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村長が指差した方向にファビオは目を向けた。そこには上質の革でできた光沢のある長靴が置いてあった。
ファビオは村長に視線を戻し、確認した。
「本当によろしいのですか? 息子さんにお与えになったほうが……」とファビオは遠慮がちにきいた。
「あいつは使わんのですよ。土仕事を嫌がるし、そもそも肉体を使いたがらん。効率よく金になることばかりやろうとします。新しい世代なんですかな……。あの長靴をファビオさんのような青年に渡せるとわしも嬉しい。若者らしく履き潰してください。それに……大した歓迎もできませんから、せめてもの贈り物です。どうかこの老いぼれに、贈り物ができる贅沢を味わわせてください」
この会話がなされた一週間後、村長は息を引き取った。老衰による大往生だった。
村で養生生活を始めたマリアンナだったが、病状は少しずつ悪化した。彼女が肌身で感じたように、完治する見込みはほとんどなく、医者も悪化の程度をゆるめることしかできなかった。
爽やかな夏風が吹く天気の良い日に、マリアンナは医者の許可を得てファビオと散歩に出かけることにした。ファビオが用意した人力車に乗ると、マリアンナは「森に行ってみたい」と言った。村の近くには村人たちが材木やうさぎなどを手に入れる共有地の森があった。
ファビオはマリアンナの体調を常に心配していたが、この日は彼女の調子が特別良さそうに見えた。
二人が森の中を進んでいくと、木漏れ日の差し込む幻想的な花畑があった。その中央にはぽつんと一本の木が立っており、その茂らせた葉を涼しげな風にゆだねていた。
マリアンナはファビオに人力車を止めるように命じ、降りてその木のそばに寄った。
「美しい木ね。葉っぱの緑も濃いし、まるでこの花畑の守り神のようだわ」
ファビオも木の根元まで来て、上を眺めた。すると、マリアンナはさりげなく彼との距離を縮めた。ファビオは彼女の接近に気づくと、思わずはにかんだ。二人の頬はともにハイビスカスの赤を映じている。
「そうですね。共有地にある木ですから、いずれは切られる運命にあるでしょうが」
「そういうものなの?」
「ええ。薪にしたり、木炭にしたり、あるいはこのあたりは……開墾されるかもしれませんね」
マリアンナは木に触れて撫でた後、ファビオを見た。
「私が死んだら、この木で十字架を作れないかしら。お墓にこの木が立っていてくれるなら、安心して眠れるような気がする」
ファビオはマリアンナの死の想像をしたくなかった。(奥様の病気は治ります)とすぐに言って否定したかったが、一方で、マリアンナが生きているうちに願いを聞いておきたいという気持ちもあった。
「かしこまりました。もしもの時には、わたくしが手配してこの木を切らせましょう。でも……奥様の体はきっと良くなりますから……弱気なことはおっしゃらないでください」ファビオはマリアンナにこたえるというより、自分に言い聞かせるようにして言った。
マリアンナは落ち込む様子を隠せないファビオを見て微笑み、右手で彼の背中に触れた。そして、木に触れていた左手を離そうとした。しかしその瞬間、信じられないことに、木が二人の意識に語りかけた。
「なぜ俺は死に行く人間のために切られねばならないのか? 人間の都合なんぞ知らない。私が美しいだと? 美しいとは何だ?」
ファビオは村長に視線を戻し、確認した。
「本当によろしいのですか? 息子さんにお与えになったほうが……」とファビオは遠慮がちにきいた。
「あいつは使わんのですよ。土仕事を嫌がるし、そもそも肉体を使いたがらん。効率よく金になることばかりやろうとします。新しい世代なんですかな……。あの長靴をファビオさんのような青年に渡せるとわしも嬉しい。若者らしく履き潰してください。それに……大した歓迎もできませんから、せめてもの贈り物です。どうかこの老いぼれに、贈り物ができる贅沢を味わわせてください」
この会話がなされた一週間後、村長は息を引き取った。老衰による大往生だった。
村で養生生活を始めたマリアンナだったが、病状は少しずつ悪化した。彼女が肌身で感じたように、完治する見込みはほとんどなく、医者も悪化の程度をゆるめることしかできなかった。
爽やかな夏風が吹く天気の良い日に、マリアンナは医者の許可を得てファビオと散歩に出かけることにした。ファビオが用意した人力車に乗ると、マリアンナは「森に行ってみたい」と言った。村の近くには村人たちが材木やうさぎなどを手に入れる共有地の森があった。
ファビオはマリアンナの体調を常に心配していたが、この日は彼女の調子が特別良さそうに見えた。
二人が森の中を進んでいくと、木漏れ日の差し込む幻想的な花畑があった。その中央にはぽつんと一本の木が立っており、その茂らせた葉を涼しげな風にゆだねていた。
マリアンナはファビオに人力車を止めるように命じ、降りてその木のそばに寄った。
「美しい木ね。葉っぱの緑も濃いし、まるでこの花畑の守り神のようだわ」
ファビオも木の根元まで来て、上を眺めた。すると、マリアンナはさりげなく彼との距離を縮めた。ファビオは彼女の接近に気づくと、思わずはにかんだ。二人の頬はともにハイビスカスの赤を映じている。
「そうですね。共有地にある木ですから、いずれは切られる運命にあるでしょうが」
「そういうものなの?」
「ええ。薪にしたり、木炭にしたり、あるいはこのあたりは……開墾されるかもしれませんね」
マリアンナは木に触れて撫でた後、ファビオを見た。
「私が死んだら、この木で十字架を作れないかしら。お墓にこの木が立っていてくれるなら、安心して眠れるような気がする」
ファビオはマリアンナの死の想像をしたくなかった。(奥様の病気は治ります)とすぐに言って否定したかったが、一方で、マリアンナが生きているうちに願いを聞いておきたいという気持ちもあった。
「かしこまりました。もしもの時には、わたくしが手配してこの木を切らせましょう。でも……奥様の体はきっと良くなりますから……弱気なことはおっしゃらないでください」ファビオはマリアンナにこたえるというより、自分に言い聞かせるようにして言った。
マリアンナは落ち込む様子を隠せないファビオを見て微笑み、右手で彼の背中に触れた。そして、木に触れていた左手を離そうとした。しかしその瞬間、信じられないことに、木が二人の意識に語りかけた。
「なぜ俺は死に行く人間のために切られねばならないのか? 人間の都合なんぞ知らない。私が美しいだと? 美しいとは何だ?」
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