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「どうしてあの女が目覚めましたの? 二度と目を覚まさない呪いだったのではありませんの?」

 ジョセフィーヌは軍服の男性、ヘイチョを問い詰めた。彼は噴き出す汗をハンカチで拭いながら答える。

「わかりません。突如現れたあの白蛇が何かしたとしか思えません」
「あの白蛇は何ですの? あんな大きな蛇が城に迷い込むわけがないでしょう」
「はあ。我々も、あの白蛇がいったい何なのかはわからないのです。兵士の中では、あれが神の使いだとかいう噂が広まっているそうです」
「神の使い? そんなもの、どうしてあの女のところに降臨するのですか!」

 ジョセフィーヌが苛立ちをヘイチョにぶつける。ヘイチョは大柄な身体を縮こまらせて、何とかジョセフィーヌの機嫌を直そうと言葉を探す。

 ここはジョセフィーヌの自室である。夜、今日こそはアルマスが来るものかと思って待ち望んでいたのに、今日もルミアの部屋に行ったと知って、ジョセフィーヌは非常に苛立っていた。

 どうしてあの女にばかり構うのか。女としての魅力なら、自分のほうが優れているというのに。ジョセフィーヌはアルマスの行動が理解できなかった。

 そもそも、眠らせたはずのルミアが起き上がっていることこそが問題なのだ。これでは魔女に頼んで呪いをかけてもらった意味がない。どうにかしてまたルミアを排除しなければ、アルマスの寵愛がこちらに向くことはないだろう。

 ジョセフィーヌは自室のソファに座り、ヘイチョに言った。

「それで、どうするおつもりですの?」
「どうする、とは?」
「決まっているでしょう、あの女をどうやって排除するのか、訊いているのです。貴方だってまさかこのまま黙って見ているわけがないでしょう?」
「はい。それは、その、次の作戦は考えてあります」

 ヘイチョの答えに若干の満足を覚えて、ジョセフィーヌはさらに問うた。

「用意がよろしいのね。何?」
「はい。ルミアは最近この国の文化に興味がある様子。社会見学がてら街に行かせて、人混みに紛れた暗殺者に殺してもらおうかと」
「ふふん、よろしいのではないかしら。でも、そんなに簡単に殺せるものですの?」
「手練れの暗殺者を雇ってあります。カリスが側にいますが、あの生意気な小娘も一緒に殺してしまえばよいのです」
「そう。貴方にしては手際がよろしいのね」
「ははっ」

 ジョセフィーヌが褒めると、ヘイチョはその醜い顔を歪めた。それがこの男の笑顔だということを、ジョセフィーヌは知っていた。

「で、いつ実行しますの? 明日?」

 そこまで計画が整っているのなら、すぐ実行できるものだとジョセフィーヌは思っていた。しかし、ヘイチョの顔は曇った。

「いえ、まだ、日程は」
「馬鹿者! 早くルミアを排除しなければ、いつまでも国王陛下の御心がこちらに向かないでしょう! すぐにでも実行なさい!」
「は、ははっ、速やかに、実行いたします」

 ヘイチョは慌てた様子で部屋を後にした。ばたん、とドアが閉まり、部屋にはジョセフィーヌ独りとなる。

 見ていなさい、小娘。もう一度貴女をそこから引き摺り下ろしてやりますわ。

 ジョセフィーヌは窓の外に浮かぶ月を見上げた。丸い満月が光り輝いていた。





 その日、わたしは日が高く昇るまで起きなかった。

 理由は簡単だ。アルマスが来なかったから、早く起きる必要がなかったのだ。

 わたしはいつも通り日が昇り始めた頃に目が覚めたけれど、少しの寂しさを胸に、堂々と二度寝をした。誰も咎める者はいない。ベッドの中でのんびりと朝の時間を楽しむことができた。アルマスに会えなかったのは寂しいけれど、まあ、たまにはいいかな。

 昨日アルマスはジョセフィーヌのところに行ったのだろうか。行く行くと言いながらずっと行かないから、わたしは心配していた。わたしのせいで二人の仲が悪くなるのは嫌だった。もしかしたら既に悪くなっているのかもしれないけれど。

 ベッドから出て、着替える。こんな時間まで眠っていたのは久しぶりだ。いや、この世界に来てから初めてだ。よく考えたら、アルマスはずっとわたしの部屋を訪れていたのだ。正室であるジョセフィーヌから反感を買うのも無理はない。わたしのせいじゃないんだけどなあ。

