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「絶対に間に合わせる。飛翔魔法!」
わたしの反応も待たずに、有沙は高速で飛んでいった。わたしはそれを見届けることなく、自分の足で走り始める。それがなんと遅いものか。これで逃げられるのだろうかと不安になる。
ううん、有沙にも信じてもらったんだから、頑張らなくちゃ。逃げきれませんでした、というのは許されない。有沙が行って帰ってくるくらいの時間を稼げればよいのだ。せいぜい一、二分程度だろうと思っていた。
とにかく細い路地を使えばよいのだ。相手は大型車のように小回りが利かない。細い路地を活用して何度も曲がっていけば、それなりに時間は稼げるだろう。
後ろを振り返ってみても、大型の亡者の姿は見当たらない。うん、まだ大丈夫。家の中に逃げ込むのと、こうして移動するのでは、どちらがより時間を稼げるのだろうか。有沙にはその辺の家に隠れると言ったけれど、移動しているほうが長く時間を稼げるのではないだろうか。わたしはそう思って、ひたすらに細い路地をくねくねと曲がっていく。
「おああああぁっ!」
すぐ後ろで大型の亡者の咆哮が聞こえた。後ろを見ると、青紫色の大きな体躯がそこにあった。相手が腕をゴムのように伸ばしてきたら、わたしは避けられない。
結局のところ、わたしは走るしかないのだ。それがほとんど無意味だとわかっていても。
「マキ、コロス、マキ、コロス!」
亡者の濁った声も、もはや聞き慣れてしまった。わたしは目の前の角を曲がる。その後ろでブロック塀が崩れる音がした。わたしは今、間一髪で攻撃を避けたのだろう。
でも奇跡は二度も続かない。振り返ると、真後ろで大型の亡者がわたしを見ていた。次の角まではまだ距離がある。
逃げきれない。わたしはそう思った。
ああ、有沙、ごめんね。わたしの作戦は、やっぱり無謀だったんだ。
「おおおおぉっ! マキ、コロス、コロス!」
大型の亡者が叫びながらずしんずしんと歩いてくる。わたしは恐怖で足がうまく動かせなくなってしまい、その場で転んでしまった。擦り剥いた膝の痛みを感じるよりも、迫ってくる大型の亡者への恐怖を強く感じていた。
もう逃げられない。終わりだ。わたしの賭けは、失敗だったのだ。
「おあああああぁっ!」
そこで、大型の亡者は突然頭を抱えて苦しそうに身を捩らせた。大型の亡者の動きが止まり、その場で大声を出して悶えている。
きっと有沙が魔力の源を壊したのだと察した。あと少し逃げたら、有沙と合流できるはずだ。わたしは立ち上がり、また走り出した。大型の亡者はまだ苦しんでいた。今のうちに少しでも距離を稼がないといけない。
希望を捨てちゃだめだ。最後の最後まで、わたしは逃げなければ。
十字路を曲がり、その先の丁字路も曲がる。くねくねと入り組んだ路地を何度も曲がり、わたしはほんのちょっとでも大型の亡者から距離を取る。
有沙はいつ来てくれるのだろうか。空を飛んで、ぱっと戻ってきてくれると信じていた。
「マキ、コロス、マキ、コロス!」
またわたしの後ろから亡者の声が聞こえてくる。もう起き上がってしまったのか。お願いだからもうしばらく苦しんでいてほしかった。
有沙。ねえ、有沙、早く帰ってきて。わたしだけで立ち向かうなんて無理だよ。
角を曲がる。大型の亡者がわたしに追いつく。ものすごい圧迫感を背中に抱く。
わたしは、振り返ってしまった。それは逃げられないと思ったからかもしれない。
「マキ、コロス!」
黒い塊が空中に浮くのが見えた。あれを飛ばされてしまったら、わたしには避ける術がない。わたしを待っているのは、死だ。
わたしはぎゅっと目を閉じてしまった。襲いくるであろう激痛に備えて。いや、あまりの恐怖に、正面を直視することができなかったのだろう。
