22 / 48
22
しおりを挟む
ナディエは私の手を握りながら答えました。
「わたくしのほうから『連れて行ってください』とお願いするつもりでした。どこまでも、付いていきます」
私もナディエの手を握り返し、目を見ながら何度もうなずきました。一人の信頼できる人がいるだけで、どれほど心強くなることでしょう。
これまで私はもちろんナディエを大切に思い、接してきたつもりです。でも、城を出てまで付いてきてくれるという決断をした彼女のことが、さらに愛しくなりました。こうして離縁する未来があるなら、もっとナディエにひいきしてあげればよかったと後悔しました。ないものを追い求めて労力を費やしてきたわりに、すでにあるものに対して労力を割かなかった私でしたが、失う前に気づけて幸いでした。
城で起きていたこと、メリッサとの会話、エルキュールとの一連のやり取りをナディエに聞かせると、次にナディエは街の宿を紹介してくれました。
もう城には帰れません。今晩は宿を取り、明日の祈りの会に備えます。明日からのことは……明日考える……というスタンスです。
「そういえば、クラウディアとフローラも買い出しに来てるんでしょ?」
ふとメリッサとの会話を思い出した私は、宿を去ろうとするナディエにこう尋ねました。
「そうです。まもなく合流して一緒に城に戻ります。わたくしはその後、メリッサ様に話をしてお暇をいただき、奥様の荷物と自分の荷物をまとめます。今晩遅くになると思いますが、またこの宿まで参りますのでご安心ください」
「わかったわ。何から何まですまないわね。いちおうお金は持ってきたから、心配いらないわ。当分大丈夫なはず。あとは実家に相談するなり妹に相談するなり、絶対になんとかするから」
いろいろと段取りを考えて緊張していたナディエでしたが、笑顔を見せてくれました。
「ありがとうございます。きっと上手くいきますよ。祈りの会が、奥様の新しいスタートとなる予感がします」
ナディエと別れた後、私は宿の二階の部屋で横になりました。思ったよりも上等なベッドで、シーツは綺麗に洗濯されており、とても有り難かったです。まだ日は暮れていませんが、何日分も疲れたような気がしていたので、知らぬ間に眠りに落ちていました。
起きると日が暮れていて、数時間は寝たでしょうか。階下へ行くと、宿の主人ゲラルトが「お休みになれましたか?」と尋ねてきました。
「ええ、ぐっすり寝られたわ。こんなに深く寝たのはいつぶりでしょう。ありがとう」
「それはよかったです。城とは違いご不便をおかけしますが、こんな宿でよければご自由にお使いください」
ゲラルトはおそらくナディエと同じ年代くらいの人で、優しそうな初老の男性です。家族でこの宿を経営しているようで、奥様も隣で温かく迎えてくれました。
「ベアトリス様。お初にお目にかかります。午後は外に出ておりまして、自己紹介ができず失礼致しました。わたしはゲラルトの妻で、エルザと申します」
「ご丁寧にありがとう。突然泊まることになって、迷惑をかけたわね。ナディエとは古い付き合いなの?」
「はい。わたしがゲラルトの妻になり、この宿を手伝い始めてからですので、かれこれ三十年以上になります。ナディエとは今でもたまに芝居を観に行ったり、王家の城下町へ買い物に出たりしますよ」
私はこれを聞いたとき、ナディエにはナディエの人間関係があるという、いたって当たり前の事実を目の当たりにしました。私に付いていくということは、ナディエの人生に大きく影響を与えるということであり、それは必然的に、ある人たちとの別れをも意味するのです。
むろん、環境が変わってもまた会うことはできるでしょうし、大げさに考える必要がないことだってあります。でも、何気なく友人に会ったあの日が、人生で最後に会った日へと転じてしまう水平線を、どのようにして私たちは知ることができるでしょうか。かけがえのない思い出に、気づけば訪れている切なさを加えるのはある意味定めなのかもしれません。でも、運命の分岐点に立っていると自覚できるときにあってもなお、その切なさを、前に進まなくてはならない人間の残り香にしてしまってよいものなのかと、目の前にいる夫婦の包み込むような笑顔を見て思うのでした。
「わたくしのほうから『連れて行ってください』とお願いするつもりでした。どこまでも、付いていきます」
私もナディエの手を握り返し、目を見ながら何度もうなずきました。一人の信頼できる人がいるだけで、どれほど心強くなることでしょう。
これまで私はもちろんナディエを大切に思い、接してきたつもりです。でも、城を出てまで付いてきてくれるという決断をした彼女のことが、さらに愛しくなりました。こうして離縁する未来があるなら、もっとナディエにひいきしてあげればよかったと後悔しました。ないものを追い求めて労力を費やしてきたわりに、すでにあるものに対して労力を割かなかった私でしたが、失う前に気づけて幸いでした。
城で起きていたこと、メリッサとの会話、エルキュールとの一連のやり取りをナディエに聞かせると、次にナディエは街の宿を紹介してくれました。
もう城には帰れません。今晩は宿を取り、明日の祈りの会に備えます。明日からのことは……明日考える……というスタンスです。
「そういえば、クラウディアとフローラも買い出しに来てるんでしょ?」
ふとメリッサとの会話を思い出した私は、宿を去ろうとするナディエにこう尋ねました。
「そうです。まもなく合流して一緒に城に戻ります。わたくしはその後、メリッサ様に話をしてお暇をいただき、奥様の荷物と自分の荷物をまとめます。今晩遅くになると思いますが、またこの宿まで参りますのでご安心ください」
「わかったわ。何から何まですまないわね。いちおうお金は持ってきたから、心配いらないわ。当分大丈夫なはず。あとは実家に相談するなり妹に相談するなり、絶対になんとかするから」
いろいろと段取りを考えて緊張していたナディエでしたが、笑顔を見せてくれました。
「ありがとうございます。きっと上手くいきますよ。祈りの会が、奥様の新しいスタートとなる予感がします」
ナディエと別れた後、私は宿の二階の部屋で横になりました。思ったよりも上等なベッドで、シーツは綺麗に洗濯されており、とても有り難かったです。まだ日は暮れていませんが、何日分も疲れたような気がしていたので、知らぬ間に眠りに落ちていました。
起きると日が暮れていて、数時間は寝たでしょうか。階下へ行くと、宿の主人ゲラルトが「お休みになれましたか?」と尋ねてきました。
「ええ、ぐっすり寝られたわ。こんなに深く寝たのはいつぶりでしょう。ありがとう」
「それはよかったです。城とは違いご不便をおかけしますが、こんな宿でよければご自由にお使いください」
ゲラルトはおそらくナディエと同じ年代くらいの人で、優しそうな初老の男性です。家族でこの宿を経営しているようで、奥様も隣で温かく迎えてくれました。
「ベアトリス様。お初にお目にかかります。午後は外に出ておりまして、自己紹介ができず失礼致しました。わたしはゲラルトの妻で、エルザと申します」
「ご丁寧にありがとう。突然泊まることになって、迷惑をかけたわね。ナディエとは古い付き合いなの?」
「はい。わたしがゲラルトの妻になり、この宿を手伝い始めてからですので、かれこれ三十年以上になります。ナディエとは今でもたまに芝居を観に行ったり、王家の城下町へ買い物に出たりしますよ」
私はこれを聞いたとき、ナディエにはナディエの人間関係があるという、いたって当たり前の事実を目の当たりにしました。私に付いていくということは、ナディエの人生に大きく影響を与えるということであり、それは必然的に、ある人たちとの別れをも意味するのです。
むろん、環境が変わってもまた会うことはできるでしょうし、大げさに考える必要がないことだってあります。でも、何気なく友人に会ったあの日が、人生で最後に会った日へと転じてしまう水平線を、どのようにして私たちは知ることができるでしょうか。かけがえのない思い出に、気づけば訪れている切なさを加えるのはある意味定めなのかもしれません。でも、運命の分岐点に立っていると自覚できるときにあってもなお、その切なさを、前に進まなくてはならない人間の残り香にしてしまってよいものなのかと、目の前にいる夫婦の包み込むような笑顔を見て思うのでした。
205
お気に入りに追加
813
あなたにおすすめの小説

