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他国からの使者がやってくるらしい。
わたしがその話を最初に聞いたのは、アルマスからだった。夜にアルマスの腕に抱かれながら、わたしがうとうとし始めたくらいの時になって、アルマスが言っていたような記憶がある。でもわたしは最後まで聞かずに眠ってしまい、使者が来る以外の情報は覚えていない。わたしには関係のない話だろうと思い、翌朝も掘り返すことはしなかった。アルマスも、改めてわたしに言うことはなかった。
それが大きな問題に発展しているということを知ったのは、昼食を終えて自室に帰る時だった。情報源はもちろんカリスだ。
「そーいえばルミア様、今度使者が来る時に参加されるんですよね?」
「えっ? や、そんな話、聞いてないけど」
「あれっ? 兵士や騎士の中ではそういうことになってますよ。ジョセフィーヌ様もいるのに、アルマス様がルミア様も参席させるんだって仰ってるって」
カリスは平然とした口調でそう言った。わたしは聞いたこともない話に狼狽する。
それは、どうなのだろうか。アルマスがわたしを王妃の席に座らせたいというのは知っているけれど、それは世継ぎを産んだらの話ではなかっただろうか。まだ懐妊の兆しもないのに、いきなりそんなことをしてしまったら、ジョセフィーヌが黙っていないのではないか。
アルマスに話をしたほうがよいのだろうか。ううん、でも、国王陛下が決めたことに口を挟むのも、ねえ。
「いやぁ、アルマス様は対外的にもルミア様が王妃だって示したいんですよ、きっと。側室を謁見の間にも連れて行くなんて前代未聞ですよ」
「そうだよね。それは、さすがにまずいんじゃないかなあ」
「ルミア様はイジーン様と同じお考えなんですね。イジーン様もそれはよくないって仰って、毎日アルマス様とこの話ばかりしてるらしいですよ」
イジーンが苦労している様子が目に浮かぶ。国王陛下の我儘に振り回されるほうも大変だ。
「逆に、カリスと同じように、受け入れている人のほうが多いの?」
「どぉでしょうねー? 騎士は、アルマス様の仰せですからほとんど受け入れてましたね。兵士は豚野郎が拒否してますから、それに従ってるって感じですかね」
カリスはにこにこしながら言っている。わたしに付き従っているカリスからすれば、わたしの身分が上がったように思えて嬉しいのだろう。喜んでくれるのはありがたい、けれど。
わたしは一抹の不安を抱きながら部屋に帰る。すると、部屋の前にイジーンが立っていた。政務が行われている時間帯にいるなんて珍しい。わたしに何か用だろうか。
「ありゃ、イジーン様。どうされました?」
カリスが問うと、イジーンは深々と頭を下げた。
「ルミア様。申し訳ございませんが、どうか、お力をお貸しください」
嫌な予感がした。イジーンがここに来て、わたしの力を借りたいなんて、用件はひとつしか思い浮かばない。
「と、とりあえず、部屋の中へどうぞ」
「ありがとうございます。カリスはここで待機していなさい」
「あたしに聞かれたくないってことですか? やましいことじゃないですよねぇ?」
「違う。部屋の外に待機していなさい」
「はぁい。じゃ、ルミア様、また後ほどー」
カリスはひらひらと手を振って去っていく。わたしも手を振り返してから、イジーンを部屋の中に案内する。といっても二人で座るところがないから、立ち話になってしまう。
イジーンはこめかみの辺りを手で押さえながら、話を切り出した。
「今度他国から使者が来るという話は、既にご存知ですね?」
ああ、やっぱりその話か。わたしは静かに頷く。
「はい。わたしを参席させたい、とアルマス様が仰っているとか」
「そうなのです。側室が謁見の間で他国の使者と応対するなど、前代未聞。これまでどの国王も行ってこなかった、いや行おうとしなかったことです。過去、どれだけ側室を愛している国王でも、正室にはある程度の愛情を注いでいましたし、蔑ろにしなかったと聞いています」
「アルマス様は、その、あまりジョセフィーヌ様に愛情を注がれていないような」
「仰る通りです。ルミア様をお迎えになってから、毎日ルミア様のもとばかり訪れて、一度もジョセフィーヌ様のお部屋を訪れていない。そのような中で、今回のお話です。お聞き及びかもしれませんが、ジョセフィーヌ様はたいそう怒ってらっしゃる」
イジーンは溜息を吐いた。その深さから、どれほど深い悩みなのかを推し量ることができる。
「わたしから、ジョセフィーヌ様のお部屋を訪れるようにお伝えしてほしい、ということでしょうか?」
「いえ、違います。もはや我々が何を申し上げても、国王陛下がジョセフィーヌ様のお部屋を訪れることはないでしょう。それはもうよいのです。世継ぎはルミア様にお任せすればよい」
「では、わたしの力を借りたい、というのは?」
「せめてルミア様の参席の話だけは、なかったことにしていただきたいのです。従来と同様、国王陛下とジョセフィーヌ様だけでご対応いただきたい。そうすべきではないか、と国王陛下にお伝えいただけないでしょうか」
イジーンがまた深く頭を下げる。
わたしはすぐに了承できなかった。そんな大切なことを、政務のことなど何も知らないわたしから言ってよいのだろうか。国王陛下であるアルマスの決定に不服を申し立てるようなことをして、許されるのだろうか。
いや、わたしはたぶん、アルマスに嫌われたくないだけだ。余計なことを言って嫌われてしまわないか、それが心配なだけなのだ。側室から国王陛下に意見することなんて、本心ではどうでもよいと思っている。
「ルミア様、何卒、よろしくお願い申し上げます」
「あ、あの、わたしから申し上げても、変わらないような気がするんですが」
「いいえ、ルミア様からのお言葉であれば、国王陛下も少しは気にかけてくださるはずです。私が再三申し上げるよりは、ルミア様が一度お伝えくださるほうが効果があるでしょう」
そういうものだろうか。そんなに自信満々に言われてしまうと、わたしはイジーンからの依頼を断れなくなってしまう。わたしでも役に立てることがあるのなら、と思ってしまう。
うぅん、きっと、アルマスはそれくらいじゃ怒らない。言うだけ言ってみても、いいか。
「わかりました。次にお部屋にいらした時に、お伝えしてみます」
わたしがそう言うと、イジーンの険しい顔がほんの少しだけ和らいだような気がした。
「ありがとうございます。おそらく今夜もいらっしゃるでしょうから、その時にでも」
「はい。イジーン様から伺った、というのはお伝えしてもよろしいですか?」
「構いません。私からの差し金であるということは、すぐにお察しになるでしょうから」
「では、今晩にお伝えしますね。何か変わればいいんですけど」
「ええ、本当に。ジョセフィーヌ様のお怒りが国王陛下にも伝わればよいのですが」
それくらいジョセフィーヌは激怒しているということだろう。まあ、無理もない。わたしが同じ立場だったらきっと怒っている。
「現状、頼りになるのはルミア様だけなのです。どうか、よろしくお願い申し上げます」
イジーンはそう言うけれど、何かが変わるとは思えなかった。アルマスのことだから、何だかんだと理由をつけてわたしを参席させそうだけれど。
そして、夜になり、予想通りアルマスがわたしの部屋にやってきた。
ノックの音を聞いてドアを開けると、アルマスがふらふらと寄ってきて、覆い被さるようにわたしを抱く。わたしはそっとアルマスの背に手を回す。
「ルミア、疲れたよ。今日もきみに会うことができて嬉しい」
「わたしも嬉しいです、アルマス様」
身体をいったん離して、ドアを閉める。アルマスは重い足取りでベッドに向かい、身体をベッドに投げ出した。わたしもアルマスを追いかけて、アルマスの隣に横になる。アルマスはすぐにわたしに身を寄せてきた。
最近気づいたけれど、アルマスは甘えたい派なのだ。たくさん甘やかしてやるほうが喜んでくれる。国王陛下の威厳を感じる日中からは考えられない素顔だ。
