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 猛烈に暑かった夏も過ぎて、秋になった。午後、開け放たれた窓から入ってくる風が心地よい。わたしは教室の窓際の席で、爽やかな風を浴びながらうとうとしていた。

 聞く価値のない授業だ。こんなもの聞かなくたって、問題集の解説を読めば理解できる。わざわざ先生に解説されなくたっていいじゃないか。わたしはそう思って、授業中を睡眠時間代わりにしていた。その分、家で遅くまで自分の時間を楽しんでいた。

 高校三年生。受験の年。大切な時期。うるさいくらいに勉強しろと言われて、わたしたち生徒は懸命に勉強している。その中で、わたしは勉強していないグループに属しているのだろう。だって、勉強しなくたって問題は解けるのだから。

 自慢ではないが、わたしは成績が良い。授業中に居眠りするような奴とは思えないくらいに。先生方はわたしのことをどう思っているのだろうか。普段は寝ているくせに、テストを行うと成績が良いような奴のことを。

 わたしは机に突っ伏して、本気で寝る体勢に入った。とても眠たかった。先生に起こされることもないから、わたしは堂々と寝ることにした。
 けれど、それ以上寝ることは叶わなかった。

羽鳥はとり、どうした?」

 先生が授業の手を止めて、クラスメイトの羽鳥くんに尋ねた。何かあったらしい。でもわたしには関係のないことだと思って、わたしは体を起こさなかった。

「う……うぅ……」
「羽鳥? どうした、座れ。授業中だぞ」

 なんだろう。うるさいから早く座ってくれないかな。羽鳥くんは普段からお調子者だから、つまらない授業を面白くしようとしているのだろうか。そういうの、求めていないんだよね。わたしは静かに寝たいのに。

「うううううぅ!」
「きゃああああ!」

 にわかに教室内が騒然とした。女子生徒の悲鳴が聞こえて、ようやくわたしはそちらを見た。

 羽鳥くんが青紫色になって、隣に座っていた沢村さわむらくんの首に噛みついていた。

 信じられるだろうか。わたしは今起こっていることが理解できなくて、羽鳥くんを凝視してしまった。羽鳥くんの肌の色が青紫色になって、沢村くんの首筋から赤い血が噴き出している。こんなに大量の血を見たことがないわたしは、それだけで意識が飛びそうになった。

 そして、沢村くんの肌の色も徐々に青紫色に変わり、沢村くんと羽鳥くんが周りの生徒に襲いかかった。抵抗することもできず、周りの生徒も同じように噛みつかれて、血が噴き出す。

 え? なに? 何が起こってるの?

「逃げろ!」

 誰かがそう言って、誰からともなく席を立つ。わたしも弾かれたように立ち上がって、教室の出口に向かって走り出す。

 逃げようとして、間に合わずに羽鳥くんや沢村くんに噛みつかれた生徒は、同じように青紫色になってしまう。そして、同じように周りの生徒に襲いかかるようになる。

 まるでゾンビ映画のようだった。何かのウイルスに感染してゾンビになった人が、周りの人をどんどんゾンビに変えていって、終いにはゾンビだらけになるような、そんな映画の世界に飛び込んでしまったかのようだった。今の状況を表すには、それが最も適切だ。

 わたしはうまく教室から出ることができた。しかし、他のクラスからも生徒が飛び出してきていた。どうやらゾンビは羽鳥くんだけではなく、他のクラスでも同じ状況に陥っているようだった。出てきた生徒は一目散に階段を目指す。ここは三階だから、学校から逃げるためには階段を目指さなければならない。

 階段は一度に多くの生徒が通れるような設計にはなっていないし、階段を下りるのは走るより時間がかかる。結果、階段には生徒が溢れ、押し合った生徒たちが転倒してドミノ倒しのように転がり落ちていった。

「きゃあああああ!」
「やめろ、押すな!」
「早く行けよ!」

 階段は地獄の様相を呈していた。逃げようとして転倒し、動かなくなった生徒。押し合って逃げようとしていく生徒たちは、倒れている生徒に見向きもしない。誰もが自分のことしか考えていない。それは、わたしも同じだった。倒れている生徒を介抱して、自分がゾンビになってしまっては意味がない。

