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8 ~地獄の沙汰も条件次第 《第一部 終話》
しおりを挟む8 ~地獄の沙汰も条件次第
振り返ればヤツがいる。
予想どおり――宇月である。
「秘密というものは行動によって浮き彫りになる。行動によって真実へと昇華する」
仕立てのよい袍衫の大袖に両手をつっこんだ宇月の顔が少しずつ、提灯の灯りに照らされていく。闇から抜け出てくるかのように。
「その子供」
宇月は何事かを確信する眼差しで迅琳をじっと見下ろしていた。
「先に帰せ」
「……そんな。こんな遅い時間に子供を一人になんて」
「できないと? 迅姓をもつ子供なら一人歩きでも大丈夫だろ」
意味深に訊かれて、扶霊は「う」と声を詰まらせた。未だ慣れない青年の三白眼のせいか、年少者に逆らうこともできずに、迅琳には目顔で先に戻るよう促した。
ためらいを見せた迅琳だったが、ぺこりと頭を下げてこの場から離れていく。
「見てたの? どこから?」
迅琳とともに灯りが遠ざかっていく。夜闇に閉ざされながら、扶霊は宇月へと向きなおる。完全な闇ではない、街路には月と星の輝きが落ちている。
(やはり見張られていた)
問われた宇月は苦笑した。その笑声は水路を流れる水の音とまざりあうほど小さく。嫌な笑い方ではなく、ケンカ腰にならないでくれという含意があるように見てとれた。
「あたし達のあとを付けてきたってことでしょ。貴方、粘着系なの?」
「先生けっこう言うな。待て待て」
宇月の視線が、扶霊の顔――双眸のあたりから首の猫へと移っていく。
「どうも先生には見鬼の知識の蓄えはないようだが」
ないものは、ない。嘘をついてもしようがないので扶霊は頷いた。
「どうしてあの子供に鬼が見えるようになったのか。知りたくないか?」
(そりゃ、まあ)
知りたい。が、質問の意図するところがつかめない。なので、ここは素直に頷けない扶霊である。惑う気持ちを読んだかのように、またも宇月は苦笑した。
「先生が鬼の名字を呼んだことで、鬼に使人見鬼という術がかかった。先生と鬼の間に〝主〟と〝従〟の関係が結ばれたんだ。使人見鬼の方術を駆使すれば、鬼はいつでも姿を現せるし、見鬼の能力をもたない無能の者でも目に映せるようになる」
ために、迅琳にも鬼が見えるようになった、と宇月は続けた。
「……名は拘束の鎖となり、呼ぶ声は支配力となる?」
「それな。主従関係によって、先生が猫の鬼を実体化させた」
宇月は理解が早くて助かるというふうに手を打っている。その姿を、扶霊は胡乱に思いながら眺めている。しかし、話のつじつまは合っているのだ。
「……なんで鬼の知識の蓄えがあるのよ?」
(適当に言っているのではないか?)
たとえば自分のように。なにかの本で読んだ程度の知識でも、それらしく話せてしまう。
扶霊の無言は相手に戸惑いを押しつけたらしい。明瞭な答えが返ってきた。
「俺の本業は見鬼師だ」
「見鬼、師?」
見鬼師とは、見鬼の能力を駆使する者をいう。
「……て、貴方、生まれつき鬼を目に映せるの?」
「見鬼術の修行もちゃんとしてる。だから知識がある、納得してくれたか」
見鬼術は、鬼を見とおす術である。宇月には、すべての怪しいものが見えている、ということになる。
「で、だ。先生に憑いている鬼だが」
「やっぱり。あたし憑かれたのね、どうしたら……」
かかわるべきではなかったと、首に巻きついた猫を引き剥がそうとしていると。
違うというふうに宇月が首を横に振った。
「猫じゃない。錠を開けた、さっきの力。あれは風の鬼だ」
「……え」
「指の先からふわりと湧きあがった風、あれは鬼だ。先生は風の鬼に憑かれているから、指を動かしただけで風を自在に変形させ、操ることができた。知らなかったのか?」
宇月が心底驚いたという視線を投げてくる。
『知らなかった』扶霊の、驚きの視線とぶつかった。
「……異能じゃない? 鬼に憑かれている?」
(ならば、祓えるのでは?)