「今日もお疲れ様でした」
「本当に、疲れたよ。ルミアに会うことだけを考えて頑張っていたんだ」
「そうなんですか? では、会えてよかったです」
アルマスの腕の中に飛び込むと、アルマスは優しく抱いてくれる。アルマスの匂いと温もりを感じて、その心地よさにわたしは今日の使命を忘れそうになる。いけない、今日はやるべきことがあるんだった。
わたしがアルマスの顔を見れば、アルマスはやわらかく微笑んでくれる。そして、唇が触れ合う。わたしはそのキスを受け入れて、唇が離れてからもアルマスを見つめた。
「あの、アルマス様」
「うん? どうしたの、ルミア」
いざ話を切り出すとなると、どう言えばよいのかわからなくなる。まあ、直球でいいのか。
わたしはアルマスの様子を窺いながら、イジーンから頼まれた話を持ち出した。
「他国からの使者の件なんですけど」
「ああ、うん。ルミアにも参席してもらおうと思っているよ。今イジーンと話しているところだけれど、どうにかしてきみが出られるようにしたい」
「やっぱり、わたしが出るのはよくないのではないでしょうか」
わたしが否定的な意見を述べたからか、アルマスの顔が曇った。それだけで、わたしの心にもダメージが来る。うう、そんな顔しないでよ。
「イジーンと同じことを言うんだね。どうして、よくないと思う?」
「ジョセフィーヌ様のお立場がなくなってしまうのでは、と思うんです。正室なんですから、側室と同じように扱うのはよくないのでは、と」
「なるほど。ジョセフィーヌとルミアが並ぶのがよくない、ということだね」
アルマスは穏やかな声で応じた。意外とわかってくれそうな気がしてきた。
けれど、わたしの中に生まれた希望は一瞬で打ち砕かれることになる。
「むしろ、ぼくは同じ立場だということにしたい。正室でも側室でも、ぼくの妻であることは同じだ。そこに優劣をつけるほうが間違っているんじゃないかと思っている」
「えっ、でも、普通は正室のほうが立場は上ですよね?」
「普通はそうかもしれない。けれど普通に縛られる必要はないんじゃないか? ジョセフィーヌとルミアの両方を参席させることの何がいけないんだ? ぼくは二人とも堂々と王妃の席に座っていいと思うんだ」
アルマスの言いたいことはわかる。普通はこうだから、という暗黙の了解に縛られる必要なんてない、やりたいようにやる、ということなのだろう。アルマスはわたしを王妃の席に座らせたいのだ。自分が愛してやまないルミアを、王妃として扱いたいのだ。
「あの、ジョセフィーヌ様がとても怒ってらっしゃいます。それは、いいんですか?」
「構わない。怒るのはわかっていたからね。ルミアが気にすることじゃないよ」
「でも、あの、わたし、王妃の席に座る自信がありません。ジョセフィーヌ様のお怒りも怖いですし、謁見の間で座るだなんて、わたしで大丈夫なんでしょうか」
「大丈夫だよ。特に何かをしてもらう必要はない。ルミアは座っているだけでいいんだ。ジョセフィーヌが何かしてきたら、ぼくがきみを守るよ」
わたしが何を言っても、アルマスはわたしを参席させるつもりのようだった。これは、イジーンが困り果ててわたしに助けを求めてくるのも頷ける。この件に関しては、アルマスは珍しく頑固だった。何か、他に狙いでもあるかのように感じてしまう。
どうしよう。わたしはどれくらいアルマスを止めたらよいのだろうか。イジーンに頼まれて引き受けてしまったからには、できたらアルマスを止めたい。わたしはジョセフィーヌと並んで王妃の席に座りたくない。絶対に何か嫌味を言われるに決まっている。
「アルマス様はどうしてわたしを参席させたいんですか?」
「ぼくが愛しているのはきみだ。愛する人を王妃として他国に紹介したいと思うのは、おかしいことなのかな」
「うぅん、おかしなことではないと思いますけど」
「そうだろう? 今回使者が来る国は、ぼくたちと友好が深い国だ。ルミアが目覚めたことを見せたいんだ。愛する人を仲が良い国に紹介するのは、別におかしなことじゃない」
「そう、ですねえ」
アルマスのやりたいことがわかってしまうと、だめだ、いやだと言いづらい。アルマスは単純にわたしを他国に紹介したいだけなのかもしれない。でもそれは、本来はジョセフィーヌを紹介すべきところなのでは、とわたしは思う。やはり側室が出ていくのは、よくないのではないだろうか。
「正室であるジョセフィーヌ様との不和、と思われないでしょうか」
「ない、とは言えないね。ぼくが側室ばかり愛していると思われてしまう可能性はある。でもそれが事実なんだから、仕方ないんじゃないかな。おそらく他国には、ぼくがルミアばかり愛しているということはもう知れ渡っていると思う」
「それでも、国としては問題ないんですか?」
「ないよ。隠すようなことでもない。もしかしたらルミアが刺客から狙われやすくなるかもしれないけれど、それは護衛を強化すればいいだけの話だ」
アルマスは静かに、けれど確固たる意志を感じさせる口調で言い切った。
本当に愛している人を他国に紹介したい。アルマスを突き動かしているのはそれだけだ。正室だ側室だという立場を無視し、前例のないことを推し進めてまで、アルマスはそれを達成したいのだ。そこまでルミアを愛しているのだろう、きっと。
アルマスがやろうとしていることは間違っているかもしれない。でも、わたしにはこれ以上否定することができなかった。否定して、アルマスからの愛を失うことが怖かった。面倒な女だと思われたくなかった。
わたしが我慢すればよいだけの話だ。ジョセフィーヌからの嫌味も、圧力も、わたしが耐えればよいのだ。アルマスの愛をおとなしく享受するほうがよいと思ってしまった。
「ルミアは参席したくないかもしれない。けれど、そこをなんとか、頑張ってほしい」
アルマスの青色の瞳がわたしを捉える。その瞳は優しさを湛えながら、わたしから断る勇気を奪い去っていくものだった。
ああ、イジーン様、ごめんなさい。わたしには無理でした。
「わかりました。では、参席するようにいたします」
わたしは抵抗することを諦めた。アルマスは嬉しそうに笑った。
「ありがとう、ルミア。大丈夫だよ、ぼくも一緒にいるんだから」
「はい。何かあったら守ってくださいね」
「もちろんさ。ジョセフィーヌが何かしてきたら、すぐにぼくに教えて。どうにかするよ」
ジョセフィーヌとのいざこざにアルマスを巻き込むのは気が引けた。女の争いは女同士で決着させるほうがよいだろう。アルマスに伝えたら、火に油を注ぐようなものだ。アルマスがわたしを庇うのを見るだけで、ジョセフィーヌはますます怒るに違いない。
「でもアルマス様、正室か側室かわかるように座らせてください。そこは、ジョセフィーヌ様を立てるべきだと思います」
「うーん、そうか。わかった、じゃあそうするよ。椅子の配置と装飾を工夫すればいいかな」
アルマスの頭の中にはもうイメージができあがっているようだった。いや、最初からイメージはあって、わたしの要望を受けて修正したのだろう。
アルマスはわたしの髪を撫でる。わたしはそれが快くてうっとりと目を細める。
「さあルミア、難しい話はこれで終わりにしよう。イジーンからぼくを説得するように頼まれたんだろう?」
やはりアルマスは感づいていた。わたしは嘘をつかずに答える。
「そうです。どうにかわたしは参席しないようにできないか、と」
「イジーンは前例を重んじるタイプだからね。反対されるだろうとは思っていたよ」
「それでも、やめないんですね」
「うん。これはルミアの位を上げるチャンスだと思う。一度前例を作ってしまえば、イジーンだって他の人だって文句は言えなくなるだろうから」
アルマスの狙いはここにもあるのかもしれない。もしかして、今後はずっとわたしも謁見の間に参席させるつもりなのだろうか。そのための土台作りをしているのかもしれない。それにどんな意味があるのかは、わたしにはわからない。
