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11. 認めたくないけれど、認めるしかない
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「詩織、元気ないね?」
授業が終わってから、早々に悠夏がわたしの席にやってきた。特に調子が悪いわけでもないけれど、悠夏にはそう見えたのだろうか。だとしたら、わたしはきっと自分が気づかないうちにそういう顔をしていたのだろう。
「ううん、別に。大丈夫」
わたしは微笑みを浮かべたが、自分の顔が強張っていることを自覚した。考え事をしていて、知らないうちに顔を顰めていたのかもしれない。
わたしが考えていたのは、瀧本くんのことだ。これが恋なのか、そうではないのか。
瀧本くんの笑顔。声。触れ合った肩。わたしを抱く腕。そして、優しいキス。どれもが鮮やかに蘇ってきて、わたしの心を苦しめる。会えない時間が長く感じられる。別れる時が寂しく思えてしまう。いつでも一緒にいたいと思ってしまう。
もしこれが恋ではないというのなら、いったい何なのだろうか。
もしこれが恋だというのなら、恋とはこんなにも苦しいものだっただろうか。
会いたい。でも、会いたくない。これ以上会ったら、わたしはわたしでなくなる。
今日は授業にも全然集中できなかった。わたしの身体が瀧本くんを求めていた。彼の声が聞きたかった。彼に抱き締めてほしかった。彼を感じたかった。
わたしは、どうしようもなく、瀧本くんを欲してしまっているのだ。冷静になればなるほど、この感情が何なのかはよくわかる。たった一言で説明できてしまう。意地を張るにはもう遅すぎる。わたしはこの感情を認めて、受け入れざるを得ない。
わたしはもう、瀧本くんから離れられない。離したくない。
「どっか行く? あたし、今日暇なの」
悠夏なら、この感情の答えを突き付けてくれるだろうか。まだ認めようとしないわたしに、いい加減現実を見ろと言ってくれるだろうか。
「悠夏、ありがと。ちょっとだけ、付き合ってくれない?」
「ん、いいよ。詩織の話なら何でも聞くよ」
悠夏は二つ返事で承諾してくれた。頼もしい親友だ。
「そうと決まればさっさと行こ。時間は長いほうがいいでしょ?」
「そんなに、深刻な話でもないんだけど」
「いいのいいの。あたしが詩織とデートしたいだけなんだから」
悠夏はそう言って、自分の席から荷物を持ってくる。わたしも荷物を持って立ち上がる。
ああ、そうだ。瀧本くんに一言言っておかないと。何も約束していないけれど、もしかしたら急に遊びに行こうと言ってくるかもしれない。わたしは悠夏と遊びに行くことを瀧本くんに連絡した。瀧本くんからは了解の返事がすぐ戻ってくる。こんな短いやり取りだけでも、わたしの心を浮き上がらせるには充分だった。
「なぁに? 旦那?」
「うん。あ、や、違う違う、旦那じゃない、旦那じゃないから」
「いいじゃん、隠語みたいなもんでしょ。瀧本くんって言うよりも誰かわかんないじゃん」
「な、なんで、瀧本くんってわかったの?」
「あたしがどれだけ詩織を見てると思ってるの? わかるよぉ、そんな顔してたら」
悠夏はわたしの頬をつんと突く。わたしは両手で頬を覆い隠した。そんなに緩んだ顔をしていたのだろうか。確かに嬉しいとは思っていたけれど、顔に出ているとは思わなかった。
「あーあ、旦那が羨ましいなぁ。詩織にこんな顔させるなんてねぇ」
「そんな、変な顔してた?」
「可愛い顔だよ。もうね、抱き締めてキスしたくなっちゃうくらい」
「まあ、抱き締めるくらいならいいけど。手でも繋ぐ?」
「え、ほんと? でも遠慮しとくよ、旦那に見られたら浮気だって怒るかもしれないし」
「怒らないよ、優しいから。仲良いなって言われて終わりだよ」
「あの不良が優しい、ねぇ。狂犬に鎖が付いたって感じだよねぇ」
悠夏は笑いながらわたしと腕を組む。遠慮すると言っておきながら、やるのか。わたしは微笑ましい気分になって、悠夏に身を委ねる。
