第七魔眼の契約者

文月ヒロ

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第一章:始まりの契約

第14話紅蓮猫の恋模様

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 ――和灘悟の追試開始より三日前。
【迷宮】内、塔の最上階にて。

「ふぅ、思っていたよりも早く終わりましたね。貴方が弱くて助かりました。えっと、名前は……何でしたっけ?」

 薄暗い石造りの部屋の中、顔に掛かった栗色の髪を左手の人差し指で払うと、小柄な猫耳少女――猫真緋嶺がそんな台詞を口にした。

 視線の先、彼女の瞳に映ったのは、酷く怯えた表情で地に伏した男の悪魔だ。
 しかし、悪魔は緋嶺の質問に答える様子はなかった。

「ノウリッドでございます、お嬢様」

 緋嶺へ近づいて来た人影が、代わりに悪魔の名を彼女に告げた。
 闇の中で赤い光を放つ緋嶺の目が、その人影を視界に捉えた。

「あぁ、確かそんな名前だったかもですね。ありがとうございます、ネネ」

「恐縮にございます、お嬢様」

 緋嶺の瞳に映っていたのは、メイド服姿の少女――猫真ネネだった。
 灰色の長髪に、茶色と黒色の混ざった瞳。
 可愛いというよりは美しいと表現すべきその顔の下には、華奢でやや高身長な体。

 緋嶺はそんなネネの姿を、顎に手を当てながら数秒凝視する。
 そして、赤い長袖のTシャツと黒の短パン姿の自分と彼女を見比べると、緋嶺は肩を竦めて言った。

「しかし、いいですねぇ、後衛型の【魔術師】は。こんな物騒な場所でも、戦闘向きじゃない服が着られるじゃないですか。私が着られるのなんて、お洒落とか無視した機動性重視の服だけですからね」

「服装に関しましては、この【迷宮】のレベルが低かったのと、お嬢様にお守り頂いておりましたので。それと、ご心配には及びません。このネネの目には、そのお洋服を着たお嬢様も大変微エロ可愛く映っております」

「……どうでしょうか、ネネの判断基準は当てになりませんからね。まぁ、それは一旦おいておくとして、私は少しやる事があるので後は任せますよネネ」

 右肩に担いでいた、武器である身の丈以上の巨大な戦斧。
 その刃の部分を石造りの地面へ突き刺すと、そう言って緋嶺はネネに背を向け歩き出した。

「畏まりました」

 両の瞼を伏せながら、俯き加減に返事をするネネ。
 それから数秒後、彼女はスッと目を開き、視線を足元でうつ伏せになって倒れている悪魔の男へと移した。

「は、話が違う!こんな、こんなはずでは……ッ」

 恐怖に震える喉から、やっとの事で悪魔が捻り出したのはそんな言葉だった。
 体中に付いた傷が痛みの悲鳴を上げるのを無視して、悪魔はネネを睨んだ。
 澄ました表情のメイドは、しかし、それでも表情を崩さなかった。
 それがまた腹立たしくて、

たばかったな、貴様等!私に、この【迷宮】へ攻めて来るのは第四位階の【魔術師】二人だといつわり、そうして私を始末する算段だったわけだッ。――卓越者プリエミネントのあの猫女を使って!」

「?何か盛大な勘違いをされているようですね。そのような事実はございませんし、貴方が知らされた情報も間違ってはいません」

「……は?」

 悪態を付くと、返って来たのはそんな予想外の台詞。
 このメイドは、一体何を言っているのだ。
 第五位階の【魔術師】程度の実力を持つ自分を負かしたあの猫女。あれは、確かに第六位階だ。
 だからこそ、悪魔にはネネの発言の意味が分からなかった。

「情報は間違ってはいないのです。ただし、それは書類上での話。ですので貴方の仰る通り、実際のお嬢様は、第六位階相当の実力をお持ちですよ。もちろん、それを知っているのはお嬢様とこのネネだけ。……誰も知らない二人だけの秘密、大変興奮致します」

「なん、だとッ」

 困惑に染まる悪魔の顔。
 仮に、このメイドの言っている事が正しいのだとする。
 ならば何故だ。

「何故力を隠す。あれだけの実力があって、そんな事をする必要が一体どこにあるというのだ」

「いえ、ございません。というより、正直に申しまして、【魔術師】はあまり位階が低いと面倒が多いので普通はしない物です。事実、お嬢様も学院入学後は位階を上げるつもりでしたし。ですが……」

 そこで言葉を切り、ネネは顔を上げると視線を十数メートル先へと移した。

 数分前まで続いていた戦闘の余波で、大穴を開けられ、天井が崩れた事により生まれた瓦礫の山。
 天井の大穴から差し込む月の光が照らし出していたのは、その上に腰を下ろし携帯電話を片手に語らう猫真緋嶺だった。

