恋愛から逃げる女と結婚から逃げる男の逃避行

碧井永

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第三章(2/2)

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 第二景

 レイ達が青凄せいせいの豪商である芭瑠ばるから借りているのは邸の一部であるが、そこは別邸といってよいほどの造りとなっている。
 門もあって、そこから続く前庭があり、回廊を渡ればそれぞれの室へと行ける。したがって、門番が立っているわけではないので比較的自由に人の出入りができる。
 それは同居中のヒュウと迅白じんはくが二人で仲よくお出かけしている昼間に起こった。
「いたってフツーの女じゃない」
 突然、聞き覚えのない声が響いてレイは振り返った。
 ちょうど番蓮ばんれん村の問題点を書きとめていたときだったので、かなりびっくりしたらしく、紙へと視線を戻してみたら、手許てもとの筆から墨がぼとぼと落ちて字が読めなくなっていた。
「ええっと、貴女あなたどちらさま?」
(書きなおさなきゃ)と若干苛立ちながらもレイが訊けば、女――というより少女は「環宇かんう」と名乗った。幼さが表情に影をつくっていて、どう眺めてもレイより歳下である。
「そう、環宇さんね。いやでも環宇さん、勝手に入ってきたら人としてダメでしょ」
「そっちこそ人としてダメ。扉、開いてたじゃん」
「蒸すから開けてただけで、環宇さんを招くために開けてたんじゃないんだけどな」
「開けてはいけない扉でも強引に開けて堂々と胸を張って飛び込むの、それが女の美学ってもんよ」
 悪びれることなく環宇は言う。しかし、意味はわからない。美学って……。
「あんたさ、炎媚えんび姐さんとヒュウが恋仲でなんとも思わないのっ!?」
「…………。は?」
「ああそういうこと。あんたまだ、なんにも知らないのね」
 環宇は一人納得したように頷いて、一人さくさく話を進める。
しゃ家が営む老舗の妓楼でヒュウが働いてるのは知ってんの?」
傭人用心棒としてね。知ってるけれど。……妓家の姓ははじめて聞いたな、『紗家』ってなんだか川をさかのぼるという異国の魚のような姓なのね」
「ほら、そこっ」
「どこよ」
「今、あんたの無神経さ、でたじゃん」
「…………。は?」
「恋人が働いている場所すらちゃんと把握してないとこ。そんなふうに大雑把だから恋人を寝取られんのよっ。このままだったら顔だけいい男のあんたの恋人、千回はとられるからねっ」
「は? 寝取るって、ヒュウを? 恋人???」
「紗家の娘である炎媚姐さんはいずれ妓楼を継ぐ女人なのよ。今も一番人気の妓女で、あたしは姐さんの後輩妓女やってんの。ヒュウって単純な男よね、財目当てってばればれなのに、後継ぎの姐さん狙ってくるなんて。底の浅い顔だけ男、あたしだって落とせるってもんよ」
(なるほど、そういうこと)
 いきなりの会話で頭が追いついていなかったレイもやっと事情を理解できた。
(この子もヒュウが好きなのね)
 傭人として雇われたヒュウを好きになった。だが、ヒュウと先輩妓女の炎媚が恋仲になっている。炎媚は先輩だし、好意をもち続けるのは気がひける。でもヒュウを諦めきれない。だから振り向かせられないヒュウに対して悪態をつきつつ、レイに八つ当たりに来た。レイを元恋人と誤解して。
(わたしはヒュウの恋人じゃないのにっ)
「あんたがしっかりしてれば、ヒュウが姐さんにちょっかい出さずに済んだんじゃん。いい、女ってのはね、厭味言ったり言われたり、意地悪したりされたりね、ドブ沼に片足突っ込んで泥を引っかけ合いながら恋人を奪い合って生きてんのよ。卑怯卑劣を繰り返して外道と罵倒されようが卑小にならずに生きてるのが女なの。あんた、顔もフツーなら性根もフツーなのよっ。人生百回やりなおしたら?」
「う、ちょっ……そこまで」