終わった。有沙はまだ戻ってこない。わたしはこの黒い塊に貫かれて死ぬんだ。ここまで逃げてきたのに、こんなところで終わりだなんて。ああ、こんな作戦、考えなければよかった。わたしは自分の頭の悪さを呪った。
「防御魔法!」
だから、有沙の声が聞こえた時は、本当に身体が軽くなったような気がした。
放たれた黒い塊は、見えない壁に当たって砕け散った。けれど全部防げたわけではなくて、一部はわたしの腕や脚を掠めるように飛んでいき、わたしの皮膚を浅く裂いた。
でも、痛みなんて感じなかった。それよりも有沙が来てくれた嬉しさが勝っていたのだ。
「藍水! ごめん、遅くなったね」
有沙が上からひらりと舞い降りて、わたしと大型の亡者の間に立つ。大型の亡者は有沙をじっと睨んでいた。まるで、戻ってきたことに苛立つかのように。
「この先に公園があるんだ。いったんそこまで逃げよう。筋強魔法!」
有沙はわたしに何も言わずに、わたしを抱き上げた。そしてものすごい速度で走り出す。わたしが走る速度とはやはり比べ物にならない。
わたしは有沙の服を掴み、安堵で泣きそうになったのをぐっと堪えた。やはり有沙は間に合わせてくれた。心のどこかで、わたしは有沙が必ず来てくれると信じていた。この作戦は無謀だったけれど、最終的な結果としては大成功を収めたのだ。
有沙が言った通り、少し行くだけで、広いグラウンドがある大きな公園があった。有沙はグラウンドの中央でわたしを下ろした。
「遅くなってごめん。ああ、怪我もしているね。治癒魔法」
有沙の魔法でわたしの傷が治っていく。わたしは有沙に抱きついた。
「有沙、ありがと。絶対来てくれるって思ってた」
「喜ぶのはまだ早いよ。あいつを倒さなくちゃいけない。召喚文様を探すんじゃなくて、戦うほうを選んでしまったんだからね」
有沙はわたしを優しく引き剥がした。その顔には優しい微笑みが浮かんでいた。
「大丈夫。どうにかするよ」
「作戦はあるの?」
「ないことはない。きみの力を使えば、普段は使わないような高威力の魔法も使える。それを当てることができたら、僕たちにも勝機はある」
「わたし、どうしたらいい?」
「チャンスは一回しかないから、とりあえず、あいつをもう少し消耗させたい。しばらくは避けながら魔法を当てていくことになると思う」
大型の亡者が公園の入口に姿を見せた。わたしを目印に追ってきているのだから、わたしたちに逃げるという選択肢はない。どうしたって逃げ切ることはできないのだ。
「さて、始めようか。僕たちの反撃の時間だ」
有沙は再びわたしを抱き上げる。わたしは有沙にしっかりと掴まる。
「雷刃魔法!」
有沙が放った雷が大型の亡者の腕を焼く。対魔法結界があった時よりは効いているけれど、大きな傷にはならない。有沙は舌打ちした。
「やっぱりそこまで効かないか。こんなもの、どうやって用意したんだ」
「特別な亡者なの?」
「そうだね。きみを殺すために用意された、特別に強い個体だ」
大型の亡者は有沙の魔法を無視して突っ込んでくる。有沙はもう一度魔法を放つ。
「氷撃魔法!」
大きな氷の槍が空気中に生成され、大型の亡者の脚に突き刺さる。貫通することはなく、大型の亡者が手で振り払うと、氷の槍が霧散してしまう。これも、そこまでの深手にはなっていないようだった。
大型の亡者が腕を振り上げた。有沙は後ろに跳んでその攻撃を躱す。
「氷撃魔法!」
有沙は同じ魔法を続けて放った。結果は同じで、大型の亡者の腕に浅い傷を作っただけだった。大きなダメージになったようには見えない。
大型の亡者の腕を避け、有沙は大きく距離を取った。
「これは、困ったね。藍水の力を借りているのに、あの程度の威力しかない」
