わたしのキスは魔力の味

にのみや朱乃

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 有沙はわたしの歩調に合わせて歩いてくれる。特に急いでいる様子も、警戒している様子もなかった。この辺りは安全なのだろうか。

「藍水、ちょっと待っていて。飛翔魔法レビテシア!」

 有沙が真上に飛び上がる。空からこの辺りの様子を探ろうということだろう。コンビニならある程度は目立つだろうから、歩いて探すよりも空から見たほうが早い。

 ふわりと地面に降り立った有沙がわたしを先導して歩く。

「すぐ近くにコンビニがある。まずそこに行こう」
「うん。この辺りは安全なの?」
「おそらくね。上から見える範囲でも、亡者はいないみたいだった」

 その言葉にわたしは安心する。このまま、亡者と出会うことなく本部に行くことができたらいいのに。大型の亡者なんて、誰かが倒してくれたらいいのに。

 有沙について歩いていくと、すぐにコンビニが見えてくる。コンビニの自動ドアは生きているようで、有沙が近づくと反応して開いた。電気が止まっているわけではないようだ。

 コンビニの中は当然のように無人だった。ここには亡者が来ていないのか、棚が倒れたり、商品が散らばったりしていることはなかった。

 有沙はまっすぐ冷蔵庫に歩いていって、ペットボトルの水を手に取った。躊躇いなくその水を開封して、口に運ぶ。こういうところ、本当に遠慮がなくてすごいと思ってしまう。

 わたしが躊躇しているからか、有沙は水をもう一本手に取って、わたしに渡した。

「藍水も。飲まないとやっていけないよ」
「そうだよね。うん」

 わたしは心の中でこのコンビニの店長に謝罪しながら、ペットボトルを開けて飲んだ。冷たい液体が喉を流れていって、精神的にも癒される。きっと喉が渇いていたのだろう。亡者と戦っていると、わたしは喉の渇きを忘れてしまうことが多いようだった。

 有沙は飲みかけのペットボトルを手に持って、コンビニの中を物色していく。おにぎりやサンドイッチは消費期限が切れてしまっていた。亡者が発生してから三日目なのだから、無理もない。ここで何かを食べるのだとしたら、冷蔵の惣菜か、冷凍食品になりそうだった。尤も、今何かを食べるようなことはないだろうけれど。

「ああ、これ、出たんだ」

 有沙は冷凍のコーナーを見て呟いた。見ると、有沙が新作のアイスクリームを手に取っていた。

「スプーンはないかな」
「だ、だめ、有沙。ちゃんと買わないと」

 わたしが止めると、有沙は苦笑した。もう水を拝借してしまっているけれど、やはりこれはいけないことだとわたしは思うのだ。

「真面目だね、藍水は。仕方ない、諦めるよ」

 有沙はアイスクリームを元の位置に戻す。わたしに気を遣ってくれたようで、なんだか申し訳ない気持ちになる。

「じゃあここにもう用はないね。行こう」
「わたしが止めなかったらもうちょっと長居したの?」
「そうかもね。コンビニの物が食べ放題だなんて、魅力的じゃないか」

 なんとも高校生らしい発言に頬が緩んだ。有沙は魔女で、とても落ち着いた雰囲気だけれど、わたしたち一般人と同じ部分はあるのだろう。

 コンビニを出たところで、有沙がペットボトルを持っていないほうの手を差し出してきた。この辺りは安全だって言っていたのに、どうしたんだろう。もしかしてもう亡者が出てくるエリアに入ってしまったのだろうか。わたしは少し怯えながら有沙の手を取った。

探知魔法サティシア!」

 ぶわっと吹いたのは風ではなく、きっと魔力の振動なのだろう。いつのまにかわたしにも知覚できるようになってきていた。有沙が何を探しているのかはわからないけれど、遠くのほうで振動が返ってきたのがわかった。

