第七魔眼の契約者

文月ヒロ

文字の大きさ
上 下
23 / 64
第一章:始まりの契約

第22話和灘悟の逃走劇(1)

しおりを挟む
「あ゛ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあッ!死ぬ死ぬ死んじゃう死んじゃいますぅぅぅぅぅう!!」

 薄暗い道を一人全速力で駆け抜けながら、和灘悟は汚い絶叫を上げ、その声で呆れるほど情けない台詞を盛大にぶちまけた。
 筋肉質な細い少年だ。程良い長さの黒髪。黒い瞳を宿した目はややつり上がってはいるものの気にはならない程度。鼻だって別に高くない。その顔つきは、平凡と称するのが妥当だろう。
 唯一の特徴といえば、笑みを浮かべた時に見せる吸血鬼のような犬歯か。もっとも、今のこの笑えない状況ではそんなもの拝めはしないが。

 いずれにせよ、そんな彼の様相は、強烈な恐怖と焦りに満ちた物にすっかり変わっていた。

「ざっけんな、ざっけんなぁぁあッ!」

 喚くように悟は叫んだ。
 全ては、たった一つの【トラップ】を発動させてしまった事から始まった。
 たったそれだけ。しかし、それからずっと、この地獄のような逃走を悟は余儀なくされているのだ。

 最悪だ、最悪過ぎだ。今までの【トラップ】とは、質も量も威力も全てが違う――は本気で悟を殺しに来ているッ……。

「どわぁぁッ!」

 不意に道の凸凹につまずいて、一瞬、彼の姿勢が崩れる。
 こける!止まる!恐怖に引きつる頬。
 駄目だッ。今この瞬間、この場所での静止は死を意味するのだ。

「根…性ッ……でぇい!」

 死にたくない。その一心で悟は、どんッ、と右足でしっかり道を踏みつけなんとか体勢を立て直す。
 危機的状況がそうさせたのか、常時ではあり得ない驚異的なバランス能力を発揮した悟。最早、奇跡的と言ってもいい。今ならば、上空百メートルの場所での綱渡りだって成功させられるかもしれない。
 その足でまた走る、ひた走る。

「ったく!道の舗装くらいしとけよこんチクショウ!」

 悟のこの怒りは、端から見ればどうしようもないことに文句をのたまう者のそれだ。
 何せここは【迷宮】。道の舗装をするには危険極まりない場所だろう。

 でも、けれど、仕方がないではないか。止まったら死ぬ、それは決して揺るがぬ事実だから。

「はぁ…ッはぁ…ッはぁ…ッ!」

 走る。そう、決してその足を止める訳にはいかなかった。例え足が疲労のために悲鳴を上げようとも、無様に転びそうになろうとも、それだけは許されなかった。
 そんな怠惰、怠慢が許容されていいはずがなかったのだ。

 ゴロゴロ、ゴロゴロ、と後方より迫り来る死の音が未だに鼓膜を震わせ続けている。
 ほら、振り向くとやはりが地を這い自分を追ってきているではないか。
 最悪だ、絶望だ、絶体絶命だ。
 火照った体を冷そうと吹き出す汗が止まらない。
 体温が一向に下がらない。それどころか、全身がより熱を発しているのだ。サウナにでもいるみたいに暑い。
 しかし暑いのに、少年は自身の火照ったはずの顔から、さーっと血の気が失われていくのを感じた。その蒼白さは、死人も顔を青くする程だ。

「ハロハロ神様邪神様ぁぁあ!毎日お祈りアーメンなんまんだぁ致します。ですのでどうか!どうかわたくしめをお助け下さいましこの野郎ぅぅぅ!ひぃやぁぁぁぁッ!!」

 祈る対象にこの野郎とは何と無礼かな。大分ナメたお祈りである。

 しかし、宗教観念の薄まった現代日本人かつ礼儀なんて糞くらえな若者ならば、お祈りなんて案外こんなものなのかもしれない。

 和灘悟は【魔術師】だ。しかし、それ以前には一般人だった。
 だからこそ、平時にその存在を信じるような素振りを見せれば、周りの反応は残酷。神?そんなのいるわきゃねーだろ!?と、たちまち周りから冷たい視線と馬鹿にしたような言葉を浴びさせられる程だったのだから。

 もっとも、この時ばかりは、いるかどうかも分からない超自然的な存在に懇願するしかなかった。
 どの宗教の、どの神に?と聞かれたら古今東西すべての、である。
 それ故に、悪名高い神にだろうが何にだろうが全力で祈り媚びへつらう勢いだった。