今宵自分がお婆にしたように、宇月という見鬼師に祓ってもらえば――。そう考えている途中で、宇月が容赦なく期待をつぶしてしまう。
「風の鬼は無生物の精に分類されるが、[幽怪録]という書物に短く記されているだけの、遭遇するのが難しい鬼だ。情報が得られない。よって、祓うのも難しい」
(そんな、なんで)
「祓えないの?」
怪しい力の正体がやっと、やっと判明したというのに。
(対処法がない?)
問えば、宇月は大袖に両手をつっこんで背を仰け反らせ、諦めろというという顔を向けてくる。一縷の望みを抱かせておいてそれはないだろうと扶霊は思ったが、そんなものかという気持ちも同時にあった。自分の人生、望みどおりになったことはないのだから。
諦めること、それはたくさんのものをもっている者だけができる贅沢。なにももっていない者にははじめから執着心などないのだから、諦めるという落胆とは無縁のはず。
それでも。
反して胸には引っ掻かれたような微かな痛みがはしる。望みどおりにならなかったときにはしる痛み。慣れたはずなのに、この歳になってもまだ、痛みを感じるのだ。
(あたしはまだ)
助けを求めている……。
「南の地は、珍しい宝石の産地だという。とくに優れた品は朝廷にも献上されるとか」
脈絡なく話題を転じられて、思考の沼にはまっていた扶霊の身体がビクッとなった。こういう流れのときはたいてい、よからぬ話が待っているもの。
(南の地)
扶霊はすっと表情を消す。努力をした。
「今から十二年ほど前、かの地では病がはやっていた」
そんな扶霊に一瞥をくれてから宇月は、記憶をたどるかのように夜空を仰いだ。
「始まりは一人の村人だった。腹に猛烈な痛みを感じ、もだえ苦しみながら死んでいったという。悪い物でも食べたのだろうと死因にはこだわらなかったが、日をおかず別の村人が同じ死に方をした。そうしてあれよあれよという間に周囲の者達は死んでいった。
そして残された村人は気づいた、これははやり病だ。
伝染するのだ、と」
「…………」
「その頃、村に寄った旅人がいた」
「…………」
「旅人は言った『一人でいい、死んだ者の腹を裂いてくれないか』『死の原因がわかるかもしれない』。
このままでは村は疫病を喰い止めるために役所によって封鎖されてしまう、封鎖されれば助かる道は完全に断たれる。自分達も死ぬ。藁にも縋る思いだった村人は原因が判明するならと、旅人の言うとおりに死人の腹を裂いてみた。すると」
ここで宇月の視線が扶霊へと戻ってくる。
「死人の臓腑は、石になっていた」
死んだ者達の臓腑はどれも石に変わっていた、それが落命の理由だったという。
石化の病なんて聞いたこともない。治療方法などあるはずもないと、村人は絶望した。
「後年、俺は南の地に赴いたときに村人からこの話を聞いた。『で、どうなった?』と尋ねてみたところ、村人は答えてくれた」
『旅人が救ってくれた』と。
「村人から、命の恩人である旅人は『紫姑娘』と呼ばれていた。なぜそう呼ばれているのか、どんな方法で旅人が救ったのかは、村の誰一人として口を開こうとはしなかった。皆かたくなに口を閉ざしたままで誰も教えてはくれなかった」
「…………」
「旅人に口止めされたのかもしれないが、何年経ってもしゃべらないとは」
それだけ旅人に恩を感じているのだろうと宇月は続け、すっと目を細めた。
「俺は見鬼師だから、鬼について知識の蓄えがある。村の当時の状況から察するに、あれは疾病ではない。鬼の仕業だと思う。先生はどう思う?」
扶霊は黙したまま。
「地羊鬼という鬼がいる。とり憑いた者の臓腑を石に変えてしまう鬼だ、憑かれれば腹の痛みにもだえ苦しみ死んでいく。死ねば鬼は、身近な者にとり憑く。この繰り返しだから周囲ははやり病だと勘違いする。南の地の事例とぴったり合致するが、どうだろう?」
口唇を引き結んだままの扶霊をどう捉えたのか、
「地羊鬼は、物精に分類される石の鬼だが、その性質から厲鬼とも言われている。厲鬼とは、病をはやらせる鬼だ。これの弱点はズバリ、風。厲鬼は、風を畏れる」
宇月は続ける。
「今夜俺は、先生に憑いている風の鬼を見た。思うに、風の鬼によって地羊鬼は村から吹き飛ばされたのではないか。鬼を駆使し、地羊鬼を撃退したことで、村人は救われた」
「……それでいくと旅人はあたしってことになるけど」
「先生だ」