幼馴染がそんなに良いなら、婚約解消いたしましょうか?
ルイス
恋愛
「アーチェ、君は明るいのは良いんだけれど、お淑やかさが足りないと思うんだ。貴族令嬢であれば、もっと気品を持ってだね。例えば、ニーナのような……」
「はあ……なるほどね」
伯爵令嬢のアーチェと伯爵令息のウォーレスは幼馴染であり婚約関係でもあった。
彼らにはもう一人、ニーナという幼馴染が居た。
アーチェはウォーレスが性格面でニーナと比べ過ぎることに辟易し、婚約解消を申し出る。
ウォーレスも納得し、婚約解消は無事に成立したはずだったが……。
ウォーレスはニーナのことを大切にしながらも、アーチェのことも忘れられないと言って来る始末だった……。
あなたが選んだのは私ではありませんでした 裏切られた私、ひっそり姿を消します
矢野りと
恋愛
旧題:贖罪〜あなたが選んだのは私ではありませんでした〜
言葉にして結婚を約束していたわけではないけれど、そうなると思っていた。
お互いに気持ちは同じだと信じていたから。
それなのに恋人は別れの言葉を私に告げてくる。
『すまない、別れて欲しい。これからは俺がサーシャを守っていこうと思っているんだ…』
サーシャとは、彼の亡くなった同僚騎士の婚約者だった人。
愛している人から捨てられる形となった私は、誰にも告げずに彼らの前から姿を消すことを選んだ。
里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます
結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります>
政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