わたしたちはそのまま教室を出る。授業から解放された生徒たちで廊下は騒がしい。これから部活動に行く生徒や、わたしたちと同じようにどこかへ遊びに行く生徒で賑わっている。わたしの目は自然と瀧本くんの姿を探してしまっていて、自分で自分を戒めた。会ったところで、今日は一緒に帰るわけではないのだ。それなら会わないほうが寂しくない。
わたしが視線を彷徨わせていたからか、教室から出てきた三田くんと目が合った。三田くんは優しげな笑みを浮かべて、こちらに歩いてくる。悠夏がまるで自分のものだと主張するかのように、わたしの腕を引いた。
「二場さん、並木さん、今帰り?」
「うん。三田くんも、授業終わったんだね」
「そうだよ。腕を組むなんて、二人は仲が良いね」
「ま、親友だからねぇ。スキンシップもボディタッチも経験済だよ」
「悠夏、その言い方は恥ずかしいからやめて」
三田くんは悠夏の言葉を聞いて笑う。王子様らしい、包み込むような笑顔だ。多くの女子がこの笑顔に落とされてきたのだろう。
「そういえば二場さん、この前瀧本と駅前の喫茶店に行ったんだってね」
わたしは笑顔を張り付けることに失敗した。何も答えられなかった。
どうして三田くんがそのことを知っているのだろうか。窓際の席だったから、誰かに見られていたのだろうか。あんなに二人で近くにいるところを、見られたのだろうか。手を重ねているところも、キスしようとしたところも、全部?
わたしは恐怖さえ感じてしまった。どこで誰が見ているかわからない。それが三田くんの耳に入るくらい、噂になっているのだろう。瀧本くんのファンクラブの子なのか、それとも三田くんのファンクラブの子が言っているのか、あるいは噂好きの子が広めているのかはわからないけれど、わたしたちの行動は誰かに見られていたのだ。
もしかして、キスした日のことも知られているのだろうか。この前うっかり校内でキスしてしまったのも、誰かに見られていたのだろうか。
「やっぱり、瀧本と付き合っているの?」
「ううん、付き合ってないよ。ただの友達だよ」
「でもあの喫茶店、カップルがよく行くお店だよね? てっきり、そうなのかと」
「瀧本くん、一人じゃ入りにくかったみたいで。わたしは付き添い」
事実だ。わたしは瀧本くんがパンケーキを食べるのに付き添っただけ。あの店では何もやましいことはしていない。ちょっと手を重ねて、見つめ合って、からかわれただけだ。
「そうなんだ。よかった」
三田くんは安堵したような表情を見せる。それから、思いもしない言葉を続けた。
「じゃあよかったら、どこか行かない? 三人で」
「え?」
三田くんからの誘いに、わたしは戸惑ってしまった。会った時にそのまま流れるように立ち去ってしまえばよかった。まさか三田くんからまた誘われるとは思っていなかったのだ。
これまで何度も断っているから心苦しいけれど、あの手紙のことを思い出してしまう。瀧本くんのことが好きなら三田くんに近づくな。どこで誰に見られているかわからない以上、三田くんと遊びに行くのは避けたい。また誰かに怒られてしまう。
それに、今日は悠夏に話したいことがある。三田くんには話せないことだ。さて、どうやって断ろうか。体の良い断り文句があるだろうか。
「だめ。詩織は今日あたしとデートなんだから、邪魔しないでよね」
わたしがほとんど悩む間もなく、悠夏が三田くんの誘いを拒んだ。絶対に嫌だという強い意志が感じられる。その態度に、三田くんも少し押されたようだった。
「女子の秘密の話なの。男子禁制だから、また今度」
「ああ、そうか。わかった。ごめんね」
「だいたい、詩織を誘うなら瀧本くんに一声かけたほうがいいんじゃないの? 大々的に詩織は俺のものだって言い切ってるくらいなんだし」
「え? 瀧本くん、それ言いふらしてるの?」
羽鳥くんを振る時に、口実として言ったものだと思っていた。広まれば誰もわたしに寄ってこないとは言っていたけれど、まさか自分から広めていたというの?
