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第一部
二章・遺物(1)
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崩界の日の二日前、二〇五〇年七月八日、月に彗星が衝突した。
本来地球にぶつかるはずだったその彗星は寸前で唐突に軌道を変え、手前にあった月の裏側へ落ちたのだ。
当初、人類はこの“幸運”を喜んだ。だが、すぐに直接ぶつかる以上の“不運”だったことを知る。
衝突の影響か、月の裏の裏──つまり地球に向いた面に亀裂が走った。そしてその亀裂はどんどん大きくなり、中から銀色の霧を噴出し始めた。濃霧は軽い月の重力を振り切って宇宙空間に長く帯状に伸びた後、より強い地球の重力に引かれてしまった。
そして惨劇が起こった。銀色の霧に覆われた地球では未曽有の大災害が頻発。さらには数多の怪物達までもが生み出された。現実には存在しなかったはずの者達が。
現在では“生物型記憶災害”と分類されるそれらを、当時の人々は創作の世界で描かれる良く似た存在になぞらえ“魔物”と呼んだ。それゆえ彼等の発生原因である銀色の霧を生す微細な粒子に対しては“魔素”と名付けた。
地球全体を魔素に汚染されたことで文明は一夜にして崩壊。たった一日で百億の人口の八割が失われた。
だが、同時にいくつかの奇跡も起きた。日本では一人の少年が出現したことだった。
その瞬間に目覚めたのか、それとも元からそうだったのか、彼の周囲では魔素が竜巻の如く渦を作り、吸い寄せられた。
ゆえに“渦巻く者”と呼ばれる。
原理は未だ不明だが、膨大な量の魔素を吸収した彼は超常的能力を発揮。その力で魔物達を打ち倒し、多くの人々を守って、やがて“英雄”と称えられた。古の神話で語られる者達と同じく。
しかし、それから三〇年後、彼は忽然と姿を消してしまう。やがて人々は彼自身もまた幻想の一つだったのではないかと、そんな風に思い始めていた。
今日、この日までは。
夜、昨夜と同じ拠点。全体を補強し、周囲に防壁を築き、内部を清掃した旧時代のビルまで引き返した星海班は、簡素な薪ストーブを囲みながら議論を交わしていた。
「だからタイムスリップしたんスよ。絶対そうですって」
班員の一人、相田 友之は頑なにその主張を譲らない。あの伊東 旭に瓜二つな若者の正体は、そのものずばり時を越えてこの時代に跳んで来た旭本人だと言うのだ。ガタイの良い青年なのにSF小説好きという意外な一面を持っている。
対するドレッドヘアの黒人男は呆れ顔で反論した。
「どうやって時間を越えるんだよ? 二五〇年も前にタイムマシンが開発されてたってえのか? 今でもそんなもん存在しちゃいねえだろ」
彼の名はマーカス。死亡率の高いこの仕事を二〇年以上続けて来たベテランで、やはり友之に負けず劣らず恵まれた体格の持ち主。班長の朱璃のお目付け役で、実質的なこの班のナンバー2である。
そんな彼に対し、友之もまたすぐに言い返す。
「わかってないなあ、魔素ッスよ魔~素。みんなGNC先生の“憂鬱時間旅行”を読んでないんスか? あの中で説明されてんスよ、高密度魔素結晶、つまり“竜の心臓”は別の世界に繋がる“門”になっていて、それを使って一旦異世界へと移動してから元の世界へ帰ると、本来いたのとは違う時間軸になってしまう場合があるって」
得意気に語る彼。
当然、マーカスは鼻で嗤った。
「小説の話かよ、フィクションじゃねえか。誰かが実際に検証したわけでもねえ、作家の空想が創り出した設定の話だろ。そんなもんソースにしてんじゃねえよ」
「そもそもさ、伊東 旭が行方不明になったのは四七歳の時だよ。あの子は顔こそ似てるけど十代っぽいし、年齢が全然合わないじゃない」
