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課題1:僕とボクの取引
1:深夜の公園と吸血鬼
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座敷童の血は甘くて美味しい。
それは、ささやかな出会いによってもたらされた新事実だった。
そして、それを知った僕は今、自分の部屋の前で正座をしている。
口に付いた血を拭うことも、今吸ったばかりの血の余韻を味わうことも忘れて、鍵のかかったドアの向こうにむけて、反省の意を示している。
「……ちょっと、痛い、です」
ドアの向こうから、少女のか細い声がした。
「ごめんなさい」
「血、飲み過ぎ……です」
「はい……調子に乗りました……」
吸血鬼の僕と、座敷童の少女。
二人の同居生活は、初日にして彼女の籠城から始まった。
■ □ ■
僕達の出会いは、数時間前に遡る。
春近い深夜の小さな公園は、硝子のような冷たい空気に包まれていた。
繁華街から徒歩十数分の住宅地。周囲の家々は未だ眠りの中。起きてるのは、歩いて三分くらい離れた所にあるコンビニ。自販機。それから、ベンチに寝転がる僕。
誰も居ない。木々が時々ざわりと音を立てるけれども他に音はなく、街全体が朝が来るのを静かに静かに待っている。
僕はベンチに寝そべったまま、木の影に引っかかった丸い月を見上げていた。
吐く息が白い。コートのフードが頬をくすぐる。寝転がった拍子にめくれたシャツを引っ張って、外気に晒された腹部を隠す。
「……喉、渇いたなあ」
ぼんやり考えた言葉がぽつりと零れた。
こんな時間なのに月が赤く見えた。目を閉じて、渇きをしみじみと噛み締める。
とかくに人の世は住みにくい。誰かがそう言っていたのを思い出した。
僕はヴァンパイアだ。この国は吸血鬼とも呼ばれている。そっちが字面としてもイメージしやすいか。
不老で長寿。不死ではない。この世界が同族だらけじゃない所を見るに、何かしら死ぬ手段はあるらしいけど、僕はその辺をよく知らない。
赤い髪に青い瞳。外見は人間と変わらない。太陽や十字架は苦手ではない。食事や生活のスタイルがちょっと違うだけ。だから見分けることは難しいだろうし、大きく分ければ「人」というカテゴリに入れても良いと思っている。
けれど、僕らと人間を隔てる壁は思いの外分厚くて、そう上手くはいかないことも十分に分かっている。そこは諦めるに限る。
血を求めて彷徨う夜の眷属。生と死の狭間に生きる命の王の一員。そう言ったらとても聞こえは良い。けれど、所詮は吸血鬼。血を求めなければ生きていけない。日本人が定期的に米味噌醤油を欲しがるように、僕らには人間を巡るあの赤い液体が必要だった。
この喉の渇きが一体いつからだったか。最後に満足いくまで血を飲んだのがいつだったか。そんなのもう覚えていなかった。
コンビニにもない。もちろん自販機にも売ってない。ある場所を敢えて挙げるとするならば、医療機関だろうか。売ってくれる訳がない。溜息が出る。
慢性的にもなってきた渇きは僕の中で燻り続けている。これを受け入れて過ごすのが、僕の現代を攻略する術だ。
真っ当な手段では手に入らないそれを手に入れるためにできる事は少ない。こうして夜遅くに街をうろつく位だ。そうして泥酔したサラリーマンや、夜を縄張りのように闊歩する人達から少しだけ血をもらう。相手の身体に影響が出るような真似はしない。大きく目立つ傷もつけたりしない。記憶だって残さない。不味くても文句は言わない。
何でも最低限。僕はこうして慎ましく夜の中に生きている。
だから渇きは潤される事はなく、それ以上渇く事もない。
事件の多い昨今、おおっぴらに通りすがりの人を襲えばもちろん、ただこうして深夜の公園に居ると言うだけでも通報されかねない世の中だ。本当に、夜を生きる僕達にとって住みにくい世界になった。
違うな。と今の考えを訂正する。
僕達だけではない。人狼に人造人間、口裂け女に赤マントといったような「人のようでいて人とは決して相容れない種族」にとって、だ。