 朝食の時間は過ぎてしまっているから、昼までは我慢することになる。寝坊するとそれが辛いところだ。いや、言えば出してくれると思うけれど、それも手間だろうし、わたしは気が引けて頼めなかった。

「随分と長く寝たもんだな。寝すぎじゃねえのか」

 ベルズがベッドの下から出てくる。わたしは否定することもできず、曖昧に笑った。

「たまにはいいでしょ。ゆっくり寝る日があっても」
「そういうもんかね。俺にはわからん」
「ベルズは眠らないの?」
「悪魔に睡眠は必要ねえんだよ。だから、人間みたいによく寝る種族の気持ちはわからん」
「そう。眠るのは気持ちいいよ」
「だろうな。そうじゃなきゃこんな時間まで寝ないだろうしな」

 昼食までもう少し時間がある。さて、昨日図書室から持ってきた本でも読もうか。わたしは机の前の椅子に座り、本のページを捲ろうとした。

 そこへ、聞き慣れない音でドアがノックされた。誰だろう。わたしの知らない人だ。

 わたしがドアを開けると、軍服を着た大柄な男性が立っていた。顔はブルドッグみたいに潰れていて、お世辞にも良い顔とは言えない。

 誰だろう。こんな人いたっけ?

「ルミア様、ご気分はいかがですか」
「あっ、ええ、大丈夫です」

 とりあえず訊かれたことに答える。わたしがベルズをちらりと見ると、ベルズが応えた。

「兵士長のヘイチョだな。兵士のトップだ。昔からジョセフィーヌとうまく付き合ってるみたいだが、お前に何の用なんだろうな?」

 ふうん。兵士長のヘイチョ。なんとも覚えやすい名前だ。

 ヘイチョは醜い顔を歪めて、わたしに言った。

「もしお時間があるようでしたら、本日は街の視察などいかがでしょうか」
「街の、視察?」
「ええ。今日は一般に向けて市場が開かれる日ですから、民衆の様子もよくわかるでしょう。本を読むだけでは得られない情報を得ることができるやもしれません」
「市場。へええ」

 面白そうだと思った。この世界の街はいったいどんな感じなのだろうか。小説や漫画で見るような城下町なのだろうか。わたしは強く興味を惹かれた。確かに、本で見るだけでは実際の街がどうなっているのかはわからない。

 わたしの反応が芳しかったからか、ヘイチョは嬉しそうに続けた。

「私もよく街を見回りに行きますが、路面店で売っている食事などもおいしいですよ。今日の昼食代わりにいかがかなと」
「そうなんですね。教えてくださりありがとうございます」
「民もルミア様がお目覚めになったと知り、喜んでいるようです。お元気になられたそのお姿を見せてやってください」
「わかりました。行ってみます」

 わたしがそう言うと、ヘイチョは潰れた顔でにっと笑った。

「ああ、必ず護衛を付けるようにとのご命令ですが、あまり大人数にならぬよう、ご配慮ください。民が驚いてしまいますので」

 いきなり国王陛下の側室が大人数の護衛を連れて歩いてきたら何事かと思うだろう。そこに配慮しろと言っているのだと思った。

「はい。じゃあ、カリスだけ連れて行きますね」
「それがよろしいでしょう。では、私はこれで」

 ヘイチョは頭を下げて去っていった。わたしが早速カリスを呼ぼうとすると、ヘイチョを見送っていたベルズが言った。

「行くのか?」
「え? だめ?」
「いや、いいんじゃねえか。本で読むより実際のものを見たほうがいいだろ。俺も連れてけ」
「わかってるよ。ベルズも何か食べられるといいね」
「悪魔は食事も要らねえんだよ。だいたい、蛇が食えるものなんか売ってねえだろ」

 それもそうかもしれない。蛇が一般的なペットではないことは間違いない。

 わたしは電話でカリスを呼んだ。すると、待っていたかのようにドアがノックされた。

「ルミア様、お呼びですかー?」

 わたしがドアを開けると、カリスは赤毛を揺らしてわたしに挨拶した。

「どちらへ? 図書室ですか?」
「ありがと、カリス。あのね、街に行きたいの」

 カリスを部屋に招き入れて、ドアを閉める。カリスはわたしの言葉に驚いたようだった。

「街ですか? ええと、それは、どうして?」
「ヘイチョ様がね、街の視察をしてきたらどうかって。本を読むよりも実際に見たほうが勉強になるんじゃないかってことみたい」