澄まし顔で冷静に指摘したのは、髪型の制限が撤廃された今でも黒髪を短く刈り、額の傷を誇らしげに晒している車 小波。やはり高身長で筋肉質な女だ。年齢は二十一。友之とは一歳違いの幼馴染だったりする。
「そこはほら、やっぱり魔素の不思議な力で若返ったとか」
「不思議なんて言葉に逃げてちゃマーカスさんは納得させられないでしょ。ましてや班長なんか、もっと無理」
「せやな、あの子はそれじゃ絶対頷かんわ」
怪しい関西弁で小波の意見に同意したのはカトリーヌ。高身長かつ小波のそれを遥かに凌ぐ巨乳の持ち主だ。髪も長く伸ばしてあり、全力で自分が女性だと主張している。名は体を表すと言う通り、日本人離れした美貌も誇っていた。
ただし、この名は偽名である。本名が気に入らず班の仲間達にすら明かしていない。彼女の実名を知っているのは対策局の局長と班長の朱璃だけ。怪しい関西弁も図書館で読んだ旧時代の漫画作品のキャラを真似ただけで、別に関西出身ではない。そもそも日本は崩界の日以降南北に二分されてしまっており、向こうとの交流はほとんど無い状態だ。
現在、北日本は“北日本王国”という新しい国家になり、王家によって統治されている。その建国の父であり初代王となったのもかの英雄・伊東 旭だ。あの大災害で天皇という象徴を失った人々は、代わりに自分達を救ってくれた超常的存在を祭り上げたのである。
だから、もし彼が本物の“伊東 旭”だったりしたら神様が降臨したようなもの。王都に連れ帰ればとんでもない大騒ぎになるだろう。
とはいえ──
「奴さんが行方知れずになってから二〇〇年以上経ってんだ、本人なわけがねえ。ただのそっくりさんか、あっても子孫って線だろ。おとなしく検査が終わるのを待っとけよ」
現在、別室では朱璃と専従医師の二人による件の少年の身体検査が行われている。場所が場所だけに簡易的なものにはなってしまうが、朱璃はわずかな情報からでも正解を導き出すことが得意だ。場合によってはすでに正体が判明しているかもしれない。
「つっても、ただ黙って座ってんのも暇じゃないスか」
「じゃあ交代するか? あ?」
友之の言葉に、一人だけ窓の外を見て立っているマーカスは振り返りながら凄んだ。昔と違って今の日本に安全な場所も安全な夜も存在しない。だから交代で外を見張りながら休息を取っているのだ。
「暇ならジロさんとウォールを見習って眠っとけ」
残る二人──最年長の中杉 真司郎と無口な大男・岩倉 義実は就寝中。二人ともベテランだけあって他の面々の話し声も気にせず熟睡している。そのくせ何かがあれば瞬時に目覚めて臨戦態勢に入るのだから若手には実際良い手本だ。
ちなみにウォールというのは岩倉のことである。いかつい顔で友之やマーカスをさらに大きく上回る巨漢なのに、ヨシミという名前が女性のようだからと以前の仲間達によって名付けられた。カトリーヌとは逆に本人は自分の名前を気に入っているのにだ。
「せやで、休める時に休んどくのもプロや」
そのカトリーヌも仮眠を奨める。彼女はマーカスに比べると若手だが、友之と小波はさらに輪をかけて新米なのだ。今回が星海班として最初の任務。王都を経ってから一週間が経過していると言うのに、いまだに顔に緊張の色が窺える。だから先輩としてはもう少し肩の力を抜いて欲しい。その方が確実に班全体の生存率が上がるから。
前にこの班にいた二人は、それが出来なかったせいで死んだ。
「そりゃわかってますけど、興奮しちゃって」
「そこだけは同意」
苦笑する友之と、少し恥ずかしげに頷く小波。まあ気持ちはわからないでもない。カトリーヌとマーカスも「いいから寝ろ」などと強く言うことは出来なかった。
──本人なわけはない。けれど、本人でないと決まったわけでもない。
なら若者達が興奮してしまうのも道理。誰もが彼の英雄譚を聞かされて育ったのだから。
仮に、もしも、万が一にもあれが本当に“伊東 旭”だとしたなら……マーカスは他の面々に聞かれないよう小さく嘆息する。
