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五月。クラスで団結する最初のイベントがやってくる。運動会だ。
だいたいみんながクラスになじみ始めた頃に開催される運動会は、クラスの団結力をさらに高めるものだ。みんなが一丸となってクラスメイトを応援する、それこそが運動会の目的なのではないかと思う。
体育の授業も運動会の練習になる。普段からわたしたち一組と二組は合同で体育の授業を受けているから、自然と授業もクラス対抗で行われるような雰囲気が出てくる。ポイントのようなものを真剣に数えるわけではないけれど、一組が勝った、二組が勝ったというのは、誰しもが気にするようなものになってくる。
こうなると負けるのが怖くなる。わたしのせいで一組が負けた、というのはいやだ。わたし以外の人が負けるのはどうだってよいけれど、わたしが負けるわけにはいかない。
わたしは運動が得意ではないけれど、特に運動音痴ということもない。普通だ。人並みにはできるけれど、すごい人には及ばない、そんな感じ。だから、徒競走で走る組の中に速い人がいれば負けるけれど、遅い人がいれば勝つことができる。同じ組に速い人がいないことを願うばかりだった。
運動会の練習は男女合同で行われる。男子が体育の授業を受けているのを見るのは新鮮で、女子との熱の違いを感じていた。男子の応援する声が大きくて驚いてしまう。わたしの番はそんなに応援しなくていいからね、と伝えたくなる。
今は徒競走の練習中だ。自分が走る番になるまでは暇で、たった百メートルを走り抜けた後、また暇になる。出番ではない人は喋っているか、走っている人を応援しているかのどちらかだ。
わたしは先程までめぐみと話していたけれど、めぐみの番が近づいて先生に呼ばれてしまったので、話す相手がいなくなってしまった。他の子と話そうかとも思ったけれど、めぐみの応援をしようと思い、応援している人たちの群れに近づく。うわあ、すごい熱量だなあ。
わたしが応援部隊の中に入れずにいると、中にいた真島くんがわたしに声をかけてくれた。
「夏未、こっちこっち」
「あっ、うん、ありがと」
真島くんに手招きされて、わたしは真島くんの隣まで行く。意図せず男子に囲まれてしまったわたしは、その体格差に縮こまってしまいそうになる。隅っこでめぐみを応援するはずだったのに、どうしてこんなど真ん中に来てしまったのだろう。
真島くんと肩が触れ合いそうな距離まで来て、わたしは緊張してしまう。真島くんは何も気にする様子はなくて、きらきらした目でわたしを見た。
「中里の応援に来たんだろ?」
「うん、そう。すごいね、みんなの応援」
わたしが正直な感想を言うと、真島くんは得意げな顔をした。
「練習だからって負けられないからな。応援は大事だぞ。夏未も声出せよ」
「う、うん、わかった」
ここに来てしまった以上、引き返すことはできないし、声を出さないわけにもいかない。走る人の並びにめぐみの姿が見えて、わたしはぐっと拳を握った。わたしも頑張らなきゃ。
各クラスから二人ずつ、計四人が同時に走る。先生が合図して、四人が一斉に走り出す。
「いけー!」
真島くんが声を張り上げる。わたしもその声に負けないように、めぐみに届くように、精一杯の声を出した。
「めぐみ、頑張れー!」
めぐみはぐんぐん加速していって、残りの三人を引き離していく。めぐみは運動神経がよいのだ。そのままめぐみは一着でゴールして、応援しているわたしたちのほうにピースサインを向けた。わたしは自分のことのように喜んだ。
「すごいめぐみ、一着だよ!」
「すごいな中里、速かったなあ」
「そうでしょ? めぐみは運動神経いいんだから」
わたしが自慢げに言うと、真島くんは笑った。
「夏未も結構声出せるんだな。意外だったよ」
「そうかな? わたし、そういうふうに見える?」
「見える。ちっちゃい声しか出せないと思ってた」
真島くんの中でのわたしのイメージはいったいどういうものなのだろうか。真面目? おとなしい? それとも、陰気な奴だと思われているのだろうか。
