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 毎朝、髪を整えている時に思うことは、ただひとつだ。面倒臭い。

 ちょちょいと手櫛で整えるくらいで出かけることができたのなら、どれだけ楽だろうか。お母さんはそのタイプで、ブラシで梳かすだけで綺麗なストレートヘアになる。一方のわたしは、ブラシで梳かすとぶわっと広がって、なぜかボリュームが出てしまう。お母さんが羨ましくて仕方ない。

 問題は寝坊した日だ。人間、誰しも寝坊した経験はあるだろう。

「お母さん! なんで起こしてくれなかったの!」

 こうやって誰かのせいにするのも、誰もが経験したことがあるはずだ。

「起こしたわよ。あんたが起きなかったんでしょ」
「起きてくるまでが起こす人の責任でしょ!」

 わたしは完全にお母さんのせいにして、朝の準備を進めていた。我が家では朝食を抜くことは許されないから、朝食に時間を食われてしまう。ああもう、わたしは髪を整えたいのに。

 けれど、髪を整えている時間はなかった。いつもの電車に間に合うかどうかというところなのに、今から髪を整えるのだ。遅刻を覚悟で整えるか、諦めるか。

「夏子! あんた遅刻するよ!」
「わかってるけど、髪が」
「髪なんて結んでいけばいいでしょ! ほら、早く行きなさい!」

 わたしは髪を整えることもできないまま、お母さんに家を追い出される。

 ぶわあっと広がっていて、うねうねと変に曲がりくねっている髪をそのまま垂らすよりは、ひとつに結っておくほうがまだマシだろう。わたしはやむなく髪をポニーテールにした。毛先のクセは直していないから、わたしはクセ毛ですと言っているようなポニーテールができあがる。とても良く表現すれば、独特なウェーブがかかった髪、となるだろう。普通の人から見たら、寝グセかと言われても致し方ない。

 電車に乗っている間も、他人の目が気になってしまう。あーあ、どうして寝坊したんだろう。昨日夜遅くまでテレビを見ていたからだろうか。確かに、寝るの遅かったもんなあ。

 でもお母さんだって、ちゃんと起こしてくれないからこうなるんだ。わたしが起きていなくても返事することがあるって知っているくせに、どうしてもっとちゃんと起こしてくれなかったのか。

 こんな髪のまま登校するのは嫌だったけれど、それで遅刻や欠席ができるわけがない。誰かに笑われる覚悟で、わたしは教室に入った。

 もうクラスメイトはだいたい揃っているようだった。友達と話している人だけでなく、もう勉強している人がいる。さすがは特進といったところか。うわあ、仲良くなれそうにないなあ。

 佐々木くんはまだ来ていないようだった。こんな髪で佐々木くんに会うなんて憂鬱。

 わたしが自分の席に鞄を置くと、後ろの席の藍美あいみが話しかけてきた。

「おはよ、なっちゃん」

 藍美とは初日に仲良くなった。話しやすくて、よく笑う可愛い子だ。

「おはよう、藍美」
「今日はポニーテールなんだぁ。いいなぁ、可愛い」

 藍美は目ざとくわたしの髪型の変化に気づいた。ああ、あまり見ないで。クセ毛を直す暇がなかったことがバレる。

 藍美の髪はショートボブで、藍美の快活な性格によく似合っていた。髪の毛はきっと細くて、とてもさらさらしている。わたしのように毎朝戦う必要はない人種なのではないだろうか。

 このクラスの女子はみんな綺麗な髪を持っている。クセ毛で悩んでいるのはわたしだけではないだろうかと不安になる。去年は同じ悩みを持っている子がいたから、梅雨のように湿気の多い時期や、夏のように汗をかく時期は、髪に関する愚痴を言い合っていた。今年は、どうだろうか。そんな悩みを共有できる人はいるのだろうか。

「髪が長いといいよね、いろいろアレンジできて」

 藍美は長いクセ毛がどれだけ大変なのか知らないからそんなことが言えるのだ。まずはこのクセをどうにかしなければ、ヘアアレンジも何もあったものではない。

「でも藍美のショートだって可愛いよ」
「あたしも伸ばしたいんだけどねぇ」

 藍美はため息を吐いた。伸ばすと管理が大変という理由だろうか。

「伸ばせばいいんじゃないの? きっと可愛いよ」
「無理無理。あたし、なっちゃんのこと尊敬してる」
「どうして?」

 わたしが尋ねると、藍美は声を潜めて言った。

「なっちゃん、今日はクセ毛直す時間なかったんだね」

 どきりとした。やっぱり、見ればすぐにわかってしまうのだ。これだけうねうねしてたら、誰にでもわかることだ。普段髪の毛を気にしないであろう男子だって、今日のわたしの髪がいつもと違うことくらいわかるだろう。

 しかし、藍美は机に頬杖をついて、自嘲気味に笑った。

「あたしも同じだよ、なっちゃん。クセ毛仲間」
「ええ? そうなの?」

 つい声を大きくしてしまった。クラスメイトの目が一瞬だけわたしに集まり、わたしは身を小さくした。藍美は笑いを噛み殺していた。

 まさか、藍美がクセ毛仲間? こんなに綺麗なショートボブなのに?

