赤髪

碧井永

文字の大きさ
上 下
4 / 8

しおりを挟む
   3



 10月に入り、会社では下期がスタートした。
 期が移れば担当する仕事もかわる。私は来年度の新卒者向けパンフレットを制作するグループのサポートにつくことになった。
 乃木のぎさんとはあれから顔を合わせることはなかったが、この担当になって、打ち合わせに来る彼を見つけることが多くなった。どうやら人事部サイドの担当者は乃木さんらしいのだ。私はあくまでサポートなので打ち合わせに同席することもなく、時々その姿を見つけてはこっそり喜ぶという、なんともマヌケな日々を過ごしていたのだった。
「乃木さんて、噂どおりだったわね」
「そうそう。打ち合わせのときは結構しゃべるのに、終わるとすぐに席を立っちゃって。あわよくば飲みに誘おうとしてたのに、あれじゃ、話しかけてくれるなオーラを出しまくってる感じよね」
 斜め前の席で、マンゴーのときの同僚が二人で話しこんでいた。聞くつもりはないのだが、どうしても耳に入ってしまう。聞いていて、私の知っている乃木さんとはずいぶんと印象が違うので、同姓の別人かと思ってしまうほどだった。
 なにしろ、マンゴーマンゴーと、給湯室まで追っかけをする人である。
「恰好いいのに、残念ね。あの髪も染めてるんじゃなくて地毛でしょ? 魅力的なのに」
「恰好いいから油断してるんじゃなくて? 乃木さんが上から目線で私たちを見てるとは思わないけど、ガツガツしなくても女は選べるとか思っているんじゃないのかしら」
 確かに、恰好のいい人なのだ。
 しかし、そういう匂い・・はしなかった。
「なら、もう、彼女がいるとか? 結婚間近とか?」
「そんなふうでもないけど。あー、でも男って、いつの間にか結婚するからね」
 なんとなく聞いていた私は、乃木さんにはそういった女性はいないと勝手に決めつけていたことに、我ながら意表を衝かれて、愕然としたのだった。

