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2 ~勾死人
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2 ~勾死人
意外な時刻、意外な人物に訪ねられて、跳ねあがる鼓動。
こんな巡り合わせをなんと呼んだらいいのだろう。
豈華ナシに一人でやって来た宇月を見て、扶霊は身も心もガチガチに固まった。
(まったくマズいときに来てくれた)
子供達は帰したばかりで、頼りの迅琳も買い物に出ている。夜市には一緒に行くつもりだったのに、『用があるのは例の面倒な店です』と聞いて、迅琳に任せてしまったのだ。
(しくったまずった失敗した)
一緒に出ればよかったのに。
嘆いても、もう遅すぎる。
(人とかかわりたくないんですけど)
近寄るな踏みこんでくるなという扶霊の心情を察したのか、宇月は苦笑した。
空気の読める青年らしい。
が、どういうつもりか、帰るという選択肢はないようで、
「先日は茶をご馳走になったので。礼にと、俺も茶を持参したんだが」
すいと宇月の手が伸びる。
差し出された木箱には茶葉が詰まっていて、ほんのりと薔薇の香りがした。この時代、茶葉はまだ高級品である。手みやげとして用意できたのなら、宇月という青年はそれなりにお金持ちなのだ。
「あの子供の淹れた茶はうまかったから。いないのか? 残念」
西日の射す時刻。庭は橙色に染まっている。
光を避けて扶霊は四阿に入ったのだが、まるで古くからの付き合いのように宇月があとを追ってくる。結果、二人は先日と同じ位置で向き合うことになった。
「今日は座るんですね?」
あのとき、宇月は茶を出されても座らなかったのに。
「今日は別の角度から顔を見たいと」
「?」
「あ、うん。あの子供――迅琳と二人で暮らしてるのか?」
なんだこの会話、と訝しみながらも扶霊は頷いた。
「広い邸だ、奴婢もなしに管理するのはたいへんだろう」
(探りをいれられているのだろうか)
「年齢からして親子でもおかしくないが。あの子供、先生の子じゃないよな?」
(そういえばまだお茶の礼を言ってない)
つと、卓上の箱に視線を落としながら、扶霊は、青年を観察してみた。
三白眼のせいか、豪胆に見える。けれど、仕種は神経質そうだった。袖の振り方ひとつとっても隙がない、吐息まで洗練されている、そんな印象がある。
「先生」
下から覗きこむようにして声をかけられ、扶霊はハッとなる。耳慣れない青年の声で、やっと、扶霊は物音が聞こえないほど考え事をしていたのだと気づいた。
「あー、……『先生』は、ちょっと」
やめてもらいたい。
先生らしくない自覚があるので微妙に顔がゆがんでしまう。
「みんなそう呼んでるのに。なら、姑娘」
「う」
娘さん呼びのせいで扶霊の喉がきゅっと絞まった。
(男のフリをしてたわけじゃないけど)
北方民族の影響で男装の女人は珍しくない。けっこう、いる。扶霊は動きやすさを重視して普段着にしているだけだが、それにしてはバレるのが早すぎた。
(会って二回、たいしてしゃべってもいないのに……)
ためらった様子もない。なんでだろうと、扶霊は自分の身体を見下ろしてみた。
背は、当代の女人の平均的身長よりやや低い。全体的に肉がないので丸みはなかった。それもこれも、十代の成長期にまともな食事ができなかったからだが、そこはさておき。
「やっぱり『先生』でお願いシマス」
年齢的にも姑娘なんて呼ばれると、むずがゆくてしようがない。
「では先生。先日の、読み聞かせはおもしろかった」
「え、聞いてたの?」
笑い含みに頷く宇月はどっしりと構えている。肌艶からして歳若いはずなのに、相対しているとどちらが歳上かわからなくなってくる。
「俺もひとつ」
宇月は知っている不思議話があると言う。
それを聞いてもらいたくて今日は寄ったのだと。