「ヘアアイロンでがーっとやるでしょ、毎朝」
「うん、やる。今日はそんな時間なかったけど」
「わかる。わかるよぉ、毎朝大変だよねぇ。あたしも一緒なの」

 藍美はそう言うけれど、そうは見えない。技術の差を感じた。それとも、髪質がわたしとは違うのだろうか。

「藍美は直さなかったらどうなるの?」
「くるくるどかーん、って感じかなぁ」
「あ、一緒かも! ヘアアイロンがなかったら外行けないでしょ?」
「無理だねぇ。短いから縛ってごまかすこともできないし」
「そっか。そうだよね、短いとそれはそれで大変だね」
「伸ばすと余計に手間かかるでしょ? だから、なっちゃんはすごいなと思う」

 藍美の言葉はお世辞ではないと思った。本当に、藍美も苦労しているのだ。

「クセ毛直さないと学校も行きづらいしねぇ」

 全くその通りだ。クセ毛のまま学校に来るなんてあり得ない。クセを伸ばしてストレートにするのがマナーだと思っている。つまり、今日のわたしはマナー違反。

「直す時間がなかったらこうなる、ってね」
「大丈夫だよなっちゃん、ちょっとうねっとしてるけど、大丈夫」

 藍美は励ましてくれたけれど、クセが出ているのは自分がいちばんよくわかっている。こんな髪のまま佐々木くんに会うのは嫌だなあ。佐々木くん、今日は休みだといいのに。

「藍美は縮毛矯正しないの?」

 わたしが訊くと、藍美は苦笑いを浮かべた。

「お母さんにそんなお金ないって言われちゃったの。ヘアアイロンでどうにかできるんだから、朝早く起きてなんとかしなさい、って」
「もしかして、お母さんはクセ毛じゃないんじゃない?」
「そう! そうなの、だからわかってもらえなくって!」

 藍美は嬉しそうに言った。どこの家庭も同じだ。親がクセ毛に理解を示してくれなければ、わたしたち子どもはどうにかやり過ごすしかない。

 確かにヘアアイロンでどうにかできるけれど、時間が経てば元に戻ってしまうし、縮毛矯正のほうが綺麗にできる。わたしだって、きっと藍美だって、本音を言えば縮毛矯正をしてしまいたいのだ。お金がないからできないだけ。

「しかもさぁ、この前朝起きた時にお母さんに言われたの。ひどい髪だねって」
「なにそれ。ひどいのはお母さんだよ」

 何が悪いのかは知らないけれど、寝起きは特にクセが強く出る。寝グセなのか、自分のクセ毛なのかわからないが、とにかく見せられるものではない。藍美のお母さんはその髪を見て言ったのだろう。

「でしょー? 娘が困ってるんだから、縮毛矯正のお金出してくれてもいいじゃんねぇ」
「ほんとに。わたしも、縮毛矯正できるならやりたいよ」
「ねぇ。これから梅雨もあるし、クセ毛には辛い季節が来るねぇ」

 藍美はもう少し先に控えている梅雨を今から憂いているようだった。早いな。

 梅雨にクセがひどく出るのは、湿気のせいらしい。そしてそのまま夏になり、今度は汗と湿気でクセが出る。ヘアアイロンで矯正しても、夕方帰る頃にはクセが出始める。これからしばらくの間、わたしたちクセ毛を悩ませる時期が続く。

「あーあ。クセ毛を直さなくてもいい人が羨ましいねぇ」

 藍美ががっくりと肩を落としながら言う。本当に、その通りだ。

「直さなくてもよかったら、朝もゆっくりできるもんね」
「そうだよねぇ。今は髪整えるのに何分使ってるんだって感じだしね」

 わたしと藍美は笑いあった。たかが髪だと笑う人がいるかもしれないが、同じ悩みを持つ者にしかわからない辛さがあるのだ。藍美のような理解者がいてくれてよかった。

「あ、先生来た」

 藍美がそう言って、わたしは前を向く。櫻井先生は今日もびしっと決まっている。実はクセ毛に悩んでいる、とかだったら親近感も湧くものだけれど、きっと違うんだろうな。

 いつの間にか佐々木くんも来ていたようだった。わたしが後ろを向いて藍美と話していたから、来たことに気づかなかった。まあ、そうだよね、休みなわけないよね。

 わたしは今一度、自分の髪に触れる。毛先までうねうねしているのがよくわかる。なんだかパーマに失敗したのをごまかしている人みたいに思えてきて、悲しくなった。

 どうしてわたしはこんな髪なのだろうか。大人になったら変わるのかと思って過ごしてきたけれど、昔よりもクセが強くなってきているような気がしてならない。いつか、ヘアアイロンで太刀打ちできないようなクセになってしまうのではないかと不安になる。

 もし神様がいるのなら、言ってやりたい。世の中からクセ毛をなくしてください、と。


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