愛されたいと想うこと

鈴屋埜猫

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1仕組まれた出会い

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 二十歳の誕生日を迎えた沙原柚姫さはらゆずきは、珍しく父から食事に誘われた。今まで放置状態だった父親からの申し出に、柚姫の心は複雑に揺れた。
 だが、同時に用意された新しい靴と、サーモンピンクの可愛らしいワンピースを見て疑問が浮かぶ。到底それは、柚姫の父が選んだものとは思えなかったからだ。
 恐らく、何人目かの愛人が代わりに選んだのだろう、と柚姫は溜め息を吐く。十代の頃なら突っぱねて、逆にTシャツにジーンズで行くという反抗心があったけれど、馴れからかその気力はとうに失せていた。

 仕方なく着替えたワンピースは、思いの外、ピッタリと柚姫の身体にフィットした。それでいて動きやすく、身体の気になる部分も絶妙にカバーされている。おまけに靴なんて、自分で買いに行くのさえサイズが合わず見つけるのが大変なのに、彼女の足に吸い付くかのようにピッタリで驚きだった。
 一体、誰からサイズを聞いたのか、と疑問が浮かぶ。けれど、それこそ父でないのは確かだった。何故なら柚姫の父は、母がいなくなった彼女の十一歳の誕生日から、顔すらも合わせようとしていないのだから。服や靴のサイズなど知るよしもない。

「まぁ、すごくお似合いですよ」

 靴と服を持ってきてくれた父の秘書、棚橋彩佳たなはしあやかが感嘆の声を上げる。

「これ、棚橋さんが選んでくれたんでしょう?」

 姿見越しに尋ねると、彼女は困ったように笑った。
 五年程前から父の秘書となった彼女は、時折、柚姫の世話もしてくれている。とびきりの美女ではないけれど、素朴な美しさとスタイルの良さを併せ持つ彼女は、女の柚姫から見ても魅力的な女性だった。仕事も丁寧にこなし、気配り上手な彼女に、父が手を出さないはずもなく、彼女もすぐに父の愛人の一人になった。
 最初から彼女に好意を持っていた柚姫は、父が彼女だけを選ぶなら、と少し期待もしたけれど、今はその望みを捨てた。今はただ、彼女が一刻も早く父から解放され、幸せになってくれることを祈っている。

「確かに柚姫さんのサイズはお伝えしましたけど、選んだのは別の方です」

「別の方?」

 彩佳の言葉に、柚姫は思わず振り返って彼女を見る。万が一、父からの贈り物だったなら彩佳が隠すことはしないはずだ。それをわざわざ『別の方』なんていう言い方をするということは、父でも彩佳でもない別の人間が選んだということ。

(……別の愛人かな)

 言いかけて止めたのは、彩佳と父の関係がまだ終わってはいないから。勘の良い彼女なら、父が何人の愛人を持っているかなんて知らないはずはないだろうが。それでも、わざわざ彼女を傷付けるような発言は避けたかった。

「そろそろ行きましょうか」

「……うん」

 あまり気乗りはしないが、行かないわけにはいかない。それに、腐っても父は父。何より柚姫の心は、会えるならば会いたいと、常に叫んでいるのだ。


 * * *


 彩佳の運転する車で到着したのは、近くにあるホテルだった。昔、まだ母がいた頃に来た覚えのあるそのホテルは、改装をしたのか朧になった柚姫の記憶の欠片すら見当たらない。
 約束の時間より少し早く着いたからと、ロビーに座ったのも束の間、突然、彩佳の携帯がけたたましく鳴り響いた。

「はい……え……? ですが、社長……っ」

 柚姫を気遣ってか、少し離れた場所で電話に出た彩佳の声が高くなり、少しだけ聞こえてくる。その断片的な言葉で、内容を悟った柚姫はため息を吐いた。

「柚姫さん……あの……」

「分かってます。お仕事でしょう?」

 携帯を握りしめたまま、申し訳なさそうに立っている彩佳は、さながら捨てられた仔犬のように見えた。そんな彼女に、柚姫は苦笑しながらも立ち上がる。

「父が来ないなら食事は中止ね。私も帰ります」

「いえ、あの……っ」

 しどろもどろになり、慌てる彩佳が可哀想に見える。彼女は何も悪くない、悪いのは父なのに。そう思い、言葉を紡ごうとした柚姫を、後ろから誰かが遮った。

「帰ってしまわれたら困ります」

 耳に心地よい、低めの声。一瞬おいて、それが自分に向けられた言葉だと気付いた柚姫は、あからさまに不審そうな視線を背後に向けた。
 その視線を受けながら、人の良さそうな顔で微笑んでいたのは見知らぬ男性。カッチリとグレーのスーツを着こなし、サーモンピンクのネクタイを締めた彼は柚姫より二つか三つ年上かと思われた。
 目鼻立ちの整った、けれど、どこかあどけなさの残る男性の出現に、彼女は一瞬言葉を失う。

「帰らないで、柚姫さん。貴女に会うために、僕は来たんだから」

「え……?」

 男性の発言に、柚姫の警戒心はより強くなる。すると、今度は彩佳が声を上げた。

「すみません、柚姫さん。ちゃんとご説明してなくて……」

 彩佳の言葉に、男性は驚いた様子を見せる。

「え……じゃあ、柚姫さんは何も……?」

「はい……社長がご自分で説明なさるとのことで、私からは何も……」

 どうやら、目の前の男性と彩佳は知り合いらしい。そして、どうやら柚姫の父とも。

「……今日の食事は、お見合いの口実ってこと?」

「いえ、それは……」

 低い声で問う柚姫を、彩佳が心配そうに見つめてくる。その視線から逃れるように俯いた柚姫は、唇を噛み締める。裏切られたような気分から、だんだんとバカバカしくなってきた。

「そういうこと……すみませんが、私、お見合いはしませんので」

 男性に向かいキッパリと告げると、柚姫は出口に向かって歩き出した。しかし、彼の脇をすり抜けたと思った次の瞬間、腕を捕まれ引き寄せられる。

「ちょっ……」

「プレゼント、気に入りましたか?」

 頭上で聞こえた低めの声に、思わず顔を上げる。すると、優しい眼差しが柚姫に向けられていた。

「よく似合ってます。サイズもちょうど良かったみたいで、良かった。さすが棚橋さんの情報ですね」

「っ、まさかこれ……」

 よく見れば、彼が締めているネクタイは柚姫が着ているワンピースと同じサーモンピンク。彼女の視線でそれに気付いたことを悟り、彼は照れたように笑った。

「この年でピンクは恥ずかしかったけど、柚姫さんにはピンクしかないと思って」

 いつの間にか捕まれた腕は解放され、優しく腰を抱かれていた。そのことに気付き、慌てて柚姫が身を引くと、彼はちょっと残念そうな顔になった。

「あの、あなたは一体……」

 警戒心は消えない。でも、この人が誰なのか、どんな人なのか、それを知りたいという思いが柚姫の中に生まれた。

「僕は四條仁彦しじょうきみひこ……あなたの許嫁です」

「は……?」

 開いた口が塞がらないとは、まさにこのことか。そんな間抜けな状態の柚姫の姿に、仁彦は何故か嬉しそうに笑った。
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