 そんな、今年十七歳にもなろうかという少年の目の端は、少しばかり濡れていた。

 情けない奴だと笑わば笑え。笑った馬鹿にはドロップキックをかまして、うっせぇ!今の状況で余裕ぶっこいていられる奴なんて少ねぇよ!と言ってやろう。

 実際、今の少年の立場に立って恐怖を感じずにいられる人間は至って少数。相当頭のネジがぶっ飛んでいる奴等か、もしくはくらいである。

 悲しいかな、悟はその意味では正常で平凡な人間であった。

 人よりも若干、いや結構性欲に忠実な感があるのは否定できないが、それもまだ犯罪の域をギリギリ出ない程度だ。
 しかも、魔眼なんて世界に六人だけしか持つことが出来ないと言われている、途轍もない力の持ち主である訳でもない。無論、実際は七人のようだが、今は些細な事。

 幸い魔術という力は持ち合わせてはいたが、その力もあの暴力的な死の玩具の前では無力もいいところだ。泣きたくなるのも無理はない。

 だからと言って、祈るだけで命が救われるなんて甘い世の中でもない。諦めたらそこが墓場なのである。

 頬を伝う汗を拭うことすら忘れ、激しく息を切らしながらも走っていた。速度だけは落とさないように、何としても、全身全霊で。が、それも最早限界に近いようだ。

 もうかれこれ十分以上、舗装もされていない道の上で逃走劇を繰り広げていているはずだ。それなのに一向に振り切れない死の音の正体。

 それはトンネルのような作りのこの場所を、まるで蹂躙するかの如く突き進む巨大な漆黒の球体――鉄球だった。

「くっそォ、分かれ道さえありぁなんとかなんのに!」

 そんな都合の良いことはなかった。道は何処までも一本道。仮に存在したとして、そこはもう【迷宮】として終わっているのではないだろうか?

 つまるところ、後方より迫り来る漆黒の鉄球が現れた時点で、和灘悟の人生の幕引きは始まっていたのである。

 ――何かないか?何か、この最悪な状況を打破する糸口は……ッ。

 一心に思考を巡らせてみても、自身の死が確定しているようにしか思えない。
 鉄球と岩壁のすみの間にできている隙間を通り抜けられないか確認してみたが、やはり悟が通れるほどの空間は空いていなかった。
 あそこに飛び込めば、まず間違いなく鮮血滴る新鮮な挽肉にされてしまうことだろう。もっとも、こんな場所では誰にも食われずに腐っていくのが落ちだが…。

 そうこうしている間にも走る足は遅くなっていき、鉄球との距離も近くなってくる。

「あれと地面にサンドでイッチされるとか、俺ってばあんまり美味しい人間サンドに成んないってーの!マジでそれは勘弁、だ!【加速】!」

 馬鹿なことを言いながら、次の瞬間。その一言で悟の全身を薄く白い光が包み、彼の駆ける速度が飛躍的に上昇する。そして、鉄球との距離がまた開く。

 今日何度目になるか分からない魔術の行使だった。

 といっても、その効力は一秒ほどしかなく、使いどころと使うタイミングを考えなければならない難儀な代物である。

 まったく、その力の何と頼りないことか。
 魔術で加速して、何とかこの窮地を脱するための時間稼ぎにでもなれば良かった。だが、生憎と今のところはその糸口さえも見つかっていない。
 今の悟は、力を無意味な逃走を続けるために使っているに等しい状態だった。







『はははッ、随分と焦っているじゃないか悟』

 そんな時、気障ったらしい口調の声が悟に語り掛けて来た。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

アイドルグループの裏の顔 新人アイドルの洗礼

甲乙夫
恋愛
清純な新人アイドルが、先輩アイドルから、強引に性的な責めを受ける話です。

待つノ木カフェで心と顔にスマイルを

佐々森りろ
キャラ文芸
 祖父母の経営する喫茶店「待つノ木」  昔からの常連さんが集まる憩いの場所で、孫の松ノ木そよ葉にとっても小さな頃から毎日通う大好きな場所。  叶おばあちゃんはそよ葉にシュガーミルクを淹れてくれる時に「いつも心と顔にスマイルを」と言って、魔法みたいな一混ぜをしてくれる。  すると、自然と嫌なことも吹き飛んで笑顔になれたのだ。物静かで優しいマスターと元気いっぱいのおばあちゃんを慕って「待つノ木」へ来るお客は後を絶たない。  しかし、ある日突然おばあちゃんが倒れてしまって……  マスターであるおじいちゃんは意気消沈。このままでは「待つノ木」は閉店してしまうかもしれない。そう思っていたそよ葉は、お見舞いに行った病室で「待つノ木」の存続を約束してほしいと頼みこまれる。  しかしそれを懇願してきたのは、昏睡状態のおばあちゃんではなく、編みぐるみのウサギだった!!  人見知りなそよ葉が、大切な場所「待つノ木」の存続をかけて、ゆっくりと人との繋がりを築いていく、優しくて笑顔になれる物語。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される

clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。 状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。

処理中です...