そんなふうに語りはじめた宇月の左の親指には太い指輪があった。銀製の質素な品だが、ついつい目がいってしまう扶霊だった。
「それは不思議な薬売りと知り合った男の話」
男は、噂の薬売りに興味をもった。
というのも、扱う薬は高価なものばかりだったが効能も素晴らしく、民は、出没自在な薬売りが来るのを、列をなして待っているという。
薬売りが市に店を開く日は決まっていない、待ちぼうけになる民も多かった。
男も会えないだろうと諦め半分で出かけたのに。運よく、薬売りは市にやって来た。
その夜、客がひいた頃。
男は、薬売りに声をかけた。
『すごいなあんた』
声をかけたのはただの気まぐれ。深い意味はなかった。
酒を奢ったのも気まぐれで、二人は酌み交わす。
『これだけいい薬を手許にそろえられるということは、あんたには、俺達には見えないものが見えているんだろうな』
『そう思うなら、今見えている外側も見てみればいい』
薬売りは言う。
そのとき、男の酒杯には月が映っていた。
『さすがに壺中天までは見えないよな』
男は戯れで言った。壺の中には仙界が広がっているなんて伝説を信じていたわけじゃない。深夜の酒の席だ、このときも深い意味はなかった。
なのに、薬売りは笑って応じた。
『試してみようか』
なにを思ったか、今となってはもう訊くことはかなわないが。
薬売りが酒に右の薬指を浸すと、そのまま身体は小さな酒杯に吸いこまれて――
「消えた」
話は終わったのだろうか。
宇月は口を閉ざしたまま。
不思議話特有の余韻を残した沈黙は、妙に扶霊を不安にさせた。頭の奥がすうっと白くなっていく感じがする。
(これは、緊張?)
居心地が悪い。
嫌な予感しかしない。
当たってほしい宝くじは当たらないのに、嫌な予感ほど的中する。それも高確率で。
「この後、男はどうしたと?」
「え?」
「薬売りは消えた。そこにぽつんと残された男はどうしただろうか」
訊かれても困るんですけどと扶霊は首を横に振る。
「男は、薬売りの言葉どおりに『試して』みた。自分も酒杯に指を浸したんだ」
宇月は男のマネをする。右の薬指の先で、卓をとんっと叩いた。
「そして男も消えた」
街頭で芸を披露する奇術師のように、宇月は右の拳を上向けてふわりと開いた。
「驚いたことに、酒杯の中には別の世界があった」
酒杯に吸いこまれた男の、眼前の景色は一変していたという。
「まさか……本当に壺中天があった、とか?」
「違う。そこは」
「そこは?」
「あの世、地獄だった」
宇月の声音があんまり普通だったので、扶霊は受け流しそうになったが。
「……地獄?」
「そう、地獄だった」
「なら、男は死んだ?」
「死んでない。男は死ぬことなく生きたまま地獄に連れていかれた、これを勾引という。そこで地獄の役人から『走無常になれ』と命じられて、男は仕方なく走無常になった。
走無常は、勾死人ともいう。だから俺はこの不思議話に[勾死人]という題をつけようと思っている」
「……走無常ってなに?」
「身体はこの世にありながら、地獄の手先を務める者のことだ」
「…………」
扶霊は黙る。
生死の境界を飛び越えた異様な話なのに、異様に感じなかった。
宇月の淡々とした語り口のせいだろうか?
現実味ある話しぶりに、内容を吟味しながら扶霊は首を傾ける。
(もしかして)
薬売りは言った、『今見えている外側も見てみればいい』と。
だから男はそのときに見た地獄の、眼前の景色を受け入れているのだとしたら。
人は怪しいものを目にした瞬間、己の精神状態を疑ったりしない。怪しき存在に対して見間違いだろうかと思うことはあっても、自分の頭がおかしくなったとは思わないものだ。
(男もそうだったのではないか)
眼前の光景を受け入れて、自分が異常だとは考えもしなかった。
(なぜなら)
怪しいもの――地獄の役人とやらは目の前にいて、会話し、動いていたから。
(現実に起こったことだったとしたら。語られたのは、実話……?)
理性と常識では信じられない、そんな超常現象あり得るだろうか?