(朱璃の奴、張り切りすぎなきゃいいんだがな)
色々な意味で、それが心配だった。
本来地球にぶつかるはずだったその彗星は寸前で唐突に軌道を変え、手前にあった月の裏側へ落ちたのだ。
当初、人類はこの“幸運”を喜んだ。だが、すぐに直接ぶつかる以上の“不運”だったことを知る。
衝突の影響か、月の裏の裏──つまり地球に向いた面に亀裂が走った。そしてその亀裂はどんどん大きくなり、中から銀色の霧を噴出し始めた。濃霧は軽い月の重力を振り切って宇宙空間に長く帯状に伸びた後、より強い地球の重力に引かれてしまった。
そして惨劇が起こった。銀色の霧に覆われた地球では未曽有の大災害が頻発。さらには数多の怪物達までもが生み出された。現実には存在しなかったはずの者達が。
現在では“生物型記憶災害”と分類されるそれらを、当時の人々は創作の世界で描かれる良く似た存在になぞらえ“魔物”と呼んだ。それゆえ彼等の発生原因である銀色の霧を生す微細な粒子に対しては“魔素”と名付けた。
地球全体を魔素に汚染されたことで文明は一夜にして崩壊。たった一日で百億の人口の八割が失われた。
だが、同時にいくつかの奇跡も起きた。日本では一人の少年が出現したことだった。
その瞬間に目覚めたのか、それとも元からそうだったのか、彼の周囲では魔素が竜巻の如く渦を作り、吸い寄せられた。
ゆえに“渦巻く者”と呼ばれる。
原理は未だ不明だが、膨大な量の魔素を吸収した彼は超常的能力を発揮。その力で魔物達を打ち倒し、多くの人々を守って、やがて“英雄”と称えられた。古の神話で語られる者達と同じく。
しかし、それから三〇年後、彼は忽然と姿を消してしまう。やがて人々は彼自身もまた幻想の一つだったのではないかと、そんな風に思い始めていた。
今日、この日までは。
夜、昨夜と同じ拠点。全体を補強し、周囲に防壁を築き、内部を清掃した旧時代のビルまで引き返した星海班は、簡素な薪ストーブを囲みながら議論を交わしていた。
「だからタイムスリップしたんスよ。絶対そうですって」
班員の一人、相田 友之は頑なにその主張を譲らない。あの伊東 旭に瓜二つな若者の正体は、そのものずばり時を越えてこの時代に跳んで来た旭本人だと言うのだ。ガタイの良い青年なのにSF小説好きという意外な一面を持っている。
対するドレッドヘアの黒人男は呆れ顔で反論した。
「どうやって時間を越えるんだよ? 二五〇年も前にタイムマシンが開発されてたってえのか? 今でもそんなもん存在しちゃいねえだろ」
彼の名はマーカス。死亡率の高いこの仕事を二〇年以上続けて来たベテランで、やはり友之に負けず劣らず恵まれた体格の持ち主。班長の朱璃のお目付け役で、実質的なこの班のナンバー2である。
そんな彼に対し、友之もまたすぐに言い返す。
「わかってないなあ、魔素ッスよ魔~素。みんなGNC先生の“憂鬱時間旅行”を読んでないんスか? あの中で説明されてんスよ、高密度魔素結晶、つまり“竜の心臓”は別の世界に繋がる“門”になっていて、それを使って一旦異世界へと移動してから元の世界へ帰ると、本来いたのとは違う時間軸になってしまう場合があるって」
得意気に語る彼。
当然、マーカスは鼻で嗤った。
「小説の話かよ、フィクションじゃねえか。誰かが実際に検証したわけでもねえ、作家の空想が創り出した設定の話だろ。そんなもんソースにしてんじゃねえよ」
「そもそもさ、伊東 旭が行方不明になったのは四七歳の時だよ。あの子は顔こそ似てるけど十代っぽいし、年齢が全然合わないじゃない」
澄まし顔で冷静に指摘したのは、髪型の制限が撤廃された今でも黒髪を短く刈り、額の傷を誇らしげに晒している車 小波。やはり高身長で筋肉質な女だ。年齢は二十一。友之とは一歳違いの幼馴染だったりする。