 わたしがヘイチョの名前を出すと、カリスはまた驚いて目を丸くした。カリスは感情が表に出やすいから、反応がよくわかる。

「あの豚野郎が? へええ」
「だめだよカリス、そんな悪い言葉を使っちゃ」
「あぁすみません、ついうっかり」

 わたしにたしなめられて、カリスはちょこんと頭を下げた。カリスはヘイチョとも仲が良くないのかもしれない。対応がジョセフィーヌに対するものと同じだ。兵士長だというからには、カリスの上司にあたるのではないかと思うのだけれど。

「それで、街に行ってみたいの。だめかな?」

 わたしは話を戻す。カリスは少し考えるそぶりを見せて、言った。

「ま、いいでしょう。なんかあったらあたしが守りますから」
「何もないよ。この国はずっと平和なんでしょう?」

 それは本で得た知識だ。この国はずっと昔から内乱や戦争が起きることもなく、平和に時が過ぎていっているそうだ。治安も悪くないから、特に城下町なら安全だと思っていた。兵士が見回りをしている中で、急に襲われることなんてないだろう。そんな危ない人がいるのなら、兵士がすぐに捕まえているはずだ。

「何もないと思いますけど。一応、ルミア様を狙ってる奴がいるかもしれないですから」
「ああ、最初に言ってたね。なんでわたしを狙うんだろう」
「世の中、いろいろな人がいるんですよ。ジョセフィーヌ派もいるってことです」

 カリスは溜息混じりに言った。本当に理解できないと言ったふうだった。

 ジョセフィーヌに与する人にとっては、わたしは確かに邪魔な存在だろう。魔女に依頼して呪いをかけるくらいなのだから、なかなか過激なこともしてくるかもしれない。カリスはそういった人たちが狙ってくるのを警戒しているようだった。

「じゃあ、行きましょうか。この時間なら屋台もたくさん出てると思いますよ」
「うん。付き合ってくれてありがと、カリス」
「いーえ、なんてことないです。ルミア様とデートできて嬉しいですっ」

 ベルズを肩に乗せて、カリスと一緒に部屋を出る。城から出るのは初めてだから、わたしは少し緊張していた。

 街はいったいどんなところなのだろうか。城下町というからには、普通の街よりはきっと栄えているのだろう。わたしの世界で例えるなら、繁華街のような場所なのだろうか。わたしは楽しみで仕方なかった。

「カリスはよく街に行くの?」

 城の中を歩きながら、カリスに訊いてみる。これくらいの年代の子なら、街には興味があるだろうと思った。女子高生くらいの年齢なのだから、街には詳しそうだ。

「まぁ、時々ですかねー。時間があれば行くって感じですかねぇ」
「そうなんだ。街は広いの?」
「はい。城があって、その先に街がばーっと広がってる感じです。全部見ようと思ったら何日かかかりますよ。アルマス様の視察は五日間で組まれるくらいです」
「アルマス様の視察なんてあるんだ」
「ありますよ。アルマス様は半年に一回くらいの頻度で視察なさってます。民の声を直接聞きたいってことみたいですね。本当なら王妃も同伴するみたいなんですけど、ジョセフィーヌ様は連れて行ってもらってないですね。やっぱり仲悪いんですかね?」
「カリス。声が大きいよ」

 国王陛下と王妃の仲が悪いなんてことをそんな声量で話すべきではない。ジョセフィーヌが聞いたら烈火のごとく怒りそうだ。

 けれどカリスは悪びれた様子もなく、特に謝りもしなかった。

「いいんですよ、あたしはルミア様の護衛ですから。性悪女とも豚野郎とも関わりはないです」

 それがジョセフィーヌとヘイチョを指しているとわかるわたしは、カリスと同じことを思っているのかもしれない。

「でもヘイチョって兵士長なんでしょう? カリスの上司になるんじゃないの?」
「それがややこしくて。あたしは騎士なので、騎士団長であるアルマス様の下なんです。この国では兵士と騎士は別物なんですよ」
「ふうん。それでも、やっぱり悪口はだめ。言うならわたしの部屋にして」
「はぁい。気をつけまーす」

 カリスは絶対に気をつけなさそうな口調で答えた。たぶんまた言うだろうな。

 廊下から大広間に出て、城の外に出る。爽やかな空気に全身を包まれて、わたしは思わず声が出そうになった。こうして外に出たのは何日ぶりだろうか。太陽と風を感じて、わたしの身体が喜んでいるような気がする。

