ユルサレタイ紫〈死〉

碧井永

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6 ~続・飛び跳ねる老人

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 6 ~続・飛び跳ねる老人



 最初はなんで飛び跳ねているのだろうと思っただけだった。
 おばばから適度に距離をとったところで、一人のじじぃがぴょんぴょん飛んでいる。
(なにしてんだ)
 健康に気をつかう歳になったから運動しているのか、などなど。高齢ながらかくしゃくとしている姿を不思議そうに見つめて、お婆は気づいた。爺の顔貌が奇妙であることに。
 髪が真っ白なのは、まあわかる。歳だから。
 しかし目はなんだろう?
(瞳が真っ赤だよ)
 だが、異様な色のわりに違和感はなく、すぐに気にならなくなった。
 爺は近づいてくるでもなく、距離を保ったままで飛び跳ねている。
 止まらない。
(丈夫だからってもう若くないんだからムリしちゃいかんよ)
 親切心から注意しようと、お婆が一歩を踏みだそうとしたときだった。
 突然。
「死になさい死になさい」
 歳相応なお婆の鈍い動きをさげすむかのように、そんなことを言いだしたのだ。
(はあ?)
 なんだコイツと思ったところで目が覚めた。
 以来、夜ごと同じ夢をみるようになった。
 毎晩出会うたびに、早口言葉を口ずさむ気安さで「死になさい」と繰り返す。しかも、飛び跳ねながら。その姿が微妙にカチンときて、どっこいどっこいの年齢に見えるのになんて元気な爺なんだろうと、この夜お婆はついに耐えられなくなった。
 些細なことでも胸に積もれば我慢できなくなる。
「いいかげんくたばれクソ爺っ」
 気づけばお婆は、どすどすと爺に走り寄って両肩をつかみ飛び跳ねるのをやめさせようとしていた。シミと皺だらけのお婆の手を、爺が振り払う。そのまま年寄り同士、取っ組み合いになった。くんずほぐれつの大ゲンカをしていると感じているのは当事者だけで、端から見れば足許あしもとのおぼつかない二人がよたよたと組み合っているだけ。それでもお婆は果敢に抵抗しているのだが、「死になさい」という爺の声は日に日に大きくなっていて――
(うるさいもう面倒くさい)
 あまりに耳障みみざわりで、今宵お婆はそう思ってしまった。
「わかったよっ」
 爺の衣の合わせをぎゅうっとつかんでお婆は叫ぶ。
(こうなったら死んでやるっ)
 と、ヤケクソになったのだった。

 幸いというべきか、お婆は独りで寝ている。
「どんな夢をみているのでしょう?」
 はねのけられた掛布を拾いながら迅琳じんりんが訊いてくる。
「怪老人につきまとわれているのよ」
 答えたのは、扶霊ふれい
「怪老人? だから暴れているのですか?」
 これに扶霊は頷きだけで応じて、胸元から紙を一枚取り出した。迅琳が磨った墨が一滴垂らしてある紙だ。
 紙を両手で広げると、墨がほんのわずかに紙面から浮き上がり、動いて、ひとりでに字を描きだす。迅琳の磨った墨、というよりは、雨あがりの庭に落ちている黒い小石には、呪力が宿っているという。時折、不可思議な力を発揮するのだった。
 描かれた字は、八狐子はっこし
「やっぱりか」
 迅琳には見えないだけで、扶霊にはずっと見えていた。
 真っ白な猫がお婆の腹の上に乗っている。眼が赤いのが特徴的だった。これは猫ではなく、で、お婆にとり憑いているのだ。
 お婆は鬼に憑かれたせいで、毎夜夢にうなされていた。
「さあ、おいで」
 ――八狐子。
 八狐子は鬼の名字めいじ〈名前〉である。
 名は、その実体と本質的に結びつき、実体そのものであるという。扶霊には深い知識はないが、名は拘束の鎖となり、呼ぶ声は支配力となるらしい。ゆえに、扶霊が鬼の名字を呼べば、とり憑いている者から鬼を引き離すことができる。
「なうなう」
 猫が鳴いた。
(どうってことない猫だけど)
 抱えながら扶霊は思う。そのへんにいる猫となんら変わらない。体温もあるし、鳴き声も同じ、人語をしゃべるわけでもない。拘束しておきながら、拘束した扶霊のほうが困惑してしまうありさまだった。
「ふわあああ、白一色の猫ですね。雪だるまみたいです」
 名字を呼ばれたからなのか、鬼は、迅琳にも見えるようになったらしい。物珍しげにじいっと扶霊の腕の中の白猫を見つめている。
「ぎりぎり間に合ったというところかしら」
 扶霊が言うと、なにが起きているのか理解できていない迅琳がきょとんとなった。
「間に合ったのですか?」
「そうよ。このお婆、朝には死んでたかも」
「えええっ」
 驚愕に目を見開く迅琳の背をそっと押して外へとうながしたのだった。





《次回 病猫鬼びょうびょうき


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