 階段は危険だ。わたしはそう判断して、いったん別の場所に隠れることにした。ゾンビはどれくらい頭が良いのかわからないけれど、あの階段に突っ込むくらいなら、別の場所で時間を稼いでからゆっくり階段を下りるほうが安全だと思えた。

 どこがよいだろうと考えて、わたしは女子トイレの個室を目指した。あそこなら鍵もかけられるし、ひとつひとつ個室を調べられなければ見つかることはない。

 襲う相手がいなくなったのか、教室からゾンビが出てきた。青紫色の身体をのろのろと動かして、まだゾンビになっていない人を探している。その動きは緩慢で、走ったら逃げ切れそうなくらいだった。

 わたしはゾンビに見つからないように、女子トイレの個室に逃げ込んだ。ばたんとドアを閉じて、便座に座って時間を稼ぐ。いつまでここにいるつもりなのか、自分でもわからなかった。

 階段の喧騒はここまで聞こえてこなかった。あるいは、みんなはもう階段から下りていってしまったのだろうか。女子トイレに隠れようと思ったわたしの選択は誤りだったのだろうか。

 一分、二分と時間が過ぎていくにつれて、わたしはここから出たい衝動に駆られた。ここに閉じこもるよりも、早く学校の外に避難したほうが安全なのではないか。いや、でも、学校の外が安全なのかどうかはわからない。ゾンビの映画の世界だったら、学校の外にだってゾンビが溢れかえっているはずなのだ。もはやどこにも安全な場所などないはずだ。それでも、ここに閉じこもっているよりは、動くほうが安全なのではないだろうか。思考はぐるぐると巡り、結論は出ない。

 そこへ、ずる、ずる、と足を引きずるような音が聞こえてきた。ゾンビが女子トイレに入ってきたのだと直感した。

 どうしよう。気づかれませんように。わたしは自分の口に手を当てて、荒くなりつつある呼吸の音を少しでも抑えようとした。ゾンビが何を知覚しているのかはわからないけれど、この静かなトイレでは、わたしの呼吸の音は充分に響く大きさだと思った。

 ずる、ずる、ずる、とゾンビの足音が近づいてくる。このゾンビはわたしがいることを知っているのではないかと思ってしまう。そして、今、わたしを襲うために近づいてきている。心臓がばくばくと音を立てて、呼吸が苦しくなる。

 お願い。神様、どうか、助けてください。

 ずる、ずる、ずる。わたしの個室の前でゾンビの足音が止む。そして、どん、と個室のドアが叩かれる。悲鳴を上げなかったわたしはすごいと思った。もう一度、どん、と叩かれて、ゾンビの足音が遠ざかっていく。その足音が聞こえなくなると、わたしははあっと深い吐息を漏らした。

 助かった。どうしてかはわからないけれど、あのゾンビはわたしを見つけられなかった。個室のドアを開ける力もないということは、あまり頭は良くないのかもしれない。

 どうしたらよいのだろう。ここがある程度安全であることはわかった。でもずっとここにいるわけにもいかない。お腹は空くし、水も飲まなければならない。まさかトイレでずっと過ごすことはできないだろう。いつかはここから出て、食料や水を探しに行かなければならない。だったら、もうここから出て、学校の外を目指すほうがよいのではないだろうか。今ならもう階段には誰もいないだろうし、安全に下りられるだろう。

 でも、ここは安全なのだ。待っていれば救助が来るのではないだろうか。安全な場所で救助を待つというのが、こういう時の最適解なのではないか。

 堂々巡りだった。わたしは結論を出すことができずに、トイレの個室から出ることができなかった。

 そこへ、ざざっという雑音が聞こえた。それが校内放送だと理解するのに時間がかかった。

桐谷きりたに藍水あいみさん、聞こえる?」

 高い男性の声とも、低い女性の声とも取れる声で、わたしの名前が呼ばれる。わたしは耳をすませてその放送を聞く。

「学生教室棟四階の空き教室まで来て。そこで待っている」

 ぶつり、と放送が切れた。また静寂が戻ってくる。

 この高校は空から見るとエの字になっている。短いほうが移動教室棟、長いほうが学生教室棟で、お互いが渡り廊下で繋がっている。東庭と西庭があり、普段なら学生の憩いの場になっている。あとは、移動教室棟のほうにグラウンドが広がっている。今は、おそらくどこもゾンビが徘徊する区画になっているだろうけれど。

