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13 喫茶店の店主
しおりを挟む求職中、たまたま目に入った喫茶店の前で足が止まった。
窓ガラス越しに見える店内の様子に、かなえの目が輝いた気がした。
家から20分ほど歩いた場所にその喫茶店はあった。
今まで忙しすぎて気が付きもしなかったが、喫茶店は自宅兼店舗というもののようで、とても暖かい雰囲気で、かなえの足は自然と店の中へと向かっていく。
チリンチリンと来客を知らせる鈴が鳴り、店主と思われる高齢男性が挨拶をした。
「いらっしゃいませ、一名様ですか?」
「…あ、はい」
「こちらの席にどうぞ」
「はい…」
店主は高齢であるため、動作は少しゆったりしている。
どこか懐かしい雰囲気の店内は馴染みの客らしき者がちらほらと座り、楽しそうに会話を楽しんでいる席もある。
かなえはカウンター席に案内され、少しそわそわとした様子で、目の前にいる店主の動きを見ていた。
あまり見ることのないアンティーク調の食器やグラスに、かなえは興味津々だ。
そんなかなえを見ていた店主は、クスリと笑って静かな口調で話しかけて来た。
「珍しいですかね?」
「えっ?あ、…はい。全部、珍しい…」
「ははは、私も久しぶりに若いお客様が来られたので、少々舞い上がってしまいましたよ。嬉しくてついついカウンター席を勧めてしまいました。ご注文はお決まりで?」
「えっと、その…、このコーヒーセットをお願いします」
「かしこまりました」
店主はニコリと笑い、準備を始めた。とても物腰が柔らかく、話しやすい人だった。
普段はあまり自分から話すことのないかなえだったが、店主の人柄も店内の雰囲気も、ここにいる間だけはとても穏やかに時間が流れているような気がして、少しだけ自分から話しかけてみたいと思った。
「…あの、一人で、営業を?」
「ええ、そうですね。数年前、妻が亡くなってからは一人で続けておりますよ。私も歳ですし、そろそろ店を畳もうかとも思いますが、妻との思い出があるもので…、なかなか辞め切れないでいます」
「思い出…」
「せめて、体が動く間だけでも続けていこうかと」
「…すみませんでした。あまり聞かない方がよかったですね」
「いえいえ、とんでもない。寧ろ、こんな若い方と話ができて楽しいですよ」
店主は70代半ばくらいだろうか、腰は少し曲がっており、顔や首、手の皺も深い。
一人で仕事をするのは辛いだろうが、それでも思い出の詰まった店を守り続けているのだろう。
かなえは店内を見渡しながら、この喫茶店がなくなってしまうと思うと、少し淋しいような気がした。
そんなことを考えているうちに、店主がコーヒーセットを持ってきた。
「お待たせしました。自家製コーヒーとケーキのセットです」
「…いい香りだし、ケーキもかわいい」
「ごゆっくりどうぞ」
「ありがとう、ございます」
かなえは湯気の上るカップをそっと持ち、一口飲んだ。
「…おいしい」
今まで飲んできたコーヒー中で一番美味しかった。手作りのケーキも、甘すぎずさっぱりした味が良い。
店主の人柄そのものだと思った。
こんな時間を過ごせる場所が、いつかなくなるなんて。
そう思うと悲しくなり、気づけばかなえは店主に訪ねていた。
「ここで働きたいのですが、従業員の募集はしていませんか?」
「え?」
「店を畳むまでの間だけでもいいです。週に数日でも、短時間でも…」
「…」
店主はかなえの言葉に少し驚いた様子だった。
しかし、その表情を見て何かを悟ったように店主は首を縦に振り、優しい笑顔でかなえに言う。
「人が欲しいと思っていたところでした。…立ち仕事ですが、特に重労働はないですし、もしよかったら喫茶店は週に4日営業しているので、お願いしてもいいですか?」
「は、はいっ、ありがとうございます…っ」
「そうと決まれば…、はははっ、まずは名前を教えてください」
「!…あ、綾瀬、かなえです」
「かなえくん、ですね。私は高山と申します」
そうして、かなえが仕事は決まった。
しばらく仕事の内容について、二人は穏やかな雰囲気でカウンター越しに話をする。