昔は良かった。闇が多くて、隠れ住む場所も多かった。妖だの怪奇現象だのと言われても、まだ「そういうもの」として存在する余地があった。それから数十年。どんなに科学が発達したって居る物は居るというのに、人間は未知の全てを解明しようとする。そこが厄介で、面白い所だ。
人間は未知の存在に恐怖する。それを次々に解明し、世界の常識を塗り替え、支配していく。けれども。どんなに式を組み立てて世界の構成を形作ったところで、多くの人々が「そんなの難しくて分からない」なんて放り投げてしまう。式という形になったのを見て、安心して理解を放棄する。それなら「僕ら」を受け入れてくれた方がずっとずっとお互いの為だと思っている。いつ「こっち側」になるかも分からないんだし。
まったく、この時代は生きにくい。そしてこれは、きっと更に加速していくんだ。と、先を少しだけ憂いて溜息をついた。
とはいえ。僕には一応の住処がある。大学生という身分もあるし、生活には困ってない。
嗚呼生きにくい生き辛いなんて言いながらも、それなりに人間の生活に溶け込めている方には違いない。
□ ■ □
どのくらいぼけっと空を見上げていたのか。指先も冷たくなり、木の端に引っかかっていた月もすっかり陰に隠れてしまった頃。
突然「てんっ」と地面を軽く蹴ったような音がした。
「うん……?」
そんな物音がするような遊具はなかったはずだ。身体を起こして音の出所を探すと、こっちに向かって転がってくるサッカーボールがそこにあった。
「……」
思わず黙ってそれを見つめる。
僕がどれだけぼんやりしていたかは分からないけど、突然サッカーボールが転がってくるような時間じゃないのは確かだ。
正直、怪奇現象にしか見えなくて、自分の素性をすっかり棚に上げて「何それ怖い」という感想を抱く。
寒いのも指先が冷えたのも今に始まったものじゃないのに、思わずコートの袖に指を潜らせて寒気を誤魔化す。
サッカーボールはころころとこちらに転がってくる。そしてベンチの脚にこつんと当たり、しばらく逆走して転がるのをやめた。
夜の公園。突如現れたサッカーボール。
何が起こってるのか分からなくて、ボールをじっと見つめる。動く様子はない。害はなさそうだ。
――と。
「お兄さんは、何をしているのですか?」
僕の真後ろ――耳元で声がした。
それは、ささやかな出会いによってもたらされた新事実だった。
そして、それを知った僕は今、自分の部屋の前で正座をしている。
口に付いた血を拭うことも、今吸ったばかりの血の余韻を味わうことも忘れて、鍵のかかったドアの向こうにむけて、反省の意を示している。
「……ちょっと、痛い、です」
ドアの向こうから、少女のか細い声がした。
「ごめんなさい」
「血、飲み過ぎ……です」
「はい……調子に乗りました……」
吸血鬼の僕と、座敷童の少女。
二人の同居生活は、初日にして彼女の籠城から始まった。
■ □ ■
僕達の出会いは、数時間前に遡る。
春近い深夜の小さな公園は、硝子のような冷たい空気に包まれていた。
繁華街から徒歩十数分の住宅地。周囲の家々は未だ眠りの中。起きてるのは、歩いて三分くらい離れた所にあるコンビニ。自販機。それから、ベンチに寝転がる僕。
誰も居ない。木々が時々ざわりと音を立てるけれども他に音はなく、街全体が朝が来るのを静かに静かに待っている。
僕はベンチに寝そべったまま、木の影に引っかかった丸い月を見上げていた。
吐く息が白い。コートのフードが頬をくすぐる。寝転がった拍子にめくれたシャツを引っ張って、外気に晒された腹部を隠す。
「……喉、渇いたなあ」
ぼんやり考えた言葉がぽつりと零れた。
こんな時間なのに月が赤く見えた。目を閉じて、渇きをしみじみと噛み締める。
とかくに人の世は住みにくい。誰かがそう言っていたのを思い出した。
僕はヴァンパイアだ。この国は吸血鬼とも呼ばれている。そっちが字面としてもイメージしやすいか。
不老で長寿。不死ではない。この世界が同族だらけじゃない所を見るに、何かしら死ぬ手段はあるらしいけど、僕はその辺をよく知らない。
赤い髪に青い瞳。外見は人間と変わらない。太陽や十字架は苦手ではない。食事や生活のスタイルがちょっと違うだけ。だから見分けることは難しいだろうし、大きく分ければ「人」というカテゴリに入れても良いと思っている。
