第七魔眼の契約者

文月ヒロ

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第一章:始まりの契約

第34話契約

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 悟は夜、部屋の照明を完全に消して寝る派だ。
 その時深夜の静けさがあまりにも強いと、耳にキーンというわずらわしい音を感じて中々寝付けない事がある。少し気になる程度の物だが、就寝前の何もしていない状態だとその音にばかり意識が向いてしまうのだ。

 さて、そんな彼だったが、いざ夜の闇より更に漆黒の空間で全く音を感じないと、それはそれで気持ち悪くて仕方がないという感想を抱いた。
 しかし、その妙な違和感が少年に気付かせた。

「は?」

 疑問符を入れて二文字。あまりにも短い台詞だったが、今の悟の狼狽ぶりを表すには十分過ぎた。
 最近似たような状況になったのを覚えている。だが、今回の混乱はその比ではない。
 ついさっきまで、サラマンダーに似た半神と死闘を演じていたはずである。
 それがどうしてこんな不気味な場所にいるのだ。
 慌てて周囲を見渡すも、やはり辺りは黒一色。何も聞こえない、何も見えない――いや、一つだけ見える。

「え…ッ、何で俺の体……」

 体の前に持って来た両手に視線を落としたまま、悟は更なる混乱に陥っていた。
 おかしい。数ミリ先すら何も見えないというのに、自分の姿だけは昼間の晴れた空の下にいるかのようにハッキリと視認出来るのだ。
 黒くて見えはしないが、どうやら一応足場もあるらしい。
 とはいえ、一体どうなっているのだろう。

「ま、まさか死んだとか……」

 一瞬、頭に浮かんだ想像を否定したが、有り体に言ってその可能性が一番高い。
 悟の記憶は、【名無し】が放った竜の炎を再現したかのような業火を、自分の魔術で跳ね返そうとしていた所で終わっている。
 もしかすると、短時間に寿命を失い過ぎた所為で気絶してしまったのだろうか。どうにも腑に落ちないが、意識が遠くなる感覚すら感じない程一瞬で気を失ったというのは十分有り得る事だ。

「いや、待て待て待てッ。【名無し】の幻覚魔術だとか、んな事は――」

「断言しよう、それは有り得ない」

 混乱と絶望の狭間で見い出したもう一つの推測。しかし、その希望的観測を、背後から唐突に聞こえた声がバッサリと切り捨てた。

 時間にすれば数舜だろう。
 不意を衝かれた小さな驚きの後に押し押せてきたのは、耳に入った言葉の意味に対する理解。
 そこに小さな違和感を覚えたが、鼓膜を叩いた声が悟にとって酷く聞き覚えのある者の物であったと分かると途端に彼は当惑した。
 有り得ない、何故なら何時だっては――。

「えっ……?」

 そう思って咄嗟に後ろを振り向いた悟の喉が、そんな風に小さく震えた。

 切れ長な目に収まる大空のような蒼を宿した瞳。幼さを僅かに残しながらも知性を感じさせる整った顔。
 腰まで伸びた長髪は白銀で艶やか。悟よりも小柄な肢体には、長い純白の布をただ巻き付けただけのような装い。それ以上の装飾は何もなく裸足のまま。

 驚愕に見開かれる悟の眼前に――少年とも少女とも窺える存在が佇んでいた。

 それが一体誰なのか正体が判然はんぜんとしないまま、しかし、悟の中では答えが浮かんでいた。

「――?」

「あぁ」

 問いに対してノウズは、端正な顔に柔和な微笑をたたえてそう短く返した。
 悟の中に驚きはなかった。時間にすれば一時間にも満たないが、今までの態度や話し方を考えれば、この魔眼の容姿はそれなりにしっくり来る。もっとも、魔眼に体がある点に関しては驚きだが。

「こうして対面するのは初めてだったね、悟」と言いつつノウズがこちらに近付く。
 そして悟の三歩手前で止まると、右手で自分の胸元を指し口を開いた。

「改めて、僕はノウズ――叡智の魔眼・ノウズ」

「……叡、智?」

「そう。叡智の魔眼。今は君が、君だけが知るボクの二つ名さ。やっと言えたよ。何せ、ボクとボクを含めた魔眼に対する重要な知識は【迷宮】の最深部に封印されているからね。誰かに伝えようとしても伝わらなかった」

「なら何で話せんだ……ってか、そうだ!ノウズここどこだよ?」

 ノウズの話を聞きながら、自分が今置かれている状況を悟は思い出した。
 この謎の空間だ。明らかに異常事態で、更には魔眼の姿まで見えるという訳の分からない状態。
 せめて自分が一体どこにいるのかくらいは知りたい。
 そう思い、心当たりのありそうなノウズに訊いたが、正解だったようだ。答えは直ぐに返って来た。