それを真島くんに訊こうかと思ったら、わたしの出番が近づいて、先生に呼ばれてしまった。嫌だなあ、みんなの前で走るの。速い子がいないといいけど。
「夏未、頑張れ」
真島くんは笑顔でわたしを送り出してくれる。わたしは微笑んで、ひらひらと手を振ってその場を離れた。
走る人の待機場所に行き、座って待つ。応援の声はここまでしっかりと届いていた。走る様子はよく見えていたし、これから走るわたしもよく見られるということだ。他人の注目を集めることは苦手だから、早く終わってほしいと思ってしまう。
すぐにわたしの番が来た。スタートラインの手前で四人が並ぶ。
「なっちゃん、頑張ってー!」
めぐみの声が聞こえる。めぐみにもわたしの声は届いていたのだろうか。
先生の合図で、四人が一斉に走り出す。わたしは懸命に腕を振って、地を蹴って、できる限り速く走る。
「夏未、いけるぞ! 頑張れー!」
真島くんの声が聞こえた。わたしはその声を胸に、誰の背中も見ずに走り抜ける。
一着だった。よかったあ。わたしは心の中でほっとしていた。
わたしははあはあと息を切らして、ゴールラインの向こう側で先生の指示を待つ。戻ってよいとの指示を受けて、四人が散り散りになる。
わたしはめぐみの姿を探した。喋っている集団にいるのかと思ったら、めぐみはまだ応援部隊のところに混ざっていた。
どうしよう、あそこにまた戻る? あそこにいたら喉が潰れてしまわないだろうか。
わたしが迷っていると、また真島くんと目が合ってしまった。真島くんは手でわたしに来いと言った。それを無視するわけにもいかず、わたしは応援部隊の人たちの間をすり抜けて、真島くんの横まで行く。ちょうど、めぐみもそこにいた。
「なっちゃん、速かったねぇ!」
「ありがと。めぐみの声、ちゃんと聞こえたよ」
「夏未も運動できるんだな。一着になるとは思ってなかったよ」
「真島くんも応援ありがとね。聞こえたよ」
わたしは二人にお礼を言った。二人とも笑って、めぐみがわたしの肩を軽く叩いた。
めぐみはわたしの耳元に顔を寄せて、ひそひそと話しかけてきた。
「なっちゃん、真島くんに下の名前で呼ばれてるの?」
「ああ、うん、なんかね、水島だと他の友達とかぶるんだって」
「んん? なにその理由?」
わたしも納得がいかない理由だと思う。別にかぶったって何も困ることはないだろうに。このクラスに水島が二人いるのならわかるけれど、水島はわたししかいない。
めぐみは首を傾げて、ちょっと考えてから言った。
「夏未って呼びたいだけなんじゃないのー?」
「わかんない。真島くんに訊いて」
「そ。じゃあそうする」
「え?」
本当に真島くんに訊くとは思っていなかった。そんなこと、めぐみでもできるはずがないとたかをくくっていた。
めぐみはわたしと真島くんの間にするりと移動して、真島くんに声をかけた。
「ねえねえ真島くん」
「ん? なんだよ、もう次の奴走るぞ」
「なんでなっちゃんのことを夏未って呼ぶの?」
めぐみの質問に、真島くんはああと短く言って、答えた。
「水島って言うと、他の奴とかぶるんだよ」
「でもさぁ、うちのクラスには水島ってなっちゃんしかいないよ?」
「俺の中で水島って言ったらそいつなんだよ。だから、夏未のことは水島って呼びたくない」
「ふうん。そっかぁ」
めぐみは今のやり取りで何かを得たのか、そこで引き下がった。そのままの位置で観戦するのかと思ったら、めぐみはわざわざ元の位置に戻った。真島くんの隣だと何か不都合があったのだろうか。
わたしがめぐみのほうを見ると、めぐみはわたしにささやいた。
「これは、呼びたいだけだよぉ、きっと」
「なんで?」
「さぁ? なっちゃんのこと好きなんじゃない?」
わたしは苦笑するしかなかった。真島くんがわたしのことを好きだなんて、そんなことがあるはずがない。真島くんにはもっと可愛くて、モデルみたいな子がお似合いだ。
「アタックされてるんだよぉ、なっちゃん。どう?」
「どうって、どうもこうもないよ、勘違いだよ」
「そうかなぁ。つまんないの」
