ユルサレタイ紫〈死〉

碧井永

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4 ~夢うつつ

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 4 ~夢うつつ



 思考の中にとじこもって記憶をたどっているだけか。それとも、寝入り端にみている夢にうなされてか。扶霊ふれいの、伏せている両目の間に刻まれた皺が震えている。
 ぱかんと音がしそうなほどの勢いで目蓋まぶたが開いたのは、それからすぐ。
 双眸そうぼうは動かず、寝台に横たわって天井を見つめたまま、
(今夜も収穫がなかった)
 そんなことを考えた。
(車を使うと天候が乱れるからあんまり使いたくないんだけどな)
 夜どおし〝石〟を探して身体からだは疲れているはずなのに、目を覚まして間をおかず複雑なことを思うのは、不安は募る一方で頭が休めていないせいだ。
(うまく眠れない)
 ここのところ眠りが浅い。眠りが打ち切られたら即覚醒してしまう。
 あの青年――宇月うげつがたびたび邸に来るのも心理的負担になっていた。
(距離をとりたいのに)
 見張られている、そんな気がしてならなかった。
 明け方に独り考えてもなにもできない。どうあっても孤独からは逃げられない。発狂する前に落ち着かなければ。とりあえず水を飲もうと寝台から身を起こしたところで、身支度に使うため近くに置いてあった菱化形の銅鏡に自分の横顔が映りこんだ。
 鏡に映る自分がこちらを見ている。その姿を、じっと見つめる。目と目が合った。
(ああ)
 泣きたくなって、扶霊は片手で両の目を覆った。
 元凶を隠すために。
 紫に変色してしまった双眸、これが扶霊の人生を狂わせたのだ。

 大陸行路が拓かれてのち、西方世界と結ばれたために、大陸の東側にあるこの大国にもさまざまな瞳の色をもつ者が滞在するようになっている。この国の民の多くは黒い瞳だが、茶色もいれば灰色もいる、西域との混血で碧眼に生まれる者もいた。
 扶霊も元々は黒い双眸をしていた。
 当然だろう、父と母は二人とも双眸は黒かったのだから。
 それがいつからか、紫に色が変わりはじめた。はっきりとは憶えていないが六歳を過ぎた頃にはもう、うっすらと紫色を帯びていたように思う。
 年々変色していく双眸を、真っ先に忌み嫌ったのが両親だった。
『紫の目なんて。異国人にもいないじゃないか』
 扶霊の実家は裕福な商家で、西域の隊商とも取引があった。商売上、異国人を見慣れていたのがかえってよくなかったらしい。異様な色をもつ娘に、両親が怯えたのだ。
 実の子であるにもかかわらず。
 普通の親がするように病ではと疑うことすらしなかった。家系図をひもとき、先祖に異国の血が混じってはいないか、変色の要素はないか、調べもしなかった。
 自分の周りにある知識だけで決めつけた、紫という双眸はない。娘は異常だと。己の目で見たものしか信じなかったのだ。
(あたしだって怖かったのに)
 医師に相談するでもなく、薬を与えるでもなく、やったのは放置だけ。
(助けて助けて助けて助けて助けて)
 いつも子は心の中で叫んでいた。けれど親は、助けようとはしなかった。そばにいて手を差し延べなかった。妹ができたこともあるだろうが、日ごと実子としての認識は消し去られていき、食事を抜かれることが多くなっていった。
 教えてほしかった。
(あたしは紫を欲しなかったのに、あたしのなにがいけなかったのか)
 そんな父と母のもとで育ち、十歳になる年には否応なく悟っていた。
(この親はダメだ)
 自分に興味がないのだと。
すがっても、本当にダメなんだ)
 早い段階で娘を見切っていたのだと、扶霊は思っている。
 子供はそういうところには聡い。血のつながった親だからこそ、まとう雰囲気で察せられるものがある。無慈悲は鋭い刃となって、扶霊の心をズタズタに切り裂いていった。
 二人は不気味な子供を捨てることしか考えておらず、子を人として扱っていなかった。なにか汚物を捨てるように、捨て場所を探していたのだ。
(見捨てられた)
 与えられたのは身体の奥からなにかが崩れていくような、強烈な喪失感だけ。
 どうしたって慣れないけれど、淋しさだけが身についていった十五歳のある日。
『西方の紫水晶のようではないか。美しいきらめきだ。買おう』
 奇妙な目をもつ娘の噂を聞いたのか、両親が売りこんだのかはわからないが、そんな粋狂なことを言う貴族が現れた。
(目玉をえぐられるのだろうか)
 いきなりのことで、扶霊は最初、震えが止まらなかった。
(ついに売られた)
 捨てるために、売られた。
 恐れていたことが現実になった、それしか頭になかったから、自分が貴族の養女にだされるなんて考えもしなかったのだ。皆が双眸を商品として見ているのだと、勘違いした。
(今にして思えば、勘違いしたままのほうがマシだったんだ)
 恐怖が別の恐怖に上塗りされたのは、物好きな貴族に買われた夜のこと。
 花片の浮いた広い風呂にいれられて丁寧に身体を清められ、きれいな夜着を与えられて薄化粧をし、爪紅ネイルを塗られ、香油で髪を梳かれた。多くの侍婢召使いにかしずかれたこの晩、扶霊はちょっとだけ希望を抱いた。
(まともなごはんを食べられて、身体を洗うお湯を使えて、洗濯済みの衣を着られる)
 人らしい生活が続くなら、商品でも悪くない。
 銅鏡に映った自分と目が合って、むしろ商品でいいとさえ覚悟したことを憶えている。
 しかし、この世は残酷だ。
 貴族に呼ばれて知った。
 そこは閨だった。
 自分は、この貴族の性のはけ口にされるのだと。
 養女として迎えられたはずなのに。
 愛人でもないのに。
 紫を観賞しながら身体を開かせるためだけに買われたのだと。
 希望を抱いた分、失望への墜落は深くなる。