「そこはほら、やっぱり魔素の不思議な力で若返ったとか」
「不思議なんて言葉に逃げてちゃマーカスさんは納得させられないでしょ。ましてや班長なんか、もっと無理」
「せやな、あの子はそれじゃ絶対頷かんわ」
怪しい関西弁で小波の意見に同意したのはカトリーヌ。高身長かつ小波のそれを遥かに凌ぐ巨乳の持ち主だ。髪も長く伸ばしてあり、全力で自分が女性だと主張している。名は体を表すと言う通り、日本人離れした美貌も誇っていた。
ただし、この名は偽名である。本名が気に入らず班の仲間達にすら明かしていない。彼女の実名を知っているのは対策局の局長と班長の朱璃だけ。怪しい関西弁も図書館で読んだ旧時代の漫画作品のキャラを真似ただけで、別に関西出身ではない。そもそも日本は崩界の日以降南北に二分されてしまっており、向こうとの交流はほとんど無い状態だ。
現在、北日本は“北日本王国”という新しい国家になり、王家によって統治されている。その建国の父であり初代王となったのもかの英雄・伊東 旭だ。あの大災害で天皇という象徴を失った人々は、代わりに自分達を救ってくれた超常的存在を祭り上げたのである。
だから、もし彼が本物の“伊東 旭”だったりしたら神様が降臨したようなもの。王都に連れ帰ればとんでもない大騒ぎになるだろう。
とはいえ──
「奴さんが行方知れずになってから二〇〇年以上経ってんだ、本人なわけがねえ。ただのそっくりさんか、あっても子孫って線だろ。おとなしく検査が終わるのを待っとけよ」
現在、別室では朱璃と専従医師の二人による件の少年の身体検査が行われている。場所が場所だけに簡易的なものにはなってしまうが、朱璃はわずかな情報からでも正解を導き出すことが得意だ。場合によってはすでに正体が判明しているかもしれない。
「つっても、ただ黙って座ってんのも暇じゃないスか」
「じゃあ交代するか? あ?」
友之の言葉に、一人だけ窓の外を見て立っているマーカスは振り返りながら凄んだ。昔と違って今の日本に安全な場所も安全な夜も存在しない。だから交代で外を見張りながら休息を取っているのだ。
「暇ならジロさんとウォールを見習って眠っとけ」
残る二人──最年長の中杉 真司郎と無口な大男・岩倉 義実は就寝中。二人ともベテランだけあって他の面々の話し声も気にせず熟睡している。そのくせ何かがあれば瞬時に目覚めて臨戦態勢に入るのだから若手には実際良い手本だ。
ちなみにウォールというのは岩倉のことである。いかつい顔で友之やマーカスをさらに大きく上回る巨漢なのに、ヨシミという名前が女性のようだからと以前の仲間達によって名付けられた。カトリーヌとは逆に本人は自分の名前を気に入っているのにだ。
「せやで、休める時に休んどくのもプロや」
そのカトリーヌも仮眠を奨める。彼女はマーカスに比べると若手だが、友之と小波はさらに輪をかけて新米なのだ。今回が星海班として最初の任務。王都を経ってから一週間が経過していると言うのに、いまだに顔に緊張の色が窺える。だから先輩としてはもう少し肩の力を抜いて欲しい。その方が確実に班全体の生存率が上がるから。
前にこの班にいた二人は、それが出来なかったせいで死んだ。
「そりゃわかってますけど、興奮しちゃって」
「そこだけは同意」
苦笑する友之と、少し恥ずかしげに頷く小波。まあ気持ちはわからないでもない。カトリーヌとマーカスも「いいから寝ろ」などと強く言うことは出来なかった。
──本人なわけはない。けれど、本人でないと決まったわけでもない。
なら若者達が興奮してしまうのも道理。誰もが彼の英雄譚を聞かされて育ったのだから。
仮に、もしも、万が一にもあれが本当に“伊東 旭”だとしたなら……マーカスは他の面々に聞かれないよう小さく嘆息する。
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