狐に嫁入りいたします。

鈴屋埜猫

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十二

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 由奈が山奥に隠された天狐の里に来て、五日が経った。相変わらず、由奈が目を覚ますと暁の姿はなく、着替えを持って起こしに来た柚葉と、日中は綾野の部屋で過ごすという日々が続いていた。
 変わったことといえば、由奈も柚葉たちに混じって字の練習をし始めたこと。そして、まだ人語が話せない千夜に言葉を教えることが日常になったことだった。

「ちーよ」
「いーおっ」
「一文字づついこうか? はい、ちー」
「いー……いー?」
「ううん、ち。どういったらいいのかな……」

 祖母が産婆だったから、その手伝いで出産現場に立ち会うことはよくあった。だが、そこで見るのは生まれたての赤子。その子が成長して、祖母を訪ねてくることもあったが、みんな自然と言葉を覚えていく。母親は一生懸命教えていたのかもしれないが、その現場を見たことがない由奈は、どうやって言葉を覚えるものなのかと苦悩する。自分自身ですら、どうやって覚えたかなど分かりはしないのに。

「言葉って、難しいね……」

 早くも途方に暮れてしまった由奈に、千夜も一緒に肩を落とす。すると、側で由奈の変化の特訓に付き合っていた綾野が笑う。

「そう簡単にはいきませんでしょう。妾たちならともかく、千夜は元々普通の狐ですし、柚葉と違って人里近くに住んでいたわけではありませんもの」
「そういうので違ってくるんですか?」
「ある程度は。人里近くで、人の会話を見聞きしていた経験があると、話せずともある程度人語への理解があります。ですが、人里にあまり近寄ったことがなく、人語を聞く機会がないとなかなか難しいのです」
「そうなんだ……」
「千夜にたくさん話しかけてあげてくださいな。一言一言練習するより、まずは耳で覚えることからした方が良いかもしれません。あとは、千夜次第でしょう」

 意味ありげな綾野の視線に、千夜が俯く。そんな二人を柚葉が心配そうに見ているが、由奈には訳が分からなかった。
 すると、夜になって部屋へと向かう道中、手を引く柚葉がぽつりぽつりと話始めた。

「……千夜は、目の前で母御を亡くしたのです」
「え?」
「人間に、殺されました」

 湯殿では千夜も由奈の手伝いをしてくれる。手際はどちらかというと千夜の方がいいため、柚葉の手助けをする役割が主だ。コロコロと表情の変わる柚葉と違い、落ち着きのある子だと思っていたが、思えばあまり感情の起伏がないように思う。

「では、人間を恨んでいるのではないの……?」
「最初の頃は、綾野さまのことも怖がっていました。でも、綾野さまたちが天狐と知って安心したのか、すぐに落ち着いたのです。ここへ参ったのは私より後ではありましたが、変化や狐火を出すのは千夜の方が上手です」

 由奈はその言葉に内心、ああ、と納得する。最初に会った時、耳と尻尾が出たままだった柚葉に対して、千夜はまるで本当の人間の子供のようだった。そして長時間一緒にいると、一日の内、柚葉は何度か変化が解けてしまうが、千夜はこれまで一回もない。

「綾野さまがおっしゃるには、思いが強ければ強いほど、力も強くなると。私は人間が好きで、近付きたいという思いだけど、千夜は人間への怒りや憎しみが源になっています。人も私たち人ならざる者も、怒りや憎しみの方が強い」
「そう……でも、それなら千夜にとって、人間の私と接することは苦痛なんじゃ……」
「違います。だって、千夜は由奈さまといる時、楽しそうですもん」

 頭を振る柚葉の言葉に、由奈は首を傾げる。すると、柚葉はしまった、という表情になった。

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