アルマスはわたしを抱きながら、わたしの額に優しく口づけた。わたしが顔を上げてアルマスを見つめると、今度は唇にキスしてくる。
「ルミア、きみが好きだよ。できるだけきみが不自由なく暮らせるようにしたい」
「今でも何ひとつ不自由していませんよ。こうして夜にアルマス様にも会えますし」
「きみは本当に多くを望まないね。もう少し我儘を言ってくれてもいいんだよ」
「望むものがあれば申し上げますね。今は、アルマス様を感じられれば、それでいいんです」
「そうか。いいよ、きみが眠るまで、こうして抱いていよう」
アルマスの腕を枕代わりにしながら、わたしは徐々に瞼が重くなっていくのを感じていた。そしてすぐに睡魔がやってきて、わたしは心から安らいだまま、意識を手放した。
他国からの使者が来る日になった。天気は快晴、過ごしやすい日だった。
城内はいつもより賑やかだった。使者をもてなすための準備や、謁見に向けた準備が行われていて、なんだかお祭りの前のような雰囲気を感じていた。友好が深い国からの使者ということも関係しているのかもしれない。
結局、わたしが謁見の間に参席することで決着した。正室であることが外からもわかるように示すという条件で、イジーンが折れたらしい。イジーンもわたしが説得できなかったと聞いて、アルマスの意志の強さを感じたのだろう。わたしがアルマスに意見した次の日には、イジーンが意見を曲げたという話をカリスから聞いた。
謁見の間を使者側から見れば、どちらが正室なのかわかるようになっている。はずだ。わたしはカリスと二人で謁見の間を目指していた。当然、ベルズはわたしの肩にいる。ベルズがわたしの肩にいても、驚く人はいなくなった。むしろベルズがいないほうが驚くかもしれない。
「いやぁ、謁見の間なんて騎士を拝命した時以来ですよ。緊張するなぁ」
カリスは緊張なんて全く感じさせない口調で言う。カリスはわたしの護衛として参席するよう命じられていた。カリスがいてくれるほうが助かると思っていたから、わたしはその命令には異を唱えなかった。当然、ジョセフィーヌ側にも専属の騎士がいるものだと思っていた。
「カリス、謁見中に変なこと言わないでね? ジョセフィーヌ様の悪口とか、絶対だめだよ」
「言いませんよ、あたしだって謁見中は騎士として静かにしてます。アルマス様の前でそんなこと言いませんから、安心してください」
カリスはそう言ったけれど、信用はない。何かぼやきそうで心配だった。
謁見の間に到着すると、国王が座る玉座の左右に立派な椅子が設置されていた。片方が正室、もう片方が側室の席だろう。これを使者側から見たら、どちらが正室なのか一目で見分けられるはずだ。念のため、わたしは使者側から席を見てみる。この国は右側が上位とされているらしいから、玉座から見て右側、使者から見て左側が正室の席になるだろう。
「あれ?」
わたしは思わず声を出してしまった。わたしに付き従っていたカリスがその声を拾う。
「どうかしましたか、ルミア様」
「ねえカリス、これってどっちがわたしの席だと思う?」
わたしに言われて、カリスはしげしげと両側の席を見比べる。そして、首を傾げる。
「えぇっと、どっちですかね? 玉座から見て左、かと思うんですけど」
わたしにもカリスにも判別できなかったのは、どう見てもほとんど同じ椅子だったからだ。もはや間違い探しの域だった。何が違うのか知らないと、同じ椅子だと思ってしまうくらい、ふたつの椅子は見分けがつかなかった。
これでは約束が違う。外から見たってわからないじゃないか。
どちらの席に座るか悩んでいたら、ジョセフィーヌが侍従を連れて謁見の間に入ってきた。わたしは会釈したが、向こうは一切応えてくれなかった。まだ怒りは収まっていないのだろう。
ジョセフィーヌの侍従は謁見の間から下がる。ジョセフィーヌは一瞬だけ迷いながらも、玉座から見て右の席に座った。まあ、普通に考えたらそうだよね。それで間違っていないんだよね。ジョセフィーヌが座ってくれたおかげで、わたしも左側の席に座りやすくなった。
わたしは左側の席に座った。カリスがそのすぐ横に立ち、控える。ちらりとジョセフィーヌのほうを見たら、ジョセフィーヌもこちらを見ていた。その表情から怒りと驚きが感じられた。
イジーンが険しい顔で謁見の間に入ってくる。すると、ジョセフィーヌはすかさずイジーンを呼びつけた。
「どういうことですの? 彼女には騎士が付き、私には付かないというのかしら?」
ジョセフィーヌが喚くような声でイジーンを怒鳴りつける。けれどイジーンは意にも介さない様子で、こともなげに答えた。
「ルミア様はまだ病み上がりのご様子。国王陛下のご命令で、部屋から出られる際には必ずカリスが付くように命じられています。カリスはそのご命令に従っているだけです」
「私にも騎士を付けてくださる? これではどちらが正室かわかったものではありませんわ」
「騎士の配置は国王陛下がお考えになったものですので、私には変える権利はございません。国王陛下に直接お伝えいただけますか」
取り付く島もない、といった感じだった。イジーンはその眉間にしわを作ったまま、玉座から少し離れた位置に立つ。そこが大臣の定位置なのだろう。
ジョセフィーヌは憤懣やるかたない様子で、拳を握り締めていた。カリスはその様子を笑顔で眺めながら、わたしにそっと耳打ちした。
「放っておきましょう。ふふ、面白いことになりましたねっ」
わたしはカリスを注意するために、その頭を小突いた。カリスは反省したようには見えなかった。面白い見世物でも見るかのようだった。
そこへ、王者の風格を漂わせながらアルマスがやってくる。玉座がある位置より数段低い場所で控えていた騎士たちが一斉に頭を下げた。カリスも緊張感を見せて一礼する。
アルマスが真っ先に声をかけたのは、わたしだった。
「ルミア、緊張していないか。大丈夫か」
最初にジョセフィーヌに声をかけてほしかった、とは言えず、わたしは引きつった笑みを浮かべた。
「はい。アルマス様、お気遣いくださりありがとうございます」
「うむ。カリス、何かあったらルミアをしっかり守るように」
「はぁい。お任せくださいっ」
アルマスは堂々とした振る舞いで玉座に座る。夜に見るような柔らかい印象は露ほどもなく、話しかけるのも躊躇われるくらいの存在感を放っていた。
ジョセフィーヌもその雰囲気に飲まれていた。しかし、ジョセフィーヌは静寂を破った。
「あの、国王陛下。どうしてルミア様には騎士が付くのに、私には付かないのでしょうか?」
じろり、とアルマスがジョセフィーヌをねめつける。ジョセフィーヌが気圧されたのがわかった。アルマスは硬い表情を見せて、答えた。
「お前には必要ないだろう。ルミアはまだ病み上がりだ。何かあった時に補助できるよう、カリスを付けているだけだ」
「し、しかし、国王陛下、これでは正室より側室のほうが固く守られているように見えてしまいますわ。そもそも側室が参席すること自体が」
「不満か?」
アルマスはジョセフィーヌの言葉を遮って、不穏な口調で問う。不満だと答えたら処刑されそうな錯覚さえ抱かせる。
「い、いえ、そういうわけでは」
「では、このままでよいな。まもなく使者が到着する」
アルマスはそう言って会話を切った。ジョセフィーヌは悔しそうな表情を見せて、唇を噛みながら正面を向く。
カリスがわたしの肩をとんとんと叩いて、小声で囁いてきた。
「なぁんか、前より仲悪くなってますねぇ、アルマス様とジョセフィーヌ様」
「えっ、そうなの?」
「はい。前はアルマス様ももうちょっと柔らかかったんですけど、今はすっごく怖いじゃないですか。なんかあったんですかね?」
アルマスの口からは何も聞いていない。ジョセフィーヌとアルマスが話しているのを見るのも久しぶりのことだから、わたしにはわからなかった。でも、話しているところを普段から見かけないくらい、二人は話していないのかもしれない。それは、仲が悪くなったことの証なのかもしれない。