「心配はいらない、この場所はボクが作り出した特殊空間でね。君を呼んだんだ……と言っても、精神のみだけど」

「って事は、俺まだ死んでねぇのか」

「あぁ、この空間では時間という概念は存在しない。悟、君の精神が肉体に戻る頃には一秒も経っていないはずさ」

「なるほどな」と相槌を打ちながらも悟は不満に思う。

「ったく……こういう事出来るんなら、もっと早く手ぇ貸してくれっての。それに、多分だけど他にも色々と出来んだろ?」

「何か勘違いをしているようだね悟。さっきも言っただろう?ボクは封印されている、封印空間の外へはほとんど干渉が出来ない。そもそも、魔眼は【適合者】がいてこそ、その真価を発揮する。ボクに出来た事は、せいぜい十層にいる人間の思考を覗いたり話し掛けたり、他には十層内の様子を見るくらいだった。この空間の構築だって少し前までは不可能だったよ」

 悟の訴えのことごとくが誤った物だと指摘されたが、ノウズからは嫌味な感じはしない。寧ろ、どこか嬉しそうな語り口調だ。
 一方で気になる事もあった。
 最後の発言だ。『少し前まで』……つまり、悟が【名無し】と戦っている間に何かが起こったのだろうか。

 そんな悟の思考を読み取ったのだろう、ノウズはクスリと小さく笑う。

「ここは悟、魔眼が【適合者】と適合する為に作り出す領域なんだ……?何事にも例外はある、今回は君さ。――和灘悟、ボクは君を【契約者】と認めた」

「【契約者】?」

「そう、本来は【適合者】が見つかるまでの繋ぎとしての役割に過ぎないし、魔眼の能力行使の際には力が制限される。けれど、今回は契約内容を変更しようかと思っている。【名無し】を殺して外の世界へボクを連れ出し、神殺しをして欲しい。代わりに、ボクは君の命尽きるその時まで力を与え続けると約束しよう」

「……」

「何、そう悪い話ではないさ。神を殺せとは言ったが、全てではない。人に害を成そうとする神だけ。そして何より、ボクがいれば呪いを解くなんて訳はない」

「なッ、ホントか!?呪いだぞ、俺に掛けられてるあの……!」

 突拍子のない話に着いて来れずにいた悟だったが、ここに来てようやく興味を示した。それもこれ以上ない程の期待と歓喜を共にして。

「とは言っても、【神呪】の方はそう簡単にはいかないけれど」

「あぁ何だっけ、神サマの呪いって奴か……。近くの罠にぜってぇ嵌まるのって、確かその所為だったよな。あと多分、たまについさっきまで考えてた事忘れちまって頭痛すんのも。まぁでも、死なねぇんなら別にいいや。……それに、どうせ【名無し】倒さなきゃ俺死ぬしな」

「はは、実を言うとね、君にはその選択肢しかない」

 言って、ノウズが悟に近寄り、握手を求めて右手を伸ばす。
 それに悟は応じ――次の瞬間、魔眼と少年の手は固く結ばれた。強く、魂と魂がまじわるように。
 そして、直後に二人の手の甲にそれぞれ浮かんだ白い魔法陣が、契約がわされたのだと証明した。

「そういや、封印は?」

「心配しなくても問題はない。魔眼は【適合者】からは離れられない、それは【契約者】も同じ。つまり、封印は意味を成さないんだ」

「なるほどな、道理で俺が【適合者】じゃなかったのを残念がる訳だ」

「別にアレはそういう意味ではなかったんだけど……まぁいい」

 悟から手を放す。瞼を閉じ、ノウズはその手に残る感覚を噛み締める。
 ――本当に、君には感謝しかないよ。
 そしてスッと目を開く。

「――では、契約に従い共に成そう、神殺しを」

 魔眼が嬉々として発したその言葉に、少年は小さく溜め息を零す。
 随分と物騒な台詞だが、確かに神を討つくらいしないと、この糞ったれな運命を捻じ曲げるには至らない。
 本当に、全くもって不本意だ。確かに自分は【魔術師】だ。しかし、殺人歴すらない己が、まさか殺歴を作る羽目になるなど誰に予想出来ようか。精神的にも肉体的にも、これから消費する魔力量的にも厳し過ぎる事極まりない。

 しかし、もう既に引き返せる段階ではないのだと、少年は悟っていた。
 こんな事になるのなら、落第なんてするんじゃなかった。
 今日何度目になるか分からないそんな小さな後悔が再び生まれ、彼――和灘悟の脳裏に数日前からの記憶が瞬時に蘇った。

 そうして、フッと笑う。

 碌な目に遭っていない気がして、これが全て死なないために取っている行動なのだから矛盾しているなと感じて、けれどまぁ――悪くはない。

「半神殺して神殺しかは分かんねぇけど……仕方ねぇ、やってやるよ」

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