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序
しおりを挟む「この世界で最も純粋なのは苦悩と悲哀なんだって……知ってた?」
だから――
愛は不幸の源だ。
元凶だ。
愛を受ければ受けただけ、人に孤独をもたらし消えていく。
序
偶然と必然の境は微妙なところにある。
よって、出逢いも微妙な場所にあるといってよい――はず。
それが起こったのは、一組の男女が小さな村の端を通り抜けようとしていたときだった。
「おまえがッ、おまえのせいで――」
男の怒声が、のどかな農村の片隅に建つ一軒家に響き渡った。声からして若い男だ。
「だから悪かったって」
怒りの声に対し、冷静に詫びているのも男の声。落ち着いているように聞こえるが、こちらの声音には若干の焦りが滲んでいる。
通りすがりの男女が目を向ければ、農夫らしい若い男二人が家の前庭でもめていた。庭といっても貴人の邸とは異なり、どこまでが道でどこまでが家の敷地か区別のつかない無駄にだだっ広いものである。そこで男二人が言い争っている。
「返せッ」
詫びの言葉が耳に入ってこないのか、片方の男が激昂する。今にも飛びかからんとする怒り心頭の男の右手には、清々しい晩春の陽射しにきらりと輝く物が握られていた。
庖丁だ。
切迫した事態である。
((厄介なところに行き合った))
間髪をいれずそう思ったのは、通りすがりの男女。心の叫びは二人、ほぼ同時。
とくに男のほうは見過ごすことができなかったのか、刃にびくっと肩が反応して、すぐに乗っていた馬から降りてしまう。同じ馬に乗っていた女は興味なさげであったものの、手綱をさばく者が降りてしまえば選択肢はなく、嫌でも鞍上から状況を見守るしかない。
その間にも事態は順調に悪化して、必死に謝り続けている農夫に、庖丁男が斬りかかろうとしていた。
颯爽と馬から降りた男の腰には立派な剣が佩かれていたがそれは抜かず、庖丁男にさらりと足払いを喰らわせた。直後には、右手首に打ち込んで庖丁を叩き落としてしまう。
一連の動きは素早く自然で条件反射といってもいいほど。農夫二人の間に割り込んで、わずか数拍の出来事であった。
なにがどうなったのか。
農夫二人の思考は追いついてこないらしい。ただじっと、突然この修羅場に登場した第三の男を見つめていた。そうして、なにがどうなったのか。判断力が回復してしばらくののちには、二人揃ってこの男に事の次第をぶちまけていた。互いに自分の行動の正しさを主張したのである。
割って入った男はなにやら「うんうん」頷きながら、しかし、これといった表情もなく農夫達の話を聞いている。
(なにやってんだか……)
胡乱な目つきでそれを眺めていたのは女だ。自分の連れなのにまるで他人事であった。事実、女にとっては他人事だからしようがない。ないのだが。
片手をあげて連れの男が戻ってきたとき、他人事ではなくなる予感に見舞われた。
「どうやら私の出番ではないらしい」
(どうやら予感ではなくなるのね)そう女が思ったことなど、男は知るよしもない。
巻き込まれることを半ば覚悟しながら女は応じた。
「あんた、厄介な事に首を突っ込んだんじゃないでしょうね?」
「庖丁男が主張するには」
「ちょっと、あんた。人の話を聞きなさいよ」
「聞いたから、おまえに話しているんだろう。で、庖丁男が言うことには」
人の話の〝人〟の解釈がズレている。この場合の〝人〟は女を指しているのであり、農夫二人を指しているのではない。この際、農夫二人の存在は忘れてもらいたいのに。
(というか、忘れさせたい!)
普段からこんな調子で会話のずれることが多々ある男である。
(この男らしいといえばらしいんだけどね……)
馬上で呆れて脱力する女を見上げたまま、何事もなかったように男の話は続いている。
「庖丁男はここ一年ほど腰痛を患っていたという。独りで立ち上がることもできず途方に暮れていたとき、痛みどめの丸薬を届けてくれる美しい女人が現れたとかで」
「女人?」
「そう。若い女人らしい、容姿からして二十歳前後だとか。蠱惑的な眸のもち主で清楚な雰囲気だそうだ。当たり障りのない世間話をしては薬を置いていくようになったのだと」
ふうん、と応えて女は両目を眇めた。先程まで庖丁を握っていた男に焦点をしぼって。
見る。
ただそれだけの行為だった。とても単純な。誰でもできること。
そんな女の行動の理由を、男は過去の経験から理解しているようだった。適当な間合いを計って更に言葉を継いでいく。
「庖丁男は独身で、その女人が薬を持って現れるのを日々愉しみにしていたらしい。端的に言えば、惚れたんだろうな。なのに、女人は現れなくなった。それで庖丁男は悟った――牡丹の花が庭から消えているせいだ、と」
端から見れば(なに言ってんだこいつ、頭大丈夫か)と疑いたくなる支離滅裂な話であるが、女にしてみれば筋はとおっている話であった。
植木などない殺風景な庭を見渡して女は頷いた。
「でしょうね。庖丁男には、なにもとり憑いていないから」
受けて、今度は男が「そうか」と頷いた。