めぐみは残念そうに言った。何でもかんでも恋愛に結びつけようとするのは、めぐみの悪い癖だと思う。真島くんはおそらく本当に水島と呼びたくないだけなのだろう。ちょっと特殊な理由だとは思うけれど、感覚的なものだし、否定するものでもない。
「もうすぐリレーを始めるぞ。走る奴は集まれ」
先生の呼びかけで、応援していた男子たちがにわかに動き出す。クラス対抗リレーに出るのだろう。見るからに速そうな男子ばかりだ。
「おい真島、行こうぜ」
「おう。今行く」
そうか、真島くんもリレーに出るんだっけ。わたしは離れようとした真島くんに言った。
「真島くん、頑張って」
わたしの声に、真島くんは驚いたような表情を見せて、それから微笑んだ。
「任せろ。二組になんて負けないぞ」
真島くんはそう言って走っていった。ううん、相変わらず爽やかだなあ。
「なっちゃん、真島くんと仲良いんだねぇ」
いきなりめぐみが茶化してきて、わたしはめぐみを睨んだ。
確かに、真島くんとはよく話すけれど、異性として好きだというわけではない。ただの友人だ。真島くんもきっとそうだ。わたしなんて多くの友人の一人でしかない。
でもめぐみの中ではそうではないようで、にやにやしながら言った。
「真島くんの目を見ればわかるよぉ。あっちはその気だよ、絶対」
「わたしなんか好きになるわけないでしょ。あっちは選び放題なんだから」
あれだけかっこいいのだから、真島くんから声をかけたらほとんどの女子が落ちるだろう。そんな状況でわたしを選ぶ理由がわからない。もっと可愛い子がいるはずだ。
「なっちゃんにその気はないの?」
「ない」
「じゃあ付き合おうって言われたらどうする?」
「困るよ、そんなこと言われても」
それがわたしの本音だ。好きでもない相手と付き合うわけにもいかない。恋を知らないわたしでも、わたしが真島くんに抱いている感情が恋ではないことくらいはわかる。
めぐみもそれがわかっているからか、それ以上わたしを追及することはなかった。
「あ、リレー始まるよ、なっちゃん」
めぐみに言われて、グラウンドに目を向ける。ちょうどこれから走るところだった。選ばれた四人の男子が位置についている。最初の二人がスタートラインに立って、先生の合図で飛び出す。二人とも抜きつ抜かれつの攻防を繰り広げて、二人目に繋ぐ。
真島くんはどこにいるのかと探したら、真島くんはアンカーの場所にいた。三人目にバトンが渡り、そこで二組が少しだけ前に出てくる。差が見えるようになってきて、応援する人たちの声も大きくなる。
アンカーである真島くんがトラックに出てくる。ぐいっと伸びをして、三人目が近づいてくるのを待っている。
真島くん、どれくらい速いんだろう。スポーツができるというのは知っているけれど、実際に何かをやっているところを見るのは初めてだ。わたしはグラウンドに立っている真島くんに釘付けになっていた。
三人目が走ってくる。バトンを繋ぐタイミングで、二人には少し差がついていた。アンカーである真島くんにバトンが渡り、真島くんが走り出す。その差がみるみるうちに縮まっていく。
「いけ、真島ー!」
「いけるぞー!」
男子たちの野太い声援を受けて、真島くんがどんどん差を縮めて、追いつく。そのまま抜き去ろうかというところで、二組のアンカーも食い下がってくる。
「真島くん、頑張って!」
わたしも大声を出して真島くんを応援していた。恥ずかしいという気持ちはなくて、ただ真島くんに勝ってほしいと思っていた。
真島くんはさらに加速して、二組のアンカーを引き離した。そのまま真島くんがゴールラインを踏む。大歓声が起こり、真島くんは得意げな顔で片手を挙げた。
すごい。ヒーローのようだ。わたしはその光景から目を離すことができなかった。
リレーに参加した人たちが戻ってくる。みんな、男子から熱い祝福を受けていた。特に真島くんは背中を叩かれたり、肩をどつかれたりしながら、喜びを分かち合っていた。
「行こ、なっちゃん。あの輪には入りたくないよぉ」
「そうだね」
わたしとめぐみはその場からそっと離れた。
本当は真島くんに一声かけたかったけれど、めぐみが言うように、あの歓喜の渦には飲み込まれたくなかった。あれは男子だけに許されたものだろう。
