせて欲しい。
「わがままなのはわかっています。けれど、私は踊りながら死にたい。いつか世界一素敵な殿方と出会って、たとえその人と結ばれなかったとしても永遠に残る思い出を作る。そう願っていました。その夢を叶えてください」
「私は女だ」
言い返すと、初めて少女は本当の笑みを見せた。苦笑だったが。
「わかっています。でも、私が見てきた中で一番綺麗な方。だから不満はありません」
「……」
アイズはしばし沈黙し、怯えて竦んでいるリリティアに視線を移す。
あの少女を守らねばならない、それが自分に課せられた使命。
けれど、その前に確かめておきたい。
「彼女も、そうだったのか?」
「シエナは劇を観るのが好きでした。いつかは自分も演じる側になりたい。脚本を書き、自らその舞台に役者として上がり、人々を楽しませたいと」
「そうか」
知っておきたかった。
それがきっと、彼女を殺した自分の負うべき責任だから。
「すまない」
待たせてしまった。あと少し、ほんの少しだけだが、まだ動ける――全力で彼女の心臓を貫いてみせる。
「約束しよう。今度は、お前の番だ」
「ああっ……」
少女は感極まって自分の手を胸に抱く。そしてそこにあるものを捧げるように両腕を広げた。
「ありがとうございます、それでは、もう一度だけ」
次の瞬間、再び無数の触手による猛攻がアイズを襲った。
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