銀世界にて

にのみや朱乃

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銀世界にて

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 一面の銀世界。その地は黒の来訪を拒んでいました。
 小動物でさえ沈んでしまうほど柔らかい雪が高く積もり、樹木でさえも息苦しそうに立っていました。その地に村が存在していたことなど誰にも察することはできませんでした。
 かつて存在したはずの人間の痕跡は、異常に降り注いだ雪によって押し潰されてしまいました。その地は最早人間が住むことは叶いません。人間の力は大雪に及びませんでした。
 大雪は嬉しそうに語ります。我々は天国を手に入れたのだ。

 ある日、一面の銀世界に黒い染みが現れます。
 烏でした。まだ若い烏が、静かに降る新雪を吹き飛ばしながら翔けていきます。白い世界では明らかに異質な存在でした。
 樹木は烏を呼び止めます。帰るべきです、ここは烏が来る場所ではない。
 烏は樹木に止まりました。僕は魔女を捜しているのです。
 樹木は烏に言いました。魔女など居ません。見なさい、この雪を。魔女も人間も動物も、大雪には敵いません。帰るべきです、ここは動物が来る場所ではない。
 烏は樹木から飛び立ちました。捜さねばなりません。烏は魔女に仕えるために在るのです。

 大雪は烏を見つけました。この白き世界に黒は要らぬ。在ってはならぬ。
 雪は忽ち吹雪と化し、烏を襲いました。
 けれど烏は去りません。烏は魔女を捜し、吹雪を裂くように啼きました。
 嗚呼、魔女様。どうか、どうか、卑しいこの身の声が届きますように。


 その烏は未だ魔女の庇護を受けていませんでした。
 魔女の庇護が無ければ、烏と言えども魔に染まる大雪には敵いません。黒はすぐに白に覆われてしまいます。何度振り払っても、雪は漆黒の翼を押し潰そうと襲いかかります。
 大雪は高らかに笑います。その闇より深い黒を白に染めてやろう。
 烏は幾度も飛び立ちます。この闇より深い黒は白に降りません。必ずや魔女を見つけるのです。魔に染まらぬ魔女を。

 烏は森に逃げ込みます。吹雪から翼を休め、その身を暖めます。
 森が烏に尋ねました。何故、この銀世界に来たのですか。
 烏は森に答えました。僕は魔女を追いかけてきたのです。魔女を知りませんか。
 森は大きく震えました。魔女など居ません。嗚呼、大雪に潰されてしまう。早く去りなさい、黒き旅人。
 烏は森から追い出されてしまいました。烏は再び吹雪に凍えます。

 大雪は烏を吹き飛ばします。黒であろうとこの白には敵わぬ。
 吹雪は全てを覆い隠し、遂に烏の翼が凍ります。
 けれど烏は諦めません。烏は魔女を捜し、吹雪を断つように啼きました。
 嗚呼、魔女様。どうか、どうか、卑しいこの身の声が届きますように。


 突風が雪を吹き飛ばします。白に埋もれた黒がその姿を見せます。
 全てを覆い隠した吹雪は止み、凍った烏の翼に熱が戻りました。
 新雪のように白い手が烏を救います。烏は力なく啼きました。
 嗚呼、魔女様。どうか、どうか、卑しいこの身の夢ではありませんように。

 銀世界に佇む魔女は尋ねました。何故、この銀世界に来た。
 烏は魔女に答えました。僕は貴女を追いかけてきたのです。僕を知りませんか。
 魔女は首を横に振りました。烏など知らぬ。さあ、大雪に潰されてしまう。早く去りなさい、黒き旅人。
 けれど烏は去りません。烏は魔女に願い、振り絞るように啼きました。
 嗚呼、魔女様。最早僕は飛べません。どうか、どうか、卑しいこの身をその手で葬っていただけませんか。

 魔女の銀色の髪が揺れました。艶やかな黒がその姿を取り戻します。
 銀の魔女は烏を空に放ちます。これで飛べるだろう。さあ、大雪に潰されてしまう。早く去りなさい、黒き旅人。
 けれど烏は去りません。烏は魔女に請い、雪を崩すほど強く啼きました。
 嗚呼、魔女様。慈悲深きその御心。神々しいその御力。貴女こそが魔に染まらぬ魔女。どうか、どうか、卑しいこの身を従えていただけませんか。

 大雪は高らかに笑いました。魔に染まらぬ魔女などただの娘に過ぎぬ。恐るるに足らぬ。さあ、雪崩に潰されてしまえ。
 魔女は高らかに笑いました。娘も潰せぬ雪崩などただの細流に過ぎぬ。恐るるに足らぬ。さあ、太陽に溶かされてしまえ。
 魔女がその白い手を掲げます。一筋の光が厚い雲を貫き、瞬く間に青が広がります。厚い雲に阻まれていた陽光が銀世界を照らします。

 魔女は大雪に言いました。この地を直ちに在るべき姿に戻せ。さすればその身は狩らぬ。
 大雪は魔女に言いました。今こそ、この地の在るべき姿。この白き世界に魔女は要らぬ。在ってはならぬ。直ちに烏を連れて去れ。さすればその命は狩らぬ。
 魔女は大声で笑います。その音が雪を慄かせます。
 良かろう。ならば、魔女の糧となれ。

 烏は見ました。魔に染まらぬ魔女の力を。
 誰も抗えなかった大雪をいとも容易く消し去る圧倒的な力を。
 銀世界は崩れ、荒廃した大地が顔を覗かせました。
 全てを支配していた白銀は、魔女だけを彩る色となりました。
 烏は知りました。彼女こそ、自らが追い求めていた魔女であると。



 魔女は森に命じます。根を張れ。命を耕せ。再びこの地を起こすのだ。
 その白い手から光が降り注ぎ、大地は豊かさを取り戻しました。
 森の感謝を背に、魔女はその地を去ります。

 烏は魔女に請います。どうか、どうか、卑しいこの身を従えていただけませんか。やはり貴女こそ、僕が追い求めていた御方。この身を捧ぐに相応しい御方。
 魔女は拒みました。烏など要らぬ。さあ、大空はもう晴れたのだ。早く去りなさい、黒き旅人。
 けれど烏は去りません。魔女の細い肩に止まり、澄んだ大空に啼きました。
 さあ、早く行きましょう、魔女様。虐げられた民の声が聞こえます。
 魔女は呆れて言いました。ならば、好きにすると良い。魔に染まらぬ魔女に仕えるなど、物好きな烏も居るものだ。


 その魔女の名は、銀雪の魔女。
 幾多の伝説を残した異端者は、またひとつ、その名を刻みました。


   †
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