有沙の声には焦りの色が見えた。それがわたしの不安を煽る。
「ど、どうするの?」
「どうしようか。まあ、高威力の魔法の一撃に賭けるしかなさそうだけれど」
大型の亡者のタックルを避けて、その背に有沙が魔法を放つ。
「火炎魔法!」
大型の亡者の背中を火炎が襲う。いつもなら皮膚を焼き尽くす炎も、大型の亡者に効いたようには見えなかった。まるで有沙の魔法に耐性があるかのようだった。
「雷刃魔法!」
続けて有沙が雷を放つ。大型の亡者の脚に直撃したのに、皮膚に軽い火傷を負わせただけだった。
有沙は地を蹴ってその場から移動する。大型の亡者はじっとこちらを観察していた。向こうも、闇雲に攻撃を繰り返すだけでは当たらないと学んだのかもしれない。
「だめだね。普通の魔法じゃ通らない」
「高威力の魔法は?」
「僕にもかなり負担になるから、使えるのは一回だけだ。その一回で決めないといけない」
その一回をいつ使うのか、有沙は考えているようだった。その一回に勝機を見出すしかないのだ。このまま戦っていても、わたしたちが勝てる見込みはなさそうだった。
大型の亡者と対峙する。お互いに相手の出方を窺っていた。これまでに倒してきた亡者よりも、この大型の亡者には知能が感じられた。だからこそ、有沙はたった一回しか使えない魔法を使うタイミングを計りかねているのだろう。
「藍水、あいつの次の攻撃を避けたら、きみを下ろす」
有沙は静かに言った。
「うん。わたし、どうしたらいい?」
「僕と一緒にあいつに向かって突っ込んでほしい。至近距離で使う魔法なんだ」
「わかった。走ればいいんだね?」
「そうだね。僕が手を引っ張るから、遅れないように走ってほしい」
わたしは頷きながら、不安を抱いていた。
わたしが遅れてしまったら、この作戦は失敗してしまう。わたしは有沙と同じ速度で走れるのだろうか。有沙がわたしに合わせてくれるとしても、その速度で大型の亡者の至近距離まで寄ることができるのだろうか。その前に、大型の亡者が攻撃態勢を整えてしまったら?
わたしの不安など誰も気にかけることはない。大型の亡者が突進してきて、有沙はそれをひらりと躱す。
「藍水、いくよ!」
有沙はわたしの身体を下ろした。そして、手を握ってくれる。わたしは有沙に負けないように、脚を懸命に動かして走る。
大型の亡者に近づいていくのに、不思議と恐怖心はなかった。それよりも、とにかくこの作戦が成功してほしいと願っていた。有沙の放つ一撃が大型の亡者を倒す、その瞬間を待ち望んでいた。
有沙はわたしの走る速度に合わせてくれているようだった。わたしは全速力で走る。
大型の亡者が振り返る。そして、腕を振り上げる。わたしたちは構わず大型の亡者に接近していく。
大型の亡者に手が届きそうなくらいまで近づいて、有沙は魔法を行使した。
「剛剣戟魔法!」
有沙の手に青白い光の剣が生まれる。有沙はその剣を構え、大型の亡者の頭を貫いた。青白い光が大型の亡者の頭を貫通し、有沙が斬り払う。黒色の液体が後を追うように飛び散った。
「おああああああぁっ!」
大型の亡者が苦悶の声を上げた。今までの魔法とは比べ物にならないくらいの威力だ。頭を貫かれた大型の亡者は、傷口を押さえるように手で覆った。その指の隙間から黒色の液体がどんどん流れ出していく。
有沙も辛そうな顔をしながら、青白い光の剣を返し、大型の亡者に追撃する。
「終わりだっ!」
もう一度、大型の亡者の頭を斬りつけた。青紫色の肉片が散り、黒色の液体と化す。大型の亡者は大きく仰け反り、空に叫んだ。
「おああああああぁっ!」
大型の亡者が膝から崩れ落ちる。それと同時に有沙ががくりと膝をついた。腕を引かれて、わたしも倒れそうになってしまう。
「有沙!」
「大丈夫。魔法の反動が来ただけだよ」