 城を囲むように堀が広がっていて、城下町と橋で繋がっている。城の入口と橋の入口にそれぞれ二人の兵士が配置されていて、侵入者を警戒しているようだった。わたしが出てくると、少し狼狽したようにしながら頭を下げてくる。わたしが側室であるということは認識されているようだ。当たり前か。

「ルミア様。ここからが街ですよ」
「わあ……!」

 橋を抜けると、大通りが広がっていた。多くの人が行き交って賑わっているのがわかる。通りの両側に店があって、屋台のような店舗も見受けられた。屋台では食べ歩きができそうなものや、野菜や果物が売られている。やはり繁華街に近い印象を受けた。

 どうしよう。どこから見ればいいんだろう。どれもこれもわたしには新鮮に映って、どこから見たらよいのかわからなくなってしまう。まるで田舎から都会に出てきた人みたいだった。

 カリスはそんなわたしの様子を察したのか、わたしの手を引いてくれた。

「とりあえずなんか食べましょうか。串焼きがおいしい店を知ってるんです」
「そうなの? 行ってみたい」
「今日はあたしのお勧めのお店を巡りましょう。どうせ半日程度じゃ全部見れないですから」
「うん。ありがと」

 街に足を踏み入れる。道行く人たちがわたしの姿を見て驚き、頭を下げる。ああ、そっか、わたしは側室なんだっけと思い出す。完全にそのことを忘れていた。

「ルミア様、お目覚めになったって本当だったんだな」
「あの白い蛇は神の使いらしいぞ。神がルミア様の病を治してくれたんだって」
「またジョセフィーヌ様との争いになるのかねえ。早く世継ぎが産まれたらいいけれど」
「でもルミア様のほうが有利だろ? だって、アルマス様はこの一年で一度もジョセフィーヌ様を抱いてないんだから」
「ルミア様が世継ぎを産んでくれたらなあ。そしたらもっと王妃として表に出てくるだろうに」

 民の噂が嫌でも耳に入ってくる。どうしてそんなことまで知っているのだろうと疑問に思う情報まで流れてくる。でも、これも街に来なければわからなかったことだ。わたしは街に来てよかったと思っていた。

 カリスにも聞こえているのだろう。ほとんどがわたしを歓迎する噂ばかりだったからか、カリスは上機嫌だった。

「民の声は正直ですね。誰もジョセフィーヌ様を歓迎してないんですよ」
「うぅん、そう、みたいだね」
「あれだけ性格が悪いと民にも嫌われるってことです。民はちゃんと見てますから」
「みんなどこから情報を仕入れてるんだろうね?」
「さあ? 兵士の間の噂とかなんじゃないですかね? だいたいが酒場からの噂だと思います」

 酒場には情報が集まるというのは、この世界でも共通のことらしかった。居酒屋みたいなイメージだけれど、実際はどんな感じなのだろうか。

 カリスについていき、大通りの屋台の前までやってくる。肉や野菜を焼いている店のようで、肉が焼けるよい匂いを周辺に漂わせている。店主は大柄で筋骨隆々とした男性だった。串焼きがよく似合う人だと思った。

 店主はカリスとわたしを見ると、小さく頭を下げた。

「これはこれは、ルミア様、カリス様。視察ですかい?」
「なぁに、カリス様って。ルミア様の前だからって畏まらなくていいよ」

 カリスはおかしそうに言う。普段とは違う呼び方だったのだろう。店主は苦い顔をしていた。

「だって、お前は一応騎士だろ。様って付けとかなきゃまずいだろ」
「いえ、構いませんよ。普段通りに接してください」

 わたしが笑いかけると、店主は首だけ動かした。一礼したつもりなのかもしれない。

「カリスはよくこちらへ?」
「はい。街に出た時はほぼ毎回寄るようにしてます。野菜もそうですけど、ここは肉がおいしいんですよ」
「野菜もって、いつも肉しか食ってねえだろうが」
「うるさいなぁ。別にいいでしょ、肉がおいしいんだからっ」
「こいつ、ぴーぴーうるさいでしょ、ルミア様。ほら、うちの店の自慢の肉です。どうぞ食べてくだせえ」
「わあ、ありがとうございます」

 店主から差し出された串を受け取る。豚肉のような肉の塊が五つ並んで刺さっている串だ。程よく焦げ目がついて、とてもおいしそうに見える。タレではなく塩胡椒で味付けされているようだった。

