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昼過ぎ、わたしは自室で本を読んでいた。
相変わらず街に出るのは禁じられているから、わたしの暇潰しは本を読むくらいしかない。幸い、本なら図書室にたくさんあるから、読むものには困らなかった。この国の歴史や文化に関する本は大量にあって、どれもそれなりに興味を惹かれるものだった。
ぱらりと本のページをめくる。少しだけ眠くなってきて、わたしは本を閉じてううんと伸びをした。多少なら昼寝をしてもよいかもしれない。そう思った時だった。
わたしの部屋のドアがノックされる。誰だろう、知らない人かな。
わたしがドアを開けると、おそらくジョセフィーヌの侍従と思われる女性が立っていた。
「ルミア様、ジョセフィーヌ様がティータイムをご一緒したいと仰せです。どうぞ、中庭へお越しください」
「えっ?」
わたしは不意を突かれた気分だった。
ついにこの時が来たのか。正室とのお茶会イベント。いつか来るだろうと思っていたけれど、まさか今日来るとは思っていなかった。わたしの覚悟は決まっていない。
けれど、断る理由も見つからない。わたしは笑顔を浮かべて侍従に答えた。
「はい、わかりました。すぐ参ります」
「それでは、お待ちしております」
侍従は恭しく一礼して、去っていく。わたしはそれを見送って、いったんドアを閉めた。
さて、どうしようか。行くと言ったからには行かなければならない。ひたすらに時間が過ぎるのを待つだけになりそうだ。わたしは心が重くなって、深い溜息を吐いた。
「おい、行くのか? 毒盛られるんじゃねえのか」
ベルズは意外そうな声で言う。わたしは這い出てきたベルズに言った。
「だって、断る理由がないでしょう。わたしだって行かなくていいなら行かないよ」
「まあ、なあ。確かにそうかもしれねえが、気を付けろよ。俺も注意する」
「ありがと、ベルズ。よろしくね」
ベルズを連れて行けばひとまず安心だ。万一、毒を盛られるようなことがあったとしても、わたしが口にする前にベルズが警告してくれる。まあ、そんなことはないだろうと思うけれど。
それにしても、ジョセフィーヌはわたしに何か用事でもあるのだろうか。急に誘ってくるなんて、何かあるとしか思えない。そんなに仲が良いわけでもないのに、いったいどういうつもりなのだろうか。
わたしは電話を操作して、カリスを呼ぶ。カリスとベルズがいるのがせめてもの救いだ。わたしひとりでジョセフィーヌとお茶会だなんて、絶対に耐えられない。
すぐに部屋のドアが軽快にノックされる。本当に、カリスはいつも早い。
わたしがドアを開けて出迎えると、カリスがポニーテールを揺らして軽く会釈した。
「ルミア様、どうされました? 珍しいですね、この時間にあたしを呼ぶなんて」
「うん、あのね、ジョセフィーヌ様が中庭で一緒にお茶を飲もうって」
「はあ? また、どうしてでしょう?」
カリスは腑に落ちないといったふうで、わたしと同じ疑問を口にした。やはり誰もが誘った理由を気にするものなのだ。それくらい、この誘いは謎なのだ。
「じゃあルミア様、お着替えですね。あたし手伝いますっ」
「え? いいよ、このままで」
今のわたしの服装はいつもと同じ、地味なワンピースタイプの服だ。いちいちそんな美しい服を着る必要もないと思っていた。動きにくそうだし、変に目立ってしまって嫌だった。
しかしカリスは首を横に振って、わたしを部屋の中に押し戻した。
「だめですよ、しっかり着飾っていかないと。また嫌味ったらしく言われるんですから」
「そ、そういうものなの?」
「そうですっ。とりあえず服はドレスに着替えましょう。あと髪飾りも着けていきましょう」
カリスに言われるまま、服を脱いで煌びやかなオレンジ色のドレスに着替える。普段着慣れない服だから、違和感がすごい。カリスに手伝ってもらいながらドレスを着て、宝石が散りばめられた髪飾りを着ける。鏡を見ると、自分とは思えないくらい豪華な服装に変わっていた。そしてそれに負けないくらい、ルミアは可愛かった。アルマスが夢中になるのも理解できる可愛さだった。
カリスは一通りわたしを変身させて、満足げに頷いた。
「よし、これでいいでしょう。ルミア様の戦闘服ですよ」
「別に戦うわけじゃないよ、カリス。お茶飲むだけだよ」
「いーえ、戦いです。正室と側室の静かな戦いですよ。ねえ、ベルズ」
カリスはベルズに話を振る。ベルズの声は聞こえないのに。
「まあ、戦いではあるよな。女同士の戦い。怖い怖い」
ベルズまでわたしを怖がらせるのはやめてほしい。わたしだって行きたくて行くんじゃないのに。絶対面白がってるでしょ。
「ルミア様のほうが可愛いんだって思い知らせてやりましょう。さ、行きましょうか」
「このドレス、動きにくいね。やっぱりいつもの服のほうが」
「だめですよっ。我慢してください、お茶会が終わったら着替えていいですから」
