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「やっと見つけた! 探したのよ」
城内へ入ろうとしていたメリッサを呼び止めました。
相変わらず今日もお化粧が濃く、魔女のような迫力があります。そびえ立つ大木のように長身なので、目の前に立つと、なおのこと圧倒されます。
はっきり言って私たちは仲良くありません。私がエルキュールと結婚し城内で暮らし始めたときから、メリッサは私を目の敵にしているかのようでした。エルキュールの父が生きていた頃に侍従長になり、城全体の管理を任されるようになった彼女は、エルキュールの代になって性格が変わったそうです。おとなしかった彼女が冷酷な魔女のようになった理由はわかりませんが、はじめからこちらを憎んでくる相手をどうして好きになれましょうか。
「あら奥様。帰っていらしたのですね。お迎えにも上がらず申し訳ございません」
メリッサは正面に立った私を見下ろすようにして、低く渇いた声で言い放ちました。申し訳ないという気持ちが一ミリもないのであれば、かたちだけの謝罪なんてしなくていいのに。
「誰も口をきいてくれないんだけど、どういうこと? メリッサが指示を出したんでしょ!?」
素知らぬ顔をしたメリッサがわざとらしく首をかしげます。
「おかしいですね、奥様が無視されるなんて。申し訳ございません、わたくしの教育の不行き届きで」
「ねえ……思ってもないことをごちゃごちゃ言わなくていいわ。私の部屋が荒らされてるのよ、知ってるでしょ? あなたが掃除しなさい」
私が厳しく命じたことに驚いたのか、メリッサは面食らった顔をしていました。そういえば老婆に術をかけてもらって以来、メリッサとこうして話すのは初めてでした。感情を喪失した人間の怖さを思い知るがいいわ。
「皆から嫌われるようなことをなさったから、皆に無視されるのでしょう。奥様――身に覚えがあるのではないですか? 自業自得です」
「恥じるようなことは何もしてないわ。恥じるべきはあなたたちよ。人を無視したり、人がいない間に部屋を荒らしたり……。やり方が姑息なのよ」
メリッサは顔を背けてはいましたが、「ちっ」と舌打ちをしました。そしてうざそうにまた私の顔を見つめると、
「エルキュール様から話は聞きました。領内、そしてうちの城に、王家の調査が入るらしいですね。どこかの愚かな奥様のせいで……わたくしたちが長年守ってきた城が汚されるのです」
と言った後、両手で頭を抱えて「あぁ……想像するだけでもおぞましい……」とつぶやきました。
「そもそもの原因はあの人でしょ。王家に陳情書が寄せられたそうよ。私が言わなくたって、そのうちこうなっていたわ」
メリッサは目を見開いて、納得した表情をしました。それは私に対する同意ではありません。かねてより私に抱いていた嫌悪感の正体がやっと現れたとでも言いたいかのようでした。
「奥様は何もわかってらっしゃらない。いつも自分のことばかり……。王家に何百枚陳情書が届こうが、わたくしたちに何の関係がありましょう? わたくしたちの役目は……いえ、わたくしの役目は、城を守り家を守り――使用人を守ることです」
メリッサが言っていることは、間違っていません。むしろ、正しいようにしか聞こえないでしょう。私だって、皆と平穏無事に暮らしていられるなら、そうしたかった。でも、私は追い詰められていました。生きていくためには、今の私以外の私では無理だったのです。命を絶たずになんとか生きてこられた今を否定できるほど、私の心は強くありません。
私はメリッサの顔を食い入るように見つめ、そのたくましい顎に自分の鼻がくっつきそうなほど迫りました。
「だったらどうして! どうしてあの人の危ない浮気を見逃し続けたの? 私のことを――自分のことばかり考える人間だってわかってるなら、もっと早く手を打つことだってできたでしょ? ……侍従長のあなただったら……」
メリッサは何も言わず、目を伏せています。
私は一歩、二歩と下がって、メリッサを見つめました。
しばらくの沈黙の後、歯を食いしばるようにしていたメリッサが口を開きました。
「奥様は……ナディエと出かけたあの日から、お変わりになりましたね。今の奥様だったら、わたくしも……いや、もう過ぎたことです、やめましょう」
メリッサの表情が曇りました。私はこのとき初めて、メリッサの人間らしい姿を見たように思います。失礼な言い方ですが、実際そうなのです。感情を失った今となって、どうしてメリッサの心の動きが手に取るようにわかるのでしょう。感情に振り回されるままに生きていたあの日々が、感情への理解から最も遠い山だったなんて、失いつつある城でメリッサと向き合う私には、あまりにも皮肉なことでした。
「ごめんね、私も言い過ぎたわ。あなたはあなたで、必死だったのよね」
「……」
「そういえば、ナディエはどこ?」
「ナディエは今日は買い物の当番ですので、街に出ております。何かと備えが必要だと思いますので、クラウディアとフローラも付いております」
「教えてくれてありがとう」
「いえ、こちらこそ申し訳ありませんでした。今日は別の部屋を用意させますので、そちらでお休みください。あの部屋は……奥様の仰せのとおり、わたくしが掃除します」
「そういえば……私が引き出しに入れてたもの……知ってる?」
「引き出し……ですか?」
「なんでもないわ! ありがとう」
メリッサは茶色の袋の存在を知らないようでした。