何分なにぶん、意中の殿方が【魔術師】の中で序列最下位な物ですから、名門猫真家のお嬢様が本来の位階になられますと……その、分かりますでしょう?」

「ま、まさかあの女ッ、高々男一人の為に実力を偽っているのか」

「はい、ある日気が付けばお嬢様はもうあの男に……これがNTRという物でしょうか?」

 表情を変えずに淡々とネネは喋る。
【魔術師】であるにも関わらず、通信魔術の代わりに携帯電話を使った会話。
 加えて、遠目から緋嶺の横顔を見れば、彼女の専属メイドであるネネの前ですらあまり見せない種類の微笑を浮かべている。

 十中八九、電話の相手は例の男――和灘悟だろう。

「ちなみに、高々その男一人の為に、お嬢様は各地に出現した【迷宮】の攻略を決行されたとか。ここもその内の一つです」

「何ッ!?そんな、では……」



 第六魔法学院の【疑似迷宮】内で起きた魔力暴走に、猫真緋嶺が巻き込まれた事件。
 ネネの調査によれば、事件は、猫真家に並ぶ名門であり対立関係にある犬神家の策略だった。

 とはいえ、犬神家に繋がる物的証拠は何もない。

 それに加えて、事件について何も語らない所を見るに、足元に転がっているこのノウリッドという悪魔は、恐らく犬神家の者と契約を結んでいるのだ。緋嶺を殺し、それに関する情報について口外しない、という契約を。
 対価は人間二人分の血肉と魂といった所か。黒い噂の絶えない犬神家の事だ、十分にあり得る。

 いずれにせよ、これ以上の情報はもう出て来ないだろう。
 おまけに、緋嶺は悪魔への復讐など微塵も考えていない。

 その話を聞いてノウリッドは少し安堵したような顔をしている。きっと、楽に死ねるとか、もしかしたら助かるのでは、なんて想像をしつつ。

 だが、

「安心などしないでくださいませ、反吐が出ます」

 そんな愚かな悪魔の幻想を、メイドの冷徹な声が打ち砕く。

「我が唯一にして永遠、至高なる主のお命を奪おうとしたその罪、まさかゆるされるとでも?生憎と、例え我が主や神、魔王が貴方を赦そうとも、わたくしはそのような事赦しませんよ」

「――ッ。ま、待てッ。わ、私が悪かった……!」

「あぁ、言葉による謝罪ならば不要ですよ、貴方の苦痛と後悔に満ちた死を以て謝罪と致しますので」

 悪魔へと、猫真ネネがスっと突き出した右の掌。
 身の丈程に大きい白銀の魔法陣がその手前に出現し、光を強める。

「【冥府の番人たる猛犬よ 我が魔力を喰らい 今ここに来たれ】」

 詠唱の直後、白銀の魔法陣が紫紺に染まった。
 相も変わらず無表情なネネの顔、その口が再び言葉を紡ぐ。

「それではさようなら、永遠に――【召喚・三頭犬ケルベロス】」

 次の瞬間だった。紫紺色に輝きを変えた魔法陣より、漆黒が猛烈な勢いで飛び出した。
 悪魔の頭上で蜷局とぐろを巻いたそれの先にあったのは、巨大な犬の頭だった。
 濃密な魔力を宿した漆黒の犬の首が、そのあぎとを開き、咆哮と共に悪魔に襲い掛かる。

「やめ、止めてくれッ。私は、き、貴様の餌などでは――」

 地を這い逃げようとする悪魔だが、地獄の番犬がそれを是としない。

「あッ、ぎゃァァアアアッ!!」

 三頭犬ケルベロスの鋭い牙に噛み付かれ、悪魔は絶叫を上げる。
 そしてそのまま、巨大な魔犬は魔力によって形作られた異常に長い漆黒の首をうねらせて、悪魔の叫びと共に魔法陣の中へと消えて行った。

 静寂に包まれた【迷宮】内で、ネネは少し疲れたように溜息を付く。

 三頭犬ケルベロスの頭一つ分、それも実体ではなく、『影』を呼び出しただけでほとんどの魔力を持って行かれた。
 一歩間違えば、魔力欠乏によって倒れていたかもしれない。

 だが、三頭犬ケルベロスは、冥府から出ようとする者を貪り喰うという。あの様子ならば、今頃悪魔は並みの死よりも恐ろしい死を味わっている事だろう。
 そう思えば、払った魔力分以上の対価は貰っていると言える。

「相手の死に様を確認出来ないのが玉に瑕、ではありますが」

 しかし、今のネネの持つ切り札がこの固有魔術だけなのだから仕方がない。
 思考を切り替え、魔術の使用により見た目以上に疲労した体を、再び可憐なる己が主へと向ける。

 無論、話し掛けはしない。
 これからあと【迷宮】を九つ攻略しなければならないのだ。
【迷宮】へは緋嶺とネネの二人で潜るつもりだが、最低でも半月は必要だろう。

 その間、悟とは会えないし、遠征中の予定を考えれば電話も最低限しか使えない。
 今この場での通話の邪魔など無粋の極み。

 ――とはいえ、和灘悟に対して、言ってやりたい事がない訳ではない。

「お嬢様の『特別』というのは、少しばかり嫉妬してしまいます……」

 猫真緋嶺の様子を見守りつつ、ネネは微かに物欲しそうな目をしてそう呟いたのだった――。
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