カリスがぴしゃりとわたしに言って、ベルズを肩に乗せたわたしの手を引いて部屋から出る。ああ、本当に行くのだと思うと、心がみしみしと音を立てて軋んでいるような気がする。行きたくないなあ。
中庭はわたしの部屋から少し歩くところにあった。街に出るほうの扉とは反対側に行って、城の中央付近の出口から出ると、鮮やかな緑色が目に入ってくる。中庭は綺麗に整えられた庭園で、芝生が生い茂り、バラや草木が美しく伸びていた。庭師がちゃんと手入れしているというのがわたしでもわかる。
その中庭の中央に、パラソルが立てられていて、パラソルの下にテーブルと椅子が置かれていた。そこにジョセフィーヌが座っているのが見えた。あそこでお茶を飲むようだ。
「カリス、どうしよう、すごく緊張してきちゃった」
わたしが泣き言を言うと、カリスはわたしを励ましてくれた。
「大丈夫ですよ、なんかあったらあたしが守りますから」
「失言して不敬だとか言われたらどうしよう」
「言われませんよ、ルミア様なら大丈夫です。ね、自信持ってください」
わたしより年下の女の子に励まされているという事実に気づいて、わたしはまた気を落とした。ううん、頑張らなくちゃ。これも側室の務め、なんだよね。
わたしが来たのを見て、ジョセフィーヌは座ったまま一礼した。わたしも軽く頭を下げて、ジョセフィーヌの正面の席に向かう。ここに座れと言わんばかりに、一席だけ設けてあった。当たり前かもしれないけれど、カリスの席はない。カリスは立っているしかないようだった。
「ジョセフィーヌ様、お招きいただきありがとうございます」
わたしがそう言いながら座ると、ジョセフィーヌは笑顔を見せた。
「ええ。たまにはルミア様と一緒にお茶を楽しむのもよろしいかと思いまして」
「本当かよ。絶対何か目的があるだろ」
「嘘つき。絶対何かあるでしょっ」
ベルズとカリスは早くも警戒している。カリスの小声がジョセフィーヌに届かないことを祈るばかりだった。頼むから余計なことは言わないでほしい。
ジョセフィーヌの侍従がわたしの前に紅茶が入ったカップを置く。テーブルの中央にはおいしそうなクッキーが並べられていた。ジョセフィーヌの前でなければ食べているところだ。クッキーに手を伸ばしてよいかわからず、わたしはジョセフィーヌの出方を窺う。
「とりあえず毒は入ってねえな。飲んでいいぞ」
ベルズの確認を経て、わたしは紅茶を一口飲む。予想していた味とは違い、奇妙な苦みを感じた。この世界の紅茶ってこんな味なんだ。あまりおいしくない。その感想を顔には出さないようにしながら、ジョセフィーヌの顔を盗み見る。
このお茶会にはきっと何か意味がある。でも、それはいったい何なのだろうか。
「ルミア様はその蛇といつも一緒なのね」
「はい。お部屋に置いていくのが心配で」
まさかベルズがいないと言葉が理解できないとは言えない。わたしは適当に嘘をつく。
「随分と大切にしてらっしゃるのね。何か特別な力でもあるのかしら?」
ベルズがただの蛇ではないことを探りに来たのだろうか。それがこのお茶会の目的?
わたしは首を傾げて、自分は何も知らないということをアピールする。
「さあ、どうなんでしょう。もしかしたら何か不思議な力を持っているのかもしれませんね」
「神の使い、と言われているそうですわね。貴女が神の庇護を受けていると言っている者がいましたわ」
「ああ、そうなんですか。わたしは特に、何も特別な力は受けていませんよ」
「本当に? その蛇には何の力もないのかしら?」
「しつこい女だな。説明してやってもいいが、お前じゃ理解できねえぞ」
ベルズの悪態は聞こえなかったことにして、わたしは苦笑いを浮かべた。ジョセフィーヌの探るような視線が突き刺さってくる。
「神の使いなのかもしれません。でも、ただの蛇ですよ。ジョセフィーヌ様が思ってらっしゃるような力は何もありません」
「そう。見た目も珍しいから、特別な蛇なのだと思っていましたわ」
ジョセフィーヌは優雅な動作で紅茶を口に運ぶ。黙っていれば綺麗な女性だった。性格さえ悪くなければ、正室としてアルマスに認められていただろうに。
「私はてっきり、その蛇の力で国王陛下に取り入っているのかと思いましたの」
わたしはどうにか紅茶を飲む手を止めずに済んだ。ここで動揺を見せてしまえば、余計な詮索を受けることになると思った。
なるほど。本体はそちらか。わたしは心の中で頷いた。
「貴女が目覚めてから、国王陛下は一度も私のお部屋にいらっしゃいませんわ。ヘイチョを通してお越しになるようお願いしているのだけれど、昨日も貴女のお部屋に向かわれたそうね」
「ええ、まあ、そうですね、昨日はわたしのお部屋にいらっしゃいました」
もっと正確に言うなら、昨日も、だ。アルマスはほぼ毎日わたしの部屋に来ている。アルマス自身の寝室がないのかと思うほどに、寝るためだけにわたしの部屋に来る。いや、寝るのはついでで、わたしに会いに来ている。わたしを抱きしめて、愛して、そうして寝るのが日課のようなものになっている。
