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30 梅田くん1(支社作業員/23歳)
しおりを挟む高校を卒業し、働き始めた頃のことだった。
一般作業員として就職し、慣れない仕事は上手くいかず、新人の梅田は毎日が憂鬱で仕方なかった。
ミスを連発し上司から毎日叱られる日々と、終わらない作業による残業の辛さに、すっかり社会人としての自信を失い疲れ果てていた。
自ら希望して面接を受け、合格して喜んでいたが、いざ働いてみれば自分には向いていないのでは、と思うことがよくあった。
その日も、朝から気分は沈んでいた。
今日もまた辛い一日が始まるのだと朝礼の最中に考えながら、梅田はぼんやりと考えながらひたすら地面を見つめていた。
朝礼が終わろうとした時、工場の扉が開いて誰かが入ってきた。
そこに現れたのは上司と誰か知らない男が一人、見た目からして自分より少しだけ年上のようだが初めて見る顔だった。
もしかすると時期外れの新人、または中途採用となった者だろうか、と梅田はチラリと視線を向けた。
上司は彼とやけに親しげに会話をしながら朝礼に現れ、どこか嬉しそうに皆に紹介した。
「朝礼中に失礼。彼は本社から数日間うちで作業する事になった結城久弥くんだ。さ、結城くん。挨拶してくれ」
「はい。…えっと、結城です。少しの間ですが、本社から指導員として派遣されて来ました。一応、君たちの先輩ってことで、よろしくね」
そう言って結城はフワリと笑った。
何だか、男なのに、年上なのに、その笑顔が少し可愛いと思ってしまった。
見た目はしっかりとした男の体格だし、声だって女のように高くはない。雰囲気はフワフワしていて、穏やかそうな印象だった。
作業着を着て佇む姿は工場内にいる自分たちのような、男性作業員と変わらない。
だが何故だろう。その雰囲気だろうか、ふんわりとした柔らかい表情と甘い声、笑った顔はとても綺麗に見えて、どうにも心が落ち着かない。
梅田はやけに弾む心音に、何とも表現し難い奇妙な感情を覚えた。
上司は満足したように結城を見て、後はよろしくと言っていなくなってしまう。
残された結城は気にする様子もなく、工場内を見渡してニコッと親しげに笑い皆に言った。
「えっと…、新人が二人だったかな。入社したって聞いてるけど、梅田君と…」
結城は一瞬だけ梅田を見て、もう一人を探すようにキョロキョロと視線を彷徨わせるが、見つけ出せずに困ったように首を傾げた。
すると梅田はハッとして口を開いた。
「…もう一人は辞めたんでいません。新人は俺一人です」
「ええ?辞めちゃったの!?まだそんな、数日しか…。……まあ、辞めちゃったなら仕方ないね。仕事が合わなかったのかな?」
「…理由は俺にはわからないですけど、とにかくいません」
「そうかー、ならマンツーマンで指導できるね」
「えっと、まあ、そう、ですね…」
のんびりとした口調の結城に、梅田は少し拍子抜けした様に言葉を途切れさせながら返事をした。
本社からやって来た指導員だというのに、全くそういった感じがしない。
梅田は胸を撫で下ろした。これ以上厳しく指導されればきっと自分も退職するだろう。もう心身共に限界が近かったのだ。
この会社は古い技術職人が多いため、頭の固い年寄りも多い。技術こそ素晴らしいが、人間関係としては最悪だと思った。
今の時代、見て覚えろなどと言われて、覚えられるほど若者は強くない。厳しく叱られれば叱られるほど委縮するし、すぐに逃げ出してしまうだろう。
どうにか耐えてきた梅田も、そろそろ限界が近かったのだ。
結城の指導はどうだろう。もしかすると豹変するタイプかもしれない。間違えた途端に鬼のような顔で叱られるかもしれない。
梅田の表情が曇った。
それに気付いた結城は皆を見て言った。
「さてと、それじゃあ、そうだな…、梅田くんには基本的なことから指導させてもらいますので、皆さんはいつも通り持ち場で作業開始してください」
結城の言葉で朝礼は終了した。
皆、それぞれ作業に入り始め、結城と梅田だけがその場に残った。
