脅し脅され道づれに

碧井永

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第一集 脅されて ~天媛の真珠(5/8)

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 三度の失敗――。
 そろそろ夜が明けようという時刻、桃之とうしからそう報告を受けた紫耀しようは、開いた扇子に視線を隠した。意識を集中したかったのだ。
 香は貴族の文化であるといっていい。よって、悶香もんこうを買ったのは貴族であるから、貴族の邸にあたりをつけ、夜毎峯美人ほうびじんで場の結界をはっていた。回収者を突きとめようとしたのに、三夜連続で失敗したのだ。
 寿寧じゅねいは南北と東西に街路がはしり、街は碁盤の目を形づくる。街東が高級階層区で貴族の住む区画であるから、邸にあたりをつけるのは難しくなく、比較的簡単に結界に引っかかると踏んでいた。
 のだが……。
「回収者を取り逃がしたのに、悶香は回収されている、と」
 悶香は回収されたという噂がたったのだった。
「話の内容と実体が見事に照合できないわね」
 とある結論に達した紫耀はぱちんと扇子を閉じた。
 すると、桃之が心得たとばかりに頷いた。
(まだなにも言ってないじゃないっ)
 という紫耀の心の文句を待たず、
「悶香を回収しているのはではないか」
「えー、あー、そーね、あたしも今言おうとしてたところよ。てか、あんた、寿寧に見鬼師けんきしはいないって言ってなかった? コレどーいうことよ?」
 ほぼ八つ当たりであるが、百も承知で紫耀は当たる。
 鬼が回収しているとなれば、鬼を使役している見鬼師がいるはずだ。
 鬼は召鬼法しょうきほうで制することができる。召鬼法は鬼を強制する決まり事であり、この法に則って見鬼の能力者は術を執行する。優秀な能力者となれば鬼を意のままに使役することができ〈使人見鬼術しじんけんきじゅつという〉、これが役鬼やくきとなるのである。
「見鬼師が不在なのは間違いない。しっかり確かめてきたからな」
「あら」
 あいかわらず無表情の桃之だが、役立たず扱いは心外だ、という気持ちがはっきりにじんでいた。そもそも感情の起伏があまりない男だが、ふとした瞬間、紫耀には読めてしまうことがある。幼馴染みとはオソロシイものである。
「それもおかしな話よね。見鬼師がいないのに役鬼が動いている。矛盾してない?」
「そうはいってもな、本当に鬼かどうか、俺では判断できない」
「峯美人にかからないんだから鬼の可能性を無視できない、むしろ高いわよ」
「あくまで噂、という可能性も捨てきれないだろう」
「噂で済めばこちらも助かるんだけれど……」
 桃之も花伝師かでんしであるが、見鬼の能力はない。見鬼師である紫耀が力を貸さないかぎり、峯美人の結界で鬼を取りこむことはできないのだ。
「……悶香の被害がでてるのは事実なんだし、このままじゃ堂々巡りね」
(ここより先に踏みこむのは面倒だけど、なんとかしなければ)
 悶香の回収者を確かめる――これは紫耀が言いだしたことだ。自分で振っておいて、にもかかわらずイライラしてきた紫耀は、扇子でとんとんとてのひらを叩いた。こういうふうに単調な動作を繰り返すと、人は精神的疲労が解消されるらしい。
「悶香で落命した人ってね、煙鬼えんきになってしまうことがあるのよ」
 煙鬼は、麻薬香の煙を吸って死んでしまった者の霊魂であり、鬼の分類としては人鬼になる。鬼の名字なまえではない。
 煙鬼は、縁もゆかりもない人にもとり憑いて麻薬香を吸わせ、自分と同じ死に方をさせようと企てる。厄介な鬼の類であった。
「寿寧に煙鬼が増えたら、あたしの仕事が増えちゃうじゃない。そんなの、迷惑なのよね。街に引っ張りだされるのなんて絶対ヤだ」