だいたいみんながクラスになじみ始めた頃に開催される運動会は、クラスの団結力をさらに高めるものだ。みんなが一丸となってクラスメイトを応援する、それこそが運動会の目的なのではないかと思う。
体育の授業も運動会の練習になる。普段からわたしたち一組と二組は合同で体育の授業を受けているから、自然と授業もクラス対抗で行われるような雰囲気が出てくる。ポイントのようなものを真剣に数えるわけではないけれど、一組が勝った、二組が勝ったというのは、誰しもが気にするようなものになってくる。
こうなると負けるのが怖くなる。わたしのせいで一組が負けた、というのはいやだ。わたし以外の人が負けるのはどうだってよいけれど、わたしが負けるわけにはいかない。
わたしは運動が得意ではないけれど、特に運動音痴ということもない。普通だ。人並みにはできるけれど、すごい人には及ばない、そんな感じ。だから、徒競走で走る組の中に速い人がいれば負けるけれど、遅い人がいれば勝つことができる。同じ組に速い人がいないことを願うばかりだった。
運動会の練習は男女合同で行われる。男子が体育の授業を受けているのを見るのは新鮮で、女子との熱の違いを感じていた。男子の応援する声が大きくて驚いてしまう。わたしの番はそんなに応援しなくていいからね、と伝えたくなる。
今は徒競走の練習中だ。自分が走る番になるまでは暇で、たった百メートルを走り抜けた後、また暇になる。出番ではない人は喋っているか、走っている人を応援しているかのどちらかだ。
わたしは先程までめぐみと話していたけれど、めぐみの番が近づいて先生に呼ばれてしまったので、話す相手がいなくなってしまった。他の子と話そうかとも思ったけれど、めぐみの応援をしようと思い、応援している人たちの群れに近づく。うわあ、すごい熱量だなあ。
わたしが応援部隊の中に入れずにいると、中にいた真島くんがわたしに声をかけてくれた。
「夏未、こっちこっち」
「あっ、うん、ありがと」
真島くんに手招きされて、わたしは真島くんの隣まで行く。意図せず男子に囲まれてしまったわたしは、その体格差に縮こまってしまいそうになる。隅っこでめぐみを応援するはずだったのに、どうしてこんなど真ん中に来てしまったのだろう。
真島くんと肩が触れ合いそうな距離まで来て、わたしは緊張してしまう。真島くんは何も気にする様子はなくて、きらきらした目でわたしを見た。
「中里の応援に来たんだろ?」
「うん、そう。すごいね、みんなの応援」
わたしが正直な感想を言うと、真島くんは得意げな顔をした。
「練習だからって負けられないからな。応援は大事だぞ。夏未も声出せよ」
「う、うん、わかった」
ここに来てしまった以上、引き返すことはできないし、声を出さないわけにもいかない。走る人の並びにめぐみの姿が見えて、わたしはぐっと拳を握った。わたしも頑張らなきゃ。
各クラスから二人ずつ、計四人が同時に走る。先生が合図して、四人が一斉に走り出す。
「いけー!」
真島くんが声を張り上げる。わたしもその声に負けないように、めぐみに届くように、精一杯の声を出した。
「めぐみ、頑張れー!」
めぐみはぐんぐん加速していって、残りの三人を引き離していく。めぐみは運動神経がよいのだ。そのままめぐみは一着でゴールして、応援しているわたしたちのほうにピースサインを向けた。わたしは自分のことのように喜んだ。
「すごいめぐみ、一着だよ!」
「すごいな中里、速かったなあ」
「そうでしょ? めぐみは運動神経いいんだから」
わたしが自慢げに言うと、真島くんは笑った。
「夏未も結構声出せるんだな。意外だったよ」
「そうかな? わたし、そういうふうに見える?」
「見える。ちっちゃい声しか出せないと思ってた」
真島くんの中でのわたしのイメージはいったいどういうものなのだろうか。真面目? おとなしい? それとも、陰気な奴だと思われているのだろうか。
それを真島くんに訊こうかと思ったら、わたしの出番が近づいて、先生に呼ばれてしまった。嫌だなあ、みんなの前で走るの。速い子がいないといいけど。