少し不安そうに地面を見つめていた梅田に、結城はそっと近づいて優しく話しかける。
「もしかすると基本的なことは先輩方から指導を受けたかもしれないけど、一応、確認として指導させてもらうね。とりあえず、安全確認から始まって機械操作まで一通り指導するから、わからないことがあったらすぐに言ってね」
「はい、お願いします」
「うんうん、ちゃんと返事ができるのは賢い証拠だよ」
「えっ…、あ、はい…」
何故か返事をしただけで褒められてしまい、まるで小さな子供に偉いねと言っているようだと思った。
梅田は少し恥ずかしそうに結城から視線を逸らす。
それを見て、結城はクスッと目を細めて笑った。
二人で工場内を歩き、安全確認や作業の工程、機械操作など、一つ一つ丁寧に確認してゆく。
結城の指導はとてもわかりやすく、丁寧で無駄のないものだった。
「この操作は少し順番があって、ここの操作を先にしないと全てが狂ってしまうから気を付けて。それと、この部品は常に欠けが無いことを見ておかないといけないから、注意してね」
「はい、わかりました。…あ、この前この操作がわからなくて失敗したんですけど…」
「ん?…ああ、これは俺も間違えたことがあるんだけど、理解すれば簡単だから…」
「あ、そういうことだったんですね。俺、勘違いしてたみたいです。だから怒られたんだ…」
「ふふっ、あの人は昔からの職人さんだからねえ。とっても厳しいんだけど、その分腕はいいからねぇ」
何気ない会話をしながら、時間はあっという間に経ってしまった。
気が付けばもう仕事の終わる時間になっており、結城の指導を受ける間は残業なしで帰れることになった。定時で帰れるのは久しぶりで、少し嬉しかった。
そう言えば、結城は数日間どこに泊るのだろうかと何となく思い、梅田は尋ねてみた。
「結城さん、何処に宿泊してるんですか?」
「ん?宿泊はねえ、この会社の寮を借りるようになってるんだけど…、なってるはずだったんだけど、困ったことになってね…」
「…困ったことになった?」
「うん、そうなんだよ。寮を貸してくれるっていうからそのつもりで来たんだけど、その寮がまさかの満室で。話がちゃんと通ってなかったみたいだね、あはは」
「あははって、笑いごとじゃないですよ。何処か泊まるとこあるんですか?」
「んー、ビジネスホテルでも行こうかなって思ってるよ」
「ここら辺にはあまり…、そういうとこないですけど」
「え、嘘…」
「…田舎なんで、ここ」
「え、そう、なの。…それは困ったなぁ、ははは」
「……」
本当に困っているようで、苦笑いしながら言う結城に、梅田は少し考え、提案した。
「俺、少し先のアパートで一人暮らしなんで、良かったら泊まります?ちょっと狭いけど、数日間だけだし、良かったら…」
「ええっ、いいの?本当に?」
「いいですよ」
「ありがとーう!!良かったー!!流石に野宿はしたくないと思ってたんだーっ」
「えっ、あっ、わっ、ちょっ、結城さんっ」
突然結城に抱き締められ、梅田は驚いたように目を見開いた。
本気で野宿を考えていたらしい。
自分より年上だというのに、結城の行動は時々子供のように無邪気で、梅田はクスッと少し笑った。
「結城さん、ちょっと力緩めてください。苦しいです」
「あっ、ごめんごめん!!嬉しくってつい抱き締めちゃった」
「…いや、じゃあ、帰りましょうか」
「そうだね、あ、夕食何か買って帰る?奢ってあげる」
「いいんですか?」
「うん、お礼に」
「じゃあお言葉に甘えて…」
二人はコンビニによって夕食を買い、梅田の住むアパートへと帰って行った。
そう言えば、久しぶりに誰かと一緒にご飯を食べるなと梅田は思い出し、少し嬉しくなった。
社会人になって一人暮らしを始めてからはずっと食事は一人だった。
隣で歩く結城をチラリ見れば、結城はニコニコ笑いながら梅田に話しかけてくる。こんなに会話が楽しいと思ったのも久しぶりだ。
数日間この生活が続くのは悪くない。
そう思いながら梅田も結城に笑いかけた。
夢のような数日間の始まりだった。
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