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 美容院に行って、わたしはこれまでの人生で一番驚いた。

 自分の髪がこんなに綺麗だったなんて知らなかった。美容師さんにクセを整えてもらったら、とても綺麗なウェーブヘアが完成したのだ。みんなに自慢できるくらい。

 そのウェーブ、わたしのクセ毛を自宅で整える方法も教えてもらった。いろいろ買ったものたちが役に立つ時が来たのだ。それぞれどういうふうに使うのか教えてもらって、わたしはクセ毛のまま生きていく人生の第一歩を踏み出した。ようやく自分の人生が始まるような気さえした。

 まずは藍美に報告した。藍美がしてくれたように、写真を送る。

『すっごく可愛い!』

 藍美の興奮が画面越しに伝わってくるようだった。わたしが初めて藍美の写真を見た時と同じように、藍美も驚いていることだろう。わたしだって驚いたのだから。

 それから家に帰って、出資してくれたお母さんにも見せびらかした。お母さんは口に手を当てて、まあ、と驚嘆した。

「変わるものねえ。可愛いんじゃないの」
「ね! わたしの髪、可愛いよね!」
「そうねえ。そんなふうになるなんて思ってなかったわ。お金出してよかった」

 お母さんも納得の出来だった。ふふん、そうでしょうそうでしょう。もっと褒めて。

 ただ、クセ毛のまま生きていくには、当然ながら日々の手入れが必須だ。これまでのように洗って乾かしておしまい、というわけにはいかない。洗ってから乾かすまでにいくつものステップがあって、その努力のおかげでクセ毛人生が成り立つのだ。慣れないうちは大変だろうけれど、こんなに美しいウェーブが維持できるのなら安いものだ。

 次の日、学校に行くのが楽しみだった。生まれ変わったわたしを見てほしかった。

 朝、ヘアアイロンと格闘する時間はなくなって、水でちょちょいとクセを整えるだけになった。これだけでもお金を払った価値は充分にあると言える。朝の忙しい時間を髪に充てなくてよいというのは大きい。その分だけ睡眠時間を確保できるのだから。

 わたしはいつもと同じ時間に起きてしまったので、ゆっくりと朝ご飯を食べてから学校に向かった。こんなにのんびりと朝の時間を過ごしたのはいつ以来だっただろうか。特進に入って朝が早くなってからは、いつも慌ただしい朝だったのに。

 あまり混んでいない電車に乗りながら、鏡を見て自分の髪をチェックする。うん、おかしいところはない。これならきっと、みんなびっくりするはずだ。佐々木くんにも可愛いと思ってもらえるだろうか。思ってもらえるといいなあ。

 学校に着いて、教室の扉を開ける時、ちょっと緊張した。髪型をこんなに変えたことがなかったから、受け入れられるかどうか不安だった。実は可愛いと思っているのは少数派で、多数派は変だ、おかしいと思っているのではないかと勘ぐってしまう。

 でも、わたしはクセ毛のまま生きていくと決めたのだ。こんなところで立ち止まるべきじゃない。本当のわたしをみんなに受け入れてもらうのだ。

 わたしは教室の扉を開けて、中に入った。いつものように、みんな自習している。わたしのほうを見る人なんていない。そうだよね、そうだったよね。ちょっとがっかり。

 佐々木くんはもう来ていた。わたしが横を通ると、佐々木くんは顔を上げた。

「おはよう、柴崎さん」
「お、おはよう、佐々木くん」
「髪型変えたんだね。似合ってる」

 気づいてくれて、しかも褒めてくれるとか、なんて素晴らしい男なんだ。そういうところも好き。普通の男子ならこんなことを言ってくれるはずがない。

 わたしは興奮を抑えながら微笑んだ。

「そうなの。昨日美容院に行ってね、整えてもらったの」
「へえ、パーマかけたの?」

 誰もがそう思うだろう。わたしだって何も知らなければそう思う。想定される質問ナンバーワンだ。

「違うの。これね、地毛なんだよ」
「地毛なの? へえ、すごいな。地毛でそんな髪になるんだ」

 佐々木くんは髪が短いし、たぶん直毛だからクセ毛のことはわからないのだろう。それでも理解しようとしてくれているのが伝わってくる。ああ、さすが佐々木くん。

「今までよりいいんじゃない? 俺はそう思うよ」
「えへへ、そうかなあ? ありがと」

 佐々木くんはにこやかに笑って、また自分の勉強に戻る。わたしは佐々木くんに褒められたことが嬉しくて、しばらく自分の世界に浸っていた。

 我に返って席に着くと、藍美がわたしの肩を優しく叩いた。

「なっちゃん、おはよ」
「おはよう、藍美。ねえ、見てこの髪」
「うんうん! 可愛いよ、似合ってる!」

 藍美はまるで自分のことのように喜んでくれる。わたしはそんな藍美の様子を見て頬が緩んだ。

 藍美はこの前美容院に行ってから、学校にはクセ毛のまま登校している。あの綺麗なショートウェーブヘアだ。家でもきっと努力しているのだろう。わたしにとってはクセ毛人生の先輩になる。いや、それ以上の存在か。なんと言えばよいのかわからない。