有沙はわたしを手で制して、自分の力で立ち上がった。
大型の亡者はまだ完全に息絶えたわけではなかった。頭から黒色の液体を流しながら、どうにか起き上がろうとしているのがわかる。けれど、手足の動きがちぐはぐになっていて、うまく起き上がることができなかった。
「さて、どうするか。とどめを刺すほど僕に余裕がない」
「そ、そうなの? 大丈夫?」
「ああ、うん。攻撃魔法を放つ余裕はないけれどね」
そう言った有沙の声には力がなかった。本当に、あの一撃に賭けていたのだろう。
有沙は迷って、交信魔法を使った。淡い光の球が現れる。
「ルイ、大型の亡者を無力化した。でもとどめを刺すほど余裕がない」
光の球からはすぐに応答があった。若い男性の声が返ってくる。
「わかった。他の魔女に応援を要請する。きみたちは本部に戻ってきて」
「こいつはこのまま放っておいていいの?」
「構わないよ。そこまで弱らせたのなら、アリサに頼る必要もないだろう」
ルイはまるで今の状況を知っているかのように話している。もしかして、何らかの方法を使ってこちらの状況を知ることができるのだろうか。そんなことができるくらい、ルイは力のある魔女なのだろうか。
「じゃあ、本部に戻るよ。転移魔法を使えばいいんだね?」
「うん。座標を送った。戻ってきたら休んで」
「わかった。ありがとう、ルイ」
「お疲れ様、アリサ」
光の球が消える。有沙はふうっと息を吐いた。
「行こう、藍水。こいつはこのままでいいらしい」
わたしたちが話している間にも、大型の亡者はもがき続けていた。黒色の液体の噴出は止まらず、その傷の深さを物語っていた。
わたしたちが背を向けた途端に起き上がってこないだろうか。わたしはそんな不安に駆られた。それは有沙も同じだったようで、大型の亡者から目を離さないようにしながらグラウンドを移動する。公園を出るまで、有沙は大型の亡者を睨みつけていた。
わたしの反応も待たずに、有沙は高速で飛んでいった。わたしはそれを見届けることなく、自分の足で走り始める。それがなんと遅いものか。これで逃げられるのだろうかと不安になる。
ううん、有沙にも信じてもらったんだから、頑張らなくちゃ。逃げきれませんでした、というのは許されない。有沙が行って帰ってくるくらいの時間を稼げればよいのだ。せいぜい一、二分程度だろうと思っていた。
とにかく細い路地を使えばよいのだ。相手は大型車のように小回りが利かない。細い路地を活用して何度も曲がっていけば、それなりに時間は稼げるだろう。
後ろを振り返ってみても、大型の亡者の姿は見当たらない。うん、まだ大丈夫。家の中に逃げ込むのと、こうして移動するのでは、どちらがより時間を稼げるのだろうか。有沙にはその辺の家に隠れると言ったけれど、移動しているほうが長く時間を稼げるのではないだろうか。わたしはそう思って、ひたすらに細い路地をくねくねと曲がっていく。
「おああああぁっ!」
すぐ後ろで大型の亡者の咆哮が聞こえた。後ろを見ると、青紫色の大きな体躯がそこにあった。相手が腕をゴムのように伸ばしてきたら、わたしは避けられない。
結局のところ、わたしは走るしかないのだ。それがほとんど無意味だとわかっていても。
「マキ、コロス、マキ、コロス!」
亡者の濁った声も、もはや聞き慣れてしまった。わたしは目の前の角を曲がる。その後ろでブロック塀が崩れる音がした。わたしは今、間一髪で攻撃を避けたのだろう。
でも奇跡は二度も続かない。振り返ると、真後ろで大型の亡者がわたしを見ていた。次の角まではまだ距離がある。
逃げきれない。わたしはそう思った。
ああ、有沙、ごめんね。わたしの作戦は、やっぱり無謀だったんだ。
「おおおおぉっ! マキ、コロス、コロス!」