「夏未、頑張れ」
真島くんは笑顔でわたしを送り出してくれる。わたしは微笑んで、ひらひらと手を振ってその場を離れた。
走る人の待機場所に行き、座って待つ。応援の声はここまでしっかりと届いていた。走る様子はよく見えていたし、これから走るわたしもよく見られるということだ。他人の注目を集めることは苦手だから、早く終わってほしいと思ってしまう。
すぐにわたしの番が来た。スタートラインの手前で四人が並ぶ。
「なっちゃん、頑張ってー!」
めぐみの声が聞こえる。めぐみにもわたしの声は届いていたのだろうか。
先生の合図で、四人が一斉に走り出す。わたしは懸命に腕を振って、地を蹴って、できる限り速く走る。
「夏未、いけるぞ! 頑張れー!」
真島くんの声が聞こえた。わたしはその声を胸に、誰の背中も見ずに走り抜ける。
一着だった。よかったあ。わたしは心の中でほっとしていた。
わたしははあはあと息を切らして、ゴールラインの向こう側で先生の指示を待つ。戻ってよいとの指示を受けて、四人が散り散りになる。
わたしはめぐみの姿を探した。喋っている集団にいるのかと思ったら、めぐみはまだ応援部隊のところに混ざっていた。
どうしよう、あそこにまた戻る? あそこにいたら喉が潰れてしまわないだろうか。
わたしが迷っていると、また真島くんと目が合ってしまった。真島くんは手でわたしに来いと言った。それを無視するわけにもいかず、わたしは応援部隊の人たちの間をすり抜けて、真島くんの横まで行く。ちょうど、めぐみもそこにいた。
「なっちゃん、速かったねぇ!」
「ありがと。めぐみの声、ちゃんと聞こえたよ」
「夏未も運動できるんだな。一着になるとは思ってなかったよ」
「真島くんも応援ありがとね。聞こえたよ」
わたしは二人にお礼を言った。二人とも笑って、めぐみがわたしの肩を軽く叩いた。
めぐみはわたしの耳元に顔を寄せて、ひそひそと話しかけてきた。
「なっちゃん、真島くんに下の名前で呼ばれてるの?」
「ああ、うん、なんかね、水島だと他の友達とかぶるんだって」
「んん? なにその理由?」
わたしも納得がいかない理由だと思う。別にかぶったって何も困ることはないだろうに。このクラスに水島が二人いるのならわかるけれど、水島はわたししかいない。
めぐみは首を傾げて、ちょっと考えてから言った。
「夏未って呼びたいだけなんじゃないのー?」
「わかんない。真島くんに訊いて」
「そ。じゃあそうする」
「え?」
本当に真島くんに訊くとは思っていなかった。そんなこと、めぐみでもできるはずがないとたかをくくっていた。
めぐみはわたしと真島くんの間にするりと移動して、真島くんに声をかけた。
「ねえねえ真島くん」
「ん? なんだよ、もう次の奴走るぞ」
「なんでなっちゃんのことを夏未って呼ぶの?」
めぐみの質問に、真島くんはああと短く言って、答えた。
「水島って言うと、他の奴とかぶるんだよ」
「でもさぁ、うちのクラスには水島ってなっちゃんしかいないよ?」
「俺の中で水島って言ったらそいつなんだよ。だから、夏未のことは水島って呼びたくない」
「ふうん。そっかぁ」
めぐみは今のやり取りで何かを得たのか、そこで引き下がった。そのままの位置で観戦するのかと思ったら、めぐみはわざわざ元の位置に戻った。真島くんの隣だと何か不都合があったのだろうか。
わたしがめぐみのほうを見ると、めぐみはわたしにささやいた。
「これは、呼びたいだけだよぉ、きっと」
「なんで?」
「さぁ? なっちゃんのこと好きなんじゃない?」
わたしは苦笑するしかなかった。真島くんがわたしのことを好きだなんて、そんなことがあるはずがない。真島くんにはもっと可愛くて、モデルみたいな子がお似合いだ。
「アタックされてるんだよぉ、なっちゃん。どう?」
「どうって、どうもこうもないよ、勘違いだよ」
「そうかなぁ。つまんないの」
めぐみは残念そうに言った。何でもかんでも恋愛に結びつけようとするのは、めぐみの悪い癖だと思う。真島くんはおそらく本当に水島と呼びたくないだけなのだろう。ちょっと特殊な理由だとは思うけれど、感覚的なものだし、否定するものでもない。