「なっちゃんも一緒にやってくれて嬉しいよぉ。今まであたしだけこんな髪でさ、ちょっと浮いてるかなって不安に思うこともあったの」
「そうなんだ。藍美だって可愛いし、地毛なんだから気にすることないのに」
「そうかなぁ。なっちゃんは強いね」
「だって地毛じゃん。わたしたちは自然にこうなってるんだから、直すほうがおかしいんだよ」

 それはわたしの気持ちの変化の表れかもしれない。以前はストレートヘアにしなければならないと思っていたけれど、今は違う。クセ毛のまま生きていくことこそ重要だと思うのだ。まだまだ周りはストレートヘアにするのが普通だと思っているだろうけれど、そうではないということを訴えたかった。そんな慣習はなくなってしまえばよいのだ。

「そうだね。あたしもそう思う」
「わたしはもうヘアアイロンと戦うのは嫌なの。藍美だってそうでしょ?」
「うん。あたしも、このまま生きていきたい。クセ毛ってこんなに可愛いんだもん」
「そうそう。クセ毛って可愛いんだって思ってもらいたいよね」

 わたしと藍美の意見は同じだ。それが嬉しかった。

 あんなに嫌いだと思っていたクセ毛が、今では好きになってしまった。あの雑誌はクセ毛があなたのチャームポイントだと書いていたけれど、全くその通りだ。ちゃんと整えたら、クセ毛はチャームポイントになるのだ。誰にも真似できない、自分だけのクセなのだから。

 櫻井先生が教室に入ってくる。わたしと藍美は会話を切り上げて、わたしは前を向いた。

 櫻井先生がわたしを見て、苦々しい表情を浮かべた気がした。なんだろう。いや、思い当たるのは髪しかない。わたしの髪が何かおかしいだろうか。

「補講を始めます。参考書の九十二ページを開いて、問題を解いてください」

 今日は数学の時間だ。櫻井先生に言われた通り、参考書の九十二ページを開く。わたしがあまり得意ではない分野の問題だった。嫌だなあ、朝からこれかあ。

「柴崎さん、須川さん、ちょっと来てください」
「はい?」

 急に櫻井先生に呼ばれて、わたしは訝しむように顔を上げた。櫻井先生は確かにこちらを見ている。わたしの聞き間違いではないようだった。

 藍美もわたしと同じように戸惑いながら席を立つ。呼ばれたのなら行くしかない。あまり良い話でないのは間違いないだろう。わたしは気が重くなった。

 櫻井先生について教室を出て、職員室まで連れていかれる。話す勇気がなくて、わたしも藍美も無言で櫻井先生の後についていった。櫻井先生も、一言も発さなかった。

 職員室に着いて、その一角にある面談できる場所に誘導された。向かい合うように二人掛けのソファが置いてあって、その間に低いテーブルがある。櫻井先生に促されて、わたしと藍美はソファに腰掛けた。櫻井先生はその向かい側に座る。

「なんで呼ばれたかわかる?」

 開口一番、櫻井先生はそう言った。わたしと藍美は顔を見合わせる。

 わたしにはわかっていた。絶対にこの髪のことだ。それでも、わかったと認めることがクセ毛を否定することのように思えて、わたしは反発した。

「わかりません。何もしていないと思います」
「柴崎さん、あなた、その髪どうしたの。先週までは普通だったじゃない」

 普通。わたしはその言葉にかちんときた。毎朝頑張って矯正していた髪が、普通。本来あるべき姿に戻したら、普通ではない。いったいどちらが正しいのだろう。

「美容院で整えてもらいました。これがわたしの普通です」
「そんなはずないでしょう。パーマをかけるのは校則で禁止されています」

 またか。ここでも同じ質問が飛んできて、わたしは嫌になってしまった。でも逆に言えば、パーマをかけたような髪型になっているということだ。プラスに捉えることにした。

「地毛です。先生はクセ毛じゃないんですか?」
「クセ毛だからってそんなふうになるわけないでしょう。変な言い訳はやめなさい」

 何も知らない先生に、上から押さえつけられる。クセ毛人生がこんなところで阻まれるなんて思わなかった。女性なら理解してくれると思っていたのに、櫻井先生はわたしたちを理解してくれなかったのだ。

