白蛇の側室 ~飛び降りたら側室になって国王陛下に溺愛されました~

にのみや朱乃

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 街から帰ってきたその足で、カリスはアルマスの政務室へと向かった。カリスの希望で、わたしもカリスについていくことになった。わたしが怪我をしていないことを証明するためだろうか。あるいは、街に出ることを禁じられた時に、わたしから文句を言ってほしいということかもしれない。

 カリスはアルマスの政務室のドアの前で一度深呼吸して、ゆっくりとノックした。カリスにしては珍しく緊張しているようだった。

「入れ」

 ドアの向こうからアルマスの声がした。あれ、なんだかいつもと様子が違う。

「失礼しまぁす」

 カリスとわたしが政務室の中に入ると、アルマスとイジーンがいた。二人とも、わたしがいることに驚いていた。

 政務室は中央にある大きな机とたくさんの本棚で構成されていた。アルマスが中央の机の前に座り、イジーンはその横に立って書類を整えていた。本棚には本と書類が詰め込まれていて、どこに何があるか探すのが大変そうなくらいだった。実際に使っている人たちならすぐにわかるのだろうか。

「どうした、カリス。ルミアまで連れて、何事だ」
「ええっと、あのですねぇ」

 カリスは言い淀む。アルマスはわたしが知っているよりも堂々としていて、まさに国王陛下といった風格を有していた。まるでわたしが知っているアルマスとは別人のようだ。あんな爽やかで甘い好青年ではなく、相手を畏怖させるような圧力さえ感じる。カリスはその雰囲気に圧倒されているのかもしれない。

「先程、ルミア様と街に出かけたんですけど」
「うむ。城に籠ってばかりではつまらぬ。たまには気晴らしになるだろう」

 アルマスは街に出ること自体には肯定的だった。ただ、それがカリスの報告でひっくり返ることになる。

「そしたら、暗殺者に襲われまして」
「なに?」

 アルマスの顔色が変わった。纏っている風格がさらに重くなる。

「ルミア様にお怪我はありません。ただ、捕縛することはできませんでした」
「取り逃がしたのか」
「はい。暗殺者が複数いるかもしれないと思い、逃げた時に追いませんでした。誰の刺客か一応訊きましたけど、応えてくれませんでした」
「そうか。ルミアを守ってくれたことには感謝する」

 カリスはほっとしているように見えた。暗殺者を逃がしてしまったことを責められると思っていたのだろうか。

 アルマスは深く息を吐き、わたしとカリスを交互に見た。

「だが、本来なら捕縛すべきところだった。カリス、わかるな」
「はい」

 アルマスの声に、カリスが短く応じる。まるでカリスが悪いことをしたみたいな感じだ。

「おい」

 ベルズの声が頭に響いてくる。わたしがベルズに視線を移すと、ベルズは続けた。

「なんとなく察してると思うが、このままだとカリスが悪いことになるぞ。お前、それでいいのか」

 いいわけないでしょう。ベルズの忠告に心の中で礼を言って、わたしは口を挟む。

「ち、ちょっと、待ってください。カリスが悪いんですか」
「騎士ならば、暗殺者が現れたのなら捕縛すべきです。誰からの刺客なのかはっきりさせなければなりませんので」

 イジーンがわたしの問いに答える。それってつまり、カリスが悪いってことでしょう? カリスは何も悪いことなんてしていないのに、罰則を受けるなんてどうかしている。

「カリスは悪くありません。わたしを守ってくれたじゃないですか」
「ルミア様、いいんです。あたしがもっと追いかければよかったんです」
「でも相手が複数いるかもしれないと思って追わなかったんでしょう? その判断は間違っていたんですか? 最初の人が囮だったとしたらどうするんですか?」

 わたしがアルマスとイジーンに問いかけると、二人は黙ってしまう。カリスは困ったようにわたしとアルマスたちを見て、アルマスの言葉を待つ。

 やがてアルマスが口を開いた。

「ルミア、そなたの言い分はもっともだ。確かに、カリスひとりで捕縛することはできなかったかもしれぬ。ルミアを守るため追わなかったというカリスの判断が間違っていたとは言えぬ」
「しかし、国王陛下、誰からの刺客なのかはっきりさせねばなりません。相手の痕跡が何も残っていないのであれば、調査することもできません」
「そうだな。当面は街の警備を強化することくらいしかできぬだろう。あとは、ルミアの周辺の警護を強める必要もあるな」