 代金を払おうとして、気づく。わたし、一銭も持ってないじゃん。

「あの、カリス、お代ってどうしたら」
「いやぁ、いいんですよルミア様、お代なんて。ルミア様からお代なんて戴けません」

 店主は代金の受け取りを固辞する。でも、そういうわけにはいかないでしょ。

「そういうわけにはいきません。カリス、お金持ってる?」
「持ってます。おじさん、ついでに肉串もう二本ちょーだい」
「あいよ。ルミア様、本当にお代は結構ですよ」
「いいえ、お支払いさせてください。側室だからといって払わないわけにはいきません」
「そうですか。では、ありがたく頂戴します」

 店主はまだ戸惑っているようだった。王族が代金を支払うというのは、この世界では珍しいことなのだろう。でも無料で商品を受け取るのは気が引けるし、わたしは自分が間違っているとは思わなかった。

 カリスが銀貨を支払って、店を後にする。歩きながら肉をひとつ食べてみると、ジューシーな肉の旨味が口の中に広がった。これは、おいしい。カリスが常連になるのも頷ける。

「どうです、ルミア様? おいしいでしょ?」
「うん、そうだね。とってもおいしい」
「よかったぁ。他にもいろいろありますから、見て回りましょう」

 わたしとカリスは肉串を平らげて、次の店に向かう。カリスはいくつか店の候補があるようで、どの店にわたしを連れて行くか悩んでいるようだった。

 次の店も屋台で、わたしの世界でいうところのアイスクリームを売っている店だった。わたしとカリスが店に近づくと、頭が禿げた男性の店主が恭しく頭を下げた。

「これは、ルミア様、カリス様。視察ですか?」
「ちょっとね、お散歩。おじさん、ふたつちょーだい」
「はい、カリス様。少々お待ちください」

 店主がショーケースのようなところからアイスクリームを掬ってカップに盛る。見た感じはバニラアイスのようだ。真っ白なアイスが丸く掬われて、カップからはみ出そうな量が積まれる。盛る量に対してカップが小さいのではないかと思ってしまう。

「おじさん、ルミア様の前だからって盛りすぎなくていいよ」

 その様子を見ていたカリスがさらりとばらした。店主は焦りながら言った。

「カリス様、しーっ。いいところ見せたいんですから」
「そんなことしなくても大丈夫だよ、ルミア様なんだから。視察でもないし」
「でもねえ、夜に国王陛下とのお話にあがるかもしれないでしょう? こういうことも経営には重要なんですよ」
「ふふ、サービスしてくださってありがとうございます。アルマス様にもお伝えしますね」

 わたしがそう言うと、店主は嬉しそうに笑った。

「ええ、ぜひ。国王陛下の視察の際にお立ち寄りいただければ幸いです」
「そしたら国王陛下御用達って掲げるんでしょ? おじさんの夢だもんね」
「カリス様、何でもかんでもばらさないでください。いいところ見せたいんですから」
「あたしがうまく言っとくからさ、今度安くしてよ」
「それとこれは話が別でしょう。あっ、今日の分はサービスですので、お代は結構です」

 誰も彼も、代金は結構だと言う。自分が特別な地位にあることを感じさせられる。王族が来るということ自体が名誉なことなのかもしれない。

 わたしは先程の串屋と同じように、カリスに言った。

「そういうわけにはいきません。カリス、お支払いしてくれる?」
「はぁい。おじさん、お優しいルミア様は串屋でもお金払ったんだよ」
「そうでしたか。しかし」
「お受け取りください。次にアルマス様が視察でいらしたら、サービスしてあげてくださいね」
「ううん、では、ありがたく頂戴します」

 あまり固辞するのもよくないと思ったのだろう、店主はカリスから銀貨を受け取ってくれた。代わりに山盛りのアイスが積まれたカップふたつと、スプーンをもらう。

「じゃあね、おじさん。また来るねー」
「はい、カリス様。ルミア様も、お待ちしております」

 わたしも小さく会釈して、その店から立ち去る。カリスからアイスが入ったカップを受け取って、食べてみる。バニラではなく、レモンに似た味のアイスだった。肉を食べた後の口をさっぱりさせてくれる味だった。カリスはそこまで考えてこの店を選んだのかもしれない。

 カリスもアイスを食べながら、また歩き始める。

「いやぁ、ルミア様が一緒だとみんなおまけしてくれますねぇ」
「なんだか気を遣わせてるみたいで、悪いね」
「いーえ、いいんですよぉ、あの人たちにとってはルミア様が来たってことが大事なんですから。明日からきっと大盛況ですよ」

