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ジェロームはわずかに口角を上げ、不気味な雰囲気を漂わせました。
「いえいえベアトリス様。そのような大げさな話ではございません。ただこうして話しているうちに、思い出すこともあるだろうかと……ええ」
「そうねえ…………」
私はエルキュールの嫌なところをなるべく思い出すようにしました。でも、意識すればするほど、逆に結婚したての頃の思い出が蘇ってきたりして、嫌になりました。
振り返ってみると……もう今ではありえませんが……信じていたときもあったんだなって。
この人の妻になろう、この人を好きになろう、この人を支えていこうって、決意したときもあったんだなって。
普段だったら簡単に思い出せる辛い過去が、なかなか出てきません。むしろ楽しかった思い出のほうが私の心をチクチクと刺してきます。どれだけあの人のことを……信じていたか……。
次に思い出したのは、最後に会った日のことです。被害者の家族に謝ったばかりのエルキュールは、まるで自分が被害者のような顔をしていました。私に対して(お前のせいで僕はこんなに謝らなくてはならないんだぞ)とでも言いたげな、非難に満ちた表情をしていました。
こういう種類の人間は、簡単に許してもらえないことがわかると、自分が被害者になり代われると思っているのです。
相手に謝罪が伝わらないからといって、被害者に転身できると思える神経が理解できません。心の底では悪いと思っていないからこそ、謝罪しなければならない自分が可哀想に見えてくるのでしょう。きもいから消えてしまえ。
(何か……もっとエルキュールを追い詰めるような……)
頭を抱えて悩み始めた私を見かねてか、ジェロームがうわずった声で言いました。
「ベアトリス様、無理なさらないで大丈夫です。申し訳ございません、突然変なことを申し上げて……。晩餐会や祈りの会も出席なされ、まだお疲れもとれていないでしょうに……」
”晩餐会”という言葉を聞いた瞬間、私の頭の中で緩んでいた一本の糸がピンと張りました。それはまるで深い海底から一気に浮上してくるような感覚で、すぐさま心全体が冷静さを取り戻しました。
「そうよ、思い出したわ! 晩餐会よ」
私が勢いをつけてジェロームに近づいたので、ジェロームはびっくりして背中を反らせました。
「ば、晩餐会で……何かございましたか?」
「カサンドラがいたの。ダスティン辺境伯の娘」
「ほう……それで?」
「あの女はね……平民のふりをして、エルキュールと関係を持っていたの。私が実際に城で見たのだから、間違いない。本人と話したときに、本人も認めてたからね」
「カサンドラ様……お名前だけは存じておりますが……おいくつなのですか?」
「正確な年齢は知らないけど、未成年よ。王立学院に通っているらしいから。たぶん、父親に隠れてうまいことエルキュールと逢瀬を重ねていたようね」
突如舞い降りてきたスキャンダルに対し、ジェロームの目には驚きと喜びが交錯しているようでした。そしてくすくすと笑う彼の口元から、新しい計画が動き始めることへの興奮が伝わってきました。
「ひひひ、ひひひひ。ベアトリス様。高貴な未婚女性……しかも未成年に手を出したとなると、これは大問題となりますな。ダスティン辺境伯も大物中の大物、楽しみです」
ふと部屋の鏡を見ると、そこにはジェロームの悪魔のような顔が映っていました。しかしそれに負けないくらい、私の顔もまた魔王のような笑みを浮かべていたのです。
自分のこのような顔を初めて見ました。他人から見ればきっと恐ろしい顔なのでしょうが、私にはこれ以上なく素晴らしい顔のように見えました。悪に染まった顔でもなく、悪に支配された顔でもありません。つまらない正義を脱ぎ捨てた私がいました。
月の薄明かりを反射する鏡の側へ近づくうちに、はっきりわかったことがあります。
それは……悪を見つけた途端に背を向ける程度の正義であれば、持っていても仕方がないということです。悪に立ち向かえない正義を持つくらいなら、悪に立ち向かえる悪を持つべきなのです。
逃げるだけの日々なんて、送らなくていい。