ジョセフィーヌの狙いは、これだ。何とかしてアルマスを自分の部屋に来るようにしたいのだ。例えば、わたしからアルマスに何か言う、とか。
「ルミア様は毎日国王陛下にお会いになっているのでしょう? 国王陛下はお元気?」
「はい。とてもお元気そうです。夜はお疲れのご様子ですが、一晩眠れば回復するみたいで」
「そうなのね。どうして私が正室なのに、側室である貴女からこの話を聞かなければならないのかしらね」
「日頃の行いを省みなよ、この性悪女っ」
カリスの悪口は聞こえているだろうに、ジョセフィーヌは意にも介さない。焦っているのがわたしだけだから、わたしがおかしいのかと思ってしまう。わたしが振り向いてカリスを睨むと、カリスは自分が何もしていないと言うかのように視線を逸らした。
「ねえ、ルミア様。お願いがあるのだけれど」
「なんでしょう、ジョセフィーヌ様」
ジョセフィーヌはわたしに断る権利がないことを知っていながら言っているのだ。カリスとベルズが苛立っているのを感じる。二人とも、もう少し落ち着いてほしい。
「今度、国王陛下にお伝えくださらない? 貴女のお部屋ではなく、私のお部屋にお越しになるように」
わたしは返答に窮した。もう何度もわたしから伝えていることだったからだ。ジョセフィーヌ様のお部屋に行かなくていいんですか、と何度言ったかわからない。そのたびにアルマスは、うん、とか、そうだね、とか言って、いつ行くか明言を避けてきた。わたしも自分の寂しさを理由にして、それほど深くは言わないようにしてきた。
けれど、もう少し押さなければならないのかもしれない。プライドの高いジョセフィーヌがわたしにこんなことを言い出すくらいには、ジョセフィーヌも追い込まれているのだろう。ジョセフィーヌもこのままではまずいと思っているのだ。だから、格下だと思っているわたしに恥を忍んでこんなお願いをしてきたのだ。
そう思うと、どうにかして一度くらいはアルマスをジョセフィーヌのところに行かせたくなる。頼まれたのだから、その望みを叶えてあげたくなる。
「わたしからも何度かお伝えしているんです。次にいらした時にもお伝えしてみますね」
「ええ、お願いします。正室は私なのだから、私を優先すべきだとお伝えくださる?」
そういうことを言うからアルマスに嫌われるんだけど。わたしはうまく笑えているだろうか。
「わかりました。お伝えしますね」
「ヘイチョにも命じなければなりませんね。私の不満を国王陛下に申し上げるように、と」
ジョセフィーヌは文句を言いながら、紅茶を一口飲む。ヘイチョも大変だな、こんなふうにジョセフィーヌに振り回されて。
わたしはあまりおいしくない紅茶を少しだけ飲む。このお茶会が早く終わることを願っていた。ジョセフィーヌは目的を果たしただろうし、早いところお開きにしてくれたらいいのに。
そこへ、救世主が現れた。中庭に入ってきたのは、イジーンだった。イジーンはわたしとジョセフィーヌを交互に見て、美しくお辞儀をした。
「どうしたのかしら、イジーン?」
ジョセフィーヌが問う。イジーンは言いにくそうにしながら、眉間にしわを寄せて、言った。
「ルミア様。国王陛下がお呼びです」
「えっ、わたしですか?」
まさか自分に呼び声がかかると思っていなかったわたしは、つい声を上げてしまった。イジーンは相変わらず険しい表情のまま、続けた。
「どうしてもルミア様にお会いしたい、とのことです。お寛ぎのところ誠に申し訳ございませんが、政務室までお越しいただけますか」
「は、はい、わかりました」
何だろう。わたし、何かしただろうか。思い当たる節がなくて、わたしは戸惑ってしまう。
「イジーン、どのようなご用件なのかしら?」
ジョセフィーヌがぴりりとした声で尋ねる。
「伺っていません。ただ、とにかくルミア様を連れて来るようにとのご命令です」
ええ。なにそれ。すごく怖いんだけど。
「会いたいだけじゃねえのか。お前がいなくて仕事したくねえって騒いでんだろ、きっと」
「会いたいだけじゃないですかねぇ。ルミア様がいなくて仕事したくないんですよ」
カリスとベルズの意見は一致している。わたしは不安になりながらも席を立ち、二人の予想が当たっていることを祈る。だって何もしていないはずだし。
「ジョセフィーヌ様、お招きいただきありがとうございました」
「いえ。国王陛下は何のご用件なのでしょうね」
まるでジョセフィーヌはなぜわたしが呼ばれたのか知っているみたいだった。もしかしたらカリスやベルズと同じことを考えているのかもしれない。そして、自分が呼ばれなかったことに苛立っているのかもしれない。
イジーンはまた一礼して、さっさと歩き始める。わたしとカリスもその後ろについていく。
「茶会の中、申し訳ございません。とにかくルミア様を連れてくるように、との一点張りで」