「なるほど。いるね」
「何を調べたの?」
「大型の亡者の居場所だよ。かなり魔力が高い何かがいるから、たぶんそれだろう」
「遠くのほうで反応したよね。どうするの?」

 わたしの問いかけに、有沙はうぅんと唸った。まだ考えがまとまっていないようだった。

「召喚文様を探すことができたら戦わなくていいんだ。相手の動きを見ながら探知魔法サティシアを使って、召喚文様を探そうか」
「ここから探せないの?」
「残念だけれど、召喚文様自体が放っている魔力は小さいんだ。けっこう近くまで寄らないと、召喚文様を探知魔法サティシアで探知するのは難しい。相手もそれがわかっているだろうから、守ろうとしてくるだろう。どこかで交戦することになるだろうね」

 有沙は反応がした方向に歩いていく。召喚文様は相手の近くにあると考えているのだろう。またあの大型の亡者と戦うことになるかと思うと、近寄りたくない気持ちになってしまう。

「わたしにも探知魔法サティシアが使えたらいいのにね」
「藍水は魔女じゃないんだから仕方ないよ。藍水の力があれば、僕ひとりで探すよりももっと広範囲に探知魔法サティシアを行使できるはずだ。きみだって自分の仕事はしているよ」
「そっか。それなら、いいんだけど」

 有沙の励ましに、わたしは曖昧に応えた。わたしにも魔法が使えたらよいのにと思う気持ちは変わらなかった。魔力を渡すだけというのは、どうにも役に立っている実感が湧かないのだ。

 有沙は迷わずどこかに向かって歩いていく。先程の探知で、大まかに相手の場所を掴めたのだろう。有沙とわたしでは、きっと受け取った情報量に違いがあるだろう。わたしには遠くのほうだということしかわからなかったけれど、有沙はもっと多くの情報が得られたに違いない。

 ふと、有沙が足を止めて、ペットボトルを投げ捨てた。嫌な予感がした。

「気づかれたね。藍水、ペットボトルを捨てて。抱き上げるよ」
「えっ、え、なに?」
筋強魔法マッシア!」

 有沙はわたしに説明することなく、わたしを抱き上げた。それだけで、大方の状況は理解できた。ここから逃げるのだ。わたしには出せないような速度で。

 まるで車のような速さで有沙が走り出した。びゅうびゅうという風切り音が耳に届く。

「気づかれた? あの、大型の亡者に?」
「ああ。魔力の塊がすごい速度で寄ってきている。相手も探知魔法サティシアに似た何かを持っているんだろう。探知魔法サティシアから、魔器であるきみを隠すことなんてできない」
「わたしを追ってきてるってこと?」
「きみを目印にしている可能性は高いね。まあ、想定内だよ。探知魔法サティシア!」

 有沙は走りながら魔法を行使する。わたしにも、何か大きなものが迫ってきている感覚があった。その角を曲がれば、すぐそこにいる。こちらに近づいてきている。

「とんでもない追いかけっこの始まりだ。あっちのほうが速いかもしれない」
「そ、そうかも。すごく近くにいるよね?」
「藍水にもわかる? これは、やばいよ」

 有沙の口調は全然焦りを感じなかったけれど、わたしにはその心中の焦りを感じられた。つまり、それだけ危険だということだ。今までは有沙から焦りを感じることなんてなかった。

 角を曲がる。有沙は素早く目を走らせて、逃げる方向を思案する。

探知魔法サティシア!」

 大きなものが来ている。わたしたちの、すぐ後ろ。

「おおおおおぉっ!」

 獣の雄叫びのような声が有沙の背後から聞こえた。あの大型の亡者に違いない。ついに見つかったのだ。いや、初めから見つかっていたのだろうから、追いつかれたというのが正しい。

