第七魔眼の契約者

文月ヒロ

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第一章:始まりの契約

第32話【名無し】(3)

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 圧倒的な熱量を誇る炎の塊に飲まれた悟は、咄嗟に魔力で全身を覆い身を守った。
 そのお陰で、炎弾によって背後の壁に叩き付けられただけで済んだ。
 しかし、身に受けたのは、第八位階級魔術に迫る【名無し】の炎。無事なはずがなかった。

「……」

 壁を背に、足を地面に投げ出す形で座り込んでいた和灘悟。その頭は力なく俯いている。
 ――悟は意識を失っていた。

 炎の半神が火の粉を撒き散らしながら咆哮を上げる。同時、その周囲に魔法陣が数個出現した。
【迷宮】へと侵入した者の排除、【名無し】は神に与えられたその役目を今度こそ果たすつもりだ。

『不味い……ッ』

 ノウズの口から出たのは、焦燥感ではなく絶望から来る言葉だった。
 だが、【名無し】が悟に魔術を放つ直前の事だった。

「【竜焔ドラゴン・フレイム】!」

 怪物を漆黒の焔が飲み込んだ。

 焔を放ったのは、赤眼瞳だ。
 ――当たった…けど、多分アレじゃ……。
 倒せてはいない。
 とはいえ、使ったのは神話の怪物の名を冠する魔術。その一撃の威力は恐らく、眼前の半神が先程悟を昏倒させた魔術にすら匹敵する。確実にダメージを与えた――そのはずだった。

「なッ……!?」

 瞳の焔が、【名無し】の中へと入って行く。
 ――何…これ?
 焔が掻き消されるのならば分かる。しかし、今、目の前で起こっている現象は明らかに異常だ。
 アレでは、アレではまるで……。

『焔を吸収している』

「え?」

『赤眼瞳、彼に火は効かない。サラマンダーの体の一部を取り込んでいるからね、いくつか火の大精霊の能力を獲得しているんだ。その中に火への完全耐性も含まれている。といっても、神の加護の所為で炎を吸収し、今は自分の力へと変換まで出来るようになっているけれど』

「そんな、そんな事って……」

 ノウズの助言に瞳は絶句した。
 体が、まだ震えているのが分かる。
 それでも、掌を何とか前に突き出した。

「……ッ!」

 思わず瞼をキュッと閉じたくなり、それを歯を食い縛って堪える。
 怖い、怖いのだ。あの【名無し】を前にすると、恐怖が心の奥底から沸き上がって来る。
 神や半神がその身に纏う神気は、下界に住まう者を畏怖させると聞く。これはきっと、それだ。

 だからこそ、

 まるで神気の影響を受けていないようだった。
 おまけに、あの膨大な量の魔力の使用……。
 最弱者ワーストだったはずの悟に出来るはずがない。

 ――ホント、何なのアイツは……ッ!

 あとで問い詰めなければならない事が出来た。そして、勝手に半神に向かって突っ込んで行くなんて無謀な事をした件について叱ってやる。叱ってやるのだ……ッ。
 だから、

「ふぅ…よしッ」

 瞳は闘志を燃やし、体に纏わり付く恐怖を捻じ伏せた。
 その直後、ノウズの声が再び聞こえた。

『ボクとしても、悟にはまだ死なれては困る。戦うというのなら、もう一つ、君に助言をしておくよ。【名無し】本体には火を与えてはならないが、彼の放つ魔術にならば当てても君の焔が吸われる事はない。それで多少は戦いになるはずさ』

「……私が負ける前提で話さないでくれる?ていうか、アンタやけに悟にこだわってるじゃない。私の事も気遣ってくれていいんだけど」

『それは……いや、ただの気まぐれさ』

「気まぐれ――ねぇッ!」

 会話が終わる寸前、瞳は竜の焔を前に伸ばした手に収束させた。
【名無し】が炎の尾をこちらに叩き付けて来たのだ。
 漆黒の焔がその重い一撃へ向け放たれ――そして、爆発した。

 無論、瞳の魔術は【名無し】に吸われた。しかし、ノウズの助言通り、火しか吸収出来ないようで、爆発により生まれた爆風が奴の攻撃を弾いた。

「ッ!」

 魔術によって身体能力を強化し、瞳は駆け出した。
 速い。だが、【加速】を使った悟よりも幾分か遅い。
【名無し】は自らの周囲に魔法陣を数個出現させ、火炎を放出した。

 四方から炎の波が押し寄せて来る。

 ――挟まれたッ……!

 瞳は強化された脚力を駆使し跳躍。
 だが、その先で、巨大な炎の塊が彼女を待ち受けていた。

「しまッ――」

 気付いた時には、眼前に迫って来ていた【名無し】の攻撃。

「ぅ…くッ」

 直撃は避けた。焔で防いだのだ。
 とはいえ、咄嗟の事で完全な防御は出来ず、瞳は吹き飛ばされ体のあちこちに火傷を負った。

「ったく……戦い方の学習速度、早過ぎでしょ…!」

 自分が思っていた以上に、【名無し】の知能が高い。
 これは、敵の炎の威力も上がって来るのも時間の問題かもしれない。

 分からないが、半神であれば、第九位階級以上の魔術も使えてもおかしくはないのだ。

 瞳の頬を冷や汗が伝った。
 勝ち筋が、まるで見つからないッ。

「……【竜焔ドラゴン・フレイム】」

 漆黒の焔を静かに両腕に。
 見据える怪物、正面に。

 赤眼瞳は拳を前に構えた。







 ――しかし、この時、この瞬間まで誰もが忘れていた。

「……」

 瞳も【名無し】も、魔眼・ノウズすらも忘れていた。
 窮地の中で生き延びた少年の存在を、神への叛逆者の存在を。

 和灘悟。そう、和灘悟が立ち上がり、覚束ない足取りで【名無し】の元へ歩を進め始めていたのだ。

『なっ……!?待つんだ悟、君が加わった所で――』





「ノウズ、ちょっと黙ってろ」

 悟は煩い魔眼の口を閉じさせた。

 ……思考が、徐々にナイフのように鋭くなっていくのを感じる。
 その度に体の疲労感が、無駄な邪念が、意識の彼方へ消えて行く。
 間近に迫りつつあるはずの死すら、どうでもいい。

 

 試したい、今直ぐ試してみたい。
 だから、だからこそ、少年は無遠慮に炎を撒き散らす怪物を不敵な目で睨み付け言った。

「……おい、こら…【名無し】――俺の実験に付き合えや…………ッ!」

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