 不幸な者には、不幸しか与えられないのだ。

 紫の双眸を忌み嫌う両親に売られ、その双眸を美しいと褒めた貴族に買われた。だがその貴族も、いざ閨となったらビビったらしい。
 寝台に押し倒されてすぐ、のしかかったままで貴族が顔を引き攣らせた。そのときの叫び声から察するに、若い女の身体をじっくり検分するため、室内の灯燭を増やしていたのが恐怖をあおったらしい。ただでさえ色の異なる瞳に、赤々とした炎が映って揺れている。
 表現のしようがない、気持ち悪い色に見えたのだろう。
 紫という特殊な色を愛でるために買ったのに、なにかの呪いにかかったとしか思えないほどの怯えようだった。
 そうして扶霊はまた、売られた。
 今度は妓楼へと。
 転売されることになり遊里ゆうり〈遊郭〉へ連れていかれる途次、引き取りにきた女衒女を売買するがこれまた酔狂な男で、女人らしくない貧相な身体の扶霊に興味をもった。
 ひと気のない細い路地に引っぱりこんで十五の少女を襲おうとしたのだ。
 そもそも女衒ぜげんは育ちがよくない。ゴロツキも同然の男達だ。紫の双眸が不気味だろうが快楽優先で容赦なかった。地面に引き倒されたまま、どれだけ暴れても手はゆるまない。どころか愉しそうに衣を破られていく。扶霊は小柄だったから押さえつけるのは楽だったようで、抵抗すればするほど骨がきしんだのは捕まっているほうだった。
(なにかが変わってほしかった)
 現状の、不運から逃れられるような、なにか。
 けれどこの不幸も底をついた状況でなにが変わるわけもなく。
(奇跡なんて起こらない)
 自分の人生にいきなりの幸運なんて舞いこむはずもなかった。
(誰も助けてくれない)
 男の、支配欲と愉悦とでゆがんだ口唇くちびるの片端から、ねばついた涎が滴り落ちてくる。
 時間の感覚がとても遅かった。下敷きにされている恐怖のせいだろう。最初の一滴が顔を叩くまで、永遠のように感じて眺めていたのを、今もはっきりと思い出せる。
 頬が唾液を弾いた、次の瞬間――
 女衒は吹き飛ばされていた。血まみれだった。
 左右それぞれの五指はさまざまな長さでてのひらから離れ、足も片方が膝からちぎれて、地に血だまりをつくっている。喉を深く斬られたからだろうがうつ伏せに倒れる女衒はひゅうひゅうと、聞いているこちらが息苦しくなる呼吸をしていた。
「……ひゅう、ひゅうひゅうひゅう」
 呟く舌が土をなめていた。かすれる一方の声は聞きとれるはずもなく。
 女衒の命は尽きようとしていた。