謁見の間に兵士が入ってくる。片膝をつき、頭を垂れる。カリスは私語をやめて、きりりとした顔に変わる。カリスってそんな顔もできたんだ、と思ってしまった。
「おい、気を付けろよ」
いきなりベルズが話し始めたから、わたしはびくっと肩を震わせた。ちらりとベルズを見ると、ベルズは長い舌を出したり引っ込めたりしている。
「友好国の使者だからって何もしてこないとは限らねえ。お前、誰かから狙われてるって自覚を持てよ」
「何かあったらお願いね、ベルズ」
わたしは周りに聞こえないような小さな声でベルズに言う。
「まあ、カリスがなんとかしてくれるだろ。俺が何かするのは最終手段だ」
その最終手段が使われるような状況に陥らないことを祈るばかりだ。わたしは今度は頷くだけに留めた。
謁見の間に三人の使者が入ってくる。いずれも男性で、四十代くらいの男性が中央に進み出て、二十代くらいの若い二人がその左右に位置する。中央の男性が深々と一礼した。
「アルマス国王陛下。この度は、謁見の機会を賜りありがとうございます」
「うむ。親書を持参されたと聞いている」
「はい。こちらが親書でございます。それから、こちらも」
左右に控えていた男性たちが、筒状の入れ物と、金色の杯を取り出す。筒状の入れ物は漆塗りのような美しい黒で、杯は金色に輝いていた。いずれも高級感が溢れていて、そこまで裕福ではなかったわたしにはとても珍しいものに見えた。
両脇に控えていた騎士たちが親書と金色の杯を受け取り、アルマスのところまで持ってくる。アルマスは金色の杯を眺めて、使者たちに問うた。
「これは?」
「側室であるルミア様の病が治ったと伺いましたので、その快気祝いに、と我が王から預かってまいりました」
「ほう。それは、かたじけない」
わたしからアルマスの表情は見えないから、彼が何を考えているのかはわからなかった。
ルミアのことはやはり他国に知れ渡っているようだ。友好国が快気祝いを持ってくるくらいには、重要な立場だと考えられているらしい。だからこそ、ベルズが言うように、ルミアの命を狙ってくる輩がいるかもしれない。
「ありがたく頂戴する。使者殿も長旅ご苦労であった。夕食の際にまたゆっくりと話がしたい」
「ありがとうございます」
使者たちは揃って頭を下げる。中央の男性が顔を上げて、わたしを見た。
「ルミア様、謎の病が治ってようございました。さぞアルマス国王陛下もお喜びになったことでしょう」
「は、はい。ありがとうございます」
まさか話しかけられると思っていなかったわたしは、慌ててちょこんと頭を下げた。アルマスが
わたしのほうを見て、一瞬だけ優しい顔を見せた。
「見ての通り、我が妻ルミアは元気になった。そのことは王にもお伝えいただきたい」
「はっ。確かに、承りました」
「親書の返事はこちらから使者を送ろう。しばらくお時間をいただきたい」
「承知いたしました。お待ちしております」
中央の男性が再び頭を下げる。うむ、とアルマスが短く返事した。
「イジーン、使者殿を丁重にもてなすように」
「承りました。使者殿、こちらへどうぞ」
アルマスの指示を聞いたイジーンが先頭に立ち、使者たちを案内する。おそらく客間に連れて行くのだろう。
「ふうん。何事もなくてよかったな」
ベルズはつまらなさそうに言った。毎回何かあっても困るでしょ、と思いながら、わたしはにこやかな笑顔を顔に貼り付けていた。
使者たちが謁見の間から去ると、控えていた騎士たちも解散する。わたしはふうっと息を吐いて、知らないうちに固まっていた身体をうんと伸ばした。短い間だったけれど、わたしはかなり緊張していたようだ。
「ルミア様、お疲れ様でした。お部屋に帰りますよね?」
「うん。カリスも、お疲れ様」
「あたしは立ってただけですから。やっぱり他国もルミア様のご回復を喜んでるんですね」
「ね。いきなり話が飛んで来てびっくりしちゃった」
「ルミア様らしい、優しい応対でしたよ。使者にもルミア様の可愛さが伝わったんじゃないですかねぇ」
「うぅん、どうかなあ。悪い印象を与えてないならいいけど」
「大丈夫ですよ、使者も嬉しそうでしたし」
カリスはわたしに甘い。何をしても褒めてくれそうな気がして、わたしは苦笑した。
わたしが王妃の席を立つと、アルマスがわたしのほうに来た。国王陛下モードのはずなのに、その顔にはわたしの大好きな笑みが浮かんでいた。
「ルミア、ご苦労だった。夕食には同席するか?」
「い、いえ、わたしは、結構です。アルマス様と使者殿で、どうぞ」
わたしの言いぐさが面白かったのか、アルマスはふっと笑った。
「そう言うだろうと思った。後々、使者殿から聞いた他国の話を教えてやろう」
「ありがとうございます。アルマス様からお話を伺うだけで充分です」
「そうか。では、部屋に戻るといい。王妃としての仕事は終わりだ」
「はい。アルマス様、また、夜に」
わたしはそう言ってから、しまった、と思った。ジョセフィーヌが聞いているかもしれないところで言うことではなかった。わたしがアルマスの奥にいるジョセフィーヌをちらりと見たら、ジョセフィーヌは憤怒の形相でこちらを睨んでいた。
そんなことを知らないアルマスは、優しい微笑みを湛えてわたしを見た。
「うむ。夜にまた話そう。カリス、部屋まで送り届けろ」
「はぁい。ルミア様、行きましょう」
カリスは笑いを噛み殺しながら歩いていく。きっとジョセフィーヌの様子を見ているのだ。わたしはアルマスに一礼して、カリスの後に続いて謁見の間を後にした。
謁見の間からわたしの部屋へと続く廊下に出て、カリスは後ろを振り返る。誰もいないことを確認してから、カリスは楽しそうな声で言った。
「いい気味ですよ、性悪女。すっごく怒ってましたよ、見ました?」
「うん。いいのかな、あのまま放っておいて」
「アルマス様が何とかしてくださるでしょう。あたしたちじゃどうにもなりませんし、お任せするしかないですよ」
カリスは笑いながら言う。カリスの言う通りだった。わたしやカリスが何を言ったところで、ジョセフィーヌの怒りが静まることはないだろう。他人任せになってしまうけれど、わたしたちはアルマスに期待するしかないのだ。
「でも、どうしてルミア様を参席させたんでしょうね? 回復したってことをアピールしたかったんでしょうか?」
カリスは疑問を口にした。わたしにもそれがわからなくて、わたしは首を傾げた。
「わたしが目覚めたことを他国に見せたいんだ、って仰っていたけど」
「ふうん。どぉなんでしょう、それだけなんですかね?」
「ん? どういうこと?」
「側室を謁見の間に参席させるって、結構なハードルだったと思うんですよね。それだけのためにそのハードルを越えたのかな、なんて思っちゃいます」
アルマスには何か別の狙いがあった、ということだろうか。でも、わたしにはわからない。カリスにもわからないようで、カリスは笑ってその場を流した。
「ま、あたしたちが気にすることじゃないですよね」
「うん。そうかも」
「いやぁ、それにしても、ジョセフィーヌ様の顔、面白かったなぁ。次に会った時、なんて言われるんですかね? どんな嫌味が飛んでくるか楽しみです」
カリスは心の底から喜んでいるように見えた。わたしは同意できなかった。嫌味を言われるのはわたしだ。本心ならもう二度とジョセフィーヌには会いたくない。
「いっそのこと、ジョセフィーヌ様とは離縁して正室をルミア様にしちゃえばいいんですよ」
「カリス。だめ、そんなこと言ったら」
「ええっ、でもでも、そう思ってる騎士はたくさんいるんですよ。あたしが騎士を代表として言っただけです」
「だめなの。そういうことを言うのはわたしの部屋の中だけにして」
「はぁい。すみませんでした」
カリスは悪びれた様子もなく、口先だけで謝る。わたしはそれにも慣れてしまっていた。カリスの悪態を防ぐ手段などないということはわかっている。
わたしとカリスは並んでわたしの部屋に戻る。その道すがら、思う。
本当に、わたしは何のために謁見の間に呼ばれたのだろうか?