「一緒につるんでる人には言ったみたい。そこから面白がってみんなが広めてるよ」
「そう。やめてって言っておく」
わたしは肩を落とした。ファンクラブの子たちを言葉で殴りつけているようなものだ。ファンクラブの子たちがみんな瀧本くんを見守るだけなら良いけれど、この前の女の子みたいにわたしを攻撃しに来る子がいるかもしれない。あまり目立つことはしてほしくなかった。
「二場さん、瀧本に遊ばれているんじゃないの。大丈夫?」
三田くんはわたしを心配してくれている。三田くんは、瀧本くんをよく知らないから。
「うん。瀧本くんはああ見えていい人だから、大丈夫」
「何か困っていることがあったら言ってよ。僕でも何か力になれるかもしれない」
「ありがと。特に困ってないよ」
困っていないわけではないが、三田くんに解決してもらえることでもない。瀧本くんに直してほしいところがあるなら、自分で言える。彼はわたしの話を聞いてくれるから。
「詩織、行こ。時間なくなっちゃうよ」
悠夏が痺れを切らしたようにわたしを促す。わたしは微笑み、三田くんに別れを告げた。
「じゃあね、三田くん。また明日」
「ああ、うん。また明日」
わたしは悠夏に引きずられるようにしてその場を去る。悠夏は逃げるように歩いていく。
一階の土間を出たあたりで、悠夏が深いため息を吐いた。
「詩織はモテるねぇ。瀧本くんも気が気じゃないよ、そりゃ」
「なに、急に。どうしたの?」
悠夏は歩きながらわたしを見上げる。その顔には諦めの色が漂っていた。
「気づかないの? 三田くん、絶対詩織のこと狙ってるよ?」
「まさか。そんなわけないでしょ、三田くんだよ? 周りにもっといっぱいいるじゃん」
わたしが笑いながら否定すると、悠夏はゆっくりと首を振った。
「わかってないなぁ。詩織がいいんだよ。気をつけなきゃだめだよ、また誘ってくるんだから。その気はないんでしょー?」
「うん、ない。ファンクラブの子にも怒られちゃうしね」
「瀧本くんに密告しようかなぁ。詩織のこと狙ってる男がいるよって」
「やめてよ。ほんとに殴りに行ったらどうするの?」
「行きそうだよねぇ。いいんだよ、詩織の恋路を邪魔する奴は殴られちゃえば」
「だめ。また瀧本くんが悪く言われるでしょ。ただでさえ変なこと言われてるんだから」
「はぁい。じゃあ、殴りに行かないでねって言っとくね」
悠夏は笑いながら応じた。そもそも三田くんがわたしのことを好きかどうかもわからないのに、わざわざ瀧本くんに伝える必要があるのだろうか。瀧本くんも、それを聞いて何か気にしてくれるのだろうか。
「詩織さ、瀧本くんのことどう思ってるのー?」
悠夏はいきなり話の核心を突いてくる。わたしは言葉に詰まってしまう。
「それを、悠夏に聞きたくて」
「あたしに? ほほう、いいでしょう。教えてあげましょう」
「誰の真似なの、それ」
わたしが噴き出すと、悠夏は優しく笑った。わたしの指に指を絡めて、きゅっと握ってくる。可愛らしい所作に頬が緩む。こういうことをできたら、瀧本くんも喜ぶのだろうか。
「さて、あたしは実はすごいことを知っています」
「なに?」
「瀧本くんは今日、とても可愛い女の子と遊んでいます」
「……えっ?」
思わぬ情報に、強く頭を殴られた気分だった。驚いて悠夏のほうを見ても、悠夏の表情は変わらず笑顔のままだ。それがかえって不自然だった。
瀧本くんが、女の子と? わたし以外の子。友達くらい、いるだろう。瀧本くんは女の子に人気もあるし、誘われることだってあるだろう。その誘いに乗ってしまうことだってあるだろう。今日はわたしもいないのだから、別の女の子と遊びに行こうと思ったのかもしれない。
ちくりと胸が痛んだ。わたしだけじゃなかったんだ。瀧本くんにとって、わたしはたったひとりの女ではなかったのだろうか。選択肢のひとつだったのだろうか。わたしばかりこんなに悩んでいて、瀧本くんに翻弄されていたのだろうか。
「何なら聞いてみてください。今、女の子といるでしょう、って」