政務室へ向かう道すがら、イジーンがわたしに謝る。この人も苦労してるよなあ。
「いえ、イジーン様は悪くありません。アルマス様はきっと何かご用件がおありなのでしょう」
「だといいのですが。ルミア様をお連れするまで政務はしない、と仰るものですから」
「ほらほら、やっぱりそうですよぉ。ルミア様に会いたくて会いたくて仕事できなくなっちゃったんですよっ」
「カリス。アルマス様に限ってそんなことはないでしょう」
「どーですかねぇ。アルマス様、ルミア様にぞっこんだからなー」
何かしたかもしれないという不安が消えないまま、政務室に着く。イジーンがドアをノックして、中に入る。
中では、政務を行う大きな机の前にアルマスが座っていた。アルマスは椅子の背もたれに身体を預けて、暇そうに天井を眺めていた。わたしたちが来たのを見ると、わたしに視線を動かしてふっとやわらかく笑った。
「ああ、ルミア。いきなり呼び立ててすまない」
「いえ。わたしに何かご用があると伺いましたが」
「うむ。イジーンとカリスは部屋を出てくれるか。二人で話がしたい」
えっ、何それ。そんなのありなの? わたしがカリスのほうを見たら、カリスはにこやかに微笑んでいた。
「承知しました」
「はぁい。お外に控えてますね」
イジーンとカリスは部屋を出ていき、わたしだけが政務室に残される。アルマスは椅子から立ち上がり、わたしに近づいてくる。ベルズは何かを察したのか、するりとわたしの肩から下りた。
そして、アルマスはわたしの身体を抱き寄せた。
「ルミア、ごめんね。どうしてもきみに会いたくなってしまって」
「え? ご用件、というのは?」
「ないよ。強いて言えば、どうしてもきみに会いたかった。きみを抱きしめたかった」
「だめですよ、そういう嘘をついては。イジーン様が可哀想でしょう」
「そうか。でもさ、ぼくだってできるだけ我慢しようとは思ったんだよ」
わたしがたしなめると、アルマスはしゅんとしてしまう。その様子が可愛くて、愛しくて、わたしはそれ以上叱れなくなってしまう。
「夜までお待ちください。夜になれば、たくさんお話もできます」
「待てなかったんだ。今日はどうしても無理だった。わかってくれない?」
「いけません。ほら、もう会いましたから、お仕事に戻ってください」
「うう、ルミア、厳しいなあ。わかったよ、仕事するよ」
アルマスはそう言いながらもわたしを離そうとしない。わたしも離れようとしない。だって、わたしもアルマスのことを求めていたから。
わたしがアルマスの顔を見上げたら、アルマスは微笑んで、わたしと唇を重ねる。触れるだけの優しいキスを受けて、わたしの心臓がどくんと脈打つ。心地よいキスをもっと求めたくなってしまう。
でもわたしは自分を叱咤して、アルマスに言った。
「アルマス様、もうおしまいです。お仕事に戻ってください」
「ええ? いいだろう、もう少し」
「だめです。イジーン様とカリスを呼びますね」
「わかったよ。続きはまた夜に」
アルマスはわたしとの抱擁を解く。わたしはイジーンとカリスを呼ぼうとして、そういえば、と思い出す。ジョセフィーヌのことを伝えておいたほうがよいだろう。
アルマスはわたしから離れて、席に戻る。わたしは机を挟んでアルマスと向かい合う。
「アルマス様、先程ジョセフィーヌ様とお話ししたんですが」
「うん」
アルマスはこの先をもう察しているようだった。反応がそっけなく感じられる。
「アルマス様にお会いできなくて寂しい、と仰っていました。夜、お会いに行かれてはいかがでしょうか」
「まあ、考えておくよ。今日はルミアのところに行きたい」
「わかりました。お待ちしていますね」
わたしは強く押すことを避けて、イジーンとカリスを呼びに行く。わたし自身、アルマスにはジョセフィーヌの部屋へ行ってほしくないとも思っていた。それは確かな独占欲だった。
政務室のドアを開けると、イジーンとカリスが並んで待っていた。
「国王陛下は、何と?」
イジーンに訊かれて、正直に話すものかどうか悩んだ。アルマスのためでもあるし、わたしはとぼけることにした。
「ええと、大した用事ではありませんでした。夜に会いに行く、ということをお伝えになりたかったようです」
「そうですか。承知しました」
イジーンは深く追及してこなかった。本当は、アルマスの用件を知っていたのではないだろうか。
「では、わたしたちはこれで。カリス、帰りましょう」
「はぁい。さよなら、イジーン様」
わたしとカリスはわたしの部屋に戻る。イジーンは政務室の中へと入っていった。
どうにかして、アルマスをジョセフィーヌの部屋に行かせたほうがよいのだろう。それはわたしも理解している。でも、わたしの独占欲が邪魔をする。わたしだけを愛してほしいという気持ちが、アルマスへの進言を妨げる。
まあ、いいか。いつかアルマスが自分で行くだろう。わたしはその時を待てばよいのだ。
小さな火種であることはわかっていた。けれど、わたしはその火種から目を背けた。