わたしがその話を最初に聞いたのは、アルマスからだった。夜にアルマスの腕に抱かれながら、わたしがうとうとし始めたくらいの時になって、アルマスが言っていたような記憶がある。でもわたしは最後まで聞かずに眠ってしまい、使者が来る以外の情報は覚えていない。わたしには関係のない話だろうと思い、翌朝も掘り返すことはしなかった。アルマスも、改めてわたしに言うことはなかった。
それが大きな問題に発展しているということを知ったのは、昼食を終えて自室に帰る時だった。情報源はもちろんカリスだ。
「そーいえばルミア様、今度使者が来る時に参加されるんですよね?」
「えっ? や、そんな話、聞いてないけど」
「あれっ? 兵士や騎士の中ではそういうことになってますよ。ジョセフィーヌ様もいるのに、アルマス様がルミア様も参席させるんだって仰ってるって」
カリスは平然とした口調でそう言った。わたしは聞いたこともない話に狼狽する。
それは、どうなのだろうか。アルマスがわたしを王妃の席に座らせたいというのは知っているけれど、それは世継ぎを産んだらの話ではなかっただろうか。まだ懐妊の兆しもないのに、いきなりそんなことをしてしまったら、ジョセフィーヌが黙っていないのではないか。
アルマスに話をしたほうがよいのだろうか。ううん、でも、国王陛下が決めたことに口を挟むのも、ねえ。
「いやぁ、アルマス様は対外的にもルミア様が王妃だって示したいんですよ、きっと。側室を謁見の間にも連れて行くなんて前代未聞ですよ」
「そうだよね。それは、さすがにまずいんじゃないかなあ」
「ルミア様はイジーン様と同じお考えなんですね。イジーン様もそれはよくないって仰って、毎日アルマス様とこの話ばかりしてるらしいですよ」
イジーンが苦労している様子が目に浮かぶ。国王陛下の我儘に振り回されるほうも大変だ。
「逆に、カリスと同じように、受け入れている人のほうが多いの?」
「どぉでしょうねー? 騎士は、アルマス様の仰せですからほとんど受け入れてましたね。兵士は豚野郎が拒否してますから、それに従ってるって感じですかね」
カリスはにこにこしながら言っている。わたしに付き従っているカリスからすれば、わたしの身分が上がったように思えて嬉しいのだろう。喜んでくれるのはありがたい、けれど。
わたしは一抹の不安を抱きながら部屋に帰る。すると、部屋の前にイジーンが立っていた。政務が行われている時間帯にいるなんて珍しい。わたしに何か用だろうか。
「ありゃ、イジーン様。どうされました?」
カリスが問うと、イジーンは深々と頭を下げた。
「ルミア様。申し訳ございませんが、どうか、お力をお貸しください」
嫌な予感がした。イジーンがここに来て、わたしの力を借りたいなんて、用件はひとつしか思い浮かばない。
「と、とりあえず、部屋の中へどうぞ」
「ありがとうございます。カリスはここで待機していなさい」
「あたしに聞かれたくないってことですか? やましいことじゃないですよねぇ?」
「違う。部屋の外に待機していなさい」
「はぁい。じゃ、ルミア様、また後ほどー」
カリスはひらひらと手を振って去っていく。わたしも手を振り返してから、イジーンを部屋の中に案内する。といっても二人で座るところがないから、立ち話になってしまう。
イジーンはこめかみの辺りを手で押さえながら、話を切り出した。
「今度他国から使者が来るという話は、既にご存知ですね?」
ああ、やっぱりその話か。わたしは静かに頷く。
「はい。わたしを参席させたい、とアルマス様が仰っているとか」
「そうなのです。側室が謁見の間で他国の使者と応対するなど、前代未聞。これまでどの国王も行ってこなかった、いや行おうとしなかったことです。過去、どれだけ側室を愛している国王でも、正室にはある程度の愛情を注いでいましたし、蔑ろにしなかったと聞いています」
「アルマス様は、その、あまりジョセフィーヌ様に愛情を注がれていないような」
「仰る通りです。ルミア様をお迎えになってから、毎日ルミア様のもとばかり訪れて、一度もジョセフィーヌ様のお部屋を訪れていない。そのような中で、今回のお話です。お聞き及びかもしれませんが、ジョセフィーヌ様はたいそう怒ってらっしゃる」
イジーンは溜息を吐いた。その深さから、どれほど深い悩みなのかを推し量ることができる。
「わたしから、ジョセフィーヌ様のお部屋を訪れるようにお伝えしてほしい、ということでしょうか?」
「いえ、違います。もはや我々が何を申し上げても、国王陛下がジョセフィーヌ様のお部屋を訪れることはないでしょう。それはもうよいのです。世継ぎはルミア様にお任せすればよい」
「では、わたしの力を借りたい、というのは?」
「せめてルミア様の参席の話だけは、なかったことにしていただきたいのです。従来と同様、国王陛下とジョセフィーヌ様だけでご対応いただきたい。そうすべきではないか、と国王陛下にお伝えいただけないでしょうか」
イジーンがまた深く頭を下げる。
わたしはすぐに了承できなかった。そんな大切なことを、政務のことなど何も知らないわたしから言ってよいのだろうか。国王陛下であるアルマスの決定に不服を申し立てるようなことをして、許されるのだろうか。
いや、わたしはたぶん、アルマスに嫌われたくないだけだ。余計なことを言って嫌われてしまわないか、それが心配なだけなのだ。側室から国王陛下に意見することなんて、本心ではどうでもよいと思っている。
「ルミア様、何卒、よろしくお願い申し上げます」
「あ、あの、わたしから申し上げても、変わらないような気がするんですが」
「いいえ、ルミア様からのお言葉であれば、国王陛下も少しは気にかけてくださるはずです。私が再三申し上げるよりは、ルミア様が一度お伝えくださるほうが効果があるでしょう」
そういうものだろうか。そんなに自信満々に言われてしまうと、わたしはイジーンからの依頼を断れなくなってしまう。わたしでも役に立てることがあるのなら、と思ってしまう。
うぅん、きっと、アルマスはそれくらいじゃ怒らない。言うだけ言ってみても、いいか。
「わかりました。次にお部屋にいらした時に、お伝えしてみます」
わたしがそう言うと、イジーンの険しい顔がほんの少しだけ和らいだような気がした。
「ありがとうございます。おそらく今夜もいらっしゃるでしょうから、その時にでも」
「はい。イジーン様から伺った、というのはお伝えしてもよろしいですか?」
「構いません。私からの差し金であるということは、すぐにお察しになるでしょうから」
「では、今晩にお伝えしますね。何か変わればいいんですけど」
「ええ、本当に。ジョセフィーヌ様のお怒りが国王陛下にも伝わればよいのですが」
それくらいジョセフィーヌは激怒しているということだろう。まあ、無理もない。わたしが同じ立場だったらきっと怒っている。
「現状、頼りになるのはルミア様だけなのです。どうか、よろしくお願い申し上げます」
イジーンはそう言うけれど、何かが変わるとは思えなかった。アルマスのことだから、何だかんだと理由をつけてわたしを参席させそうだけれど。
そして、夜になり、予想通りアルマスがわたしの部屋にやってきた。
ノックの音を聞いてドアを開けると、アルマスがふらふらと寄ってきて、覆い被さるようにわたしを抱く。わたしはそっとアルマスの背に手を回す。
「ルミア、疲れたよ。今日もきみに会うことができて嬉しい」
「わたしも嬉しいです、アルマス様」
身体をいったん離して、ドアを閉める。アルマスは重い足取りでベッドに向かい、身体をベッドに投げ出した。わたしもアルマスを追いかけて、アルマスの隣に横になる。アルマスはすぐにわたしに身を寄せてきた。
最近気づいたけれど、アルマスは甘えたい派なのだ。たくさん甘やかしてやるほうが喜んでくれる。国王陛下の威厳を感じる日中からは考えられない素顔だ。
「今日もお疲れ様でした」
「本当に、疲れたよ。ルミアに会うことだけを考えて頑張っていたんだ」