 それから半月後。
 乃木さんが打ち合わせにこなかったらしい。それは彼がポカをしたわけではなく、人事部で急な会議が入ったからだと聞かされた。
「乃木さんは、今の時間は空いてるらしいんだけど。私たちは業者の打ち合わせが入ってるのよ。でも、この色指定は四時までに済ませて印刷会社へデータ入稿しないといけないから、人事部へ行って、どの色がいいのか訊いてきてくれないかな」
 指示を受け、私は色見本を持って、人事部のフロアへ向かった。
 普段から私は、3フロア程度の移動であれば、エレベーターではなく階段を使う。とくに意味はないのだが、兄がデパートなどでそういうことをする人だったので、それを真似たまま今に至っているらしい。今日も階段を使い人事部のフロアまで下りると、昇降口のドアを開けたところに乃木さんが立っていた。
 ネクタイのノットを触りながら、片手で書類をはらはらとめくっている彼に話しかける。
「ちょうどお伺いしようとしてたところでした」
「連絡はもらってるよ。こちらの都合で雲雀ひばりさんのお手間をとらせて申し訳なかったね。そこの小会議室を押さえてあるから」
「あの、ずっと気になっていたのですが、腕の具合はどうですか?」
「なに? 腕? 俺が忘れてるくらいだから、もう全然平気だよ」
 会議室に入る直前、「なにか飲む?」と訊かれた。では、と私が自販機へ行こうとすると、「迷惑をかけたお詫びに奢るから」と笑顔を向けられた。
 やはり噂とは違う。
 席に着くなり、私は仕事の話を進めた。時間をとらせたくなかったのだ。
「今回決めていただきたいのは、パンフレット全体に使われるカラーです。まだ時間はありますので、大体のところを決めていただくだけでいいです。これをベースにして束見本つかみほんを作製し、掲載写真を選んだり、文字組みを決めたりしていくことになります」
 イメージがつかみにくいかなと、私は自分のノートを破って「パンフレットはこのくらいのサイズになる予定なんですが」と付け足した。
 乃木さんは笑った。
「あ、すみません。わかりにくかったですか?」
「ううん逆だよ。わかりやすいなと思って」
 ホッとするのも束の間だった。
「雲雀さんだったら、何色を選ぶ?」
 逡巡していると、「派遣だからって意見を言ってはいけないってことはないよ」と、また笑われた。でも、その言葉に救われたのだ。私が迷っていたのは、まさにそこだったから。
「俺の勘違いだったら、ごめん。雲雀さんは、こういったクリエイティブな仕事に向いてるんじゃないのかな? さっきの説明だって、いいものをつくりたいから丁寧に説明をしてくれたわけでしょ? デスクワーク専門の俺にもちゃんと伝わるように、って」
 クリエイティブな仕事に向いているかは別として、説明がしっかりと伝わっていることは嬉しかった。
「書店に並ぶ書籍ではないので、目を引く色にしなくてもいいと思います。これを手にとる新卒者は、初めて社会に触れるという意味でも緊張して開くことになるので、安心させるような色をもってくるのがいいかなと。たとえば暖色系の淡い色なら落ち着きますし」
 R(赤)からG(緑)の色見本を何色か差し出すと、「じゃあそれで」と即決されてしまった。
 忙しくて時間がないのは承知しているが、「もっと慎重に選んだほうが」と、私は慌てた。
「慎重に選んだよ。雲雀さんの説明を聞いて納得したから決めたんだ」
 そう返されてしまうと、なにも言えない。私は手早く片づけを始めた。
「今日は打ち合わせをキャンセルして申し訳なかった。お詫びに食事でもどうかな?」
「食事、ですか? でもさっき、ドリンクを奢ってもらいましたよ?」
「ドリンクで済ませるセコいヤツと思われたくない」
 思わず私がふき出すと、乃木さんもゆったりと笑った。
「あまりにサクサクと話を進めるから、俺と打ち合わせをするのが嫌なのかと思ったよ。実をいうとね、賭けをしたんだ」
「賭け、ですか?」
「雲雀さんが階段で来たら食事に誘おう、って。だから勝者の俺と食事をしてくれたら嬉しい」
 意味不明の理屈だったが、「はい」と返事をして私は自分のフロアへ戻った。

 店内はカウンターを除く三面の壁が水槽になっている、幻想的な空間だった。淡いブルーのライトが水槽を照らし、色鮮やかな熱帯魚の泳ぐ影がとても美しい。
「どう? お腹は膨れた?」
「はい、とってもおいしかったです。いつもは独りで食べているので」
 淋しいと言いかけて、しまったと口を噤んだ。「一人暮らしなの?」「家族は?」と訊かれるのが嫌なのだ。けれど、そうだったとホッとする。乃木さんは、知っているのだ。
「俺も独りだから淋しいよ」
 全然淋しくなさそうな顔で言うのがおかしかった。これは彼の癖なのだろうか、表情と話す内容が時々見事に一致しない。
「乃木さんは10年前におつらいことがあったと話してくれましたが、私も10年前にいろいろとあって。両親と兄を1ヵ月の間で立て続けに亡くしたんです」
 せっかくの楽しい雰囲気を壊したくなかったが、乃木さんなら、そうはならないように思えた。
「家族で一戸建てに住んでいたんですけど、経済面や精神面で問題も多くて、結局大学を卒業してすぐに売ってしまいました。だから私、今はマンション暮らしなんです。乃木さんとは逆ですね」
「広い家が恋しい?」
「今となってはそう思うこともあります。でも当時はあまりに広くて哀しくて、あんなに部屋があるのに居場所がなくて耐え切れなくなったんですよ。人が消えると、灯りも消えてしまうから。でも、最近になって気づきました。住んでいる場所の問題じゃなくて、心のもちようなんだって。今はワンルームに住んでいるんですが、やっぱり居場所がないような気がしてしまう。だったら想い出のつまった家を売らなきゃよかったなって、後悔してるんです」
 乃木さんが、表現し難い顔をした。怒っているような、けれど気鬱ともとれる複雑な表情だったので、なにを考えているのかわからなかった。
「そのうち旦那さんが立派な家を建ててくれるって」
「それはないと思います」
 否定を強調するように、もう一度「ないです」と答えた。
 親ナシで、わけありの女と、結婚しようとする男はいるだろうか。
 生き続けるよう努力はするが、結婚となるとまた別の問題だ。そもそも私は、高校二年のときから、人と距離をとって付き合うようになっていて、今夜のように二人で食事へ出るなんて有り得ないことだった。会社で噂されている乃木さん評価は、そのまま私に当てはまるのだ。
 唐突に、同僚の言葉を思い出した。
『あー、でも男って、いつの間にか結婚するからね』
「乃木さんも広い家でずっと・・・独りは淋しいですよね?」
 伝わっただろうか。
「ああ、そうね。でも予定はないな」
 すごい、と思った。私の意を汲んで返事をしてくれたのだ。
 跳ね上がる鼓動を静めるように、私は話題をかえた。
「そういえば。給湯室のパーテーション、新しくなってたんです。私としては、いつ請求がくるのかなって怯えていたんですけど」
「そんなこと心配してたんだ。言ってくれればよかったのに。俺が総務部に交渉して、会社の金で買わせたから問題ナシ」
 この人は、どれだけ私を驚かせるのだろうか。そこまでしてくれていたことに、なんと言えばいいのかわからなくなってしまう。
「割ったのは俺だしね。それに俺、会社ではイイ子ちゃんだから、頼めばどうにかなったりするんだよ」
「イイ子ちゃんだなんて、そんな」
「そんなことあるよ。人付き合いが苦手だから、会社では演技をするしかない。それが俺の処世術かな」
 世間では演技をして疲れてしまうから、余計にプライベートにはかかわってほしくないのかもしれない。
 乃木さんのもつ不思議な面を、ひとつ解決したような気分だった。