「もうすぐリレーを始めるぞ。走る奴は集まれ」
先生の呼びかけで、応援していた男子たちがにわかに動き出す。クラス対抗リレーに出るのだろう。見るからに速そうな男子ばかりだ。
「おい真島、行こうぜ」
「おう。今行く」
そうか、真島くんもリレーに出るんだっけ。わたしは離れようとした真島くんに言った。
「真島くん、頑張って」
わたしの声に、真島くんは驚いたような表情を見せて、それから微笑んだ。
「任せろ。二組になんて負けないぞ」
真島くんはそう言って走っていった。ううん、相変わらず爽やかだなあ。
「なっちゃん、真島くんと仲良いんだねぇ」
いきなりめぐみが茶化してきて、わたしはめぐみを睨んだ。
確かに、真島くんとはよく話すけれど、異性として好きだというわけではない。ただの友人だ。真島くんもきっとそうだ。わたしなんて多くの友人の一人でしかない。
でもめぐみの中ではそうではないようで、にやにやしながら言った。
「真島くんの目を見ればわかるよぉ。あっちはその気だよ、絶対」
「わたしなんか好きになるわけないでしょ。あっちは選び放題なんだから」
あれだけかっこいいのだから、真島くんから声をかけたらほとんどの女子が落ちるだろう。そんな状況でわたしを選ぶ理由がわからない。もっと可愛い子がいるはずだ。
「なっちゃんにその気はないの?」
「ない」
「じゃあ付き合おうって言われたらどうする?」
「困るよ、そんなこと言われても」
それがわたしの本音だ。好きでもない相手と付き合うわけにもいかない。恋を知らないわたしでも、わたしが真島くんに抱いている感情が恋ではないことくらいはわかる。
めぐみもそれがわかっているからか、それ以上わたしを追及することはなかった。
「あ、リレー始まるよ、なっちゃん」
めぐみに言われて、グラウンドに目を向ける。ちょうどこれから走るところだった。選ばれた四人の男子が位置についている。最初の二人がスタートラインに立って、先生の合図で飛び出す。二人とも抜きつ抜かれつの攻防を繰り広げて、二人目に繋ぐ。
真島くんはどこにいるのかと探したら、真島くんはアンカーの場所にいた。三人目にバトンが渡り、そこで二組が少しだけ前に出てくる。差が見えるようになってきて、応援する人たちの声も大きくなる。
アンカーである真島くんがトラックに出てくる。ぐいっと伸びをして、三人目が近づいてくるのを待っている。
真島くん、どれくらい速いんだろう。スポーツができるというのは知っているけれど、実際に何かをやっているところを見るのは初めてだ。わたしはグラウンドに立っている真島くんに釘付けになっていた。
三人目が走ってくる。バトンを繋ぐタイミングで、二人には少し差がついていた。アンカーである真島くんにバトンが渡り、真島くんが走り出す。その差がみるみるうちに縮まっていく。
「いけ、真島ー!」
「いけるぞー!」
男子たちの野太い声援を受けて、真島くんがどんどん差を縮めて、追いつく。そのまま抜き去ろうかというところで、二組のアンカーも食い下がってくる。
「真島くん、頑張って!」
わたしも大声を出して真島くんを応援していた。恥ずかしいという気持ちはなくて、ただ真島くんに勝ってほしいと思っていた。
真島くんはさらに加速して、二組のアンカーを引き離した。そのまま真島くんがゴールラインを踏む。大歓声が起こり、真島くんは得意げな顔で片手を挙げた。
すごい。ヒーローのようだ。わたしはその光景から目を離すことができなかった。
リレーに参加した人たちが戻ってくる。みんな、男子から熱い祝福を受けていた。特に真島くんは背中を叩かれたり、肩をどつかれたりしながら、喜びを分かち合っていた。
「行こ、なっちゃん。あの輪には入りたくないよぉ」
「そうだね」
わたしとめぐみはその場からそっと離れた。
本当は真島くんに一声かけたかったけれど、めぐみが言うように、あの歓喜の渦には飲み込まれたくなかった。あれは男子だけに許されたものだろう。
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