「来たね。いっそ戦ってみるか?」

 有沙は角を曲がって足を止め、後ろを振り向く。もはや見慣れたあの大型の亡者が、すごい速さで接近してくる。

雷刃魔法サンブレディオ!」

 有沙が放った雷は確かに直撃したはずなのに、皮膚を少し焼いただけだった。今までの感覚で言えば、これは倒せるとは思えなかった。

 有沙も同じ感覚のようで、冷静に呟いた。

「まあ、そうだよね、期待していなかったよ」
「どうするの、有沙?」
「決まっているだろう? 逃げるんだよ!」

 そう言って、有沙はまた走り出した。どこかを目指しているのではなく、ただ逃げるために。

「おおおおおぉっ!」

 大型の亡者は有沙より速いけれど、小回りは利かないようだった。有沙は住宅街に入り、細い路地を駆使して逃げ回る。大きなものが来る圧迫感のようなものは、少しだけ遠ざかったような気がした。

探知魔法サティシア!」

 有沙が魔法を行使する。大きな反応とは別に、何か小さなものが遠くから返ってきた。もしかして召喚文様なのではないだろうか。だとしたら、わたしたちはとても運がよい。わたしは縋るような気持ちで有沙に訊いた。

「ねえ有沙、今の小さいやつは何?」
「あいつを強化しているものかもしれない。行ってみよう」
「召喚文様じゃないの?」
「違うね。召喚文様だとしたら、もっと小さい反応のはずだ」

 有沙はわたしの期待を一瞬で両断した。やはり、そう簡単にはいかないのだ。こんな簡単に見つかるのなら、他の魔女がとっくに見つけていることだろう。それができないということは、簡単に見つけられない位置にあるということではないだろうか。

「まっすぐ向かうのは無理か。あいつが僕たちを見失ってくれたらいいのに」

 大きなものが近づいてくる感覚は依然として残っている。小さな反応のところには、大型の亡者から逃げながら向かうしかないようだった。

 有沙は細い道を駆使して、迂回しながら目的の場所に近づいていく。今のところはうまく逃げられていた。どうか、このまま追いつかれませんように。

探知魔法サティシア!」

 小さな反応には確実に近づいていた。けれど、大型の亡者との距離も縮まっていた。いずれ追いつかれるのは目に見えていた。わたしたちが小さな反応に辿り着くよりも、きっと早く。

「ねえ、有沙」
「なんだい?」
「わたしを下ろして」
「下りて、どうする?」

 有沙は走りながらわたしに訊く。有沙には、わたしが何を言いたいのかもうわかっているはずだった。

「わたしが囮になる。そしたら、有沙がぱっと行って壊せるでしょ」

 それが奇策であることを信じたかった。有沙は黙っていた。

 相手がわたしを目印に追ってきているのなら、わたしが有沙と別行動を取れば、相手は有沙を見失うのではないか。その仮定に基づいた作戦だった。もちろん、そんなにうまくいかないかもしれないし、そもそもわたしだけでどうやって逃げるのかという問題はあるけれど、このままでは追いつかれてしまう。目標物を確認して破壊するためには、これが最良の策のように思えた。

 有沙は逡巡していた。その間にも、大きな圧迫感は近づいてきていた。

「きみは、どうやって逃げる?」
「その辺の家に隠れる」
「どの家にいるのか、相手は正確に特定できるのに?」
「有沙が行って戻ってくるまでの時間を稼げればいいでしょ? そんなに長く稼がなくていいだろうし」

「きみは僕を何だと思っているの? どれくらい時間がかかるか、わかっている?」
「わからないけど、そんなに長くないでしょ?」
「無謀だね。危険すぎる」

 有沙はこの作戦をそう評した。わたしにだってそれくらいはわかっている。けれど、これ以外に方法はないように思うのだ。

「けれど、やる価値はある、か」
「行って。早く帰ってきて」

 やるなら早くやらなければならない。ほんの僅かでも大型の亡者との距離があるうちに、わたしはどこかに逃げなければならないのだから。

 有沙は珍しく迷っているようだった。しかし、有沙はわたしを下ろした。それが答えだった。

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