「…………。おまえ、そんな非労働力的な事情で俺をこき使っていたのか」
 流し目に桃之を見れば、なにやら達観した顔である。
「ありふれた見鬼師なら仕事が増えて収入も増えると喜ぶところだぞ。そろそろ世の標準並みに働き方改革したらどうだ? 労働時間を延ばしても罰は当たらんと思うがな」
「罰や宝くじは当たらなくても、嫌な予感は当たるわよ。面倒事に巻きこまれるという不吉な予感は絶対に的中するわよ、見てなさいっ」
 嫌な予感ほど高確率で的中すると相場は決まっている、儘ならぬのが浮き世である。
 紫耀はぶちぶちと文句をつけたが、文句は本心のうちの三分の一程度であった。残りのほうが紫耀としては重要である。
 回収済みの悶香の使われ方が夢にみるほど気になっているのだ。
 回収者が手許にそろえたのは大量の悶香だろう。狙いを定めた人物が眠っている間に焚けば、手を触れず、血を流すことなく、殺すことができる。
(悶香が新たな政争の火種にならないか……)
 再び革命が起こる――紫耀の懸念はその一点にあるのだった。

 てい国の皇帝は「天子」と呼ばれる。
 皇帝は天の子であり、天意を受けて人の世を支配しているにすぎない、と考えられているためだ。天意に背けば天命があらたまり、すなわちこれを「革命」という――。
 つらつらと考え事をしていた昼さがり、空耳と聞き逃すほど不確かではない声を耳にして、紫耀は日常の定位置であるながいすから腰をあげた。
「ごめんください」
 人の声だ。
 それもずいぶんと最近に聞いた、若い男の声。
 なんと間の悪いことか、迎えに出たところで声の主の名が頭の片隅にひらめいた。也恭やきょうだと気づいた途端、紫耀は身体からだをひっこめたが、時すでに遅かった。
「まったくご連絡をいただけませんでしたので、私から伺いました。ここのところ雨あがりには蒸しますから、ひょっとして体調をくずされていましたか」
 眉を寄せた紫耀に向けて、也恭は歩を進めながらそんなふうに挨拶してくる。一度訪れたことのあるいおりだからだろう、自分勝手に移動してずかずかと踏み入ってきた。
(キラッキラした笑顔で残酷を極める孺子こぞうね)
 歳下のくせに真正面から厭味を吐くとはイイ性格をしている。
 女の怒りに鈍感なところも紫耀はムカッときたが、扇子を開いて感情を隠した。
「あら、也恭殿。本日はお日柄もよく――」
「今日の吉凶は知りませんが。見てください、私を。濡れていますよね。邸を出るときは晴れ間もあったのに、途中で雨が降りだしたんですよ。これ確実に凶ですよ」
「ちっ」
 紫耀は扇子に隠して舌打ちしたのだが。
「今のって舌打ちですか」
「聞こえてました? 也恭殿はご存知ありませんか? 西方の国々では舌打ちは気軽な挨拶だそうですよ」
「へえ、さすがは華娘かじょう、多くの知識を蓄えた花伝師だけありますね。勉強になりました」
 完璧な笑顔で隙間なくやり返されて、紫耀は扇子を折りそうになった。
 なぜに桃之はこんな生意気な孺子を恋の相手に選んだのか。……答えは単純明快。
(いっつも一目惚れだもの、あいつ顔しか見てないんでしょ。趣味ワルッ)
 桃之を呼んで押しつけてしまいたいところだが、ここでも間の悪いことに、彼は街へ買いだしにおりている。料理係は桃之なので――というか、家事全般は桃之の係なので――食材を含めた日用雑貨を仕入れに行っているのだ。
「その荷はくだんの壺ですか」
 椅子を勧めながら、ヤケクソで紫耀は訊いた。
 也恭は布に包んだ荷を抱えていたのだ。
「ほかになにがあると? 私がこちらの庵を訪れる理由はこれだけですが」
 口唇くちびるを引き結ぶ、紫耀。ぐうの音もでないとはこのことである。
