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第三部(後編)
幕間・蛹虫
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「おはよう、こおろぎ」
少女は妹の名を呼ぶ。いくつも並んだ布団の、その一つで起き上がる。
自分は一〇歳。妹はまだ六歳。眠たそうに目を擦りながら呟いた。
「お姉ちゃん……」
「どうしたの?」
「みち、帰りたい……」
「……駄目だよ」
自分達には帰る場所なんて無い。だってもう、ここだけが帰ることのできる場所なんだから。才能を見出され術士になると決まった時から、そうなのだ。
「おかあさんにあいたい……」
「母様は、月華様だけよ」
「ちがう、おかあさんは……」
「こおろぎ」
「……」
少女は妹の肩を抱いた。
「頑張ろう。頑張れば、いつかまた会えるよ」
「ほんとう?」
「本当。術士になったら、また会ってもいいんだって。姉様達が教えてくれたの」
「じゃあ、みち、がんばる」
「こら、違うでしょう」
みちるという名前は、ここへ来る時に捨てさせられた。
今の自分達は、虫だ。
「こおろぎでしょ?」
「そうだった」
「お姉ちゃんは、あげは。覚えた?」
「うん」
「それじゃあ行こう」
「うん」
少女は妹と手を繋ぎ、歩き出した。
訓練は過酷を極める。とても子供が受けるようなものではない。棒で殴られ、礫を当てられ、体中がアザだらけになっても終わることは無い。教官役の姉から一本取れるその時まで、絶対に許してもらえない。
「どうした、もうおしまいか?」
「ま……まだ、です」
「そうだ、動ける限り諦めるな。お前が負けたら、何人死ぬかを考えろ」
「はい……!」
術士は護国の要。日本国の守護者。弱音を吐くことは許されない。自分達が敗北したら背後にいる数万の人々が命を落とす。その中には本当の兄や、両親だって──
「うああああああああああああああっ!!」
白兵戦の技術も術士には必須。だから木刀を握り、立ち向かって行く。
そんな彼女の肩を、血の繋がらない姉は、また強烈に打ち据えた。
「……こおろぎ」
布団のところへ戻って来ると、妹はすでに横たわっていた。毎日、この瞬間が一番怖い。まるで死んだように深く眠っているから。家にいた頃は、怖い夢を見るたびに泣いていた子だ。なのに、ここへ来てからはそんな余裕さえも無い。
「今日も、頑張ってたもんね……」
幼い子は、グラウンドに設置された様々な障害物を乗り越え、走り、基礎体力や瞬発力、反射神経といった要素を鍛えられる。訓練中、窓から見えていた。妹は今日も必死に走り、懸命に努力を重ねていた。
「大丈夫……きっと、みちるは生き残れるよ……」
さらさらの金色の髪を撫でる。隔世遺伝というらしい。妹の髪は祖母のそれと同じ色になった。瞳も青い。まるでお人形さん。
もっと抱きしめたかった。ずっと一緒にいたかった。
でも──
「ごめんね……お姉ちゃんは、駄目だった……」
少女は妹に寄り添うように、倒れ込んだ。
「……」
こおろぎが目を覚ますと、姉のあげはが隣にいた。隣で寝るのはいつものことだけれど、今日は違うのだと、すぐにわかった。
前にも見たから。この建物では、時々こういうことが起こる。
過酷な訓練に耐え切れず、子供が死ぬ。
「そうか、孵れなかったか……」
他の子供達に報され、駆け付けた大人の“姉様”が残念そうに屈み込んだ。呆然としているこおろぎの前で姉の体を抱き上げる。
「軽い……まだ、こんなに小さかったのにな……」
「おねえちゃん、つれてくの?」
「弔ってやらないと、だろ……」
「……うん」
人が死ぬのは珍しいことではない。特にここでは。殺すつもりで鍛えなければ、術士になってもすぐに死ぬ。そう教えられるから、誰も手加減なんてしない。