 わたしは今、学生教室棟三階の女子トイレにいる。今、校内放送で呼び出された四階の空き教室は、愛を告白する場所として有名なところだ。わたしも何度か呼び出されて行ったことがあるから、場所は把握している。彼、または彼女は、そこを指定してきている。ここからなら、走れば一分も経たずに着くだろう。ただし、それはゾンビがいなければの話だ。

 あの人は校内放送を使っていた。放送室は移動教室棟の一階にある。そこからどうやって学生教室棟の四階に来るのだろうか。もしかして、あの人はゾンビを避ける手段を持っているのではないだろうか。あの人と合流したら、わたしは安全になるのではないだろうか。そんな期待が膨らんでくる。

 よし、行こう。わたしは移動を決断して、女子トイレの個室から出た。ゾンビの足音はしない。今のうちに走って学生教室棟の四階まで行ってしまおう。

 女子トイレから出ると、秋の爽やかな風を感じる。なんだか新鮮な空気を久々に吸ったような気分だった。右と左と見回したけれど、ゾンビの姿はなかった。今なら行けるだろう。わたしは学生教室棟の階段に向かい、階段を駆け上がる。

 四階に着いて、あとは廊下を走るだけというところで、教室からゾンビが出てきた。ゾンビはわたしを捉えて、おおお、と咆哮する。今から隠れるのは難しそうだった。逃げるしかない。そう思っても、わたしの足は動いてくれなかった。恐怖がわたしの足から自由を奪っていた。

 ゾンビが近づいてくる。思ったよりも動きが早かった。わたしの足は止まったままで、ゾンビから逃げることができなかった。

 ああ、やっぱりあそこから出なければよかったんだ。わたしは自分の選択を後悔した。あの校内放送を信じて出てきた自分が馬鹿だったんだ。

 ゾンビが至近距離まで来る。わたしは後ずさりをしようとして転び、尻餅をついた。

 終わりだ。わたしも、ゾンビの仲間入りだ。わたしは目を閉じて、噛まれる激痛が来るのを待った。

火炎魔法フリメディオ!」

 誰かの声がした。わたしはものすごい熱を感じて、片目だけ開けた。

 わたしを襲おうとしたゾンビが燃えていた。ゾンビは身体中を焼き尽くされて、力なく崩れ落ちた。わたしは座ったまま後ろに下がり、ゾンビの死骸から遠ざかった。

 なに? 今度は何が起こったの?

 わたしが顔を上げると、男子の制服を着た生徒が立っていた。

「きみが、桐谷藍水だね」

 あの校内放送の声だ。男子にしては長い黒髪で、綺麗な顔をした生徒だった。女顔の男子とも、男性らしい女子とも受け取れるような、中性的な顔立ちだった。切れ長の瞳が印象的で、わたしは彼、男子の制服を着ているし、たぶん彼の顔をじっと見つめた。この高校では女子が男子の制服を着ることも許されているから、制服だけで性別は判断できないのだけれど。

「藍水、ここは危険だ。空き教室に行こう」
「あ、あなたは? 今の、なに?」

 彼はわたしに手を差し出して、立ち上がらせてくれた。その手は柔らかくて、指は細く、白くて綺麗だった。

「空き教室で説明する。行こう」

 彼は有無を言わせない様子で踵を返し、空き教室へ歩いていく。わたしは混乱しながら、彼の後についていく。

 あの時、どうしてゾンビが燃えたのだろう。自然に発火したとは考えられない。きっと彼が何かしたに違いないと思った。でも、何を? ライターでも持っていたのだろうか?