言い切った宇月はぐっと顔を近づけてくる。月下、双眸を覗きこまれた。
「俺も先生に会うまではわからなかった。なぜ恩人である旅人が『紫姑娘』と呼ばれていたのか。でもその瞳の色、日陰ではさほど目立たないが」
光があたれば――と至近距離で指摘され、逃げ場を失くした扶霊は観念する。大きく息を吐き出した。
「双眸の色じゃないわ、鬼を吹き飛ばした風の色が紫だったから。村人から感謝されて、だけじゃ済まずに『聖姑』って神女の名で呼ばれて。恥ずかしいし頼むからやめてくれってお願いしたら、いつの間にやら『紫姑娘』と呼ばれるようになったの」
それは、たまたまだった。
南の地をふらふらと渡り歩いているときに、はやり病の噂を耳にした。腹の中が石になっていると聞いて、かねてより探している妖しい〝石〟ではと寄ってみただけだった。死人の中の石を、自分の目で見たかっただけ。助けたのは善意ではなかった。なのに村人から感謝され、お礼にとその地で産する宝石まで持たせてくれようとして。
居たたまれなくなった。
(宝石はいらないから、いっさいを黙っていてくれないかと頼んで)
まさか本当に口を噤んでくれるとは思いもしなかった。
結局、強引にではあるけれど宝石も持たされてしまった……。
「……あたし、過去に追いつかれたのね」
「なんて?」
聞きとれなかったのか、聞きとれてわざとか、宇月は軽く首を傾けた。
「貴方、走無常なんでしょ。地獄からあたしを追いかけてきた」
「うん?」
「女衒を、風の力で斬り刻んだ。逃げて……もう十五年になる」
口にすれば、張りつめたものがふつりと切れたような、精神が弱っていくような、妙な感覚が肌を這う。
自分でしでかしたことなのに。一瞬前までの自分を、遠く隔てて感じる。まるで他人事のよう。
(あってもなくてもいいような人生だった)
たどる思い出もないから、ふらふらしていれば適当に野垂れ死ぬと思っていたのに、人とは頑丈なもので男装して日雇い仕事で転々として、気づけば国都に定住していた。
「なぜ?」
殺した、と宇月は訊かない。言い訳はいらないということか?
(ああ、そうか)
女衒の告訴状を読んでいるのだろうと、扶霊は自分勝手に納得する。
「息絶えるところは見ていないけれど。あの人、死んだのね」
宇月は否定しない。
「あの人、死んでまで訴えたのね。命を奪われれば憎むわよね」
「完全に正常な人間なんていない。誰だって誰かに恨まれているものだ。
そこは問題じゃない」
「え」
「問題は、冥府が先生を追っているということ」
(なんだろう)
軌道からはずれたような違和感を扶霊は覚える。
(や、そんなはずは)
些事に執着してはいけない。
世のすべてをどうでもいいと諦めるしかない、そう思うのに。
(あたしは、また)
わずかな期待が胸に沁みだしてくる。
「先生を勾引したらあの子供は独りになるな」
『あの子供』とは迅琳のことだろう。言われて、扶霊の心の臓はばくんと脈打った。
(こんなときにも)
自分のことしか考えられなかった自分がイヤになる。迅琳の存在を忘れていたわけではないものの、幼い子供を独り残してしまうことにまで思考は至らなかったのだ。
こんなところがダメなのだ。
(根本的に間違えていた、あたしは)
迅琳がいないとダメなのは自分のほう。
(そうなんだ)
以前はいつ死んでもいいと投げやりだった。
迅琳と出会ってからは、せめて彼女が輿入れするまでは生きたいと思うようになっていた。彼女と暮らすようになって時間の質が変わっていた。視野が広がって、自分の外側まで見られるようになっていた。
「迅琳の面倒をみるのは」
中途半端に語を区切った宇月は、扶霊の顔をひたと見据える。
「赦されたいからか?」
なにに、とは訊かない。
ズルい訊き方ばかりすると恨まずにいられない。
けれど。
(あたしは過ぎ去った時間から赦されたかった?)
過去のなにもかもから赦されたかったのか。
「しばらく猶予をやろうか」
「な」
なんでともなにをとも問う隙を与えず、考える隙すら奪って。
「猶予期間に見鬼の知識も分けてやろうか。そのかわり」
宇月は大袖に両手をつっこんだ。歳下のくせにエラそうな、お決まりの態度で。
「条件がある」
《次回 雷民》
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