 訊けば環宇は十六歳だという。化粧せず街娘のような恰好でも、海棠の花とはこのことかというほどに可憐で、立ち姿はたおやかだ。これも妓女だからだろうか。
 にしても、だ。
 見かけにそぐわず言っていることはかなりひどい。
(初対面なのに、わたし、ふたつも歳上なのに。普通じゃなくて見鬼師なのに)
「女は根にもつんだからね」
 散々罵って気が済んだらしい環宇が帰ったあとで、レイは考え込む。暴風雨並みの彼女の行動力は、それだけ破壊的な刺激をぶつけてレイに影響を及ぼしていった。
 人を追いかける情熱。それは誰もがもっている。
 だって誰かを好きになったら、きっと、なりふりかまっていられない。
 たとえば迅白がそうだ。仕事を捨て、皇都から青凄までヒュウを追いかけてきた。
 迅白だけではない。これまでの旅で、レイは学んだ。
 牡丹の花妖かようが魅入っていた青年――彼だって、花妖というを愛してしまったから幼馴染みと喧嘩した。庖丁を持ち出して脅すほどに我を忘れて。
 皇都で仕事を依頼してきた皇太弟こうたいてい妃にしても、そう。そこに皇后になりたいという野心があったとはいえ、皇太弟に愛された女人に嫉妬した。皇太弟を欲する思いが止められず、嫉妬したから殺したのだ。
 この世は嫉妬で回っている。
 憎しみの根源は嫉妬。
 情熱も醜くゆがんで体内を巡る毒となり、嫉妬へと変わる。
 こんな感情にレイはかかわりたくないと思っていた。
 なるべく人と距離をとって人と人がめぐり合う傍観者でありたい、と。
 なぜなら。
 無能の凡人であれば、感情の豊かさは「人らしい」の一言で済まされるかもしれない。だが、不可思議の方術ほうじゅつを駆使する有能の見鬼師が必要以上に他人とかかわれば、いろいろと差し障りがでてくる。個人的に誰かに肩入れしては真実を見抜けなくなってしまう。だからレイは、仕事以外では男女問わず人と距離をとって生きてきたのだ。
(ヤだな、厄介事に巻き込まれつつある……)
 思った直後、レイは奇妙な感覚に囚われた。
 妓楼の仕事をヒュウに紹介したのは芭瑠だと聞いていたが、その芭瑠に対して無性に腹が立ってきたのだ。
 ヒュウが迅白と連れ立って出かけるとき、今日も芭瑠は元気溌剌おネェ言葉で話しかけていた。いつもの風景だ。が、思い返せば、いつになくイラッとくる。
 そもそも芭瑠が口利きしなければ、環宇がやって来るという厄介事に巻き込まれなくて済んだのに……。
(……厄介事って?)
 自分の思考なのに、なにがなんだか、レイは混乱してきた。
 環宇はヒュウが好き。
 でもヒュウは炎媚という妓女と恋仲で、しかも元部下の迅白ともかわらず仲よしだ。
(そこにわたしは絡まない。だから堂々としてれば巻き込まれないはずで……)
 環宇に言わせれば、堂々と胸を張るのは女の美学。
 歳下の言動に感化されすぎていることにハッとなり、苦笑して、でも、気持ちの終着点が見つけられず落ち着かない。
 このとき微かに脳裏をよぎったのは。
 顔もろくに思い出せない、幼馴染みのことだった。

 忘れてしまった幼馴染みの名。
 名は、その存在を記憶する標となるという。だからだろうか、顔もろくに思い出せなくなっている。
 あの日――。
 凄惨な一瞬をおき去りにして、まるで夢のように紅紫の花片が風にあおられ宙を舞っていた。
 悪夢でもいいからと、懇願する自分。
 どうか――と人が願うとき、向ける想いは本気だ。けれど願いはかなわずに。
 どさりと響いた鈍い音。
 忘れもしない……人が死に逝くときの、音。
 この世に怨念を残すように目をいていた。その目と自分の目が合えば呪われたように思えて、濃密な血の臭いの立ち込める中で身体が震えた。
 わたしが追うべきは感情をともなった特定の〝誰か〟ではない。〝誰か〟であってはならない。
 追うべきは現実だ。
 彼を殺したのはわたしだから。





《次回 明日2月18日更新です》


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