「そうなんですか? では、会えてよかったです」
アルマスの腕の中に飛び込むと、アルマスは優しく抱いてくれる。アルマスの匂いと温もりを感じて、その心地よさにわたしは今日の使命を忘れそうになる。いけない、今日はやるべきことがあるんだった。
わたしがアルマスの顔を見れば、アルマスはやわらかく微笑んでくれる。そして、唇が触れ合う。わたしはそのキスを受け入れて、唇が離れてからもアルマスを見つめた。
「あの、アルマス様」
「うん? どうしたの、ルミア」
いざ話を切り出すとなると、どう言えばよいのかわからなくなる。まあ、直球でいいのか。
わたしはアルマスの様子を窺いながら、イジーンから頼まれた話を持ち出した。
「他国からの使者の件なんですけど」
「ああ、うん。ルミアにも参席してもらおうと思っているよ。今イジーンと話しているところだけれど、どうにかしてきみが出られるようにしたい」
「やっぱり、わたしが出るのはよくないのではないでしょうか」
わたしが否定的な意見を述べたからか、アルマスの顔が曇った。それだけで、わたしの心にもダメージが来る。うう、そんな顔しないでよ。
「イジーンと同じことを言うんだね。どうして、よくないと思う?」
「ジョセフィーヌ様のお立場がなくなってしまうのでは、と思うんです。正室なんですから、側室と同じように扱うのはよくないのでは、と」
「なるほど。ジョセフィーヌとルミアが並ぶのがよくない、ということだね」
アルマスは穏やかな声で応じた。意外とわかってくれそうな気がしてきた。
けれど、わたしの中に生まれた希望は一瞬で打ち砕かれることになる。
「むしろ、ぼくは同じ立場だということにしたい。正室でも側室でも、ぼくの妻であることは同じだ。そこに優劣をつけるほうが間違っているんじゃないかと思っている」
「えっ、でも、普通は正室のほうが立場は上ですよね?」
「普通はそうかもしれない。けれど普通に縛られる必要はないんじゃないか? ジョセフィーヌとルミアの両方を参席させることの何がいけないんだ? ぼくは二人とも堂々と王妃の席に座っていいと思うんだ」
アルマスの言いたいことはわかる。普通はこうだから、という暗黙の了解に縛られる必要なんてない、やりたいようにやる、ということなのだろう。アルマスはわたしを王妃の席に座らせたいのだ。自分が愛してやまないルミアを、王妃として扱いたいのだ。
「あの、ジョセフィーヌ様がとても怒ってらっしゃいます。それは、いいんですか?」
「構わない。怒るのはわかっていたからね。ルミアが気にすることじゃないよ」
「でも、あの、わたし、王妃の席に座る自信がありません。ジョセフィーヌ様のお怒りも怖いですし、謁見の間で座るだなんて、わたしで大丈夫なんでしょうか」
「大丈夫だよ。特に何かをしてもらう必要はない。ルミアは座っているだけでいいんだ。ジョセフィーヌが何かしてきたら、ぼくがきみを守るよ」
わたしが何を言っても、アルマスはわたしを参席させるつもりのようだった。これは、イジーンが困り果ててわたしに助けを求めてくるのも頷ける。この件に関しては、アルマスは珍しく頑固だった。何か、他に狙いでもあるかのように感じてしまう。
どうしよう。わたしはどれくらいアルマスを止めたらよいのだろうか。イジーンに頼まれて引き受けてしまったからには、できたらアルマスを止めたい。わたしはジョセフィーヌと並んで王妃の席に座りたくない。絶対に何か嫌味を言われるに決まっている。
「アルマス様はどうしてわたしを参席させたいんですか?」
「ぼくが愛しているのはきみだ。愛する人を王妃として他国に紹介したいと思うのは、おかしいことなのかな」
「うぅん、おかしなことではないと思いますけど」
「そうだろう? 今回使者が来る国は、ぼくたちと友好が深い国だ。ルミアが目覚めたことを見せたいんだ。愛する人を仲が良い国に紹介するのは、別におかしなことじゃない」
「そう、ですねえ」
アルマスのやりたいことがわかってしまうと、だめだ、いやだと言いづらい。アルマスは単純にわたしを他国に紹介したいだけなのかもしれない。でもそれは、本来はジョセフィーヌを紹介すべきところなのでは、とわたしは思う。やはり側室が出ていくのは、よくないのではないだろうか。
「正室であるジョセフィーヌ様との不和、と思われないでしょうか」
「ない、とは言えないね。ぼくが側室ばかり愛していると思われてしまう可能性はある。でもそれが事実なんだから、仕方ないんじゃないかな。おそらく他国には、ぼくがルミアばかり愛しているということはもう知れ渡っていると思う」
「それでも、国としては問題ないんですか?」
「ないよ。隠すようなことでもない。もしかしたらルミアが刺客から狙われやすくなるかもしれないけれど、それは護衛を強化すればいいだけの話だ」
アルマスは静かに、けれど確固たる意志を感じさせる口調で言い切った。
本当に愛している人を他国に紹介したい。アルマスを突き動かしているのはそれだけだ。正室だ側室だという立場を無視し、前例のないことを推し進めてまで、アルマスはそれを達成したいのだ。そこまでルミアを愛しているのだろう、きっと。
アルマスがやろうとしていることは間違っているかもしれない。でも、わたしにはこれ以上否定することができなかった。否定して、アルマスからの愛を失うことが怖かった。面倒な女だと思われたくなかった。
わたしが我慢すればよいだけの話だ。ジョセフィーヌからの嫌味も、圧力も、わたしが耐えればよいのだ。アルマスの愛をおとなしく享受するほうがよいと思ってしまった。
「ルミアは参席したくないかもしれない。けれど、そこをなんとか、頑張ってほしい」
アルマスの青色の瞳がわたしを捉える。その瞳は優しさを湛えながら、わたしから断る勇気を奪い去っていくものだった。
ああ、イジーン様、ごめんなさい。わたしには無理でした。
「わかりました。では、参席するようにいたします」
わたしは抵抗することを諦めた。アルマスは嬉しそうに笑った。
「ありがとう、ルミア。大丈夫だよ、ぼくも一緒にいるんだから」
「はい。何かあったら守ってくださいね」
「もちろんさ。ジョセフィーヌが何かしてきたら、すぐにぼくに教えて。どうにかするよ」
ジョセフィーヌとのいざこざにアルマスを巻き込むのは気が引けた。女の争いは女同士で決着させるほうがよいだろう。アルマスに伝えたら、火に油を注ぐようなものだ。アルマスがわたしを庇うのを見るだけで、ジョセフィーヌはますます怒るに違いない。
「でもアルマス様、正室か側室かわかるように座らせてください。そこは、ジョセフィーヌ様を立てるべきだと思います」
「うーん、そうか。わかった、じゃあそうするよ。椅子の配置と装飾を工夫すればいいかな」
アルマスの頭の中にはもうイメージができあがっているようだった。いや、最初からイメージはあって、わたしの要望を受けて修正したのだろう。
アルマスはわたしの髪を撫でる。わたしはそれが快くてうっとりと目を細める。
「さあルミア、難しい話はこれで終わりにしよう。イジーンからぼくを説得するように頼まれたんだろう?」
やはりアルマスは感づいていた。わたしは嘘をつかずに答える。
「そうです。どうにかわたしは参席しないようにできないか、と」
「イジーンは前例を重んじるタイプだからね。反対されるだろうとは思っていたよ」
「それでも、やめないんですね」
「うん。これはルミアの位を上げるチャンスだと思う。一度前例を作ってしまえば、イジーンだって他の人だって文句は言えなくなるだろうから」
アルマスの狙いはここにもあるのかもしれない。もしかして、今後はずっとわたしも謁見の間に参席させるつもりなのだろうか。そのための土台作りをしているのかもしれない。それにどんな意味があるのかは、わたしにはわからない。
アルマスはわたしを抱きながら、わたしの額に優しく口づけた。わたしが顔を上げてアルマスを見つめると、今度は唇にキスしてくる。