 とりあえずカリスが悪くないという方向に転がっていきそうで、わたしは安堵した。カリスのほうを見ると、カリスもほっとしているように見えた。

「ルミア、しばらくは街に出ないようにせよ。暗殺者が他にも入り込んでいるかもしれぬ」
「はい、アルマス様」

 文句を言える雰囲気ではなかった。残念だけれど、ここはおとなしく従っておくべきだろう。

「カリスは城内での警戒を怠るな。城内といえど安全ではない」
「はぁい」
「イジーン、ヘイチョと連携して街の見回りを強化せよ。怪しい連中がいないか、街中をくまなく探させろ」
「承知しました。速やかに行います」

 アルマスはてきぱきと指示を出す。国王陛下としてのアルマスを初めて見たわたしは、彼の違う一面が見られて少し嬉しかった。普段はこんなふうに政務をこなしているのだろう。

 アルマスが考え込むようなそぶりを見せて、イジーンに訊いた。

「誰がルミアに刺客を送ったのだ? イジーン、ルミアが目覚めたことはもう他国にも知られているのか?」

 アルマスの問いに、イジーンは難しい顔をした。もともと険しい表情だけれど、それがよりいっそう険しくなる。

「耳の早い国は知っているでしょう。しかし、他国の者がルミア様に刺客を送る意味がわかりません。側室を亡き者にして、他国に何の得がありましょう」
「ふむ、そうだな。では国内にルミアを狙っている者がいるのか? 我はルミアを誘拐する者がいるかもしれぬと思い、カリスを付けていたのだが」

 アルマスは考え込む。その顔からは何を考えているのかは読めない。

「なるほど。アルマスたちはまだジョセフィーヌを疑ってねえようだな。ルミアを殺していちばん得するのはジョセフィーヌだろうに」

 ベルズは独り言のように言った。わたしは反応してしまいそうになり、自分を抑える。いくらなんでも、この場で正室が犯人じゃないかと言うのは無礼だろう。一応はアルマスの正室であるわけだし。

 わたしはそう思って口を噤んだのに、カリスは恐れも知らずに言った。

「ジョセフィーヌ様の配下の方なんじゃないですかねぇ。ルミア様がいなくなって得をするのはジョセフィーヌ様でしょ?」
「だめ、カリス。そういうことは思っても言っちゃだめでしょう」

 わたしが慌ててたしなめても、出て行ってしまった言葉が戻ってくることはない。アルマスはカリスの言葉に眉をひそめる。

「ジョセフィーヌの配下、か。確かに、側室がいなくなれば正室の立場は安定する。動機がないとは言えぬ」
「まさか、そのようなことはないでしょう、国王陛下。ジョセフィーヌ様がルミア様を襲わせるなど、考えられません」

 イジーンはジョセフィーヌ犯人説には否定的だった。どうやらジョセフィーヌは意外と信用を得ているらしい。あんな性格の女でも、側室を殺そうとするとは思えないのだろうか。うぅん、わたしはジョセフィーヌに狙われたと思うんだけど。

 アルマスもイジーンと同意見のようだった。首を傾げて、やはり否定的な動作を見せる。

「少なくともジョセフィーヌは無関係だろう。配下の者が勝手に行った可能性はあるが、ジョセフィーヌが命じて行わせたとは考えにくい」
「そうですかねぇ」

 カリスは同意せず、不満をあらわにする。わたしがカリスの袖を引くと、カリスは不満げにしながらも口を閉ざした。

「カリスはジョセフィーヌ様が命じたと考えているのか?」

 イジーンがカリスに問う。それは不敬を指摘するためのもののように思えた。そうです、と答えてしまったら罰せられるようなものだ。

「いえ、アルマス様と同じ考えです。ね、カリス」

 わたしはすかさず割り込んだ。カリスは視線でわたしの意図に気づいて、頷く。

「あたしもジョセフィーヌ様が直接命じたとは思ってませんよ。ただ、ジョセフィーヌ様の不満を聞いた臣下が命じた可能性はありますよね」
「ジョセフィーヌの不満、というのは何だ、カリス」
「えっ、アルマス様、それ本気で仰ってます?」

 ああもう、カリス、頼むから喋らないで。不敬で怒られたらどうするの。

 わたしの焦りなどカリスが気にすることはなく、カリスはさらりとアルマスに告げる。

「アルマス様がずぅっとお会いにならないから、ジョセフィーヌ様はとっても不満に思ってるんですよ。ねえ、イジーン様?」

 カリスは爆弾を投下して、さらにイジーンに爆弾を手渡した。話の矛先を向けられたイジーンは、はあ、と溜息を吐く。すぐに否定しないのは、それが事実だと知っていることの裏返しだった。

「我が会いに行かないから? そうなのか、イジーン?」

 アルマスは心底驚いていた。どうして今まで察していなかったのかが謎だ。ジョセフィーヌは表立って不平不満を漏らしていないのだろうか。あの性格で、そんなことはないと思うんだけど。