「あとはよきに計らいなさい」
「いえいえベアトリス様。そのような大げさな話ではございません。ただこうして話しているうちに、思い出すこともあるだろうかと……ええ」
「そうねえ…………」
私はエルキュールの嫌なところをなるべく思い出すようにしました。でも、意識すればするほど、逆に結婚したての頃の思い出が蘇ってきたりして、嫌になりました。
振り返ってみると……もう今ではありえませんが……信じていたときもあったんだなって。
この人の妻になろう、この人を好きになろう、この人を支えていこうって、決意したときもあったんだなって。
普段だったら簡単に思い出せる辛い過去が、なかなか出てきません。むしろ楽しかった思い出のほうが私の心をチクチクと刺してきます。どれだけあの人のことを……信じていたか……。
次に思い出したのは、最後に会った日のことです。被害者の家族に謝ったばかりのエルキュールは、まるで自分が被害者のような顔をしていました。私に対して(お前のせいで僕はこんなに謝らなくてはならないんだぞ)とでも言いたげな、非難に満ちた表情をしていました。
こういう種類の人間は、簡単に許してもらえないことがわかると、自分が被害者になり代われると思っているのです。
相手に謝罪が伝わらないからといって、被害者に転身できると思える神経が理解できません。心の底では悪いと思っていないからこそ、謝罪しなければならない自分が可哀想に見えてくるのでしょう。きもいから消えてしまえ。
(何か……もっとエルキュールを追い詰めるような……)
頭を抱えて悩み始めた私を見かねてか、ジェロームがうわずった声で言いました。
「ベアトリス様、無理なさらないで大丈夫です。申し訳ございません、突然変なことを申し上げて……。晩餐会や祈りの会も出席なされ、まだお疲れもとれていないでしょうに……」
”晩餐会”という言葉を聞いた瞬間、私の頭の中で緩んでいた一本の糸がピンと張りました。それはまるで深い海底から一気に浮上してくるような感覚で、すぐさま心全体が冷静さを取り戻しました。
「そうよ、思い出したわ! 晩餐会よ」
私が勢いをつけてジェロームに近づいたので、ジェロームはびっくりして背中を反らせました。
「ば、晩餐会で……何かございましたか?」
「カサンドラがいたの。ダスティン辺境伯の娘」
「ほう……それで?」
「あの女はね……平民のふりをして、エルキュールと関係を持っていたの。私が実際に城で見たのだから、間違いない。本人と話したときに、本人も認めてたからね」
「カサンドラ様……お名前だけは存じておりますが……おいくつなのですか?」
「正確な年齢は知らないけど、未成年よ。王立学院に通っているらしいから。たぶん、父親に隠れてうまいことエルキュールと逢瀬を重ねていたようね」
突如舞い降りてきたスキャンダルに対し、ジェロームの目には驚きと喜びが交錯しているようでした。そしてくすくすと笑う彼の口元から、新しい計画が動き始めることへの興奮が伝わってきました。
「ひひひ、ひひひひ。ベアトリス様。高貴な未婚女性……しかも未成年に手を出したとなると、これは大問題となりますな。ダスティン辺境伯も大物中の大物、楽しみです」
ふと部屋の鏡を見ると、そこにはジェロームの悪魔のような顔が映っていました。しかしそれに負けないくらい、私の顔もまた魔王のような笑みを浮かべていたのです。
自分のこのような顔を初めて見ました。他人から見ればきっと恐ろしい顔なのでしょうが、私にはこれ以上なく素晴らしい顔のように見えました。悪に染まった顔でもなく、悪に支配された顔でもありません。つまらない正義を脱ぎ捨てた私がいました。
月の薄明かりを反射する鏡の側へ近づくうちに、はっきりわかったことがあります。
それは……悪を見つけた途端に背を向ける程度の正義であれば、持っていても仕方がないということです。悪に立ち向かえない正義を持つくらいなら、悪に立ち向かえる悪を持つべきなのです。
逃げるだけの日々なんて、送らなくていい。
「あとはよきに計らいなさい」
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