「ルミア、きみが好きだよ。できるだけきみが不自由なく暮らせるようにしたい」
「今でも何ひとつ不自由していませんよ。こうして夜にアルマス様にも会えますし」
「きみは本当に多くを望まないね。もう少し我儘を言ってくれてもいいんだよ」
「望むものがあれば申し上げますね。今は、アルマス様を感じられれば、それでいいんです」
「そうか。いいよ、きみが眠るまで、こうして抱いていよう」
アルマスの腕を枕代わりにしながら、わたしは徐々に瞼が重くなっていくのを感じていた。そしてすぐに睡魔がやってきて、わたしは心から安らいだまま、意識を手放した。
他国からの使者が来る日になった。天気は快晴、過ごしやすい日だった。
城内はいつもより賑やかだった。使者をもてなすための準備や、謁見に向けた準備が行われていて、なんだかお祭りの前のような雰囲気を感じていた。友好が深い国からの使者ということも関係しているのかもしれない。
結局、わたしが謁見の間に参席することで決着した。正室であることが外からもわかるように示すという条件で、イジーンが折れたらしい。イジーンもわたしが説得できなかったと聞いて、アルマスの意志の強さを感じたのだろう。わたしがアルマスに意見した次の日には、イジーンが意見を曲げたという話をカリスから聞いた。
謁見の間を使者側から見れば、どちらが正室なのかわかるようになっている。はずだ。わたしはカリスと二人で謁見の間を目指していた。当然、ベルズはわたしの肩にいる。ベルズがわたしの肩にいても、驚く人はいなくなった。むしろベルズがいないほうが驚くかもしれない。
「いやぁ、謁見の間なんて騎士を拝命した時以来ですよ。緊張するなぁ」
カリスは緊張なんて全く感じさせない口調で言う。カリスはわたしの護衛として参席するよう命じられていた。カリスがいてくれるほうが助かると思っていたから、わたしはその命令には異を唱えなかった。当然、ジョセフィーヌ側にも専属の騎士がいるものだと思っていた。
「カリス、謁見中に変なこと言わないでね? ジョセフィーヌ様の悪口とか、絶対だめだよ」
「言いませんよ、あたしだって謁見中は騎士として静かにしてます。アルマス様の前でそんなこと言いませんから、安心してください」
カリスはそう言ったけれど、信用はない。何かぼやきそうで心配だった。
謁見の間に到着すると、国王が座る玉座の左右に立派な椅子が設置されていた。片方が正室、もう片方が側室の席だろう。これを使者側から見たら、どちらが正室なのか一目で見分けられるはずだ。念のため、わたしは使者側から席を見てみる。この国は右側が上位とされているらしいから、玉座から見て右側、使者から見て左側が正室の席になるだろう。
「あれ?」
わたしは思わず声を出してしまった。わたしに付き従っていたカリスがその声を拾う。
「どうかしましたか、ルミア様」
「ねえカリス、これってどっちがわたしの席だと思う?」
わたしに言われて、カリスはしげしげと両側の席を見比べる。そして、首を傾げる。
「えぇっと、どっちですかね? 玉座から見て左、かと思うんですけど」
わたしにもカリスにも判別できなかったのは、どう見てもほとんど同じ椅子だったからだ。もはや間違い探しの域だった。何が違うのか知らないと、同じ椅子だと思ってしまうくらい、ふたつの椅子は見分けがつかなかった。
これでは約束が違う。外から見たってわからないじゃないか。
どちらの席に座るか悩んでいたら、ジョセフィーヌが侍従を連れて謁見の間に入ってきた。わたしは会釈したが、向こうは一切応えてくれなかった。まだ怒りは収まっていないのだろう。
ジョセフィーヌの侍従は謁見の間から下がる。ジョセフィーヌは一瞬だけ迷いながらも、玉座から見て右の席に座った。まあ、普通に考えたらそうだよね。それで間違っていないんだよね。ジョセフィーヌが座ってくれたおかげで、わたしも左側の席に座りやすくなった。
わたしは左側の席に座った。カリスがそのすぐ横に立ち、控える。ちらりとジョセフィーヌのほうを見たら、ジョセフィーヌもこちらを見ていた。その表情から怒りと驚きが感じられた。
イジーンが険しい顔で謁見の間に入ってくる。すると、ジョセフィーヌはすかさずイジーンを呼びつけた。
「どういうことですの? 彼女には騎士が付き、私には付かないというのかしら?」
ジョセフィーヌが喚くような声でイジーンを怒鳴りつける。けれどイジーンは意にも介さない様子で、こともなげに答えた。
「ルミア様はまだ病み上がりのご様子。国王陛下のご命令で、部屋から出られる際には必ずカリスが付くように命じられています。カリスはそのご命令に従っているだけです」
「私にも騎士を付けてくださる? これではどちらが正室かわかったものではありませんわ」
「騎士の配置は国王陛下がお考えになったものですので、私には変える権利はございません。国王陛下に直接お伝えいただけますか」
取り付く島もない、といった感じだった。イジーンはその眉間にしわを作ったまま、玉座から少し離れた位置に立つ。そこが大臣の定位置なのだろう。
ジョセフィーヌは憤懣やるかたない様子で、拳を握り締めていた。カリスはその様子を笑顔で眺めながら、わたしにそっと耳打ちした。
「放っておきましょう。ふふ、面白いことになりましたねっ」
わたしはカリスを注意するために、その頭を小突いた。カリスは反省したようには見えなかった。面白い見世物でも見るかのようだった。
そこへ、王者の風格を漂わせながらアルマスがやってくる。玉座がある位置より数段低い場所で控えていた騎士たちが一斉に頭を下げた。カリスも緊張感を見せて一礼する。
アルマスが真っ先に声をかけたのは、わたしだった。
「ルミア、緊張していないか。大丈夫か」
最初にジョセフィーヌに声をかけてほしかった、とは言えず、わたしは引きつった笑みを浮かべた。
「はい。アルマス様、お気遣いくださりありがとうございます」
「うむ。カリス、何かあったらルミアをしっかり守るように」
「はぁい。お任せくださいっ」
アルマスは堂々とした振る舞いで玉座に座る。夜に見るような柔らかい印象は露ほどもなく、話しかけるのも躊躇われるくらいの存在感を放っていた。
ジョセフィーヌもその雰囲気に飲まれていた。しかし、ジョセフィーヌは静寂を破った。
「あの、国王陛下。どうしてルミア様には騎士が付くのに、私には付かないのでしょうか?」
じろり、とアルマスがジョセフィーヌをねめつける。ジョセフィーヌが気圧されたのがわかった。アルマスは硬い表情を見せて、答えた。
「お前には必要ないだろう。ルミアはまだ病み上がりだ。何かあった時に補助できるよう、カリスを付けているだけだ」
「し、しかし、国王陛下、これでは正室より側室のほうが固く守られているように見えてしまいますわ。そもそも側室が参席すること自体が」
「不満か?」
アルマスはジョセフィーヌの言葉を遮って、不穏な口調で問う。不満だと答えたら処刑されそうな錯覚さえ抱かせる。
「い、いえ、そういうわけでは」
「では、このままでよいな。まもなく使者が到着する」
アルマスはそう言って会話を切った。ジョセフィーヌは悔しそうな表情を見せて、唇を噛みながら正面を向く。
カリスがわたしの肩をとんとんと叩いて、小声で囁いてきた。
「なぁんか、前より仲悪くなってますねぇ、アルマス様とジョセフィーヌ様」
「えっ、そうなの?」
「はい。前はアルマス様ももうちょっと柔らかかったんですけど、今はすっごく怖いじゃないですか。なんかあったんですかね?」
アルマスの口からは何も聞いていない。ジョセフィーヌとアルマスが話しているのを見るのも久しぶりのことだから、わたしにはわからなかった。でも、話しているところを普段から見かけないくらい、二人は話していないのかもしれない。それは、仲が悪くなったことの証なのかもしれない。
謁見の間に兵士が入ってくる。片膝をつき、頭を垂れる。カリスは私語をやめて、きりりとした顔に変わる。カリスってそんな顔もできたんだ、と思ってしまった。