竜や変異種に殺されるか、姉に殺されるかだ。どちらかと言えば後者の方が、まだ人間らしく死ねることは多い。
「ごめんな……」
彼女は昨日、あげはを何度も打ち据えた“姉様”だ。
こおろぎは知っていたが、怒らなかった。
怒れなかった。
だって、ものすごく泣いてくれている。
「ごめん……本当に、ごめん……」
「……ねえさま」
こおろぎは初めて、姉以外の人をそう呼んだ。
「わたし、がんばるよ。おねえちゃんのぶんも、がんばる……」
「……そうか」
ねえさまは、顔をくしゃくしゃにして頭を撫でてくれた。
その後すぐ“母様”もやってきた。
姉と同じくらいの年頃に見える彼女は、けれど大人びた顔で冥福を祈り、姉様達と共に遺体を運んで行く。
その日のうちに略式の葬儀が執り行われ、全てをじっと見つめていたこおろぎに、母様は声をかけた。彼女の養子になってから初めての出来事。
「生き延びなさい。あの子のようになっては駄目よ。貴女は必ず孵りなさい」
孵るとは、一人前の術士として認められることだ。虫の名を捨て、花としての名を与えられること。
すぐに、新たに連れて来られた“妹”が次の“あげは”になった。
こおろぎは、姉と同じ名前をもらった妹を気にかけたが、やはりそれからすぐに死んでしまった。姉様達が“あげは”は短命な子が多いと嘆く。でも、単なる迷信だったらしい。その次の“あげは”は死なずに孵れた。
姉の次の次の“あげは”は素晴らしい才能を開花させ“桜花”という名を貰った。
こおろぎも生き延びた。彼女は実姉のために泣いてくれた“菊花”の名を継ぎたかったのだが、約束を守り、さらにあげはを守ろうと努力し過ぎた結果、別の名前を与えられてしまった。
「こおろぎ、お前は今日から“梅花”よ」
「えっ?」
そして白川 みちるはこおろぎとなり天王寺 梅花となり、数年後、北日本へ潜入してカトリーヌという名も手に入れた。
少女は妹の名を呼ぶ。いくつも並んだ布団の、その一つで起き上がる。
自分は一〇歳。妹はまだ六歳。眠たそうに目を擦りながら呟いた。
「お姉ちゃん……」
「どうしたの?」
「みち、帰りたい……」
「……駄目だよ」
自分達には帰る場所なんて無い。だってもう、ここだけが帰ることのできる場所なんだから。才能を見出され術士になると決まった時から、そうなのだ。
「おかあさんにあいたい……」
「母様は、月華様だけよ」
「ちがう、おかあさんは……」
「こおろぎ」
「……」
少女は妹の肩を抱いた。
「頑張ろう。頑張れば、いつかまた会えるよ」
「ほんとう?」
「本当。術士になったら、また会ってもいいんだって。姉様達が教えてくれたの」
「じゃあ、みち、がんばる」
「こら、違うでしょう」
みちるという名前は、ここへ来る時に捨てさせられた。
今の自分達は、虫だ。
「こおろぎでしょ?」
「そうだった」
「お姉ちゃんは、あげは。覚えた?」
「うん」
「それじゃあ行こう」
「うん」
少女は妹と手を繋ぎ、歩き出した。
訓練は過酷を極める。とても子供が受けるようなものではない。棒で殴られ、礫を当てられ、体中がアザだらけになっても終わることは無い。教官役の姉から一本取れるその時まで、絶対に許してもらえない。
「どうした、もうおしまいか?」
「ま……まだ、です」
「そうだ、動ける限り諦めるな。お前が負けたら、何人死ぬかを考えろ」
「はい……!」
術士は護国の要。日本国の守護者。弱音を吐くことは許されない。自分達が敗北したら背後にいる数万の人々が命を落とす。その中には本当の兄や、両親だって──
「うああああああああああああああっ!!」
白兵戦の技術も術士には必須。だから木刀を握り、立ち向かって行く。