 イジーンはこめかみの辺りを押さえながら、アルマスの質問に答えた。

「ご不満に思ってらっしゃる、というのは事実です。特にルミア様をこの王城に迎えられてから、アルマス様は一度もジョセフィーヌ様のもとを訪れていないでしょう。毎晩のように側室のもとばかり訪れていれば、正室としてはご不満に思われるのも致し方ないか、と」
「あの、でも、この前はジョセフィーヌ様のもとに行かれたんですよね? わたしのお部屋にはお越しにならなかった日」
「その日は政務で夜遅くなってしまったから行かなかったのだ。イジーンの言う通り、我はずっとジョセフィーヌの部屋を訪れてはおらぬ」

 アルマスは腕を組み、背もたれに寄りかかって天井を仰ぎ見る。様々な感情や考えを巡らせているようだった。わたしも、カリスもイジーンも、言葉を発することはなかった。

 しばらくして、アルマスが意を決したように言う。

「やはりジョセフィーヌのもとにも行かねばならぬのだな。ジョセフィーヌの不満の行き先がルミアの暗殺に繋がっているのだとしたら、我の今までの行動にも問題がある」
「はい。そのほうがよろしいかと存じます」

 イジーンは胸を撫で下ろしている。どうにかよい方向にまとまりそうでわたしも安心する。

「今日はルミアの部屋に行く。よいな、ルミア」

 えっ。今の流れだったら、今日はジョセフィーヌの部屋に行くんじゃないの? わたしが思わずイジーンのほうを見たら、イジーンも驚きを隠せないようだった。

「はい、あの、明日はジョセフィーヌ様のお部屋に行かれるんですよね?」
「明日のことは明日決める。今日はルミアの部屋に行く」
「こいつ、行く気ねえだろ」

 わたしもベルズと同じ気持ちだった。明日になってもわたしの部屋に来そうだ。カリスも苦笑いを浮かべていた。

「アルマス様、ほんとにルミア様が大好きなんですね」
「ああ、そうだな。愛している」

 そんな直球の台詞を他の人の前で言わないでほしい。わたしは恥ずかしくなって顔を赤くした。そういうのは二人だけの時に言ってくれたらいいじゃん。

「国王陛下、政務に戻りましょう。カリス、報告は以上だな」
「はい、以上でーす。お邪魔しましたっ」

 イジーンが話を元に戻して、カリスがそれを受ける。溜まっている書類の山から察するに、まだまだ政務は終わらないのだろう。わたしに構っている時間は夜しかないのだ。

「ルミア、本を読むならここで読めばよいのではないか? そうしたら我の手が空いた時に少し話ができる」
「なりません、国王陛下。政務に集中していただきたいので」
「そうか。むう」

 アルマスの提案は即座にイジーンに切り捨てられてしまい、アルマスは不満そうだった。なるほど、好きな人とずっと一緒にいたい派なんだな。気持ちはわかるけれど、仕事には集中しなければならない。まして国を動かす者ならなおさらだ。

「夜、お待ちしていますね。夜にお話ししましょう」

 わたしが笑いかけると、アルマスは一瞬だけ少年のような笑顔を見せた。しかし、瞬く間に王者の風格が少年の色を塗り潰してしまう。

「うむ。では、また夜に」
「はい、アルマス様」

 わたしとカリスは深く頭を下げて、政務室を後にする。

 ばたんとドアが閉まると、カリスは肺に溜まっていた空気を一気に吐き出した。

「はああぁ、ルミア様、ありがとうございます、助けてくれて」
「ううん、カリスは悪くないから。でもジョセフィーヌ様のことを悪く言うのはだめだよ」
「だぁって絶対そうですよ、あの性悪女が仕掛けてきたに違いありませんっ」
「証拠がないでしょう? 疑うのはいいけれど、口に出しちゃだめ」
「うう、あの暗殺者を捕まえればよかったんですよねぇ。そしたらはっきりしたのにぃ」

 カリスは悔しそうに言う。捕らえたところで、ジョセフィーヌの名は出さないだろうに。

「ま、お部屋に帰りましょう。次こそは絶対に捕まえてみせますから」
「次なんてないといいんだけど」
「どうでしょうねぇ。一回で諦めるなら襲ってこないと思いますよ」

 正論だった。ということは、またどこかで狙ってくるということか。カリスやベルズに守ってもらえるとはいえ、気が重くなる。

 カリスはそんなわたしの気持ちを察したのか、明るい口調で言った。

「大丈夫です、何回来てもあたしが守りますから。安心してください」
「うん、そうだね。頼りにしてる」

 わたしが笑顔を向けると、カリスも笑顔で応えてくれた。わたしたちは並んでわたしの部屋に帰る。

 このまま、何事もなければいいのに。わたしはそう願ってやまない。

 けれど、わたしのそんな思いが届くことはなかった。


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