相変わらず街に出るのは禁じられているから、わたしの暇潰しは本を読むくらいしかない。幸い、本なら図書室にたくさんあるから、読むものには困らなかった。この国の歴史や文化に関する本は大量にあって、どれもそれなりに興味を惹かれるものだった。
ぱらりと本のページをめくる。少しだけ眠くなってきて、わたしは本を閉じてううんと伸びをした。多少なら昼寝をしてもよいかもしれない。そう思った時だった。
わたしの部屋のドアがノックされる。誰だろう、知らない人かな。
わたしがドアを開けると、おそらくジョセフィーヌの侍従と思われる女性が立っていた。
「ルミア様、ジョセフィーヌ様がティータイムをご一緒したいと仰せです。どうぞ、中庭へお越しください」
「えっ?」
わたしは不意を突かれた気分だった。
ついにこの時が来たのか。正室とのお茶会イベント。いつか来るだろうと思っていたけれど、まさか今日来るとは思っていなかった。わたしの覚悟は決まっていない。
けれど、断る理由も見つからない。わたしは笑顔を浮かべて侍従に答えた。
「はい、わかりました。すぐ参ります」
「それでは、お待ちしております」
侍従は恭しく一礼して、去っていく。わたしはそれを見送って、いったんドアを閉めた。
さて、どうしようか。行くと言ったからには行かなければならない。ひたすらに時間が過ぎるのを待つだけになりそうだ。わたしは心が重くなって、深い溜息を吐いた。
「おい、行くのか? 毒盛られるんじゃねえのか」
ベルズは意外そうな声で言う。わたしは這い出てきたベルズに言った。
「だって、断る理由がないでしょう。わたしだって行かなくていいなら行かないよ」
「まあ、なあ。確かにそうかもしれねえが、気を付けろよ。俺も注意する」
「ありがと、ベルズ。よろしくね」
ベルズを連れて行けばひとまず安心だ。万一、毒を盛られるようなことがあったとしても、わたしが口にする前にベルズが警告してくれる。まあ、そんなことはないだろうと思うけれど。
それにしても、ジョセフィーヌはわたしに何か用事でもあるのだろうか。急に誘ってくるなんて、何かあるとしか思えない。そんなに仲が良いわけでもないのに、いったいどういうつもりなのだろうか。
わたしは電話を操作して、カリスを呼ぶ。カリスとベルズがいるのがせめてもの救いだ。わたしひとりでジョセフィーヌとお茶会だなんて、絶対に耐えられない。
すぐに部屋のドアが軽快にノックされる。本当に、カリスはいつも早い。
わたしがドアを開けて出迎えると、カリスがポニーテールを揺らして軽く会釈した。
「ルミア様、どうされました? 珍しいですね、この時間にあたしを呼ぶなんて」
「うん、あのね、ジョセフィーヌ様が中庭で一緒にお茶を飲もうって」
「はあ? また、どうしてでしょう?」
カリスは腑に落ちないといったふうで、わたしと同じ疑問を口にした。やはり誰もが誘った理由を気にするものなのだ。それくらい、この誘いは謎なのだ。
「じゃあルミア様、お着替えですね。あたし手伝いますっ」
「え? いいよ、このままで」
今のわたしの服装はいつもと同じ、地味なワンピースタイプの服だ。いちいちそんな美しい服を着る必要もないと思っていた。動きにくそうだし、変に目立ってしまって嫌だった。
しかしカリスは首を横に振って、わたしを部屋の中に押し戻した。
「だめですよ、しっかり着飾っていかないと。また嫌味ったらしく言われるんですから」
「そ、そういうものなの?」
「そうですっ。とりあえず服はドレスに着替えましょう。あと髪飾りも着けていきましょう」
カリスに言われるまま、服を脱いで煌びやかなオレンジ色のドレスに着替える。普段着慣れない服だから、違和感がすごい。カリスに手伝ってもらいながらドレスを着て、宝石が散りばめられた髪飾りを着ける。鏡を見ると、自分とは思えないくらい豪華な服装に変わっていた。そしてそれに負けないくらい、ルミアは可愛かった。アルマスが夢中になるのも理解できる可愛さだった。
カリスは一通りわたしを変身させて、満足げに頷いた。
「よし、これでいいでしょう。ルミア様の戦闘服ですよ」
「別に戦うわけじゃないよ、カリス。お茶飲むだけだよ」
「いーえ、戦いです。正室と側室の静かな戦いですよ。ねえ、ベルズ」
カリスはベルズに話を振る。ベルズの声は聞こえないのに。
「まあ、戦いではあるよな。女同士の戦い。怖い怖い」
ベルズまでわたしを怖がらせるのはやめてほしい。わたしだって行きたくて行くんじゃないのに。絶対面白がってるでしょ。
「ルミア様のほうが可愛いんだって思い知らせてやりましょう。さ、行きましょうか」
「このドレス、動きにくいね。やっぱりいつもの服のほうが」
「だめですよっ。我慢してください、お茶会が終わったら着替えていいですから」
カリスがぴしゃりとわたしに言って、ベルズを肩に乗せたわたしの手を引いて部屋から出る。ああ、本当に行くのだと思うと、心がみしみしと音を立てて軋んでいるような気がする。行きたくないなあ。