 わたしは彼の横に並び、彼に尋ねた。

「ねえ、あなたは? どうしてわたしを知ってるの?」
「僕は宮嶋みやじま有沙ありさ。きみと同じ、三年」

 女子みたいな名前だなと思った。男の子で、有沙というのは珍しいのではないだろうか。でも、いないわけではないのだろう。現に、彼はそうなのだから。

 わたしたちは空き教室に着いた。空き教室の中には誰もいなかった。まるでここだけ世界から切り離されたかのようだった。

 有沙は教室の扉を閉めて、扉に手をかざした。それから、わたしに向き直る。

「さて、何から話そうか。藍水が知りたいことはたくさんあるだろう?」

 有沙は悠々とした様子で、机の上に座った。それがあまりにも無防備に思えて、わたしは訊いた。

「ここは、安全なの?」
「一応は安全だよ。結界を張ってあるからね」
「結界?」
「亡者からはこの教室の扉が見えない。壁と同じに見える」

 わたしは首を傾げるしかなかった。どうして質問したのに訊きたいことが増えるのだろうか。有沙は何を言っているのか、わたしにはまだ理解できなかった。

 わたしの混乱を悟ったのか、有沙はふうっと息を吐いた。

「まず、魔法から説明しよう。そのほうが、きみもここが安全だと思えるはずだ」
「魔法?」

 急にファンタジーの世界になって、わたしはますます困惑した。ゾンビの世界に入ったと思ったのに、実はファンタジーだったのだろうか。あのゾンビは敵で、有沙は魔法を扱えるということなのだろうか。

「実際に見せるよ。雷刃魔法サンブレディオ!」

 有沙が右腕を振ると、雷が迸って机を真っ二つに切り裂いた。がらんがらんと大きな音を立てて机が崩れる。

 こうして見せられてしまえば、信じる以外の選択肢はなかった。有沙は魔法が扱えるのだ。わたしはいつの間にかそういう世界に足を踏み入れてしまったのだ。いや、逆に、そういう世界がわたしたちの世界を飲み込んだのだ。

「これが魔法。さっききみを助けたのも、魔法。ここまでは、いいね?」

 有沙に確認されて、わたしは頷くしかない。でも疑問は増えるばかりで、わたしは有沙に訊いた。

「有沙はどうして魔法が使えるの?」
「魔女だから。僕は、蒼炎の魔女」
「そうえんの、まじょ?」

 わたしが繰り返すと、有沙は苦笑いを浮かべた。伝わっていないことを察したのだろう。

「とにかく、僕は魔法が使えるんだ。亡者が大量に襲ってこなければ、きみ一人くらいなら守ることができると思って」
「亡者っていうのは、あのゾンビのこと?」
「ゾンビ、まあ、きみからしたらその表現がいちばん近いのかな。厳密に言うと、亡者は死者を魔法で動かしているんだけどね。ゾンビ映画でよくある病原体みたいなものじゃない」
「どうして急に亡者が現れたの?」

 わたしの問いに、有沙が難しい顔をした。腕組みをして、少し考え込む。

「それは、僕も知りたいことなんだ。普通に授業を受けていたら、急に亡者が現れた。違う?」
「そう。羽鳥くん、クラスメイトの男子がいきなり亡者に変わって、みんなに襲いかかったの」
「やっぱり、同じか。じゃあ、これは計画的な犯行なんだな」
「誰が、こんなことを?」
「わからない。他の魔女に訊きたくても、交信が妨害されているみたいで、誰とも繋がらないんだ。ただ、屋上に行けば烏を使って交信できると思う」

 有沙の瞳がわたしを捉える。吸い込まれそうなくらい、綺麗な黒瞳だった。

「ひとまずきみと合流できた。だから、次は屋上に行く」

 有沙は今にも動き出しそうな勢いだったから、わたしは慌てて制止した。まだわたしの質問は終わっていない。こちらはわからないことだらけなのだ。急に魔法の世界に投げ込まれてしまった身にもなってほしい。

「ち、ちょっと待って。どうしてわたしと合流したの?」
「きみがマキだからだよ」
「マキ?」
「魔力の器、魔器。きみは知らないと思うけれど、きみの中には大量の魔力が眠っている」
「ええ?」

 わたしの中に、魔力が眠っている。にわかには信じがたい話だ。わたしは疑うような目で有沙を見てしまった。

「じゃあわたしも魔法が使えるの?」

 わたしも有沙のように亡者を倒すことができるのだろうか。漫画やゲームであるように、魔法を使いこなして敵を倒していくようなことができるのだろうか。今のこの状況でわたしも魔法が使えるようになるのなら、それはとても価値のあることだ。

