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始 ~追跡
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始 ~追跡
机上で揺れる微かな灯燭の炎が闇を追いたてている。
「引き継いでもらいたい任がある」
男が書き物をしている手を止めぬまま言った。
物音のない静かな室内、さして大きくもない男の声がはっきりと耳に届く。
「俺に?」
声をかけられた青年は、揖礼の姿勢のままで器用に片方の眉を跳ね上げた。
急に呼びだしておいて挨拶もナシに話が始まり不愉快になったからではない。
(任を引き継ぐなんて聞いたことはない……)
これまでになかった事態だから青年は訝しんだのだ。
任務を引き継ぐということは、別の誰かがその任務を担当していたということ。
(問題の解決しない何事かが起こった?)
眼前でせっせと筆を動かしている男が纏っているのは、黒地に赤糸の刺繍が施してある袍衫である。この役所での官給品であり、要するに男は青年の上役だった。
(面倒事、か)
詰まるところ、役所に籍をおく青年はなにをどうしようとも断れないし逆らえない。
青年の了承を待たず、上役は話を続けていく。目線を落とし顔も上げぬままに。
訴えは、とある女衒によるものであり、それは十一年前まで遡るという。
「対象を最後に確認できたのは、南の地。その後、行方が追えなくなっている」
「十一年も追うなんて、それ自体が異例では。行方が追えなくなってどれほど?」
「そうだな、かれこれ九年近くなる」
「九!? そんなこと」
「起こったのだ。対象を見つけ、速やかに勾引するよう」
(相も変わらず、なにもかもが強制的だな)
呆れ半分に青年は思ったがメンドクサイので口にはしない。
「なにか解決の糸口は?」
「前任者が南の地にたどり着いたとき、対象は、村人から『紫姑娘』と呼ばれていた」
「紫? 理由は?」
「不明だ」
上役はこれで終いだとばかりに書き物を続けている。問われても答えるべき答えがないのだという雰囲気が垂れ流しであった。
与えられる情報が少なすぎる。やりたくて後任になったわけでもないのに、あまりにもあまりだと、抗議をこめて青年がかかげていた大袖を揺らしたところで――
眼前の景色が一変し、普段どおりの平凡な生活に戻っていた。
「今日も三郎は暇そうだな」
庭に咲く蝋梅の甘い香りが漂う回廊を歩いてきた青年は、室に足を踏み入れるなり、机にもたれて立つ男――無恭に声をかけた。
無恭は裴氏の三番目の息子、ゆえに『三郎』とも呼ばれている。
「暇ではなかったよ。宇月が紙人形を送ってきたから暇になっただけで」
無恭の言う『暇になった』は、『仕事を休む口実ができて喜んでいる』である。
「紙人形じゃない。剪紙だ、おまえのは剪紙二。何度も言わせるな」
ここで話題となっている剪紙とは、白い紙の人形であり、大きさは掌ほど。手紙の役目を果たすので、どうやら彼なりに剪紙の送り主を待っていたらしい。
剪紙の送り主である青年は、姓を虞、名を宇月といった。
「それで? 国都には本業で来たのか、副業で来たのか」
無恭が愛用の扇子を閉じたままで振り振りしながら訊いてくる。
これまでの人生、男二人は、なぜかよくばったり出会った。そのたびに宇月は、無恭の邸に泊まっている。仕事の内容を隠す間柄でもなく、どう答えるかと視線をさまよわせるうち、庭の向こう側へと続く回廊を歩いていく女人の姿を見とめた。
「あれひょっとして妹?」
「ん? ああ、豈華だね。大きくなっただろう」
「お父さんか」
「女人というものはいつの間にやら大人びるもので。わからなかったのも無理はないよ」
「遠目にもルンルンで歩いてるのはわかる。出かけるのか?」
「先生のところじゃないのかな」
「先生? 家塾の?」
「いいや。主に庶人に対してだけれど、小説の読み聞かせをしたり、それで読書に興味をもてば字を教えたりしている。ために民からは『先生』と呼ばれていてね」
穏やかな口調で説明する無恭のタレ目がさらに垂れた。
(なんだ?)