大型の亡者が叫びながらずしんずしんと歩いてくる。わたしは恐怖で足がうまく動かせなくなってしまい、その場で転んでしまった。擦り剥いた膝の痛みを感じるよりも、迫ってくる大型の亡者への恐怖を強く感じていた。
もう逃げられない。終わりだ。わたしの賭けは、失敗だったのだ。
「おあああああぁっ!」
そこで、大型の亡者は突然頭を抱えて苦しそうに身を捩らせた。大型の亡者の動きが止まり、その場で大声を出して悶えている。
きっと有沙が魔力の源を壊したのだと察した。あと少し逃げたら、有沙と合流できるはずだ。わたしは立ち上がり、また走り出した。大型の亡者はまだ苦しんでいた。今のうちに少しでも距離を稼がないといけない。
希望を捨てちゃだめだ。最後の最後まで、わたしは逃げなければ。
十字路を曲がり、その先の丁字路も曲がる。くねくねと入り組んだ路地を何度も曲がり、わたしはほんのちょっとでも大型の亡者から距離を取る。
有沙はいつ来てくれるのだろうか。空を飛んで、ぱっと戻ってきてくれると信じていた。
「マキ、コロス、マキ、コロス!」
またわたしの後ろから亡者の声が聞こえてくる。もう起き上がってしまったのか。お願いだからもうしばらく苦しんでいてほしかった。
有沙。ねえ、有沙、早く帰ってきて。わたしだけで立ち向かうなんて無理だよ。
角を曲がる。大型の亡者がわたしに追いつく。ものすごい圧迫感を背中に抱く。
わたしは、振り返ってしまった。それは逃げられないと思ったからかもしれない。
「マキ、コロス!」
黒い塊が空中に浮くのが見えた。あれを飛ばされてしまったら、わたしには避ける術がない。わたしを待っているのは、死だ。
わたしはぎゅっと目を閉じてしまった。襲いくるであろう激痛に備えて。いや、あまりの恐怖に、正面を直視することができなかったのだろう。
終わった。有沙はまだ戻ってこない。わたしはこの黒い塊に貫かれて死ぬんだ。ここまで逃げてきたのに、こんなところで終わりだなんて。ああ、こんな作戦、考えなければよかった。わたしは自分の頭の悪さを呪った。
「防御魔法!」
だから、有沙の声が聞こえた時は、本当に身体が軽くなったような気がした。
放たれた黒い塊は、見えない壁に当たって砕け散った。けれど全部防げたわけではなくて、一部はわたしの腕や脚を掠めるように飛んでいき、わたしの皮膚を浅く裂いた。
でも、痛みなんて感じなかった。それよりも有沙が来てくれた嬉しさが勝っていたのだ。
「藍水! ごめん、遅くなったね」
有沙が上からひらりと舞い降りて、わたしと大型の亡者の間に立つ。大型の亡者は有沙をじっと睨んでいた。まるで、戻ってきたことに苛立つかのように。
「この先に公園があるんだ。いったんそこまで逃げよう。筋強魔法!」
有沙はわたしに何も言わずに、わたしを抱き上げた。そしてものすごい速度で走り出す。わたしが走る速度とはやはり比べ物にならない。
わたしは有沙の服を掴み、安堵で泣きそうになったのをぐっと堪えた。やはり有沙は間に合わせてくれた。心のどこかで、わたしは有沙が必ず来てくれると信じていた。この作戦は無謀だったけれど、最終的な結果としては大成功を収めたのだ。
有沙が言った通り、少し行くだけで、広いグラウンドがある大きな公園があった。有沙はグラウンドの中央でわたしを下ろした。
「遅くなってごめん。ああ、怪我もしているね。治癒魔法」
有沙の魔法でわたしの傷が治っていく。わたしは有沙に抱きついた。
「有沙、ありがと。絶対来てくれるって思ってた」
「喜ぶのはまだ早いよ。あいつを倒さなくちゃいけない。召喚文様を探すんじゃなくて、戦うほうを選んでしまったんだからね」
有沙はわたしを優しく引き剥がした。その顔には優しい微笑みが浮かんでいた。
「大丈夫。どうにかするよ」
「作戦はあるの?」
