僕とボクの日常攻略

水無月 龍那

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課題5:僕とボクの話

2:無理に話せとは言わないけど

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「こちら、です」
 リビングに面した一番奥のドア。そこがお兄さんの部屋です。
 ですが、その部屋は今、物音ひとつしません。お兄さんは居るはずなのに、誰も居ないみたいに静かです。
 ドアの前に立った柿原さんは、ドアをまじまじと見ていました。ノブに手をかけますが、鍵がかかっていて動きません。
「……ちっ。おーい。須藤ー? 生きてるかー?」
 ドアの向こうのお兄さんに問いかけます。返事はありません。
「こりゃ本格的にダウンしてんな? 苦手なのは分かるけど、やっぱ日に当たらなさすぎなんだよな。夜型人間め」
 ぶつぶつと聞こえる言葉は、文句のようでいてやっぱり心配なのだとよく分かります。良いお友達なんだと、なんだか嬉しくなります。
「須藤ー。授業のノートコピー持ってきたぞ」
 こんこんこん、とノック。もちろん返事はありません。
「んー……静かだな」
 ごんごん、とさっきより強めの音で叩きます。
「お兄さん、この間帰ってきてからずっとそうで……」
「えー引きこもってんの? 確かに具合悪そうだったけど」
 ううむ、と柿原さんはドアに向かってぶつぶつ言っています。そして突然。
「おいこら須藤! 具合悪くても良いからさっさと起きろ、顔出せ!」
 さっきよりも更に力強くドアを叩きだしました。このまま力が強くなっていけば、ドアが壊れてしまうかもしれません。
「か、かきはらさ……」

 かちゃり。

「お?」
 ボクが止めに入ろうとした時、小さな音がして。
 叩くのを止めた柿原さんの前で、ドアが少し開きました。

 薄暗い、電気もついていない部屋。そこから光るような青い目が見えました。
 綺麗な青い目は、ボクを見てぱちぱちと瞬きをして。それから辿るように上を見て――ドアがぱたんと閉じました。
「あっ」
 柿原さんが声を上げてドアノブに手をかけるのと、どちらが早かったでしょうか。ドアはすぐに開きました。
 お兄さんはとても疲れた顔で、柿原さんをじっと見ています。
「……柿原は、なんで……居るの……?」
「いや、連絡もなく学校来ないとか心配で?」
 柿原さんはちょこんと首を傾げて、持っていた袋をお兄さんに突きつけました。反対の手はしっかりとドアノブを握っていて、受け取るまで離さないつもりのようです。
「ほら、とりあえずこの栄養ドリンクとスポーツドリンクを飲め。そしてノートのコピーをありがたく思え。試験も近いぞ」
 目の前にぶら下がる白い袋、胸を張った柿原さんの顔。それからボクを見て。お兄さんは大きく息をつきました。それから白い袋をがさりと受け取って。
「はい。ありがとう……」
 疲れたような声でお礼を言ったお兄さんの視線が「それと」と、ボクの方を向きました。
「?」
 なんだろうと思っていると、お兄さんの頭がふらりと揺れました。
「!」
 倒れたのかと思って手を差し出しましたが、お兄さんは膝をついただけでした。ほっとしたボクを青い目が見上げます。
 久しぶりに見た気がするお兄さんの目は、少し陰って寂しそうな色をしていて。
「その。ごめんね。後で、改めて謝らせて」
 声は、とても悲しそうでした。
「え、いえ。あの。ボクこそ……」
 謝られるような事なんてありません。そもそもボクは、この家を幸せにする為に居るのです。お兄さんの顔を曇らせるような事こそ、あってはいけません。
 どう答えたらいいのか分からなくなったボクの頭に、ぽん、と大きな手が乗せられました。柿原さんの手です。お兄さんが、眉を寄せて視線を上げました。
 柿原さんは気付いていないのでしょう。はあ、と大仰に溜息をついてお兄さんに言い放ちました。
「須藤ったらこんなカワイイ子を困らせてたの? ダメな男め」

 □ ■ □

 柿原をとりあえずソファに座らせ、着替えてリビングに戻る。
 お茶を淹れようと台所に向かうと。
「ボクが、やります」
 既に準備をしていたしきちゃんに制されてしまった。
「お兄さんは体調が良くないのですから。座っていてください」
「……うん」
 素直に頷いてソファの方に行くと、柿原は勝手知ったる様子でしっかりくつろいでいた。

 しゅんしゅんとお湯が沸く音がする。
 とてもとても長い夢から覚めたこの部屋は、思った以上に居心地が良かった。

 お茶を待つ間に、クリアファイルを指で軽く捲る。印刷されたノートの右上に、講義名と日付が記されている。シャーペンの画一的な線でも分かる、そこそこ整った字が目についた。
 その日付に頭がくらくらして、思わずがっくりと肩を落とした。
「今、何曜日……?」
「曜日感覚も失せてるとは相当だな。今日は金曜だぞ」
「えー……もう週末とか……何日経ってんの……」
 耳に届く自分の声は、やはりというかなんと言うか。酷く疲れていた。
「知らないけど、欠席は四日目だ」
「分かってるようるさい」
 えー、と文句を上げる柿原は無視して、本題を切り出す。
「それで?」
「うん?」
「なんで家まで来たの?」

 単に心配なだけならメールや電話でも寄越せば良いだけだ。さっきチェックした携帯の履歴に、そんなものはなかった。
 試験もレポートも、近いとはいえもう少し先。講義の一コマ程度なら欠席でも問題ない。ノートなら学校に来た時でも良かったはずだ。
 なのに、どうしてこいつはわざわざ「講義のノート」を口実に家までやってきたのか。

 僕の問いの裏を柿原はしっかり読んでくれたらしい。彼は「そりゃあさ」とソファに埋まりながら腕を組む。
「お前ずっと具合悪そうだったから、心配だったのと」
「うん」
「お前を起こしにいかなきゃいけないっていう使命感に突然目覚めたのと」
「ええ……」
「あとは、勘だな」
「勘……?」
 そう、と柿原の人差し指が口に触れる。
 
「無理に話せとは言わないけどさ。お前が何か誤魔化してる事に気付けない程鈍くないって言うのは覚えておけ?」

「――っ!?」
 思わず言葉が詰まった。
 にやりと笑う彼の指は、唇の端を叩いていた。
 そこにあるのは犬歯。それを示す指の意味は、なんてのは愚問だ。

「覚えてた?」
「……覚えてる」
 思わず溜息をつく。一体僕は、いつどこで何をしくじったのだろう。

「で。正直聞きたくないけど。“正体”はいつから?」
「んー、半年くらい前? まあ、今はそんな話置いとこうぜ」
「そうだね。そこは後でじっくりと話してもらうとして」
 どうして気付かれたのかは僕にとって死活問題のような気がするけど。彼の言う通り、今すべき話はそれじゃない。
 きっと彼は気付いているんだ。他にも色々。
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