城内へ入ろうとしていたメリッサを呼び止めました。
相変わらず今日もお化粧が濃く、魔女のような迫力があります。そびえ立つ大木のように長身なので、目の前に立つと、なおのこと圧倒されます。
はっきり言って私たちは仲良くありません。私がエルキュールと結婚し城内で暮らし始めたときから、メリッサは私を目の敵にしているかのようでした。エルキュールの父が生きていた頃に侍従長になり、城全体の管理を任されるようになった彼女は、エルキュールの代になって性格が変わったそうです。おとなしかった彼女が冷酷な魔女のようになった理由はわかりませんが、はじめからこちらを憎んでくる相手をどうして好きになれましょうか。
「あら奥様。帰っていらしたのですね。お迎えにも上がらず申し訳ございません」
メリッサは正面に立った私を見下ろすようにして、低く渇いた声で言い放ちました。申し訳ないという気持ちが一ミリもないのであれば、かたちだけの謝罪なんてしなくていいのに。
「誰も口をきいてくれないんだけど、どういうこと? メリッサが指示を出したんでしょ!?」
素知らぬ顔をしたメリッサがわざとらしく首をかしげます。
「おかしいですね、奥様が無視されるなんて。申し訳ございません、わたくしの教育の不行き届きで」
「ねえ……思ってもないことをごちゃごちゃ言わなくていいわ。私の部屋が荒らされてるのよ、知ってるでしょ? あなたが掃除しなさい」
私が厳しく命じたことに驚いたのか、メリッサは面食らった顔をしていました。そういえば老婆に術をかけてもらって以来、メリッサとこうして話すのは初めてでした。感情を喪失した人間の怖さを思い知るがいいわ。
「皆から嫌われるようなことをなさったから、皆に無視されるのでしょう。奥様――身に覚えがあるのではないですか? 自業自得です」
「恥じるようなことは何もしてないわ。恥じるべきはあなたたちよ。人を無視したり、人がいない間に部屋を荒らしたり……。やり方が姑息なのよ」
メリッサは顔を背けてはいましたが、「ちっ」と舌打ちをしました。そしてうざそうにまた私の顔を見つめると、
「エルキュール様から話は聞きました。領内、そしてうちの城に、王家の調査が入るらしいですね。どこかの愚かな奥様のせいで……わたくしたちが長年守ってきた城が汚されるのです」
と言った後、両手で頭を抱えて「あぁ……想像するだけでもおぞましい……」とつぶやきました。
「そもそもの原因はあの人でしょ。王家に陳情書が寄せられたそうよ。私が言わなくたって、そのうちこうなっていたわ」
メリッサは目を見開いて、納得した表情をしました。それは私に対する同意ではありません。かねてより私に抱いていた嫌悪感の正体がやっと現れたとでも言いたいかのようでした。
「奥様は何もわかってらっしゃらない。いつも自分のことばかり……。王家に何百枚陳情書が届こうが、わたくしたちに何の関係がありましょう? わたくしたちの役目は……いえ、わたくしの役目は、城を守り家を守り――使用人を守ることです」
メリッサが言っていることは、間違っていません。むしろ、正しいようにしか聞こえないでしょう。私だって、皆と平穏無事に暮らしていられるなら、そうしたかった。でも、私は追い詰められていました。生きていくためには、今の私以外の私では無理だったのです。命を絶たずになんとか生きてこられた今を否定できるほど、私の心は強くありません。
私はメリッサの顔を食い入るように見つめ、そのたくましい顎に自分の鼻がくっつきそうなほど迫りました。
「だったらどうして! どうしてあの人の危ない浮気を見逃し続けたの? 私のことを――自分のことばかり考える人間だってわかってるなら、もっと早く手を打つことだってできたでしょ? ……侍従長のあなただったら……」
メリッサは何も言わず、目を伏せています。
私は一歩、二歩と下がって、メリッサを見つめました。
しばらくの沈黙の後、歯を食いしばるようにしていたメリッサが口を開きました。
「奥様は……ナディエと出かけたあの日から、お変わりになりましたね。今の奥様だったら、わたくしも……いや、もう過ぎたことです、やめましょう」
メリッサの表情が曇りました。私はこのとき初めて、メリッサの人間らしい姿を見たように思います。失礼な言い方ですが、実際そうなのです。感情を失った今となって、どうしてメリッサの心の動きが手に取るようにわかるのでしょう。感情に振り回されるままに生きていたあの日々が、感情への理解から最も遠い山だったなんて、失いつつある城でメリッサと向き合う私には、あまりにも皮肉なことでした。
「ごめんね、私も言い過ぎたわ。あなたはあなたで、必死だったのよね」
「……」
「そういえば、ナディエはどこ?」
「ナディエは今日は買い物の当番ですので、街に出ております。何かと備えが必要だと思いますので、クラウディアとフローラも付いております」
「教えてくれてありがとう」
「いえ、こちらこそ申し訳ありませんでした。今日は別の部屋を用意させますので、そちらでお休みください。あの部屋は……奥様の仰せのとおり、わたくしが掃除します」
「そういえば……私が引き出しに入れてたもの……知ってる?」
「引き出し……ですか?」
「なんでもないわ! ありがとう」
メリッサは茶色の袋の存在を知らないようでした。
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