(あったとして)
疑ううち、賭けをするかのような衝動に駆られる。
(地獄に勾引された男は……誰?)
扶霊も試してみたくなったのだ。
男は、誰なのか?
「走無常はこの世にいるんでしょ、なにしてるのよ?」
「うん?」
知らないと言ってほしい。
偶然に聞いた怪異譚だからと笑いとばしてほしい。
実体験ではないと否定したい――扶霊の期待はしかし、あっさり裏切られる。
「死した人の霊を導く。見過ごせぬほどの悪事をはたらく者を生きたまま陰間に連行する。陽間の悪鬼を連れ戻す。あとは役人の雑務だな、陰間はいつでも人手不足らしいから」
この世を陽間といい、あの世を陰間という。
「ああ、それと」
この国の民は死ぬと等しく陰間にいき、裁判に付されてから転生する。そのように信じられていた。
「告訴した者とかかわりのある者を勾引する」
「!?」
地獄の裁判所で訴えた者とかかわりのある者を、生きたまま地獄に連れていくというのか。
頭上から殴られたような衝撃を覚えて扶霊は懸命に耐える。
(これか)
嫌な予感は的中した。
自分で自分の表情に恨みと恐れがまじっているだろうと、わかってしまった。
(この話をわざわざあたしにする理由は)
だから注意深く顔をうつむけて前髪で影をつくる。
(この男の、理由って)
「……地獄って、本当にあるの?」
陰間はあると信じられている。
信じられているだけで、見た者はいない。
人というものは生来、己の目で見たものしか信じないことを扶霊は知っている。
(どうか笑い話だと言ってほしい、すべては冗談ですませてほしい)
「ある」
短い、たった一言がトドメとなって息が止まりそうになる。
迷いなく肯定され、焦りが冷や汗となって肌を伝った。
(早く)
早く〝石〟を見つけなければ。
(地獄があるのならば、あたしは……)
蓄積された不安は闇となり、この日この時、情け容赦なく扶霊を引きずりこんでいく。
《次回 腐れ縁》
意外な時刻、意外な人物に訪ねられて、跳ねあがる鼓動。
こんな巡り合わせをなんと呼んだらいいのだろう。
豈華ナシに一人でやって来た宇月を見て、扶霊は身も心もガチガチに固まった。
(まったくマズいときに来てくれた)
子供達は帰したばかりで、頼りの迅琳も買い物に出ている。夜市には一緒に行くつもりだったのに、『用があるのは例の面倒な店です』と聞いて、迅琳に任せてしまったのだ。
(しくったまずった失敗した)
一緒に出ればよかったのに。
嘆いても、もう遅すぎる。
(人とかかわりたくないんですけど)
近寄るな踏みこんでくるなという扶霊の心情を察したのか、宇月は苦笑した。
空気の読める青年らしい。
が、どういうつもりか、帰るという選択肢はないようで、
「先日は茶をご馳走になったので。礼にと、俺も茶を持参したんだが」
すいと宇月の手が伸びる。
差し出された木箱には茶葉が詰まっていて、ほんのりと薔薇の香りがした。この時代、茶葉はまだ高級品である。手みやげとして用意できたのなら、宇月という青年はそれなりにお金持ちなのだ。
「あの子供の淹れた茶はうまかったから。いないのか? 残念」
西日の射す時刻。庭は橙色に染まっている。
光を避けて扶霊は四阿に入ったのだが、まるで古くからの付き合いのように宇月があとを追ってくる。結果、二人は先日と同じ位置で向き合うことになった。
「今日は座るんですね?」
あのとき、宇月は茶を出されても座らなかったのに。
「今日は別の角度から顔を見たいと」
「?」
「あ、うん。あの子供――迅琳と二人で暮らしてるのか?」
なんだこの会話、と訝しみながらも扶霊は頷いた。