 帰宅して、私は蒼ざめた。
 バッグの中に、乃木さんの定期券ケースが入っていたのだ。駅で彼が「定期を失くした」と言っていたのを間近で見ていただけに、衝撃は大きかった。
 どうしてこんなことにと考えて、そういえばと思い至った。
 店に入って席に着いた直後、私がバッグを落として中身を床にバラ撒いてしまった。乃木さんは一緒に拾ってくれたのだ。あのとき入ってしまったのだろう。
 慌てて乃木さんの定期を取り出し、教えてもらったばかりのケータイ番号へ連絡しようとした。
 だが、私の頭は真っ白になった。
 二つ折りのケースの中には、定期券と一緒に写真が入っていた。

 乃木さんと並んで笑って写っているのは私の兄の、史矢ふみやだった。




しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

時の呪縛

葉羽
ミステリー
山間の孤立した村にある古びた時計塔。かつてこの村は繁栄していたが、失踪事件が連続して発生したことで、村人たちは恐れを抱き、時計塔は放置されたままとなった。17歳の天才高校生・神藤葉羽は、友人に誘われてこの村を訪れることになる。そこで彼は、幼馴染の望月彩由美と共に、村の秘密に迫ることになる。 葉羽と彩由美は、失踪事件に関する不気味な噂を耳にし、時計塔に隠された真実を解明しようとする。しかし、時計塔の内部には、過去の記憶を呼び起こす仕掛けが待ち受けていた。彼らは、時間が歪み、過去の失踪者たちの幻影に直面する中で、次第に自らの心の奥底に潜む恐怖と向き合わせることになる。 果たして、彼らは村の呪いを解き明かし、失踪事件の真相に辿り着けるのか?そして、彼らの友情と恋心は試される。緊迫感あふれる謎解きと心理的恐怖が交錯する本格推理小説。

マクデブルクの半球

ナコイトオル
ミステリー
ある夜、電話がかかってきた。ただそれだけの、はずだった。 高校時代、自分と折り合いの付かなかった優等生からの唐突な電話。それが全てのはじまりだった。 電話をかけたのとほぼ同時刻、何者かに突き落とされ意識不明となった青年コウと、そんな彼と昔折り合いを付けることが出来なかった、容疑者となった女、ユキ。どうしてこうなったのかを調べていく内に、コウを突き落とした容疑者はどんどんと増えてきてしまう─── 「犯人を探そう。出来れば、彼が目を覚ますまでに」 自他共に認める在宅ストーカーを相棒に、誰かのために進む、犯人探し。