けれど、僕らと人間を隔てる壁は思いの外分厚くて、そう上手くはいかないことも十分に分かっている。そこは諦めるに限る。
血を求めて彷徨う夜の眷属。生と死の狭間に生きる命の王の一員。そう言ったらとても聞こえは良い。けれど、所詮は吸血鬼。血を求めなければ生きていけない。日本人が定期的に米味噌醤油を欲しがるように、僕らには人間を巡るあの赤い液体が必要だった。
この喉の渇きが一体いつからだったか。最後に満足いくまで血を飲んだのがいつだったか。そんなのもう覚えていなかった。
コンビニにもない。もちろん自販機にも売ってない。ある場所を敢えて挙げるとするならば、医療機関だろうか。売ってくれる訳がない。溜息が出る。
慢性的にもなってきた渇きは僕の中で燻り続けている。これを受け入れて過ごすのが、僕の現代を攻略する術だ。
真っ当な手段では手に入らないそれを手に入れるためにできる事は少ない。こうして夜遅くに街をうろつく位だ。そうして泥酔したサラリーマンや、夜を縄張りのように闊歩する人達から少しだけ血をもらう。相手の身体に影響が出るような真似はしない。大きく目立つ傷もつけたりしない。記憶だって残さない。不味くても文句は言わない。
何でも最低限。僕はこうして慎ましく夜の中に生きている。
だから渇きは潤される事はなく、それ以上渇く事もない。
事件の多い昨今、おおっぴらに通りすがりの人を襲えばもちろん、ただこうして深夜の公園に居ると言うだけでも通報されかねない世の中だ。本当に、夜を生きる僕達にとって住みにくい世界になった。
違うな。と今の考えを訂正する。
僕達だけではない。人狼に人造人間、口裂け女に赤マントといったような「人のようでいて人とは決して相容れない種族」にとって、だ。
昔は良かった。闇が多くて、隠れ住む場所も多かった。妖だの怪奇現象だのと言われても、まだ「そういうもの」として存在する余地があった。それから数十年。どんなに科学が発達したって居る物は居るというのに、人間は未知の全てを解明しようとする。そこが厄介で、面白い所だ。
人間は未知の存在に恐怖する。それを次々に解明し、世界の常識を塗り替え、支配していく。けれども。どんなに式を組み立てて世界の構成を形作ったところで、多くの人々が「そんなの難しくて分からない」なんて放り投げてしまう。式という形になったのを見て、安心して理解を放棄する。それなら「僕ら」を受け入れてくれた方がずっとずっとお互いの為だと思っている。いつ「こっち側」になるかも分からないんだし。
まったく、この時代は生きにくい。そしてこれは、きっと更に加速していくんだ。と、先を少しだけ憂いて溜息をついた。
とはいえ。僕には一応の住処がある。大学生という身分もあるし、生活には困ってない。
嗚呼生きにくい生き辛いなんて言いながらも、それなりに人間の生活に溶け込めている方には違いない。
□ ■ □
どのくらいぼけっと空を見上げていたのか。指先も冷たくなり、木の端に引っかかっていた月もすっかり陰に隠れてしまった頃。
突然「てんっ」と地面を軽く蹴ったような音がした。
「うん……?」
そんな物音がするような遊具はなかったはずだ。身体を起こして音の出所を探すと、こっちに向かって転がってくるサッカーボールがそこにあった。
「……」
思わず黙ってそれを見つめる。
僕がどれだけぼんやりしていたかは分からないけど、突然サッカーボールが転がってくるような時間じゃないのは確かだ。
正直、怪奇現象にしか見えなくて、自分の素性をすっかり棚に上げて「何それ怖い」という感想を抱く。
寒いのも指先が冷えたのも今に始まったものじゃないのに、思わずコートの袖に指を潜らせて寒気を誤魔化す。
サッカーボールはころころとこちらに転がってくる。そしてベンチの脚にこつんと当たり、しばらく逆走して転がるのをやめた。
夜の公園。突如現れたサッカーボール。
何が起こってるのか分からなくて、ボールをじっと見つめる。動く様子はない。害はなさそうだ。
――と。
「お兄さんは、何をしているのですか?」
僕の真後ろ――耳元で声がした。
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