中庭はわたしの部屋から少し歩くところにあった。街に出るほうの扉とは反対側に行って、城の中央付近の出口から出ると、鮮やかな緑色が目に入ってくる。中庭は綺麗に整えられた庭園で、芝生が生い茂り、バラや草木が美しく伸びていた。庭師がちゃんと手入れしているというのがわたしでもわかる。
その中庭の中央に、パラソルが立てられていて、パラソルの下にテーブルと椅子が置かれていた。そこにジョセフィーヌが座っているのが見えた。あそこでお茶を飲むようだ。
「カリス、どうしよう、すごく緊張してきちゃった」
わたしが泣き言を言うと、カリスはわたしを励ましてくれた。
「大丈夫ですよ、なんかあったらあたしが守りますから」
「失言して不敬だとか言われたらどうしよう」
「言われませんよ、ルミア様なら大丈夫です。ね、自信持ってください」
わたしより年下の女の子に励まされているという事実に気づいて、わたしはまた気を落とした。ううん、頑張らなくちゃ。これも側室の務め、なんだよね。
わたしが来たのを見て、ジョセフィーヌは座ったまま一礼した。わたしも軽く頭を下げて、ジョセフィーヌの正面の席に向かう。ここに座れと言わんばかりに、一席だけ設けてあった。当たり前かもしれないけれど、カリスの席はない。カリスは立っているしかないようだった。
「ジョセフィーヌ様、お招きいただきありがとうございます」
わたしがそう言いながら座ると、ジョセフィーヌは笑顔を見せた。
「ええ。たまにはルミア様と一緒にお茶を楽しむのもよろしいかと思いまして」
「本当かよ。絶対何か目的があるだろ」
「嘘つき。絶対何かあるでしょっ」
ベルズとカリスは早くも警戒している。カリスの小声がジョセフィーヌに届かないことを祈るばかりだった。頼むから余計なことは言わないでほしい。
ジョセフィーヌの侍従がわたしの前に紅茶が入ったカップを置く。テーブルの中央にはおいしそうなクッキーが並べられていた。ジョセフィーヌの前でなければ食べているところだ。クッキーに手を伸ばしてよいかわからず、わたしはジョセフィーヌの出方を窺う。
「とりあえず毒は入ってねえな。飲んでいいぞ」
ベルズの確認を経て、わたしは紅茶を一口飲む。予想していた味とは違い、奇妙な苦みを感じた。この世界の紅茶ってこんな味なんだ。あまりおいしくない。その感想を顔には出さないようにしながら、ジョセフィーヌの顔を盗み見る。
このお茶会にはきっと何か意味がある。でも、それはいったい何なのだろうか。
「ルミア様はその蛇といつも一緒なのね」
「はい。お部屋に置いていくのが心配で」
まさかベルズがいないと言葉が理解できないとは言えない。わたしは適当に嘘をつく。
「随分と大切にしてらっしゃるのね。何か特別な力でもあるのかしら?」
ベルズがただの蛇ではないことを探りに来たのだろうか。それがこのお茶会の目的?
わたしは首を傾げて、自分は何も知らないということをアピールする。
「さあ、どうなんでしょう。もしかしたら何か不思議な力を持っているのかもしれませんね」
「神の使い、と言われているそうですわね。貴女が神の庇護を受けていると言っている者がいましたわ」
「ああ、そうなんですか。わたしは特に、何も特別な力は受けていませんよ」
「本当に? その蛇には何の力もないのかしら?」
「しつこい女だな。説明してやってもいいが、お前じゃ理解できねえぞ」
ベルズの悪態は聞こえなかったことにして、わたしは苦笑いを浮かべた。ジョセフィーヌの探るような視線が突き刺さってくる。
「神の使いなのかもしれません。でも、ただの蛇ですよ。ジョセフィーヌ様が思ってらっしゃるような力は何もありません」
「そう。見た目も珍しいから、特別な蛇なのだと思っていましたわ」
ジョセフィーヌは優雅な動作で紅茶を口に運ぶ。黙っていれば綺麗な女性だった。性格さえ悪くなければ、正室としてアルマスに認められていただろうに。
「私はてっきり、その蛇の力で国王陛下に取り入っているのかと思いましたの」
わたしはどうにか紅茶を飲む手を止めずに済んだ。ここで動揺を見せてしまえば、余計な詮索を受けることになると思った。
なるほど。本体はそちらか。わたしは心の中で頷いた。
「貴女が目覚めてから、国王陛下は一度も私のお部屋にいらっしゃいませんわ。ヘイチョを通してお越しになるようお願いしているのだけれど、昨日も貴女のお部屋に向かわれたそうね」
「ええ、まあ、そうですね、昨日はわたしのお部屋にいらっしゃいました」
もっと正確に言うなら、昨日も、だ。アルマスはほぼ毎日わたしの部屋に来ている。アルマス自身の寝室がないのかと思うほどに、寝るためだけにわたしの部屋に来る。いや、寝るのはついでで、わたしに会いに来ている。わたしを抱きしめて、愛して、そうして寝るのが日課のようなものになっている。
