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ナディエは私の手を握りながら答えました。
「わたくしのほうから『連れて行ってください』とお願いするつもりでした。どこまでも、付いていきます」
私もナディエの手を握り返し、目を見ながら何度もうなずきました。一人の信頼できる人がいるだけで、どれほど心強くなることでしょう。
これまで私はもちろんナディエを大切に思い、接してきたつもりです。でも、城を出てまで付いてきてくれるという決断をした彼女のことが、さらに愛しくなりました。こうして離縁する未来があるなら、もっとナディエにひいきしてあげればよかったと後悔しました。ないものを追い求めて労力を費やしてきたわりに、すでにあるものに対して労力を割かなかった私でしたが、失う前に気づけて幸いでした。
城で起きていたこと、メリッサとの会話、エルキュールとの一連のやり取りをナディエに聞かせると、次にナディエは街の宿を紹介してくれました。
もう城には帰れません。今晩は宿を取り、明日の祈りの会に備えます。明日からのことは……明日考える……というスタンスです。
「そういえば、クラウディアとフローラも買い出しに来てるんでしょ?」
ふとメリッサとの会話を思い出した私は、宿を去ろうとするナディエにこう尋ねました。
「そうです。まもなく合流して一緒に城に戻ります。わたくしはその後、メリッサ様に話をしてお暇をいただき、奥様の荷物と自分の荷物をまとめます。今晩遅くになると思いますが、またこの宿まで参りますのでご安心ください」
「わかったわ。何から何まですまないわね。いちおうお金は持ってきたから、心配いらないわ。当分大丈夫なはず。あとは実家に相談するなり妹に相談するなり、絶対になんとかするから」
いろいろと段取りを考えて緊張していたナディエでしたが、笑顔を見せてくれました。
「ありがとうございます。きっと上手くいきますよ。祈りの会が、奥様の新しいスタートとなる予感がします」
ナディエと別れた後、私は宿の二階の部屋で横になりました。思ったよりも上等なベッドで、シーツは綺麗に洗濯されており、とても有り難かったです。まだ日は暮れていませんが、何日分も疲れたような気がしていたので、知らぬ間に眠りに落ちていました。
起きると日が暮れていて、数時間は寝たでしょうか。階下へ行くと、宿の主人ゲラルトが「お休みになれましたか?」と尋ねてきました。
「ええ、ぐっすり寝られたわ。こんなに深く寝たのはいつぶりでしょう。ありがとう」
「それはよかったです。城とは違いご不便をおかけしますが、こんな宿でよければご自由にお使いください」
ゲラルトはおそらくナディエと同じ年代くらいの人で、優しそうな初老の男性です。家族でこの宿を経営しているようで、奥様も隣で温かく迎えてくれました。
「ベアトリス様。お初にお目にかかります。午後は外に出ておりまして、自己紹介ができず失礼致しました。わたしはゲラルトの妻で、エルザと申します」
「ご丁寧にありがとう。突然泊まることになって、迷惑をかけたわね。ナディエとは古い付き合いなの?」
「はい。わたしがゲラルトの妻になり、この宿を手伝い始めてからですので、かれこれ三十年以上になります。ナディエとは今でもたまに芝居を観に行ったり、王家の城下町へ買い物に出たりしますよ」
私はこれを聞いたとき、ナディエにはナディエの人間関係があるという、いたって当たり前の事実を目の当たりにしました。私に付いていくということは、ナディエの人生に大きく影響を与えるということであり、それは必然的に、ある人たちとの別れをも意味するのです。
むろん、環境が変わってもまた会うことはできるでしょうし、大げさに考える必要がないことだってあります。でも、何気なく友人に会ったあの日が、人生で最後に会った日へと転じてしまう水平線を、どのようにして私たちは知ることができるでしょうか。かけがえのない思い出に、気づけば訪れている切なさを加えるのはある意味定めなのかもしれません。でも、運命の分岐点に立っていると自覚できるときにあってもなお、その切なさを、前に進まなくてはならない人間の残り香にしてしまってよいものなのかと、目の前にいる夫婦の包み込むような笑顔を見て思うのでした。