「広い邸だ、奴婢もなしに管理するのはたいへんだろう」
(探りをいれられているのだろうか)
「年齢からして親子でもおかしくないが。あの子供、先生の子じゃないよな?」
(そういえばまだお茶の礼を言ってない)
つと、卓上の箱に視線を落としながら、扶霊は、青年を観察してみた。
三白眼のせいか、豪胆に見える。けれど、仕種は神経質そうだった。袖の振り方ひとつとっても隙がない、吐息まで洗練されている、そんな印象がある。
「先生」
下から覗きこむようにして声をかけられ、扶霊はハッとなる。耳慣れない青年の声で、やっと、扶霊は物音が聞こえないほど考え事をしていたのだと気づいた。
「あー、……『先生』は、ちょっと」
やめてもらいたい。
先生らしくない自覚があるので微妙に顔がゆがんでしまう。
「みんなそう呼んでるのに。なら、姑娘」
「う」
娘さん呼びのせいで扶霊の喉がきゅっと絞まった。
(男のフリをしてたわけじゃないけど)
北方民族の影響で男装の女人は珍しくない。けっこう、いる。扶霊は動きやすさを重視して普段着にしているだけだが、それにしてはバレるのが早すぎた。
(会って二回、たいしてしゃべってもいないのに……)
ためらった様子もない。なんでだろうと、扶霊は自分の身体を見下ろしてみた。
背は、当代の女人の平均的身長よりやや低い。全体的に肉がないので丸みはなかった。それもこれも、十代の成長期にまともな食事ができなかったからだが、そこはさておき。
「やっぱり『先生』でお願いシマス」
年齢的にも姑娘なんて呼ばれると、むずがゆくてしようがない。
「では先生。先日の、読み聞かせはおもしろかった」
「え、聞いてたの?」
笑い含みに頷く宇月はどっしりと構えている。肌艶からして歳若いはずなのに、相対しているとどちらが歳上かわからなくなってくる。
「俺もひとつ」
宇月は知っている不思議話があると言う。
それを聞いてもらいたくて今日は寄ったのだと。
そんなふうに語りはじめた宇月の左の親指には太い指輪があった。銀製の質素な品だが、ついつい目がいってしまう扶霊だった。
「それは不思議な薬売りと知り合った男の話」
男は、噂の薬売りに興味をもった。
というのも、扱う薬は高価なものばかりだったが効能も素晴らしく、民は、出没自在な薬売りが来るのを、列をなして待っているという。
薬売りが市に店を開く日は決まっていない、待ちぼうけになる民も多かった。
男も会えないだろうと諦め半分で出かけたのに。運よく、薬売りは市にやって来た。
その夜、客がひいた頃。
男は、薬売りに声をかけた。
『すごいなあんた』
声をかけたのはただの気まぐれ。深い意味はなかった。
酒を奢ったのも気まぐれで、二人は酌み交わす。
『これだけいい薬を手許にそろえられるということは、あんたには、俺達には見えないものが見えているんだろうな』
『そう思うなら、今見えている外側も見てみればいい』
薬売りは言う。
そのとき、男の酒杯には月が映っていた。
『さすがに壺中天までは見えないよな』
男は戯れで言った。壺の中には仙界が広がっているなんて伝説を信じていたわけじゃない。深夜の酒の席だ、このときも深い意味はなかった。
なのに、薬売りは笑って応じた。
『試してみようか』
なにを思ったか、今となってはもう訊くことはかなわないが。
薬売りが酒に右の薬指を浸すと、そのまま身体は小さな酒杯に吸いこまれて――
「消えた」
話は終わったのだろうか。
宇月は口を閉ざしたまま。
不思議話特有の余韻を残した沈黙は、妙に扶霊を不安にさせた。頭の奥がすうっと白くなっていく感じがする。
(これは、緊張?)