そんな彼女の肩を、血の繋がらない姉は、また強烈に打ち据えた。
「……こおろぎ」
布団のところへ戻って来ると、妹はすでに横たわっていた。毎日、この瞬間が一番怖い。まるで死んだように深く眠っているから。家にいた頃は、怖い夢を見るたびに泣いていた子だ。なのに、ここへ来てからはそんな余裕さえも無い。
「今日も、頑張ってたもんね……」
幼い子は、グラウンドに設置された様々な障害物を乗り越え、走り、基礎体力や瞬発力、反射神経といった要素を鍛えられる。訓練中、窓から見えていた。妹は今日も必死に走り、懸命に努力を重ねていた。
「大丈夫……きっと、みちるは生き残れるよ……」
さらさらの金色の髪を撫でる。隔世遺伝というらしい。妹の髪は祖母のそれと同じ色になった。瞳も青い。まるでお人形さん。
もっと抱きしめたかった。ずっと一緒にいたかった。
でも──
「ごめんね……お姉ちゃんは、駄目だった……」
少女は妹に寄り添うように、倒れ込んだ。
「……」
こおろぎが目を覚ますと、姉のあげはが隣にいた。隣で寝るのはいつものことだけれど、今日は違うのだと、すぐにわかった。
前にも見たから。この建物では、時々こういうことが起こる。
過酷な訓練に耐え切れず、子供が死ぬ。
「そうか、孵れなかったか……」
他の子供達に報され、駆け付けた大人の“姉様”が残念そうに屈み込んだ。呆然としているこおろぎの前で姉の体を抱き上げる。
「軽い……まだ、こんなに小さかったのにな……」
「おねえちゃん、つれてくの?」
「弔ってやらないと、だろ……」
「……うん」
人が死ぬのは珍しいことではない。特にここでは。殺すつもりで鍛えなければ、術士になってもすぐに死ぬ。そう教えられるから、誰も手加減なんてしない。
竜や変異種に殺されるか、姉に殺されるかだ。どちらかと言えば後者の方が、まだ人間らしく死ねることは多い。
「ごめんな……」
彼女は昨日、あげはを何度も打ち据えた“姉様”だ。
こおろぎは知っていたが、怒らなかった。
怒れなかった。
だって、ものすごく泣いてくれている。
「ごめん……本当に、ごめん……」
「……ねえさま」
こおろぎは初めて、姉以外の人をそう呼んだ。
「わたし、がんばるよ。おねえちゃんのぶんも、がんばる……」
「……そうか」
ねえさまは、顔をくしゃくしゃにして頭を撫でてくれた。
その後すぐ“母様”もやってきた。
姉と同じくらいの年頃に見える彼女は、けれど大人びた顔で冥福を祈り、姉様達と共に遺体を運んで行く。
その日のうちに略式の葬儀が執り行われ、全てをじっと見つめていたこおろぎに、母様は声をかけた。彼女の養子になってから初めての出来事。
「生き延びなさい。あの子のようになっては駄目よ。貴女は必ず孵りなさい」
孵るとは、一人前の術士として認められることだ。虫の名を捨て、花としての名を与えられること。
すぐに、新たに連れて来られた“妹”が次の“あげは”になった。
こおろぎは、姉と同じ名前をもらった妹を気にかけたが、やはりそれからすぐに死んでしまった。姉様達が“あげは”は短命な子が多いと嘆く。でも、単なる迷信だったらしい。その次の“あげは”は死なずに孵れた。
姉の次の次の“あげは”は素晴らしい才能を開花させ“桜花”という名を貰った。
こおろぎも生き延びた。彼女は実姉のために泣いてくれた“菊花”の名を継ぎたかったのだが、約束を守り、さらにあげはを守ろうと努力し過ぎた結果、別の名前を与えられてしまった。
「こおろぎ、お前は今日から“梅花”よ」
「えっ?」
そして白川 みちるはこおろぎとなり天王寺 梅花となり、数年後、北日本へ潜入してカトリーヌという名も手に入れた。
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