「わたくしのほうから『連れて行ってください』とお願いするつもりでした。どこまでも、付いていきます」
私もナディエの手を握り返し、目を見ながら何度もうなずきました。一人の信頼できる人がいるだけで、どれほど心強くなることでしょう。
これまで私はもちろんナディエを大切に思い、接してきたつもりです。でも、城を出てまで付いてきてくれるという決断をした彼女のことが、さらに愛しくなりました。こうして離縁する未来があるなら、もっとナディエにひいきしてあげればよかったと後悔しました。ないものを追い求めて労力を費やしてきたわりに、すでにあるものに対して労力を割かなかった私でしたが、失う前に気づけて幸いでした。
城で起きていたこと、メリッサとの会話、エルキュールとの一連のやり取りをナディエに聞かせると、次にナディエは街の宿を紹介してくれました。
もう城には帰れません。今晩は宿を取り、明日の祈りの会に備えます。明日からのことは……明日考える……というスタンスです。
「そういえば、クラウディアとフローラも買い出しに来てるんでしょ?」
ふとメリッサとの会話を思い出した私は、宿を去ろうとするナディエにこう尋ねました。
「そうです。まもなく合流して一緒に城に戻ります。わたくしはその後、メリッサ様に話をしてお暇をいただき、奥様の荷物と自分の荷物をまとめます。今晩遅くになると思いますが、またこの宿まで参りますのでご安心ください」
「わかったわ。何から何まですまないわね。いちおうお金は持ってきたから、心配いらないわ。当分大丈夫なはず。あとは実家に相談するなり妹に相談するなり、絶対になんとかするから」
いろいろと段取りを考えて緊張していたナディエでしたが、笑顔を見せてくれました。
「ありがとうございます。きっと上手くいきますよ。祈りの会が、奥様の新しいスタートとなる予感がします」
ナディエと別れた後、私は宿の二階の部屋で横になりました。思ったよりも上等なベッドで、シーツは綺麗に洗濯されており、とても有り難かったです。まだ日は暮れていませんが、何日分も疲れたような気がしていたので、知らぬ間に眠りに落ちていました。
起きると日が暮れていて、数時間は寝たでしょうか。階下へ行くと、宿の主人ゲラルトが「お休みになれましたか?」と尋ねてきました。
「ええ、ぐっすり寝られたわ。こんなに深く寝たのはいつぶりでしょう。ありがとう」
「それはよかったです。城とは違いご不便をおかけしますが、こんな宿でよければご自由にお使いください」
ゲラルトはおそらくナディエと同じ年代くらいの人で、優しそうな初老の男性です。家族でこの宿を経営しているようで、奥様も隣で温かく迎えてくれました。
「ベアトリス様。お初にお目にかかります。午後は外に出ておりまして、自己紹介ができず失礼致しました。わたしはゲラルトの妻で、エルザと申します」
「ご丁寧にありがとう。突然泊まることになって、迷惑をかけたわね。ナディエとは古い付き合いなの?」
「はい。わたしがゲラルトの妻になり、この宿を手伝い始めてからですので、かれこれ三十年以上になります。ナディエとは今でもたまに芝居を観に行ったり、王家の城下町へ買い物に出たりしますよ」
私はこれを聞いたとき、ナディエにはナディエの人間関係があるという、いたって当たり前の事実を目の当たりにしました。私に付いていくということは、ナディエの人生に大きく影響を与えるということであり、それは必然的に、ある人たちとの別れをも意味するのです。
むろん、環境が変わってもまた会うことはできるでしょうし、大げさに考える必要がないことだってあります。でも、何気なく友人に会ったあの日が、人生で最後に会った日へと転じてしまう水平線を、どのようにして私たちは知ることができるでしょうか。かけがえのない思い出に、気づけば訪れている切なさを加えるのはある意味定めなのかもしれません。でも、運命の分岐点に立っていると自覚できるときにあってもなお、その切なさを、前に進まなくてはならない人間の残り香にしてしまってよいものなのかと、目の前にいる夫婦の包み込むような笑顔を見て思うのでした。
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