「で、ここからは詫びていた男の主張だ。
庖丁男の庭には牡丹の低木があったんだが、それが不思議な木で、一輪の大輪の赤い牡丹は枯れることがなかったという。季節に関係なく年中咲き続けていたらしい。庖丁男はたいそう牡丹の花を大切にしていた、熱心に世話もしていた。それがどういうわけか、十日ほど前に牡丹の花は枯れてしまった。以降、庖丁男は元気がなく、出歩かなくなったために、なんとかしてやりたいと詫び男は考えたそうだ。すでに腰痛は治っている。腰のせいで外出しないのではないから、と。ちなみに詫び男は、庖丁男の幼馴染みだ」
〝幼馴染み〟という言葉に、女の鼓動は跳ねあがった。だが、態度には表さない。
「詫び男って、詫びていたほうの男のことよね? 二人は友人だったわけね。それで?」
親しい者ほど相手に対する想いが募って、言い争えば余計にこじれることもあるだろう。人は感情で動いているのだから、想いのすれ違いは仕方のないことだ。
「土が合わなくなったのかと詫び男は思いついて、牡丹の低木を引っこ抜き、ほかの場所へ移した。それが昨夜のことで、なんで夜にやったのかというと、見事に牡丹の花を咲かせてそっともとの場所へ戻し、庖丁男を喜ばせたかったからだそうだ」
そこから冒頭の、
「庖丁男の『返せッ』という怒りの声につながるのか。牡丹の花を返せ――なるほどね」
女は納得した。
とはいえ、だ。詫び男が庖丁男に牡丹の木を返したところで、事は解決しない。
なぜなら。
季節を問わず花が不思議な咲き方をした場合、それは〝怪しい〟ものが宿っている証。これを花妖という。庖丁男に薬を届け続けた女人は花が化けた存在、つまり、人ではなく牡丹の花妖であったのだ。
花妖は庖丁男に魅入っていた、ということ。
花妖のもつ妖力によって、庖丁男はとり憑かれ、惚れさせられてしまったのだ。
「人としての本能とでもいうべきか。庖丁男は、薬を持って現れる美人が怪しいものであることに気づいていたんでしょうね。だから牡丹の木を失って、直感的に美人には会えなくなることを悟ったのよ。幼馴染みを庖丁で斬りつけて脅すほどにね、文字どおり恋に狂ったんだわ。でも、……わからないな」
思い巡らすことを中断させた女が独り呟くように言う。
「なにが?」
「古来より牡丹の根の皮は、腰痛の薬として使われてきたわ。となれば花妖は、自らの木の根を、庖丁男に分け与えていたことになる。花妖が己の身を削って人に薬を分け与えるなんて、これまでに聞いたことがないのよね。おそらく牡丹の花が枯れたのは、己の根を庖丁男に与え過ぎたせいだろうけど」
「ならば、こういうことか――」
なぜか、女の顔色をうかがいながら男が尋ねる。
「――もし庖丁男が、花妖に〝本物の恋心〟を抱いていたとしたら。逢瀬を望む自分の存在こそが、牡丹の花を枯らせてしまう原因となった。悪いのは、恋しさのあまり治っていたにもかかわらず薬をもらい続けていた自分であって、牡丹を引っこ抜いた詫び男のせいではない」
「そういうことね」
こういうときには理解力を発揮する男であった。その分、説明がはぶけて助かってはいるものの、見透かされているような気にもさせられる。複雑な気持ちを味わうのだ。
そこで女は胸の奥に潜んでいる正体不明のなにかを吐き出すように「ふう」と深く息を吐いた。その呼気は心が凍えているかの如く冷たかったが、女は無自覚だった。
「なんで牡丹の花妖はそんな行動をしたんだろう」
「なんでって、おまえ……」
遠くからふっと触れるように言いかけて、男はやめる。
遮るように女が口を挟んだからだった。
「とにかく。もう、ここには花妖はいない。枯れた時点で花妖は木から去ってしまっている。牡丹の木をここに戻しても、恋情を向ける女人は戻らない。この事実を庖丁男に伝えないと」
「……やってくれるか」
「それを訊く? ここでも逃避しといてどんだけ自由なのよ、あんたって人は。まったく、顎がはずれるほどの驚きよ。『私の出番ではない』って言って巻き込んだの、あんたじゃない。なによ今更」
にしても、損な役回りである。
事実は時に残酷に人の心を傷つける。
想いは一瞬にして砕かれる。
「花に溺れた代償がこれじゃあね」
女がぶすっとしながらも囁いて頷けば、男はなだめるようにして両手を差し延べた。掌は力強い。その、出逢いの瞬間からぶれない力が、却って女に不安をもたらすのだが、厄介なことに男は気づいていないらしい。女の細腰をとらえると、こなれた動きで馬上から抱き降ろしてやる。
地上に降り立った女は、男の手を離れて歩きだす。
女が纏っているのは簡素な襦裙で、形は旅装といえるものの、いっそ退屈なくらい普通の恰好をしている。人並みと言えるかもしれない顔貌の女はどう見ても十代後半といった若年であったが、なぜか、杖をついて歩いているのだった。
実はこの男女に寄り道している余裕はない。
逃避行の真っ最中であった。
《次回 明日1月8日更新です》
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