「ないことはない。きみの力を使えば、普段は使わないような高威力の魔法も使える。それを当てることができたら、僕たちにも勝機はある」
「わたし、どうしたらいい?」
「チャンスは一回しかないから、とりあえず、あいつをもう少し消耗させたい。しばらくは避けながら魔法を当てていくことになると思う」
大型の亡者が公園の入口に姿を見せた。わたしを目印に追ってきているのだから、わたしたちに逃げるという選択肢はない。どうしたって逃げ切ることはできないのだ。
「さて、始めようか。僕たちの反撃の時間だ」
有沙は再びわたしを抱き上げる。わたしは有沙にしっかりと掴まる。
「雷刃魔法!」
有沙が放った雷が大型の亡者の腕を焼く。対魔法結界があった時よりは効いているけれど、大きな傷にはならない。有沙は舌打ちした。
「やっぱりそこまで効かないか。こんなもの、どうやって用意したんだ」
「特別な亡者なの?」
「そうだね。きみを殺すために用意された、特別に強い個体だ」
大型の亡者は有沙の魔法を無視して突っ込んでくる。有沙はもう一度魔法を放つ。
「氷撃魔法!」
大きな氷の槍が空気中に生成され、大型の亡者の脚に突き刺さる。貫通することはなく、大型の亡者が手で振り払うと、氷の槍が霧散してしまう。これも、そこまでの深手にはなっていないようだった。
大型の亡者が腕を振り上げた。有沙は後ろに跳んでその攻撃を躱す。
「氷撃魔法!」
有沙は同じ魔法を続けて放った。結果は同じで、大型の亡者の腕に浅い傷を作っただけだった。大きなダメージになったようには見えない。
大型の亡者の腕を避け、有沙は大きく距離を取った。
「これは、困ったね。藍水の力を借りているのに、あの程度の威力しかない」
有沙の声には焦りの色が見えた。それがわたしの不安を煽る。
「ど、どうするの?」
「どうしようか。まあ、高威力の魔法の一撃に賭けるしかなさそうだけれど」
大型の亡者のタックルを避けて、その背に有沙が魔法を放つ。
「火炎魔法!」
大型の亡者の背中を火炎が襲う。いつもなら皮膚を焼き尽くす炎も、大型の亡者に効いたようには見えなかった。まるで有沙の魔法に耐性があるかのようだった。
「雷刃魔法!」
続けて有沙が雷を放つ。大型の亡者の脚に直撃したのに、皮膚に軽い火傷を負わせただけだった。
有沙は地を蹴ってその場から移動する。大型の亡者はじっとこちらを観察していた。向こうも、闇雲に攻撃を繰り返すだけでは当たらないと学んだのかもしれない。
「だめだね。普通の魔法じゃ通らない」
「高威力の魔法は?」
「僕にもかなり負担になるから、使えるのは一回だけだ。その一回で決めないといけない」
その一回をいつ使うのか、有沙は考えているようだった。その一回に勝機を見出すしかないのだ。このまま戦っていても、わたしたちが勝てる見込みはなさそうだった。
大型の亡者と対峙する。お互いに相手の出方を窺っていた。これまでに倒してきた亡者よりも、この大型の亡者には知能が感じられた。だからこそ、有沙はたった一回しか使えない魔法を使うタイミングを計りかねているのだろう。
「藍水、あいつの次の攻撃を避けたら、きみを下ろす」
有沙は静かに言った。
「うん。わたし、どうしたらいい?」
「僕と一緒にあいつに向かって突っ込んでほしい。至近距離で使う魔法なんだ」
「わかった。走ればいいんだね?」
「そうだね。僕が手を引っ張るから、遅れないように走ってほしい」
わたしは頷きながら、不安を抱いていた。
わたしが遅れてしまったら、この作戦は失敗してしまう。わたしは有沙と同じ速度で走れるのだろうか。有沙がわたしに合わせてくれるとしても、その速度で大型の亡者の至近距離まで寄ることができるのだろうか。その前に、大型の亡者が攻撃態勢を整えてしまったら?