 どうも也恭とは相性が悪い気がする。刻む呼吸が合わないから、波長が合わず、受け入れられないと感じるのかもしれない。〝相性がいい〟とはたぶん、陰陽五行だけでなくそういった感覚的なものを含めていうのだろう。
(長い付き合いだけど桃之には合う合わないを感じずにこの歳まできたから……この孺子、やりにくいったらないわね)
 苦手な相手の場合、斜め上から攻めるしかない。手巾ハンカチで雨をぬぐっている也恭に、紫耀は不意打ちをかけてみる。
「ところで也恭殿、近頃は街に出回った悶香が人知れず回収されているとか」
「はい?」
「わたくしはあまり外に出ることはありませんので。どなたかがおいでになったときにしか、噂話など耳に入ってこないのです。人の噂って、愉しいじゃないですか。とくに女は好むものですよ。よければ街の話などお聞かせいただけませんか」
「私は問題の相談に来ているだけで、ここに遊びに来ているのではありませんが」
「遊ぶ時間をつくるのも殿方の度量というもの」
「どうして私が」
「遊ぶ余裕もないのかと、女に軽んじられます。もちろんそれは財のことだけではありません、心のありようのことですけれど」
「それはそれでかまいませんが」
「女の話し相手、よいではありませんか。ただの世間話ですよ、所詮は他人事です」
 微かに也恭の垂れた目許が動いた気がした。見間違いかと目を細めようとして紫耀は、彼の目線がなにかを追っているのを感じた。
(なにを……ん? 扇子?)
 手許の扇子、というよりは扇子のかなめからさげられている玉を見つめているようだった。これは花伝師である証の玉で、花伝師から花伝師へと受け継がれる財の一つだ。
(あたしが本物の花伝師か疑っているのかしら)
 鬼に対する返答を今日まで引き延ばしている。疑われてもしようのないことだった。どう対応したものか、紫耀が思案していると。
「人の噂をするものではないと、教育されていますので」
 也恭が控えめにこたえる。
 ならば仕方ないと、紫耀もしつこくせずに話題を転じた。
「壺の物精は多く、似た物がありますので。念には念をとお日にちをいただきました。ちょうど鬼の調べもつきましたから、今ここで壺の中身を取り出すことはできますよ」
「本当ですかっ」
 素直に喜ぶ也恭を眺めて、やはりそれなりの品なのだと紫耀は確信する。見た目はどこにでも転がっている素焼きの壺だが、大切な品を隠すにはちょうどいいと言えた。こんな価値のない壺を盗む者はいないだろうから。
「ひとつ伺っても?」
「どうぞ」
「中身を取り出した後、也恭殿はこの壺を引き取るおつもりですか?」
 予想外の質問だったらしく、也恭は歳相応にぽかんとした。
「は……いえ、だってそれは鬼なのでしょう?」
「そうです」
「鬼ですから、花伝師殿にお預けするのがよいと愚考しますが」
「なぜ?」
 これも予想外だったらしいが、先ほどのような隙は見せなかった。なかなか肝のすわった孺子である。
「手に余る物は持っていてもロクなことにはならないので」
「なるほどなるほど」
 受けて、薄く笑う紫耀。
(そうでるか)
 もしかしたら也恭には鬼が見えているのではないか――そう疑っていたのに。見鬼の能力を有しているなら、後に役鬼とするため、壺の扱いに迷うだろうと見当をつけていた。
 誘導にひっかからないとなれば中の品を取り出してやるだけだ。
 仕事道具の腕輪が作用している紫耀は鬼の影響を受けないため、壺に手を突っこめば中身をつかむことができる。壺が布袋のように裏返ってしまうことはない。
 対処はこれだけだから、この場で鬼に向けて召鬼法を執行する必要もない。
 円卓の上に置かれている壺を引き寄せ、紫耀は右手を差し入れる。
 引き出されてきたのは、大粒の真珠であった。
「もとは首飾りだったようですが、連ねていた真珠はばらばらになっていますね」