ジョセフィーヌの狙いは、これだ。何とかしてアルマスを自分の部屋に来るようにしたいのだ。例えば、わたしからアルマスに何か言う、とか。
「ルミア様は毎日国王陛下にお会いになっているのでしょう? 国王陛下はお元気?」
「はい。とてもお元気そうです。夜はお疲れのご様子ですが、一晩眠れば回復するみたいで」
「そうなのね。どうして私が正室なのに、側室である貴女からこの話を聞かなければならないのかしらね」
「日頃の行いを省みなよ、この性悪女っ」
カリスの悪口は聞こえているだろうに、ジョセフィーヌは意にも介さない。焦っているのがわたしだけだから、わたしがおかしいのかと思ってしまう。わたしが振り向いてカリスを睨むと、カリスは自分が何もしていないと言うかのように視線を逸らした。
「ねえ、ルミア様。お願いがあるのだけれど」
「なんでしょう、ジョセフィーヌ様」
ジョセフィーヌはわたしに断る権利がないことを知っていながら言っているのだ。カリスとベルズが苛立っているのを感じる。二人とも、もう少し落ち着いてほしい。
「今度、国王陛下にお伝えくださらない? 貴女のお部屋ではなく、私のお部屋にお越しになるように」
わたしは返答に窮した。もう何度もわたしから伝えていることだったからだ。ジョセフィーヌ様のお部屋に行かなくていいんですか、と何度言ったかわからない。そのたびにアルマスは、うん、とか、そうだね、とか言って、いつ行くか明言を避けてきた。わたしも自分の寂しさを理由にして、それほど深くは言わないようにしてきた。
けれど、もう少し押さなければならないのかもしれない。プライドの高いジョセフィーヌがわたしにこんなことを言い出すくらいには、ジョセフィーヌも追い込まれているのだろう。ジョセフィーヌもこのままではまずいと思っているのだ。だから、格下だと思っているわたしに恥を忍んでこんなお願いをしてきたのだ。
そう思うと、どうにかして一度くらいはアルマスをジョセフィーヌのところに行かせたくなる。頼まれたのだから、その望みを叶えてあげたくなる。
「わたしからも何度かお伝えしているんです。次にいらした時にもお伝えしてみますね」
「ええ、お願いします。正室は私なのだから、私を優先すべきだとお伝えくださる?」
そういうことを言うからアルマスに嫌われるんだけど。わたしはうまく笑えているだろうか。
「わかりました。お伝えしますね」
「ヘイチョにも命じなければなりませんね。私の不満を国王陛下に申し上げるように、と」
ジョセフィーヌは文句を言いながら、紅茶を一口飲む。ヘイチョも大変だな、こんなふうにジョセフィーヌに振り回されて。
わたしはあまりおいしくない紅茶を少しだけ飲む。このお茶会が早く終わることを願っていた。ジョセフィーヌは目的を果たしただろうし、早いところお開きにしてくれたらいいのに。
そこへ、救世主が現れた。中庭に入ってきたのは、イジーンだった。イジーンはわたしとジョセフィーヌを交互に見て、美しくお辞儀をした。
「どうしたのかしら、イジーン?」
ジョセフィーヌが問う。イジーンは言いにくそうにしながら、眉間にしわを寄せて、言った。
「ルミア様。国王陛下がお呼びです」
「えっ、わたしですか?」
まさか自分に呼び声がかかると思っていなかったわたしは、つい声を上げてしまった。イジーンは相変わらず険しい表情のまま、続けた。
「どうしてもルミア様にお会いしたい、とのことです。お寛ぎのところ誠に申し訳ございませんが、政務室までお越しいただけますか」
「は、はい、わかりました」
何だろう。わたし、何かしただろうか。思い当たる節がなくて、わたしは戸惑ってしまう。
「イジーン、どのようなご用件なのかしら?」
ジョセフィーヌがぴりりとした声で尋ねる。
「伺っていません。ただ、とにかくルミア様を連れて来るようにとのご命令です」
ええ。なにそれ。すごく怖いんだけど。
「会いたいだけじゃねえのか。お前がいなくて仕事したくねえって騒いでんだろ、きっと」
「会いたいだけじゃないですかねぇ。ルミア様がいなくて仕事したくないんですよ」
カリスとベルズの意見は一致している。わたしは不安になりながらも席を立ち、二人の予想が当たっていることを祈る。だって何もしていないはずだし。
「ジョセフィーヌ様、お招きいただきありがとうございました」
「いえ。国王陛下は何のご用件なのでしょうね」
まるでジョセフィーヌはなぜわたしが呼ばれたのか知っているみたいだった。もしかしたらカリスやベルズと同じことを考えているのかもしれない。そして、自分が呼ばれなかったことに苛立っているのかもしれない。
イジーンはまた一礼して、さっさと歩き始める。わたしとカリスもその後ろについていく。
「茶会の中、申し訳ございません。とにかくルミア様を連れてくるように、との一点張りで」
政務室へ向かう道すがら、イジーンがわたしに謝る。この人も苦労してるよなあ。
「いえ、イジーン様は悪くありません。アルマス様はきっと何かご用件がおありなのでしょう」