わたしの不安など誰も気にかけることはない。大型の亡者が突進してきて、有沙はそれをひらりと躱す。
「藍水、いくよ!」
有沙はわたしの身体を下ろした。そして、手を握ってくれる。わたしは有沙に負けないように、脚を懸命に動かして走る。
大型の亡者に近づいていくのに、不思議と恐怖心はなかった。それよりも、とにかくこの作戦が成功してほしいと願っていた。有沙の放つ一撃が大型の亡者を倒す、その瞬間を待ち望んでいた。
有沙はわたしの走る速度に合わせてくれているようだった。わたしは全速力で走る。
大型の亡者が振り返る。そして、腕を振り上げる。わたしたちは構わず大型の亡者に接近していく。
大型の亡者に手が届きそうなくらいまで近づいて、有沙は魔法を行使した。
「剛剣戟魔法!」
有沙の手に青白い光の剣が生まれる。有沙はその剣を構え、大型の亡者の頭を貫いた。青白い光が大型の亡者の頭を貫通し、有沙が斬り払う。黒色の液体が後を追うように飛び散った。
「おああああああぁっ!」
大型の亡者が苦悶の声を上げた。今までの魔法とは比べ物にならないくらいの威力だ。頭を貫かれた大型の亡者は、傷口を押さえるように手で覆った。その指の隙間から黒色の液体がどんどん流れ出していく。
有沙も辛そうな顔をしながら、青白い光の剣を返し、大型の亡者に追撃する。
「終わりだっ!」
もう一度、大型の亡者の頭を斬りつけた。青紫色の肉片が散り、黒色の液体と化す。大型の亡者は大きく仰け反り、空に叫んだ。
「おああああああぁっ!」
大型の亡者が膝から崩れ落ちる。それと同時に有沙ががくりと膝をついた。腕を引かれて、わたしも倒れそうになってしまう。
「有沙!」
「大丈夫。魔法の反動が来ただけだよ」
有沙はわたしを手で制して、自分の力で立ち上がった。
大型の亡者はまだ完全に息絶えたわけではなかった。頭から黒色の液体を流しながら、どうにか起き上がろうとしているのがわかる。けれど、手足の動きがちぐはぐになっていて、うまく起き上がることができなかった。
「さて、どうするか。とどめを刺すほど僕に余裕がない」
「そ、そうなの? 大丈夫?」
「ああ、うん。攻撃魔法を放つ余裕はないけれどね」
そう言った有沙の声には力がなかった。本当に、あの一撃に賭けていたのだろう。
有沙は迷って、交信魔法を使った。淡い光の球が現れる。
「ルイ、大型の亡者を無力化した。でもとどめを刺すほど余裕がない」
光の球からはすぐに応答があった。若い男性の声が返ってくる。
「わかった。他の魔女に応援を要請する。きみたちは本部に戻ってきて」
「こいつはこのまま放っておいていいの?」
「構わないよ。そこまで弱らせたのなら、アリサに頼る必要もないだろう」
ルイはまるで今の状況を知っているかのように話している。もしかして、何らかの方法を使ってこちらの状況を知ることができるのだろうか。そんなことができるくらい、ルイは力のある魔女なのだろうか。
「じゃあ、本部に戻るよ。転移魔法を使えばいいんだね?」
「うん。座標を送った。戻ってきたら休んで」
「わかった。ありがとう、ルイ」
「お疲れ様、アリサ」
光の球が消える。有沙はふうっと息を吐いた。
「行こう、藍水。こいつはこのままでいいらしい」
わたしたちが話している間にも、大型の亡者はもがき続けていた。黒色の液体の噴出は止まらず、その傷の深さを物語っていた。
わたしたちが背を向けた途端に起き上がってこないだろうか。わたしはそんな不安に駆られた。それは有沙も同じだったようで、大型の亡者から目を離さないようにしながらグラウンドを移動する。公園を出るまで、有沙は大型の亡者を睨みつけていた。
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