四次元残響の檻(おり)

葉羽
ミステリー
音響学の権威である変わり者の学者、阿座河燐太郎(あざかわ りんたろう)博士が、古びた洋館を改装した音響研究所の地下実験室で謎の死を遂げた。密室状態の実験室から博士の身体は消失し、物証は一切残されていない。警察は超常現象として捜査を打ち切ろうとするが、事件の報を聞きつけた神藤葉羽は、そこに論理的なトリックが隠されていると確信する。葉羽は、幼馴染の望月彩由美と共に、奇妙な音響装置が残された地下実験室を訪れる。そこで葉羽は、博士が四次元空間と共鳴現象を利用した前代未聞の殺人トリックを仕掛けた可能性に気づく。しかし、謎を解き明かそうとする葉羽と彩由美の周囲で、不可解な現象が次々と発生し、二人は見えない恐怖に追い詰められていく。四次元残響が引き起こす恐怖と、天才高校生・葉羽の推理が交錯する中、事件は想像を絶する結末へと向かっていく。

ノンフィクション・アンチ

肥料
ミステリー
超絶大ヒットした小説、勿忘リン作「苦しみのレイラ」を読んだ25歳の会社員は、今は亡き妹の学校生活と一致することに気がつく。調べていくと、その小説の作者である勿忘リンは、妹の同級生なことが判明した。妹の死因、作者の正体、小説の登場人物を紐解いていくと、最悪な事実に気づいていく。新人、というより、小説家を夢見ている学生「肥料」の新作。

6人の皿

hinatakano
ミステリー
ペンションに集められた6人の男女。 彼らは大金を手に入れるためゲームをすることになる。

ぺしゃんこ 記憶と言う名の煉獄

ちみあくた
ミステリー
人生に絶望した「無敵の人」による犯罪が増加する近未来、有効な対策など見つからないまま、流血の惨事が繰り返されていく。 被害者の記憶は残酷だ。 妻と娘を通り魔に殺されたトラウマは悪夢の形でフラッシュバック、生き残った「俺」を苛み続ける。 何処へも向けようのない怒りと憎しみ。 せめて家族の無念を世間へ訴えようと試みる「俺」だが、記者の無神経な一言をきっかけに自ら暴力を振るい、心の闇へ落ち込んでいく。 そして混乱、錯綜する悪夢の果てに「俺」が見つけるのは、受け入れがたい意外な真実だった。 エブリスタ、小説家になろう、ノベルアップ+にも投稿しております。

神の住まう島の殺人 ~マグマとニート~

菱沼あゆ
ミステリー
 神の島と呼ばれる暁島。  元禁足地であるこの島では、人が死ぬことすら許されず、墓もない。  そんな神の島に小さな橋が渡された。  古い島民たちは、神の島と俗世を結ぶと災厄が訪れると言うが。  開通式の日、真っ先に橋を渡ってきたのは、美しすぎる少女、茉守だった。  茉守が現れてから頻発する事件。  彼女はほんとうに島に災厄を運んできたのか――? 「マグマさん、第一の事件ですよ」 「第一って、第二があるのかっ!?」 「いや、こういう絶海の孤島で起こる事件は、大抵、連続しませんか?」 「……絶海じゃないし、孤島でもない」  すぐ沸騰する元刑事で坊主の、マグマ。  墓のない島の墓守、ニート。  美しすぎて不吉な茉守の三人が遭遇する事件の数々――。

Like

重過失
ミステリー
「私も有名になりたい」 密かにそう思っていた主人公、静は友人からの勧めでSNSでの活動を始める。しかし、人間の奥底に眠る憎悪、それが生み出すSNSの闇は、彼女が安易に足を踏み入れるにはあまりにも深く、暗く、重いモノだった。 ─── 著者が自身の感覚に任せ、初めて書いた小説。なのでクオリティは保証出来ませんが、それでもよければ読んでみてください。

処理中です...