「だといいのですが。ルミア様をお連れするまで政務はしない、と仰るものですから」
「ほらほら、やっぱりそうですよぉ。ルミア様に会いたくて会いたくて仕事できなくなっちゃったんですよっ」
「カリス。アルマス様に限ってそんなことはないでしょう」
「どーですかねぇ。アルマス様、ルミア様にぞっこんだからなー」
何かしたかもしれないという不安が消えないまま、政務室に着く。イジーンがドアをノックして、中に入る。
中では、政務を行う大きな机の前にアルマスが座っていた。アルマスは椅子の背もたれに身体を預けて、暇そうに天井を眺めていた。わたしたちが来たのを見ると、わたしに視線を動かしてふっとやわらかく笑った。
「ああ、ルミア。いきなり呼び立ててすまない」
「いえ。わたしに何かご用があると伺いましたが」
「うむ。イジーンとカリスは部屋を出てくれるか。二人で話がしたい」
えっ、何それ。そんなのありなの? わたしがカリスのほうを見たら、カリスはにこやかに微笑んでいた。
「承知しました」
「はぁい。お外に控えてますね」
イジーンとカリスは部屋を出ていき、わたしだけが政務室に残される。アルマスは椅子から立ち上がり、わたしに近づいてくる。ベルズは何かを察したのか、するりとわたしの肩から下りた。
そして、アルマスはわたしの身体を抱き寄せた。
「ルミア、ごめんね。どうしてもきみに会いたくなってしまって」
「え? ご用件、というのは?」
「ないよ。強いて言えば、どうしてもきみに会いたかった。きみを抱きしめたかった」
「だめですよ、そういう嘘をついては。イジーン様が可哀想でしょう」
「そうか。でもさ、ぼくだってできるだけ我慢しようとは思ったんだよ」
わたしがたしなめると、アルマスはしゅんとしてしまう。その様子が可愛くて、愛しくて、わたしはそれ以上叱れなくなってしまう。
「夜までお待ちください。夜になれば、たくさんお話もできます」
「待てなかったんだ。今日はどうしても無理だった。わかってくれない?」
「いけません。ほら、もう会いましたから、お仕事に戻ってください」
「うう、ルミア、厳しいなあ。わかったよ、仕事するよ」
アルマスはそう言いながらもわたしを離そうとしない。わたしも離れようとしない。だって、わたしもアルマスのことを求めていたから。
わたしがアルマスの顔を見上げたら、アルマスは微笑んで、わたしと唇を重ねる。触れるだけの優しいキスを受けて、わたしの心臓がどくんと脈打つ。心地よいキスをもっと求めたくなってしまう。
でもわたしは自分を叱咤して、アルマスに言った。
「アルマス様、もうおしまいです。お仕事に戻ってください」
「ええ? いいだろう、もう少し」
「だめです。イジーン様とカリスを呼びますね」
「わかったよ。続きはまた夜に」
アルマスはわたしとの抱擁を解く。わたしはイジーンとカリスを呼ぼうとして、そういえば、と思い出す。ジョセフィーヌのことを伝えておいたほうがよいだろう。
アルマスはわたしから離れて、席に戻る。わたしは机を挟んでアルマスと向かい合う。
「アルマス様、先程ジョセフィーヌ様とお話ししたんですが」
「うん」
アルマスはこの先をもう察しているようだった。反応がそっけなく感じられる。
「アルマス様にお会いできなくて寂しい、と仰っていました。夜、お会いに行かれてはいかがでしょうか」
「まあ、考えておくよ。今日はルミアのところに行きたい」
「わかりました。お待ちしていますね」
わたしは強く押すことを避けて、イジーンとカリスを呼びに行く。わたし自身、アルマスにはジョセフィーヌの部屋へ行ってほしくないとも思っていた。それは確かな独占欲だった。
政務室のドアを開けると、イジーンとカリスが並んで待っていた。
「国王陛下は、何と?」
イジーンに訊かれて、正直に話すものかどうか悩んだ。アルマスのためでもあるし、わたしはとぼけることにした。
「ええと、大した用事ではありませんでした。夜に会いに行く、ということをお伝えになりたかったようです」
「そうですか。承知しました」
イジーンは深く追及してこなかった。本当は、アルマスの用件を知っていたのではないだろうか。
「では、わたしたちはこれで。カリス、帰りましょう」
「はぁい。さよなら、イジーン様」
わたしとカリスはわたしの部屋に戻る。イジーンは政務室の中へと入っていった。
どうにかして、アルマスをジョセフィーヌの部屋に行かせたほうがよいのだろう。それはわたしも理解している。でも、わたしの独占欲が邪魔をする。わたしだけを愛してほしいという気持ちが、アルマスへの進言を妨げる。
まあ、いいか。いつかアルマスが自分で行くだろう。わたしはその時を待てばよいのだ。
小さな火種であることはわかっていた。けれど、わたしはその火種から目を背けた。
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