真実の愛のお相手様と仲睦まじくお過ごしください
LIN
恋愛
「私には真実に愛する人がいる。私から愛されるなんて事は期待しないでほしい」冷たい声で男は言った。
伯爵家の嫡男ジェラルドと同格の伯爵家の長女マーガレットが、互いの家の共同事業のために結ばれた婚約期間を経て、晴れて行われた結婚式の夜の出来事だった。
真実の愛が尊ばれる国で、マーガレットが周囲の人を巻き込んで起こす色んな出来事。
(他サイトで載せていたものです。今はここでしか載せていません。今まで読んでくれた方で、見つけてくれた方がいましたら…ありがとうございます…)
(1月14日完結です。設定変えてなかったらすみません…)


冷遇する婚約者に、冷たさをそのままお返しします。
ねむたん
恋愛
貴族の娘、ミーシャは婚約者ヴィクターの冷酷な仕打ちによって自信と感情を失い、無感情な仮面を被ることで自分を守るようになった。エステラ家の屋敷と庭園の中で静かに過ごす彼女の心には、怒りも悲しみも埋もれたまま、何も感じない日々が続いていた。
事なかれ主義の両親の影響で、エステラ家の警備はガバガバですw

妻を蔑ろにしていた結果。
下菊みこと
恋愛
愚かな夫が自業自得で後悔するだけ。妻は結果に満足しています。
主人公は愛人を囲っていた。愛人曰く妻は彼女に嫌がらせをしているらしい。そんな性悪な妻が、屋敷の最上階から身投げしようとしていると報告されて急いで妻のもとへ行く。
小説家になろう様でも投稿しています。

政略結婚だからと諦めていましたが、離縁を決めさせていただきました
あおくん
恋愛
父が決めた結婚。
顔を会わせたこともない相手との結婚を言い渡された私は、反論することもせず政略結婚を受け入れた。
これから私の家となるディオダ侯爵で働く使用人たちとの関係も良好で、旦那様となる義両親ともいい関係を築けた私は今後上手くいくことを悟った。
だが婚姻後、初めての初夜で旦那様から言い渡されたのは「白い結婚」だった。
政略結婚だから最悪愛を求めることは考えてはいなかったけれど、旦那様がそのつもりなら私にも考えがあります。
どうか最後まで、その強気な態度を変えることがないことを、祈っておりますわ。
※いつものゆるふわ設定です。拙い文章がちりばめられています。
最後はハッピーエンドで終えます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる