脅し脅され道づれに

碧井永

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第一集 脅されて ~天媛の真珠(8/8)《第一集完結》

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     終

 花伝師かでんしいおりから戻った夜のこと。
(終わらない一日はないということか……)
 愉しい一日ではなかったが、やれることはやった一日だった。
 花伝師に運があったのか――よくわからない。自分に運がなかったとは思いたくない也恭やきょうであった。もう寝るしかない。
 夜着に着がえ寝台に身体からだを横たえた途端、へやの灯りが不自然に揺れて「ドンッ」と音が響いた。何事かと身構えたときにはもう、寝台に片肘をついた男に上からのしかかられていた。
 この感じには覚えがあった。
 牢山ろうざんでのことだ。
 壁ドンではなく、寝台ドン状態である。
 しかし今、也恭は命の危機にさらされていた。喉にひんやりとしたものがあてられている。庵で取りあげられた、抜き身のヒ首短刀だ。
「そうでした、巫術ふじゅつ使い殿は花伝師の護衛でしたね。私の命をとりに来たんですか」
 武術に自信のある也恭であるが、以前の牢山でのように逃げられる気がしなかった。のしかかられて関節を封じられた分、身じろぎひとつできないのだ。
「惚れた、と言ったろう。これを返しにきたんだ」
「え」
「またあいつのところに来ればいい。俺に襲われる覚悟があるのなら」
 巫術使いの言う「あいつ」とは花伝師の紫耀しようをさすのだろう。
(それって、つまり……)
「私が花伝師を殺すのが先か……、巫術使い殿が私を喰うのが先か……、ということですか」
 巫術使いは言葉で答えず「ハ」と小さく笑っただけだった。
「にしても、巫術使い殿。どうやって侵入したのです?」
 本気で驚いていた。
 底辺貴族とはいえ、貴族の邸であることにかわりはない。とくに今の当主である也恭の義兄は堅苦しい思考をするところがあり、易々と侵入を許すような傭人ようじん〈警備〉の配置はしていない。室まで入ってこられたのが也恭には不思議でならなかった。
「巫術を駆使すればどこへでも」
「駆使すればって限度があるでしょう」
「そうでもない。俺は遁甲十三術とんこうじゅうさんじゅつのうち、いくつかは扱えるからな」
「え!?」
 今夜、二度目の驚きである。
 遁甲とは、いろいろなものに隠れて自分の姿を消してしまえる術だ。術の名のとおり、十三種類あるから十三術といわれるらしい。
 也恭のもっている知識は少ないが、確か、火に隠れる術は火遁、水に隠れる術は水遁、土に隠れる術は土遁というのだ。優秀であれば、隠れたまま近距離を移動できるという。
(この男、ホンモノだ)
 也恭の目は驚愕おどろきに見開かれる。
 そして、目蓋まぶたを震わせたままで気づいた。この男、なにしに来たのかと。
「ええっと、巫術使い殿。私の身体にのりあげているのはなぜですか?」
「襲いにきたから」
(やっぱりかっ)
 胸中で泣きながらつっこんでいると。
 巫術使いは手を差し延べて、灯燭の小さな炎に触れ――た、次の瞬間。
 巫術使いの姿は消えていた。
「っ!? ウソだろう、今のが火遁か?」
 信じられず、衝撃が呟きとなって口唇くちびるから洩れてしまったほどだ。
 也恭は寝台に半身を起こし、置き去りにされたヒ首を拾う。
 国都・寿寧じゅねいは「人を酔わせる魔性の美都」とうたわれる。街の生みだす幻に酔えばいいというが……。
 男の残していった温もりを払うように、ほどいていた長髪をかき上げる也恭。その拍子、ふっと外の気配にもの足りなさを感じて、窓のほうへと目線をおくる。
「ああ、雨がやんだのか」

 この夜、寿寧の雨期が明けた。

 同じ夜。
 紫耀しようは未来構想にふけっていた。
 なにしろ宣戦布告されたのだ。命を狙われての恐怖はないが、命を護る策はいくつか講じておかねばならない。
(あの孺子こぞうには負けたくない)
 也恭やきょうは孔雀の精にとり憑かれているわけではない。見鬼けんきの能力はひとかけらもない。
 ならばなぜ、孔雀の精は也恭に従っているのか。
(従う、というよりも、助けている、という印象が強かった……)
 しかも也恭は、孔雀の精の名字なまえを知っている。鬼が自ら名のったのだ。
 人と鬼、相いれないはずの二者の間にどんなつながりがあるのだろう。
 孔雀は、母の形見である真珠を一粒食べたという。
 皇后の、紫耀に対する強すぎる怨みが、転じて生き延びた息子を護る力になっているとしたら。それは人智でははかりしれない加護となるだろう。
(でも、だからこそ)
 也恭は皇后の子であり、朱家しゅけの嫡流。皇太子になりえた存在だ。
 紫耀の実家である韋家いけは、朱家によって意味もなく没落した。ならば朱家の血統である也恭も滅びの対象となる。
 没落のとき紫耀は幼かった。幼子から家族をとりあげる――それは幼子から少しずつ血をしぼりとるのと同じだ。ちょっとずつ弱らせて殺す。
 家族を失った子供ほど憐れなものはない。世話をしてくれる者がいなければ、髪には艶がなくなり、肌はひび割れて深く裂け、食べる物がなくてやせ衰えていくだけだ。
 淋しくて、泣いて、喚いて、自分の境遇を嘆いて、妓楼に売られた頃には、雑多な感情がすべて朱家への強い怨念にかわっていた。呪ってつぶせるものなら朱家をつぶしたかった。財も血も奪いつくしてドブに捨ててやりたかった。だが、できるはずもなく、時だけが無情に流れた。傷ついた人の気持ちを置き去りにして、朱家には恩赦が出されている。朝廷に生き残りの存在を告発するのは無意味だ。
 無意味であってならないのは胸に巣くう怒りと屈辱。
 ――あの孺子、殺してやるッ。





《第一集を読んでくださりありがとうございました》
《次回 第二集》


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