居心地が悪い。
嫌な予感しかしない。
当たってほしい宝くじは当たらないのに、嫌な予感ほど的中する。それも高確率で。
「この後、男はどうしたと?」
「え?」
「薬売りは消えた。そこにぽつんと残された男はどうしただろうか」
訊かれても困るんですけどと扶霊は首を横に振る。
「男は、薬売りの言葉どおりに『試して』みた。自分も酒杯に指を浸したんだ」
宇月は男のマネをする。右の薬指の先で、卓をとんっと叩いた。
「そして男も消えた」
街頭で芸を披露する奇術師のように、宇月は右の拳を上向けてふわりと開いた。
「驚いたことに、酒杯の中には別の世界があった」
酒杯に吸いこまれた男の、眼前の景色は一変していたという。
「まさか……本当に壺中天があった、とか?」
「違う。そこは」
「そこは?」
「あの世、地獄だった」
宇月の声音があんまり普通だったので、扶霊は受け流しそうになったが。
「……地獄?」
「そう、地獄だった」
「なら、男は死んだ?」
「死んでない。男は死ぬことなく生きたまま地獄に連れていかれた、これを勾引という。そこで地獄の役人から『走無常になれ』と命じられて、男は仕方なく走無常になった。
走無常は、勾死人ともいう。だから俺はこの不思議話に[勾死人]という題をつけようと思っている」
「……走無常ってなに?」
「身体はこの世にありながら、地獄の手先を務める者のことだ」
「…………」
扶霊は黙る。
生死の境界を飛び越えた異様な話なのに、異様に感じなかった。
宇月の淡々とした語り口のせいだろうか?
現実味ある話しぶりに、内容を吟味しながら扶霊は首を傾ける。
(もしかして)
薬売りは言った、『今見えている外側も見てみればいい』と。
だから男はそのときに見た地獄の、眼前の景色を受け入れているのだとしたら。
人は怪しいものを目にした瞬間、己の精神状態を疑ったりしない。怪しき存在に対して見間違いだろうかと思うことはあっても、自分の頭がおかしくなったとは思わないものだ。
(男もそうだったのではないか)
眼前の光景を受け入れて、自分が異常だとは考えもしなかった。
(なぜなら)
怪しいもの――地獄の役人とやらは目の前にいて、会話し、動いていたから。
(現実に起こったことだったとしたら。語られたのは、実話……?)
理性と常識では信じられない、そんな超常現象あり得るだろうか?
(あったとして)
疑ううち、賭けをするかのような衝動に駆られる。
(地獄に勾引された男は……誰?)
扶霊も試してみたくなったのだ。
男は、誰なのか?
「走無常はこの世にいるんでしょ、なにしてるのよ?」
「うん?」
知らないと言ってほしい。
偶然に聞いた怪異譚だからと笑いとばしてほしい。
実体験ではないと否定したい――扶霊の期待はしかし、あっさり裏切られる。
「死した人の霊を導く。見過ごせぬほどの悪事をはたらく者を生きたまま陰間に連行する。陽間の悪鬼を連れ戻す。あとは役人の雑務だな、陰間はいつでも人手不足らしいから」
この世を陽間といい、あの世を陰間という。
「ああ、それと」
この国の民は死ぬと等しく陰間にいき、裁判に付されてから転生する。そのように信じられていた。
「告訴した者とかかわりのある者を勾引する」
「!?」
地獄の裁判所で訴えた者とかかわりのある者を、生きたまま地獄に連れていくというのか。
頭上から殴られたような衝撃を覚えて扶霊は懸命に耐える。
(これか)
嫌な予感は的中した。
自分で自分の表情に恨みと恐れがまじっているだろうと、わかってしまった。
(この話をわざわざあたしにする理由は)
だから注意深く顔をうつむけて前髪で影をつくる。
(この男の、理由って)
「……地獄って、本当にあるの?」
陰間はあると信じられている。
信じられているだけで、見た者はいない。
人というものは生来、己の目で見たものしか信じないことを扶霊は知っている。
(どうか笑い話だと言ってほしい、すべては冗談ですませてほしい)
「ある」
短い、たった一言がトドメとなって息が止まりそうになる。
迷いなく肯定され、焦りが冷や汗となって肌を伝った。
(早く)
早く〝石〟を見つけなければ。
(地獄があるのならば、あたしは……)
蓄積された不安は闇となり、この日この時、情け容赦なく扶霊を引きずりこんでいく。
《次回 腐れ縁》
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