「なるんですよ。本当に地毛なんです」

 わたしが訴えても、櫻井先生には届かなかった。眉をひそめて、今度は藍美に言う。

「須川さん。あなたも地毛だって言うの?」
「は、はい。あたしも、地毛です」

 藍美は明らかに怖がっていた。櫻井先生の不快そうな雰囲気に押されて、直せと言われたら直してしまいそうだった。

 そんなことはさせない。わたしが藍美を、クセ毛人生を守るのだ。

「明日は必ず直して学校に来なさい」
「どうしてですか? クセ毛のまま学校に来たら何がいけないんですか?」

 わたしは櫻井先生に噛みついた。櫻井先生は苦虫を噛み潰したかのような顔をした。

「だから、地毛でそんな髪になるはずがないでしょう。柴崎さん、特進に入って生活指導されるような子はあなたが初めてなの。周りにも悪影響を及ぼします」
「クセ毛のままだと生活指導されるんですか? わたしのまま学校に来たら、怒られるんですか?」
「あくまでも地毛だって言うの? 私は、地毛でそんな髪になる子を見たことがないわ」
「それは先生の問題でしょう? わたしも、藍美も、地毛でこういう髪になるんですよ。これを直すほうが校則に違反するんじゃないですか? ちゃんと直すなら整髪料だってがんがん使いますし、そのほうが生活指導の対象ですよね?」

 わたしは苛々していた。どうしてわかってくれないんだ。クセ毛ってこういう髪なのに、どうして地毛だと理解してくれないんだ。

「まあまあ、その辺にしようじゃないか」

 割って入ってきたのは、学年主任の男性の先生だった。ぷっくりふくよかな身体が周囲を和ませるような、穏やかな先生だ。

 学年主任の先生は空いていた場所に座ると、わたしと藍美に一枚の紙を見せた。

「地毛だと言うのなら、地毛証明書を提出しなさい。保護者の方に書いてもらってね」

 地毛証明書。わたしと藍美の前に出された書類にはそう書かれていた。自分の子どもはこういう髪だけど、地毛であることを証明します、というような感じの文章と、印鑑を押す場所がある。

「普段は髪が茶色っぽい子に渡す書類なんだけど、二人に渡すから、早めに提出してね。そうじゃないと、生活指導の先生は地毛だってわからないかもしれないから」
「地毛なのに、書類を提出しないといけないんですか?」

 それもなんだかおかしな話だ。わたしがわたしであるために、書類を提出しなければならないのだ。わたし自身が認められていないような気分になる。

 学年主任の先生はのんびりとした口調で答えた。

「柴崎さん、きみは、自分の髪がパーマをかけたように見えるという自覚はある?」
「あります。それくらい綺麗だと思ってます」
「ということは、パーマをかけた人と区別がつかない、ということになる。こちらの都合で申し訳ないけれど、地毛の人を生活指導するわけにはいかないから、書類を出してほしいんだ」

 学年主任の先生の言葉はすうっと頭に入ってくる。先生方も苦労しているのかもしれない。

「わかりました。お母さんに書いてもらいます」

 わたしは書類を受け取り、藍美にも渡す。藍美の手が震えているのを見て、わたしはまた怒りを覚えてしまう。藍美にこんな怖い思いをさせるなんて、どうかしている。

「さあ、特進の子は補講の途中だろう? 櫻井先生と少し話があるから、二人は先に教室へ帰って、補講に参加しなさい」
「はい。ありがとうございます」

 学年主任の先生に言われて、わたしと藍美は席を立った。わたしはできるだけ堂々とした態度で歩いた。そうしないと、わたしが間違っていると思われるような気がしたのだ。

 職員室を出ると、藍美がはあっと深い溜息を吐いた。

「な、なっちゃん、すごいねぇ。あんなに立ち向かえるなんて」
「だっておかしいじゃん。わたしたち、悪いことは何もしてない」
「それでもさ、怖かったよぉ。なっちゃんがいなかったら、あたしきっと明日からヘアアイロンで直してたよ」

 藍美の様子を見る限り、たぶんそうなっただろう。あそこでわたしが騒いだから、学年主任の先生が来てくれたのだ。藍美のクセ毛を守ることができて、わたしは安堵する。

「これ、書いてもらわないとね。明日出してやる」

 わたしたちの手にある書類は、最大の盾になるものだ。これを出すことができれば、わたしたちは学校にも認められることになるはずだ。

「ね。あたしも、帰ったらお父さんに書いてもらうつもり」
「一緒に出しに行こう。明日の朝、叩きつけてやるんだから」

 思い出しても腹が立つ。地毛なわけないでしょう、だって。わたしだって最初はそう思ったけどさあ。

 櫻井先生はどうして否定するばかりで、理解しようとしてくれなかったんだろう。説明する機会を与えてくれなかったんだろう。ちゃんと説明させてもらえたら、クセ毛とはどういうものなのか理解してもらえたかもしれないのに。

 とにかく、この地毛証明書をさっさと書いてもらおう。お母さんに言えばすぐ書いてもらえるはずだ。お母さんに相談しておいてよかった。

 わたしと藍美は教室に戻った。教室の扉を開けた時、クラスメイトの視線が痛かった。

 ああもう。どうしてこんな思いをしなきゃいけないの? わたしはわたしらしくしたいだけなのに。


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