 この世に怨念を残すように女衒は目をむいていた。
 濃密な血臭がたちこめる中で尻もちをついたまま、震える身体をかきむしるようにして縮めて。もぎ離すように視線を切って。
――そこからどうやって逃げたのか、
(憶えてない)
 記憶が曖昧とかではなく、本当に、なにも、憶えていないのだ。
 扶霊は両の目を覆っていた片手を下ろした。
 この国には【旋風せんぷうの中には化け物がいる】という言葉がある。真実かどうかは知らないが、自分の手を見下ろして扶霊は思う。
(違う、そうじゃない)
 化け物がいるのは、
(あたしの中だ)
 逃げだしたあの頃にはもう、自分の中に化け物がいると自覚していた。
 自分の中にいる化け物、それが〝風〟だった。
 旋風にもなる風は異能とも呼べるかもしれない。年齢を重ねた今ではもう、変幻自在に風を操ることができるからだ。殺傷力も加減できるようになった。頭に思い描くだけで指先から、足先から、髪の先からふっと吹きあがる風は、うっすらと紫に色づいている。それが双眸の変色とかかわりがあるのかは未だにわからないけれど。
(やめよう)
 考えても詮無いことだ。もって生まれたものはしようがない。
 人はなにを見ていてもなにをしていても考えることを止められない、哀しい生き物だ。常になにかに囚われている。
「ほんの一時でも解放されたいから、人は仕事を見つけだすのかも」
 独り虚空に呟いて、扶霊は苦笑する。
 人には仕事が必要で、仕事を心の糧にして人は生きている。
(あたしが国都に定住したのも、きっと)
 自分が愛されなかったからだろう、もしくは家族という共同体を知らずに育ったせいかもしれないが、子供との接し方がわからず扱いは苦手だった。若い気にアテられるというか、世に対して無知なくせに貪婪な無邪気さが肌にチクチクくるのだ。それでも子供に囲まれて読み聞かせをしたり、字を教えたりしていれば、少しだけ、ほんの少しだけ、呼吸が楽になるのを感じていた。
(でも、そんな生活ももう)
 過去に追いつかれれば、終わる。

 過去が背を突き刺そうとしていた。

 殺される前に、いっそ――
「それでねー、せんせぇ?」
 なんといううっかりだろう。
 ほわほわした子供の声で呼びかけられて扶霊は、ちょっとだけうたた寝していたのに気づいた。机に頬杖をついてこっくりやっていたのである。
(あー、寝不足のせいだな)
 室内には桃の甘い香りがそこはかとなく漂っていて午睡昼寝を誘う。春の気怠い陽気のせいもあるだろうが、こりゃヤバいと反省しながら、子供達のほうを向く。
 どうやら子供達は手習い中に、子供社会の情報交換をしていたらしい。貸している文房四宝のうち使い回しのできない紙は安物だが、筆、硯、墨は貴族の書斎の道具揃え並みによい品なので、おしゃべりナシに励んでもらいたいところである。
「今の話、どう思ったー?」
 訊いてきたのは男の子。
『今の話』とやらをしていたのは、彼よりも小さい七歳の女の子。
「ごめん、もいっかい。いい?」
 まったく聞いていなかった扶霊は大人として素直に謝った。
「もー先生、ホントに寝てたんだな」
 眠っていたのを知っていておしゃべりに興じていたのだろうか。ガキ恐るべし。隙を見せたら負けだなと、ちびっ子に対してヘンな闘争心を抱いた扶霊であった。
「だぁから、うちのおばあちゃんがねー」
 女の子が言う。
「ん、お婆ちゃんが?」
「目をぎゅってとじたまま『うーうー』いっててね。ずっとうなされてるみたい」
「魘される? 眠りながらってことでいいのかな、夢で?」
「そー。おんなじ夢ばっかりみるんだって」
 単に「寝相が悪くて夢見が悪いのでは」とつっこもうとして、扶霊はやめた。寝穢い眠りこける老婆の話にしては、どうも様子がおかしい。子供なりに〝奇妙だ〟と気になって話しているようなのだ。その奇妙の度合いは聞いていて、ざらざらしたものがうなじをなでるような、怪異に近い感触があった。
 大したことではなくとも、お婆ちゃん子であれば心には負担となる。幼いなら尚更だろう。毎晩のことで薄気味悪いと感じている、これは子供のお悩み相談であった。
 数日前、扶霊が読み聞かせで怪談話をしたので、「信じられない」とバッサリ否定されることはないと思っての告白なのだ。
(また夢か)
 どうも付きまとわれるなと扶霊は思わずにいられない。
 女の子の大好きなお婆ちゃんは、夢の中でしきりに『死になさい』とうながされるのだそうだ。





《次回 飛び跳ねる老人》


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