 わたしの期待は、有沙の言葉で両断された。

「無理じゃないかな。きみは魔女じゃないから」
「魔女じゃないのに、魔力があるの?」
「だから特別なんだよ。普通は魔女じゃないなら魔力もない。けれど、きみには魔力がある。それを魔女に分け与えることができる」
「わたしの魔力を有沙に分け与えられるってこと?」
「そう。だから、僕はきみと合流したんだ。きみがいれば、際限なく魔法を行使できるからね」

 なんとなく読めてきた。有沙はわたしの魔力を求めて、わたしをこの空き教室に呼び出したのだ。わたしはいわば回復薬のような存在で、有沙の魔力が減った時に、どうにかして魔力を補充することができるのだろう。

 わたしは、有沙に守ってもらえる。有沙は、魔力を補充することができる。お互いにとって利点のある関係だと思った。

「僕と一緒に来れば、きみの安全は保証する。僕が生きている限り、だけれど」
「どういうこと?」
「僕が勝てない亡者もいるかもしれないってこと。僕だって無敵じゃないんだ」

 有沙はさらりと言ってのけた。わたしを安心させるために、嘘でもいいから無敵だと言ってほしかった。

「さあ、どうする? 僕と一緒に来る? それとも、ひとりで亡者から逃げる?」

 有沙はわたしに片手を差し出した。それは選択肢のようで、選択肢ではなかった。だって、片方しか選べないのだから。

 わたしは有沙の手を取った。やはり、女子みたいな手だと思った。

「行く。このままじゃ、きっと生き残れないから」
「きみは頭が良くて助かるよ。学年一位は伊達じゃない」
「知ってるの?」

 有沙がわたしのことを知っていたとは思わなかったから、わたしは尋ねた。有沙は静かな口調で答えた。

「成績は学年一位、容姿端麗、性格良好、授業態度は最悪。それがきみだ」
「授業態度が悪いことは言わなくてよくない?」
「でもきみを語る上では外せないだろう? 孤高の天才、桐谷藍水を語るには」
「やめてよ。わたし、そういうのじゃないんだから」

 わたしは非難がましい目で有沙を見た。有沙は微笑を浮かべていた。

 誰が言い出したのか定かではないけれど、知らないうちにわたしは孤高の天才と呼ばれるようになっていた。成績が良くて、親しい友達がいないだけなのに、そんな呼び名が付けられてしまったのだ。孤高だから、誰とも付き合わないし、先生の授業も聞かない。でも成績は良いし、地頭も良い。わたしはいつか誰かにそう評されて、今に至っている。

 孤高の、が余計なのだ。わたしだって誰かと親しくしたい気持ちはある。ただ、どうすればよいのかわからないだけだ。相手がどう思っているのか、どう感じているのかが気になるあまり、うまく話せなくなってしまう。わたしは孤高なのではなく、コミュニケーションが苦手なだけなのだ。

 有沙は話しやすい部類の人間で助かった。整然としていて、感情の起伏がない。わたしが苦手とするのは、いわゆる女子のような、感情で話をするような人間だ。

「じゃあ、屋上へ行こうか。そこならきっとルイと交信できる」
「ルイ?」
黒狂こくるいの魔女、ルイ。僕が尊敬する魔女だよ」

 そう言った有沙の目は、確かに輝いていた。ルイはきっとものすごく有名で、有力な魔女なのだろうと思った。

 有沙は机から下りた。わたしも椅子から立ち上がる。またゾンビ、いや亡者が溢れる場所に行くのだ。緊張感がわたしを包み込む。

「藍水は僕の後ろからついてきて。亡者は蹴散らすから」
「うん、わかった」

 有沙と一緒に教室から出る。廊下には人影がなくて、ひとまず安心する。出た瞬間に亡者がいたらどうしようかと思っていたところだ。

 有沙は平時と同じような歩き方で廊下を歩いていく。もっと急ぐものだと考えていたわたしは、有沙に訊いた。

「ねえ、そんなゆっくりでいいの?」
「走ってもいいけど、疲れるだろう? 言っておくけれど、疲労感を取る魔法はないよ」

 有沙はわたしに気を遣っているようだった。わたしが疲れないように歩いてくれているらしい。そんなに体力がないわけじゃないんだけど。

「わたし、ちょっとくらいなら走れるよ」
「先は長いよ。体力は温存しておくほうがいい」

 有沙の言う通りだと思った。有沙はたぶんこの先に何が起こるのか、予想できているのだろう。だから先が長いと言えるのだ。ルイに連絡して解決するわけではないのだろう、とわたしは察した。この問題はもっと複雑なのだ、きっと。