「三郎のことだから、その『先生』とやらのことは調べてるんだろ?」
大切な妹が通っているのだ。調べて、なにかが引っかかっているのかもしれない。
長い付き合いで察した宇月は、とりあえず聞いてもいいという顔で先を促した。
「街東に凶宅と呼ばれている邸があったのだけれど」
街東は貴族の住む区画である。
凶宅とは住む者がいっぺんに貧しくなったりするいわく付きの邸のことで、貴族でなくても住むのを避ける。運気が下がるだけならまだマシで、最悪、病になったり死んだりもするのだ。怪事件テンコ盛りの事故物件である。
「度胸があるのかなんなのか、その先生が買い取ってね」
「邸を買ったのか?」
「そう。元は中級貴族の邸だからけっこうな広さなのだけれど、『凶宅だから値を下げてくれ』と叩きまくって格安価格で購入したらしい。売るほうも、いわく付き物件に銭を払ってくれるのかと喜んで手放したそうだよ」
「それ、いつの話だ?」
「今から九年ほど前か」
「凶宅に長年住んで未だに無事ねえ」
「小突いただけで倒壊しそうなおんぼろ邸宅だったのに今は見違えるようだよ。庶人の子らが多く出入りしているからかもしれないけれど、華やいでいるように見えるね」
「ふーん」
と、宇月は気のない返事をしながら大袖に両手をつっこんだ。
(これといって三郎が引っかかるほどの要素はないが)
凶宅は多くはないが、どこにでもある話ではある。
「その邸に暮らす迅琳という少女と妹が仲よしで」
庭の花から花へ、蝶のように視線を移してのんびりと構えていた宇月は反応する。
「迅?」
「姓だとしたら興味深いよね」
「だから妹をやっているのか?」
扇子をばらりと開いた無恭は声もなく笑うだけ。
久しぶりの再会とはいえ野郎二人での茶飲み話がもつはずもなく。
暇つぶしの国都見物も兼ねて豈華のあとをつけてきた宇月は、通りで足を止めて邸を見上げている。
正面の門に扁額はかかげていない。
(先生とやらは貴族の出ではないのかな)
無恭の言ったとおり凶宅といった印象はなく、淡い光が洩れているような華やかさを感じた。邸を囲む塀もしっかりしているし、日々の暮らしに困っているふうはない。
子供達が来るためか門は開け放たれているので、宇月は近づいてみた。
そろっと中を覗く。
前庭があり、その中央を建物に向けて通路が延びている。脇には広めの四阿があった。四阿の周りでは四、五人の子供達が遊んでいるので、今日のように暖かい日には外の四阿で字を教えたりしているのかもしれない。
陽だまりに一人だけ大人がいた。
ぽつねんと立っている。
筒袖の袍衫を纏っているから男だろうが、
(それにしては先生、身体の線が細くないか)
と、いらん感想をもったとき。
早春の柔らかな風が庭を吹き抜けていき、男の、長く垂らした前髪が煽られて――
三年、当て所も無くさまよった旅の終わりは唐突にやって来る。
――『紫』の意味を知る。
「見つけた」
《次回 近づく距離》
机上で揺れる微かな灯燭の炎が闇を追いたてている。
「引き継いでもらいたい任がある」
男が書き物をしている手を止めぬまま言った。
物音のない静かな室内、さして大きくもない男の声がはっきりと耳に届く。
「俺に?」
声をかけられた青年は、揖礼の姿勢のままで器用に片方の眉を跳ね上げた。
急に呼びだしておいて挨拶もナシに話が始まり不愉快になったからではない。
(任を引き継ぐなんて聞いたことはない……)
これまでになかった事態だから青年は訝しんだのだ。
任務を引き継ぐということは、別の誰かがその任務を担当していたということ。
(問題の解決しない何事かが起こった?)
眼前でせっせと筆を動かしている男が纏っているのは、黒地に赤糸の刺繍が施してある袍衫である。この役所での官給品であり、要するに男は青年の上役だった。
(面倒事、か)
詰まるところ、役所に籍をおく青年はなにをどうしようとも断れないし逆らえない。
青年の了承を待たず、上役は話を続けていく。目線を落とし顔も上げぬままに。
訴えは、とある女衒によるものであり、それは十一年前まで遡るという。
「対象を最後に確認できたのは、南の地。その後、行方が追えなくなっている」
「十一年も追うなんて、それ自体が異例では。行方が追えなくなってどれほど?」
「そうだな、かれこれ九年近くなる」
「九!? そんなこと」
「起こったのだ。対象を見つけ、速やかに勾引するよう」
(相も変わらず、なにもかもが強制的だな)
呆れ半分に青年は思ったがメンドクサイので口にはしない。
「なにか解決の糸口は?」
「前任者が南の地にたどり着いたとき、対象は、村人から『紫姑娘』と呼ばれていた」
「紫? 理由は?」
「不明だ」
上役はこれで終いだとばかりに書き物を続けている。問われても答えるべき答えがないのだという雰囲気が垂れ流しであった。