「おい、気を付けろよ」
いきなりベルズが話し始めたから、わたしはびくっと肩を震わせた。ちらりとベルズを見ると、ベルズは長い舌を出したり引っ込めたりしている。
「友好国の使者だからって何もしてこないとは限らねえ。お前、誰かから狙われてるって自覚を持てよ」
「何かあったらお願いね、ベルズ」
わたしは周りに聞こえないような小さな声でベルズに言う。
「まあ、カリスがなんとかしてくれるだろ。俺が何かするのは最終手段だ」
その最終手段が使われるような状況に陥らないことを祈るばかりだ。わたしは今度は頷くだけに留めた。
謁見の間に三人の使者が入ってくる。いずれも男性で、四十代くらいの男性が中央に進み出て、二十代くらいの若い二人がその左右に位置する。中央の男性が深々と一礼した。
「アルマス国王陛下。この度は、謁見の機会を賜りありがとうございます」
「うむ。親書を持参されたと聞いている」
「はい。こちらが親書でございます。それから、こちらも」
左右に控えていた男性たちが、筒状の入れ物と、金色の杯を取り出す。筒状の入れ物は漆塗りのような美しい黒で、杯は金色に輝いていた。いずれも高級感が溢れていて、そこまで裕福ではなかったわたしにはとても珍しいものに見えた。
両脇に控えていた騎士たちが親書と金色の杯を受け取り、アルマスのところまで持ってくる。アルマスは金色の杯を眺めて、使者たちに問うた。
「これは?」
「側室であるルミア様の病が治ったと伺いましたので、その快気祝いに、と我が王から預かってまいりました」
「ほう。それは、かたじけない」
わたしからアルマスの表情は見えないから、彼が何を考えているのかはわからなかった。
ルミアのことはやはり他国に知れ渡っているようだ。友好国が快気祝いを持ってくるくらいには、重要な立場だと考えられているらしい。だからこそ、ベルズが言うように、ルミアの命を狙ってくる輩がいるかもしれない。
「ありがたく頂戴する。使者殿も長旅ご苦労であった。夕食の際にまたゆっくりと話がしたい」
「ありがとうございます」
使者たちは揃って頭を下げる。中央の男性が顔を上げて、わたしを見た。
「ルミア様、謎の病が治ってようございました。さぞアルマス国王陛下もお喜びになったことでしょう」
「は、はい。ありがとうございます」
まさか話しかけられると思っていなかったわたしは、慌ててちょこんと頭を下げた。アルマスが
わたしのほうを見て、一瞬だけ優しい顔を見せた。
「見ての通り、我が妻ルミアは元気になった。そのことは王にもお伝えいただきたい」
「はっ。確かに、承りました」
「親書の返事はこちらから使者を送ろう。しばらくお時間をいただきたい」
「承知いたしました。お待ちしております」
中央の男性が再び頭を下げる。うむ、とアルマスが短く返事した。
「イジーン、使者殿を丁重にもてなすように」
「承りました。使者殿、こちらへどうぞ」
アルマスの指示を聞いたイジーンが先頭に立ち、使者たちを案内する。おそらく客間に連れて行くのだろう。
「ふうん。何事もなくてよかったな」
ベルズはつまらなさそうに言った。毎回何かあっても困るでしょ、と思いながら、わたしはにこやかな笑顔を顔に貼り付けていた。
使者たちが謁見の間から去ると、控えていた騎士たちも解散する。わたしはふうっと息を吐いて、知らないうちに固まっていた身体をうんと伸ばした。短い間だったけれど、わたしはかなり緊張していたようだ。
「ルミア様、お疲れ様でした。お部屋に帰りますよね?」
「うん。カリスも、お疲れ様」
「あたしは立ってただけですから。やっぱり他国もルミア様のご回復を喜んでるんですね」
「ね。いきなり話が飛んで来てびっくりしちゃった」
「ルミア様らしい、優しい応対でしたよ。使者にもルミア様の可愛さが伝わったんじゃないですかねぇ」
「うぅん、どうかなあ。悪い印象を与えてないならいいけど」
「大丈夫ですよ、使者も嬉しそうでしたし」
カリスはわたしに甘い。何をしても褒めてくれそうな気がして、わたしは苦笑した。
わたしが王妃の席を立つと、アルマスがわたしのほうに来た。国王陛下モードのはずなのに、その顔にはわたしの大好きな笑みが浮かんでいた。
「ルミア、ご苦労だった。夕食には同席するか?」
「い、いえ、わたしは、結構です。アルマス様と使者殿で、どうぞ」
わたしの言いぐさが面白かったのか、アルマスはふっと笑った。
「そう言うだろうと思った。後々、使者殿から聞いた他国の話を教えてやろう」
「ありがとうございます。アルマス様からお話を伺うだけで充分です」
「そうか。では、部屋に戻るといい。王妃としての仕事は終わりだ」
「はい。アルマス様、また、夜に」
わたしはそう言ってから、しまった、と思った。ジョセフィーヌが聞いているかもしれないところで言うことではなかった。わたしがアルマスの奥にいるジョセフィーヌをちらりと見たら、ジョセフィーヌは憤怒の形相でこちらを睨んでいた。
そんなことを知らないアルマスは、優しい微笑みを湛えてわたしを見た。
「うむ。夜にまた話そう。カリス、部屋まで送り届けろ」
「はぁい。ルミア様、行きましょう」
カリスは笑いを噛み殺しながら歩いていく。きっとジョセフィーヌの様子を見ているのだ。わたしはアルマスに一礼して、カリスの後に続いて謁見の間を後にした。
謁見の間からわたしの部屋へと続く廊下に出て、カリスは後ろを振り返る。誰もいないことを確認してから、カリスは楽しそうな声で言った。
「いい気味ですよ、性悪女。すっごく怒ってましたよ、見ました?」
「うん。いいのかな、あのまま放っておいて」
「アルマス様が何とかしてくださるでしょう。あたしたちじゃどうにもなりませんし、お任せするしかないですよ」
カリスは笑いながら言う。カリスの言う通りだった。わたしやカリスが何を言ったところで、ジョセフィーヌの怒りが静まることはないだろう。他人任せになってしまうけれど、わたしたちはアルマスに期待するしかないのだ。
「でも、どうしてルミア様を参席させたんでしょうね? 回復したってことをアピールしたかったんでしょうか?」
カリスは疑問を口にした。わたしにもそれがわからなくて、わたしは首を傾げた。
「わたしが目覚めたことを他国に見せたいんだ、って仰っていたけど」
「ふうん。どぉなんでしょう、それだけなんですかね?」
「ん? どういうこと?」
「側室を謁見の間に参席させるって、結構なハードルだったと思うんですよね。それだけのためにそのハードルを越えたのかな、なんて思っちゃいます」
アルマスには何か別の狙いがあった、ということだろうか。でも、わたしにはわからない。カリスにもわからないようで、カリスは笑ってその場を流した。
「ま、あたしたちが気にすることじゃないですよね」
「うん。そうかも」
「いやぁ、それにしても、ジョセフィーヌ様の顔、面白かったなぁ。次に会った時、なんて言われるんですかね? どんな嫌味が飛んでくるか楽しみです」
カリスは心の底から喜んでいるように見えた。わたしは同意できなかった。嫌味を言われるのはわたしだ。本心ならもう二度とジョセフィーヌには会いたくない。
「いっそのこと、ジョセフィーヌ様とは離縁して正室をルミア様にしちゃえばいいんですよ」
「カリス。だめ、そんなこと言ったら」
「ええっ、でもでも、そう思ってる騎士はたくさんいるんですよ。あたしが騎士を代表として言っただけです」
「だめなの。そういうことを言うのはわたしの部屋の中だけにして」
「はぁい。すみませんでした」
カリスは悪びれた様子もなく、口先だけで謝る。わたしはそれにも慣れてしまっていた。カリスの悪態を防ぐ手段などないということはわかっている。
わたしとカリスは並んでわたしの部屋に戻る。その道すがら、思う。
本当に、わたしは何のために謁見の間に呼ばれたのだろうか?
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