 階段まで辿り着くと、下から亡者が上がってくるところだった。有沙はすかさず右手を振り抜いた。

雷刃魔法サンブレディオ!」

 雷撃が亡者を襲い、亡者が階段の下まで転げ落ちていく。そのまま、起き上がることはなかった。たった一撃で、亡者を倒してしまったのだ。

 すごい。これなら、わたしはほぼ間違いなく安全ではないだろうか。有沙が勝てない亡者などいないのではないかと感じてしまう。

 わたしの思考を悟ったのか、有沙は静かに言った。

「雑魚だよ。これくらいならきみを守れる」
「もっと強いのもいるの?」
「これが僕の仮説通りなら、いる。もっと強い奴がうようよしているはずだ。出会わないように祈りたいね」

 わたしは頷いた。けれど、そんな強い亡者がいるのだとは信じられなかった。

 屋上へ続く階段を上り、屋上に続く扉を開けようとする。しかし鍵がかかっていて、扉は開かなかった。

「開かないか。筋強魔法マッシア!」

 有沙は魔法を唱えてから、扉に回し蹴りをした。大きな音を立てて扉が向こう側に吹き飛んでいく。開かないからと言って、まさか壊すだなんて。

「うん? どうしたの、藍水」

 有沙はけろりとした様子だった。壊したことを何とも思っていないようだ。

「ううん、なんでもない。行こ」
「そう? じゃあ、いいけれど」

 わたしと有沙は屋上に着いた。穏やかな秋風がわたしたちを待っていた。学校が亡者に支配されていないのなら、このまま屋上で昼寝をしたいくらいだ。空も、雲も、何ひとついつもと変わりない。変わってしまったのは、この学校の中だけだった。

 有沙が片手を挙げると、遠くから黒い塊が飛んできた。それが有沙の手に止まって、ようやく烏であると認識した。普通の烏にしては大きいような気がする。

 有沙は烏の足元に手をかざして、再び飛び立たせる。烏の姿はあっという間に小さくなり、やがて見えなくなる。

「これで、交信できればいいんだけど」
「今は何をしたの?」
「普通なら交信魔法を使って交信するんだけど、どうやら妨害されているみたいで、交信魔法が使えないんだ。だから、烏を使ってルイにメッセージを送ったんだよ」

 わたしの世界で置き換えるなら、電波がないから手紙でやり取りした、ということだろう。あの烏が無事にルイの元へ辿り着いてくれることを願うしかない。

「さて、烏が戻ってくるまで暇だね。きみの質問に答えるよ」

 有沙は屋上の床に座り、わたしに言った。わたしもその隣に座る。

「今は安全なの?」
「見える限りはね。亡者がいきなり空を飛んできたら安全じゃない」
「その可能性もあるってこと?」
「ないとは言わない。僕も、この学校にどんな亡者がいるのかは把握できていないから」

 有沙は冷静にそう言った。有沙も今この学校に起きていることを正確に理解できているわけではないようだった。それをルイに訊いたのかもしれない。

 わたしは秋風を感じながら、違う質問をした。

「有沙は、前からわたしが魔器だって知ってたの?」
「知っていた。こんなことがなかったら接触するつもりはなかったけどね。本来、一般人を魔法の世界に引き込むわけにはいかないんだ」
「こんなことになったから、わたしに魔法を見せてくれたの?」
「そうだね。何事もなければ魔女であることを明かすことはなかったし、魔法を見せることもなかった。きみとこうして話すこともなかった」

 有沙は淡々と話す。

 有沙と違う形で、例えばクラスメイトとして出会っていたのなら、わたしの高校生活はもっと楽しいものだったのではないかと思ってしまう。まだ出会って間もないけれど、有沙とならうまく付き合っていける気がしていた。