高山はかなえが店に入って来た時に、顔色が悪くどこか動きの鈍いかなえの体調が気になっていたため、控えめに訪ねた。
かなえはもしかするとやはり駄目だと断られるかと、不安そうに今の自分の状態を伝えたが高山は優しく微笑み、体の弱いかなえにも週4日の勤務ならば大丈夫だろうと言ってくれたため、かなえはホッと胸を撫でおろす。
「あの…、オレ、笑顔とか苦手で、あまり感情が表に出ないらしくて、もしかするとお客さんや高山さんに不快な思いをさせてしまうかも…」
「大丈夫です。かなえくんは優しい心を持っています。私が大丈夫と言うのだから、心配しなくていいですよ。無理に笑わなくても、ここに来るお客様は怒ったりしません。少しくらい動きが遅くても、ほら、私がそうですから、誰も気にしませんよ。不愛想でも、無口でも、かなえくんと話をすれば皆わかってくれます」
「高山さん…、ありがとう、ございますっ…。がんばるので、オレ…」
「ええ、頼りにしていますよ」
高山は差し支えなければと、かなえの家の事情を聞き、孝人が小さいことを気にかけてくれ、優人や義人が不在の時には孝人を喫茶店に連れてきて世話をしながら働いてもいいと言ってくれた。
喫茶店の客は店主と同年代の者が多いし、気心も知れているため、孝人が遊んでいたとしても気にしないだろうと言われ、かなえはその言葉に甘えることにした。
そして数日後、かなえは喫茶店の従業員として正式に働くこととなった。
かなえの心配をよそに、与えられる仕事を次々と覚えていくかなえに、高山はとても感心していた。
「かなえくんは覚えがいいし、手際もとても良くて助かります。接客も問題ないです」
「ありがとうございます」
「ですが、あまり無理をし過ぎないでくださいね。体調が悪い時はすぐに教えてください。でないと私はこの通り年寄りなので、かなえくんが倒れてしまったら抱えることもできませんからね。そういう時は私に必ず言うように。大丈夫です、怒らないし、少しくらい甘えてくれた方が私も嬉しいですよ」
「…高山さん、本当に、ありがとう…」
「ははは、君は頑張り屋さんだから、無理をしていないか心配なんですよ」
店主の高山はとても優しい人だ。
いつもかなえの心配をしてくれている。かなえだけでなく、兄弟のことも自分の家族のように思ってくれていて、いつでも幼い孝人を気にかけてくれていた。
夕飯時になれば店内で本を読んでいた孝人に夕食を作ってくれた。
孝人の好物は高山特製のオムライスで、かなえは接客をしながら美味しそうに食事をする孝人を見ていられたので、安心して働くことができた。
昔から兄弟の世話をしていたかなえは家事が得意だったため、喫茶店でもとてもテキパキと作業しており、カウンターの隅の方には夕方になると孝人がいつもいたため、働き始めの頃はかなえと孝人は客から店主である高山の家族かと思われていたらしい。
高山は家族のようなものだと言ってくれて、かなえはそれが嬉しくて照れたりしていた。
優人や義人が休みの日があると、喫茶店で接客や皿洗いのボランティアをしたり、本当の家族のようでとても幸せだった。
数年が経った頃、店主の高山は高齢のためかよく病院通いをしていた。
喫茶店はかなえが一人で働いている時もあり、馴染の客は高山が高齢なこともあり体の心配をしている人もいた。
「ああ、今日は病院の日か。店主さんも高齢だからねぇ。まあ、そういうわしらも病院の数が増えたわなぁ」
「そうじゃのう、わしも昨日行ってきたばっかりでなぁ」
馴染客も店主と同世代の者がおり、よく病院の話をしていた。
最近の高山は少し血圧が高かったり、腰が痛かったりと、高齢ではよくある問題ではあるが頻繁に病院に通うようになっていた。
かなえは心配していたが、高山が喫茶店を開けていて欲しいというので、時々こうして一人で働いているのだ。
すでに高山と同じ作業が出来るようになっていたため、客もそれほど多いわけではないし問題なく営業できているが、隣に高山がいないのは寂しかった。
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