浮気くらいで騒ぐなとおっしゃるなら、そのとおり従ってあげましょう。

Hibah

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ナディエを探しに街に出ると、何やら人だかりができていて、遠くから男性の怒鳴り声が聞こえてきました。



「金の問題じゃあねえっつってんだよ! 城に帰れ!」



野次馬たちの後ろを通り過ぎようとしていた私でしたが、”城”という言葉に反応して、立ち止まってしまいました。



(誰か事件に巻き込まれているんじゃないかしら……)



「何とか頼む! これじゃあ足りないか? いくらなら満足するんだ? いくら欲しいんだ?」



聞き覚えのある声にはっとして、私は野次馬たちの間を縫って進みました。

なんとそこには、膝をついて男にしがみつく夫がいました。民家の玄関口でしきりにお願いしているようで、いまにも泣きそうな、悲痛な声でした。

しかし男はかたくなな態度を取っているようです。

「エルキュール様……やめてください。俺はあんたが許せない。嫁の心の傷は一生癒えないんだから」

男は夫の手を力いっぱい振り払いました。憎悪に満ちた顔で夫を睨んでいます。

夫は勢いに圧され倒れ込み、四つん這いのような体勢になりました。その後立ち上がると、手と膝のホコリを払い、睨み返しました。



「こっちから下手に出てやったのに、調子乗りやがって!」



夫の逆ギレを聞いて、家の中に戻ろうとしていた男が振り返りました。軽蔑のまなざしを向けています。

「やっぱり貴族なんてそんなもんだ。俺たち平民の気持ちなんてわかりゃしない」

「あのな、言っておくぞ。まず金に釣られて城まで来たのは、お前の女の責任だ。僕は決して無理強いしていない」

男は一瞬だけ言葉を失いました。彼の目には、夫の反論に対する驚きと、未消化の怒りが混じり合っていました。

「嘘だな。無理やりされたって言ってたぞ」

「女だって浮気がバレたとなると、そう言い訳するに決まってるじゃないか。お小遣い欲しさに抱かれに行きましたとか、好奇心で城に行ってみたかったですとか、言うわけないだろ? 旦那のお前に怒られたくないから、足りない頭を絞って騙してるんだよ」

「……くっ。人様の嫁を”足りない頭”とか言うなよ」

「すまない、悪く言うつもりはなかった。君の奥さんは、素晴らしい女性だ。愛情が深い」

「……?」

「いかにも金の支配下におかれた女が多いなかで、君の奥さんは違った。金で動いたのは事実だが、金はきっかけにすぎなかった。金を超えた、人間愛があったよ。僕のように哀れな男の心には、それが染みた」

男はしばらく夫の言葉を黙って聞いていましたが、ある瞬間、思い立ったように殴りかかりました。夫はたじろぎもせず覚悟を決めていたようでしたが、さすがに夫の護衛が男の拳を止めました。

「手を出すな! 僕は殴られてもかまわないんだ」夫は護衛に命じます。

男を捕縛するように動いていた護衛は「……エルキュール様……この男は……」と反論しようとしました。しかし、やがて夫の目が本気だと悟ると、男を解放し、夫の後ろへ控えます。

男は掴まれていた手をさすりながら、目を伏せたまま家の中に入りました。玄関の扉が閉まると同時に、野次馬たちも離れて行きます。



「あなた……」



私の声に反応した夫が、首を素早く回してこちらを向きました。

「どうして君が……ここにいる?」

「私のことよりも……何をなさっているのですか?」

「嫌味を言いに来たのか? 馬鹿にしに来たのか?」

「そんなことしたってしょうがないでしょう」

「……何って、見てたのならわかるだろ。今まで抱いた女の家にまで行って、一軒一軒詫びを入れているんだ。王家の調査が数日中には入るだろうからな、それまでに和解を成立させておく」

「そうですか、最低限の防衛ラインということですね」

「ふん……。家の存続がかかっているからな。恥を恐れている場合ではない。和解しているなら、王家でもそれ以上の追求はしないはずだ」

「あなた自身は……不本意なのですか?」

「不本意に決まっているだろう。誰ひとりとして、無理やり連れて行った女はいない。全部合意の上だったんだ。金銭を得た者にも、金銭を拒んだ者にも、その意思を尊重していた。それなのに……女どもは風向きが変わると、一転して被害者面をはじめやがった。平民というのは概して卑しい心を持っている」

「あなたが領主だから、権力を恐れて従った女もいるのではないですか? 拒めばどんな目に合うかわからないと不安になって」

「そういう女だっているかもしれないが、じゃあ領主たる僕は一人の人間として人を好きになってはいけないのか?」

「私という妻がいるでしょう」

「じゃあ聞くが、君は妻になった瞬間、人を好きになることはなくなったのか? 君がどんな恋愛をしてきたのか知らないが……今まで恋愛をしてきた人間が、結婚しただけで恋愛をしなくなるというのか? 僕にはむしろそれが理解できない。結婚なんて、王家への提出書類で済む話ではないか」

「少なくとも私は、あなただけを見るように意識してきました。人を好きにならないというわけではなく、よそ見をすればなびく弱い心だからこそ、あえて視界を狭めたのです」

「……。そうか。まあ、納得できないまでも、君の主張自体は認めよう。何の用事で街まで来たか知らんが、二度と城には帰って来るな。離縁の準備も並行して進めている」
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