「い、いいよ、そんなの。そんなことしたら……鬱陶しいでしょ」
「早く早く。大丈夫、瀧本くんは怒らないからさぁ」
悠夏は嫌がるわたしの腕を振って急かす。何の意味があるのかわからないが、従わないわけにもいかなさそうだ。わたしはスマートフォンを取り出し、瀧本くんにメッセージを送る。
でも、急にそんなことを送ったら不審に思われないだろうか。どうしてそんなことをお前に言われなきゃいけないんだと、怒られることはないだろうか。嫌われることはないだろうか。
躊躇って指を動かそうとしないわたしに、悠夏が横から口を出してきた。
「今女の子と一緒にいるでしょって送ればいいから。送ってあげよっか?」
「や、やめて。いいよ、自分で送る」
指が震える。これを送ったら、瀧本くんはもうわたしの前からいなくなってしまいそうな気がする。そんなことを言ってくる面倒な女はいらないと、言われてしまいそうな気がする。
別に、浮気でもないのだ。わたしたちは付き合っていないのだから。なのに、わたしの心の中はどす黒い感情でいっぱいだった。わたしに向けた言葉は全て嘘だったのか。わたしがいないから、他の女に手を出したのか。わたしは、代わりがいる女だったのか。
悠夏が見ている。わたしは唾液を飲み込み、ゆっくりと呼吸しながら一文字ずつ打っていく。メッセージを打ち終えて、わたしは目を閉じて送信ボタンを押した。
ああ、送ってしまった。重い女だと思われるだろうか。自分が他の女の子と遊んでいる時にこんなメッセージが来たら嫌だろうな。彼女気取りかと思われてもおかしくない。彼女でもないくせに。ずっと、惚れていないと言い続けているくせに。
すぐにわたしのスマートフォンが震えて、わたしは取り落としそうになった。電話だ。
瀧本くんだった。焦って電話をかけてきたのだろうか。まさか、他の女の子と会っていることをわたしが知っているなんて思わなかっただろう。誤魔化すのか、謝るのか、開き直るのか、瀧本くんはどうするのだろう。
悠夏が指を伸ばして、通話を開始する。さらにスピーカーホンに変えた。
『おい、誰がそんなこと言ってんだ』
瀧本くんの声は不機嫌そうだった。当然だろう、女の子との逢瀬を邪魔されたのだから。
「あたしあたし。ごめんね、ちょっと詩織をからかってただけなのー」
「ええ? ち、ちょっと、悠夏?」
からかっていただけ? それは、どういうこと?
『はあ? 俺を巻き込むんじゃねえ。二人で仲良く遊んでろよ』
「はいはーい。ごめんね、また明日ねー」
「えっ、ちょっと、待って、嘘だったの? 瀧本くん、今一人?」
『一人で図書館にいた。お前が訳わかんねえもの送ってくるから電話したんだろうが』
「お、女の子は? 悠夏が、瀧本くんは可愛い女の子と一緒にいるって言うから」
『いねえよ。詩織以外の女と二人で遊ぶわけねえだろ。俺を何だと思ってんだ』
「じゃあね、瀧本くん。今日は詩織借りるからねー」
『はいはい。じゃあな』
そこで悠夏が通話を切ってしまう。わたしが信じられないような面持ちで悠夏を見ると、悠夏は満足そうな微笑みを浮かべていた。
「今のが答えです。詩織が瀧本くんのことをどう思ってるのか」
「ええ、意味わかんないよ。今の、嘘だったの?」
「嘘だよ。瀧本くんは詩織しか見てないから、他の女の子とか全然興味ないもん 」
わたしはほっと胸を撫で下ろした。悠夏がわたしを焦らせるためについた嘘だったのだ。
でも、この嘘と、わたしの気持ちと、何の関係があるのだろうか。悠夏がわたしに何を伝えようとしているのかわからず、わたしは悠夏に尋ねた。
「どうしてこんな嘘ついたの? 関係ある?」
「あるよ。詩織は今の話聞いた時どう思った? 自分に正直になって考えてみて」
「どう、って、それは」
自分の反応を思い返す。どす黒い、沼のような感情。嫉妬。怒り。絶望。悲しみ。その根底にあるのは、たぶん、たったひとつの想い。
「詩織はもう気づいてるよ。自分が瀧本くんのことをどう思ってるのか」
「わたし、は」
悠夏はわたしをじっと見つめた。どこか、ほんの少しだけ、寂しそうに。