「しかし、きみは随分とすんなり状況を受け入れたね。もう少し、拒否反応を示すかと思っていたけれど」
「有沙が嘘を言ってるとは思えなかったから。魔法も見せてもらったしね」
「それにしたって、ねえ。さすが、孤高の天才は頭の出来が違う」
「それ、からかってる?」
「いや、本心だよ。藍水が頭の良い人間で助かった。つまらないことをいちいち説明しているほどの時間はないからね」

 有沙は笑いながら言った。わたしも変に噛みつくのはやめて、また別の質問をした。

「ルイには何を訊いたの?」
「今後どうやってルイと合流すればいいか、だね。ルイと合流できれば、僕と藍水の安全は保証される。それは間違いない」

 わたしたちのゴールは、ルイと合流することのようだ。そのための方策を有沙が考えてくれている、といったところか。わたしは現状をそう分析する。

「ルイは、そんなに強い魔女なの?」
「実力は最高位の魔女だよ。どんな奴が来たって大丈夫」

 そう語る有沙の顔はきらきらしていた。ああ、本当に、憧れているんだろうなとわかる顔だった。ルイがどんな人かは知らないけれど、わたしの中ではばりばりのキャリアウーマンのような姿で想像されていた。

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みちづきシモン
ファンタジー
――これは悲しい物語。そして乗り越える物語。  主人公バック=バグの運命がどうなるか、最後まで見届けてくださると嬉しいです。 《過去》  月神会という宗教に入っていた両親に、月祝法という国を救う魔法だと騙されて実行した八歳のバック=バグは、月呪法という呪いを発動してしまい、自国ローディア王国を呪ってしまう。  月呪法によって召喚された、ラックの月、ハーフの月、デスの月という名の『三つの顔の月』  それぞれが能力を持つ蝿を解き放つ。ラックの月の時は命が欠ける。ハーフの月の時は命が半分になる。デスの月の時は死ぬ。  両親や月神会の仲間たちが死んでいく中、召喚者であるバックは死ぬこともできず苦しむ。  そして太陽の神に祈り、呪いを解くチャンスを得るのだった。  バック=バグの幻影が三つの顔の月の背面に張り付き、弱らせる。  また神の薬の植物を受け取り、葉を食べさせることで能力蝿の効果を無効化し、助けることを可能とした(ただし月神会の人間は助けることを許されなかった)  バック=バグの幻影は、彼女の感情の低下によって三つの顔の月の力を増長させてしまう。  太陽の神は十年間生き続けたら、月呪法を解くことを契約した。  月神会の活動を反対していた「博士」と出会い、九年間戦い続けた。 《そして現在》  同級生のエラ=フィールドが死蝿によってふらついて死んで、それを生き返らせたバック。  何が起きたか問い詰めるエラにバックは知らないフリをするが、再び感情が低下する。  夜に街でエラに問い詰められた時、デスの月が幻影で大きくなってきて、エラを殺す。  その事があってからエラはバックに問いかけ、困ったバックだったが、博士はエラに協力者になってもらうように言う。  全てを話し、協力者となったエラ。  一方でアーク=ディザスターという男が、三つの顔の月に辿り着いて、呪いの完成を目論む。  その動きに博士「達」は護衛にウェイ=ヴォイスという、同年代の殺し屋(実際は二つ歳上)の少女を潜入させる。  自分に守る価値がないと感じているバックはいつも守られるのを拒否していた。だがウェイの身の上話を聞き、『ウェイを守る』という心持ちで接することを決める。  バックが遊園地に行ったことがない事を聞いて、エラの提案でテーマパークに行くことになったりして楽しむことで感情を安定させようとするが、何度も感情を低下させるバック。  更なる協力者シャル=ムースという女性運転手と共に、十八歳の誕生日までを、アーク=ディザスターの雇った殺し屋たちから逃れながら、『共に歩む道』の楽しさを知る物語。  自分が守られる価値がないという思いから、極度に守られることを嫌い、過去の罪を背負い、国を呪いから解き放つことを誓ったバックを見守ってください! ――表紙は遠さんに描いて貰いました! カクヨムでも掲載予定

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