 これに也恭は応えなかった。
「粒がいくつあるか、わたくしは存じませんから。数をご確認いただけますか」
 也恭は無言で真珠をかぞえるだけだ。
「これで最後ですね――つっ、うえぇい」
 最後の真珠を手渡すとき、指先が也恭の掌に触れてしまった。相手の体温を感じ、紫耀は条件反射で呻いてしまったのだが、これを至近に座る也恭が聞き逃すはずもなく。
「うえぇい? 今、うえぇいって言いました? 私に対して露骨に悲鳴ですか?」
「あ? まさかまさか、悲鳴ってなんですか」
 しどろもどろに訊き返す紫耀である。ワキ汗もだらだらだ。
(しくったまずった迂闊だった、どうすれば)
 孺子の望みをかなえてやる優越感にひたり、油断したことは否めない。
 紫耀が後手ゴテに回るうち。
「この件の報酬は後日お持ちします。私はこれで」
「あ、ああ、はい」
 拍子抜けするほど呆気なく也恭は椅子から立ち上がった。
 足早に室を出ていく彼の背を見送るしかできない紫耀。それでもトドメの一言は忘れない。也恭が急ぐ理由とは――
「まさに天下一品の真珠。まことに見事な品ですね」
 真珠を褒められることのはずだから。

 真珠は黄金よりも価値がある。また、真珠は正円に近く、粒の大きいものが、より高く評価される。
 粒がそろっていればなおさらだ。
 壺から取り出された真珠はどれも大きく、真円を描いて艶やかな輝きを放っていた。
(いつかの月のように……)
 窓辺に立った紫耀は夕刻の空に月を探したが、あいにくと雨を降らせる雲に隠れてしまっていた。しとしとと若葉を叩く雨は、大気の流す涙のようにも感じてしまう。
『まさに天下一品の真珠。まことに見事な品ですね』
 去り際、背に向けて放たれた言葉に、也恭はなんの反応も示さなかった。
 彼の持つ真珠は天下に一つしかない品だろう。
 それを所有できるのも天下に一人――。
(なのになぜ、あの子が持っているのかしら……)
 点と点がつながらない。
 つながらないことはほかにもある。
 以前、也恭がここを訪れたとき、彼からは物精の気配とは異なる怪しい気を感じた。鬼である壺から引き離せば妖しさは消えるだろうと軽く考えていたのだが、去り際の彼には微かな気配が残留していたのだ。
(あの子は見鬼師ではない。……じゃあなぜ、怪しい気をまとっているの?)
 そもそも怪しい気であるかどうか、判断が難しいところだった。
 なぜ、ばかりがたまっていく。
 なぜ……か、無性に桃之の顔が見たくなってしまう。
 紫耀は男に触られるのを極端にいとう。ちょっと潔癖といってもいいほどに。それは紫耀が幼い頃に、女衒ぜげん〈女を周旋する男〉によって男相手の妓楼に売られたせいかもしれない。也恭の掌に触れて奇声を発してしまったのは、つまり、男嫌いが発動したからだった。
 他人に弱みを握られれば、いつの日か、つけこまれる。失敗したと、紫耀は悔やまずにはいられない。
 同じ男でも、なぜか桃之だけは大丈夫で。
(あいつは全部知ってるし、慣れちゃったんだろうなー)
 知られているあれやこれやの黒歴史を消すように扇子を振っていると、その当人が山中の小道からひょっこり姿を現した。桃之が巫術ふじゅつによって拓いた小路のひとつだ。
「遅いっ」
 ホッとして、逆に鼻息荒く怒鳴ってしまう紫耀であった。
「は? いや、それはあまりにもあまりだろう」
 怒鳴られた理由がなんとなくわかったのか、桃之は特徴的なまなじりを動かしただけで怒り返すことはしない。
 彼の背負ったかごに荷がぎっしり詰められているのを見て、日々の苦労をねぎらうためにも紫耀は「おかえり」と言いなおしたのだった。




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