与えられる情報が少なすぎる。やりたくて後任になったわけでもないのに、あまりにもあまりだと、抗議をこめて青年がかかげていた大袖を揺らしたところで――
眼前の景色が一変し、普段どおりの平凡な生活に戻っていた。
「今日も三郎は暇そうだな」
庭に咲く蝋梅の甘い香りが漂う回廊を歩いてきた青年は、室に足を踏み入れるなり、机にもたれて立つ男――無恭に声をかけた。
無恭は裴氏の三番目の息子、ゆえに『三郎』とも呼ばれている。
「暇ではなかったよ。宇月が紙人形を送ってきたから暇になっただけで」
無恭の言う『暇になった』は、『仕事を休む口実ができて喜んでいる』である。
「紙人形じゃない。剪紙だ、おまえのは剪紙二。何度も言わせるな」
ここで話題となっている剪紙とは、白い紙の人形であり、大きさは掌ほど。手紙の役目を果たすので、どうやら彼なりに剪紙の送り主を待っていたらしい。
剪紙の送り主である青年は、姓を虞、名を宇月といった。
「それで? 国都には本業で来たのか、副業で来たのか」
無恭が愛用の扇子を閉じたままで振り振りしながら訊いてくる。
これまでの人生、男二人は、なぜかよくばったり出会った。そのたびに宇月は、無恭の邸に泊まっている。仕事の内容を隠す間柄でもなく、どう答えるかと視線をさまよわせるうち、庭の向こう側へと続く回廊を歩いていく女人の姿を見とめた。
「あれひょっとして妹?」
「ん? ああ、豈華だね。大きくなっただろう」
「お父さんか」
「女人というものはいつの間にやら大人びるもので。わからなかったのも無理はないよ」
「遠目にもルンルンで歩いてるのはわかる。出かけるのか?」
「先生のところじゃないのかな」
「先生? 家塾の?」
「いいや。主に庶人に対してだけれど、小説の読み聞かせをしたり、それで読書に興味をもてば字を教えたりしている。ために民からは『先生』と呼ばれていてね」
穏やかな口調で説明する無恭のタレ目がさらに垂れた。
(なんだ?)
「三郎のことだから、その『先生』とやらのことは調べてるんだろ?」
大切な妹が通っているのだ。調べて、なにかが引っかかっているのかもしれない。
長い付き合いで察した宇月は、とりあえず聞いてもいいという顔で先を促した。
「街東に凶宅と呼ばれている邸があったのだけれど」
街東は貴族の住む区画である。
凶宅とは住む者がいっぺんに貧しくなったりするいわく付きの邸のことで、貴族でなくても住むのを避ける。運気が下がるだけならまだマシで、最悪、病になったり死んだりもするのだ。怪事件テンコ盛りの事故物件である。
「度胸があるのかなんなのか、その先生が買い取ってね」
「邸を買ったのか?」
「そう。元は中級貴族の邸だからけっこうな広さなのだけれど、『凶宅だから値を下げてくれ』と叩きまくって格安価格で購入したらしい。売るほうも、いわく付き物件に銭を払ってくれるのかと喜んで手放したそうだよ」
「それ、いつの話だ?」
「今から九年ほど前か」
「凶宅に長年住んで未だに無事ねえ」
「小突いただけで倒壊しそうなおんぼろ邸宅だったのに今は見違えるようだよ。庶人の子らが多く出入りしているからかもしれないけれど、華やいでいるように見えるね」
「ふーん」
と、宇月は気のない返事をしながら大袖に両手をつっこんだ。
(これといって三郎が引っかかるほどの要素はないが)
凶宅は多くはないが、どこにでもある話ではある。
「その邸に暮らす迅琳という少女と妹が仲よしで」
庭の花から花へ、蝶のように視線を移してのんびりと構えていた宇月は反応する。
「迅?」
「姓だとしたら興味深いよね」
「だから妹をやっているのか?」
扇子をばらりと開いた無恭は声もなく笑うだけ。
久しぶりの再会とはいえ野郎二人での茶飲み話がもつはずもなく。
暇つぶしの国都見物も兼ねて豈華のあとをつけてきた宇月は、通りで足を止めて邸を見上げている。
正面の門に扁額はかかげていない。
(先生とやらは貴族の出ではないのかな)
無恭の言ったとおり凶宅といった印象はなく、淡い光が洩れているような華やかさを感じた。邸を囲む塀もしっかりしているし、日々の暮らしに困っているふうはない。
子供達が来るためか門は開け放たれているので、宇月は近づいてみた。
そろっと中を覗く。
前庭があり、その中央を建物に向けて通路が延びている。脇には広めの四阿があった。四阿の周りでは四、五人の子供達が遊んでいるので、今日のように暖かい日には外の四阿で字を教えたりしているのかもしれない。
陽だまりに一人だけ大人がいた。
ぽつねんと立っている。
筒袖の袍衫を纏っているから男だろうが、
(それにしては先生、身体の線が細くないか)
と、いらん感想をもったとき。
早春の柔らかな風が庭を吹き抜けていき、男の、長く垂らした前髪が煽られて――
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