 カリスは全く気にしていない。むしろ喜んでいるようだ。わたしはそう簡単に割り切ることができず、せめて自分がよい宣伝材料になればよいと思った。

 アイスを食べながら、カリスは弾むような足取りで大通りを進んでいく。わたしはその後ろについていきながら、街の活気を感じていた。こんなにも人が溢れているのは、やはりこの世界の都心だからなのだろう。

 そうして周りを見ていたからか、わたしはカリスの様子が変わったことに気づかなかった。

「おい」

 突然ベルズに話しかけられて、わたしはびくっと肩を震わせた。見ると、ベルズはカリスのほうを見ていた。

 どうしたんだろう。最近、ベルズは人前ではあまり話しかけてこなかったのに。

「何かに見られてる。警戒しろ」

 ベルズにそう言われても、わたしは民の好奇の視線とそうでない人の視線の区別がつかない。けれどカリスは足を止めて、手でわたしを制した。

 その先は全然見えなかった。わたしが気づいた時には金属音が響いて、地面にナイフが転がっていた。そして、カリスが抜剣していた。

 え? なに? 何が起こったの?

「動くな。動かないほうがカリスも守りやすい」

 ベルズの声が頭に響いて、わたしはその通りにした。というよりも、動けなかった、が正解だ。何があったのかわからなくて混乱していた。

 周囲も騒然としていた。突然カリスが剣を抜いていて、その視線の先には民の格好をした男性がいた。けれど、その男性もナイフを手に構えていた。その二人を避けるように民衆が輪になっているせいで、男性は逃げ場を失ったようだった。

「ほらぁ、こーゆーのがいるから街は危ないんですよぉ」

 カリスは全然焦った様子もなく、わたしを庇って立ちながら飄々としていた。歯牙にもかけない、といったところだ。

 男性は無言のまま、カリスに襲いかかる。カリスはナイフの一撃を剣で防ぎ、払う。返す刃で男性の腕を浅く裂いた。

「一応訊くけど、誰の命令?」

 男性は応えなかった。ナイフを手に、カリスを睨みつけている。じりじりと後退し、民衆の輪を後ろに広げていく。

 民衆の輪が途切れ、空白ができた瞬間に、男性はその空白めがけて走り出す。カリスは追わず、男性は路地に曲がってしまい、姿が見えなくなった。

 カリスはしばらく剣を構えたまま、周囲を警戒する。何もなくなったことがわかったのか、カリスが剣を鞘に戻した。

「ありがと、カリス。守ってくれて」
「いーえ。今の、誰からの刺客だったんだろ」

 カリスには思い当たる人物が何人かいるのだろう。わたしにはわからない。でも、ジョセフィーヌを掲げる一派からの刺客ではないかと思っていた。魔女を使って呪いを仕掛けるくらいなのだから、ああいう人を雇うことくらいしてきそうだ。

「残念ですけど、今日は帰りましょうか。襲撃されたことをアルマス様にご報告しなきゃいけません」
「そう。わかった」

 本心ではもう少し街の雰囲気を楽しみたかったけれど、カリスがそう言うのなら仕方ない。わたしはカリスに従って、街から城へ帰る道を行く。

「あーあ。せっかくルミア様とデートだったのにぃ」

 カリスもひどく残念がっていた。帰りたくないけれど渋々帰っているというのがわかる。それなら帰らなきゃいいのにと思ったけれど、騎士という立場上、そういうわけにもいかないのだろう。

「今日は帰るけど、また行ってもいい?」
「うぅん、それはアルマス様に訊いてみないとわかんないです。アルマス様がいいよって仰ったら行けますし、危ないからだめって仰ったらだめです」
「カリスはどう思う? アルマス様は許してくださるかな?」
「どうでしょうねぇ。アルマス様は心配性ですから、しばらくはだめって仰るような気がしますね」
「そっか。うーん、なんとかならないかなあ」
「ま、とにかくアルマス様にご報告してみましょう。だめって言われたら考えましょう」

 全てはカリスの報告次第なのかと思うと、うまくやってほしいと思ってしまう。実際、わたしに怪我はなかったわけだし、カリスがいればよいということにならないだろうか。

 わたしたちは城に帰った。わたしは街に出ることの楽しさを知ってしまったから、どうにか街に出ることを許可してほしいと願うばかりだった。


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