「認めなよ、詩織の負け。詩織はもう、瀧本くんのことが好きなんだよ」
わたしは俯いてしまう。突き付けられた答えは、わたしが認めようとしなかったもの。わたしが目を逸らし続けてきたもの。心のどこかでは、ずっとその存在に気づいていたもの。
もう認めるしかない。わたしは、瀧本くんのことがどうしようもなく好きなのだ。
「だいぶ前からだったと思うけどねぇ。いつ詩織が折れるかと思ってたら、今日かぁ」
「そうなのかな。わたし、やっぱり、そうなのかな?」
「まだ抵抗する? だってさ、瀧本くんに会えたら嬉しいでしょ? メッセージが来ても嬉しいでしょ? 毎日離れたくないんでしょ? 他の女の子が瀧本くんの近くにいたら嫌なんでしょ? それで好きじゃないって、そのほうがおかしいよ」
悠夏に完膚なきまでに叩きのめされる。わたしは反論する言葉を失い、ふぅっと息を吐いた。
自覚してしまえば、心は楽になる。もう悩む必要はないのだ。わたしの心をずっと苦しめている感情の正体は、やはり恋だったのだ。こんなにも苦しい恋を、わたしは知らなかった。会いたくて、触れたくて、触れてほしくて、胸が痛む。二人でいる時だけ、まるで麻酔を打たれたかのようにその痛みが和らぐ。幸せだけで心が満たされる。
瀧本くんのことが好きだ。ついに惚れてしまったのだ。わたしは頬が赤くなるのを感じた。
「さて、何か異論は?」
「……ありません。悠夏の言う通りです」
「よろしい。では、さっさと瀧本くんに負けを認めてきなさい」
「や、やだよ。怖いよ、瀧本くんが本気じゃなかったらどうするの?」
「瀧本くんが本気じゃないってことはないと思うんだけど。まぁ、じゃあ、もうちょっとポイント稼ぎしとく? あたしは今から図書館行けよって思ったけど」
悠夏はそう言うけれど、わたしには無理だ。そんな勇気はない。今の関係があまりにも心地よすぎて、この関係を壊してしまう恐怖のほうが勝ってしまっている。
瀧本くんを信じていないわけではない。でも、もしかしたら、わたしと瀧本くんの想いは同じではないかもしれないのだ。そう、勝率を上げてから、挑むほうが良い。
「ポイント稼ぎって、何したらいいの?」
「詩織から抱きついてキスしてって言ったら瀧本くんだって落ちるよ」
「馬鹿なの? わたしは真面目に聞いてるの」
「真面目に言ったんだけどなぁ。詩織でも簡単にできるのは、プレゼントじゃない?」
「プレゼント?」
「そ。ピアスとかさ、身に着ける系がいいよね。ちゃんと付けてくれれば脈あり、そうじゃないなら脈なしってわかるんじゃないの?」
「じゃあ、マフラーかなあ。あげるって言ってあるし」
悠夏は奇怪なものを見るような目でわたしを見た。そんな目を向けられたことがなかったから、わたしも戸惑ってしまう。
「な、なに、その目。怖いよ」
「マフラーあげるって言ったの? それ、どんな流れ?」
「や、瀧本くん、寒いって言うのにマフラー持ってないって言うから、それならわたしが買ってあげるよって」
「で、瀧本くんは? もらってくれそうなの?」
「うん。可愛かったよ、ちょっと動揺しててね。変な柄にすんなよって言ってた」
わたしがあの時のことを思い出して笑うと、詩織は肩を竦めた。
「言いたいことはいろいろあるけどぉ、いいや。マフラーを渡す時に、わたしも貰ってくださいって言えばいいんだよ」
「い、言えるわけないでしょ。引かれたらどうするの?」
「引かないよ、マフラーあげるとか言われて喜んでるんだから! もう、なんで告白しないの? 詩織の中で何がだめなの? もっと自分に自信持ちなよ」
悠夏はまくしたてるようにわたしに言った。そんなことを言われても、わたしにはどうしようもない。どうしたら自分に自信が持てるようになるのか教えてほしいくらいだ。
「言えないよ。もうちょっと、待つ」
「待ったら何かが変わるの?」
「瀧本くんが本気なんだって思ったら言う。わかんないもん、瀧本くんがどう思ってるのか」
「まぁ、いいけどねぇ。詩織がいけると思ったタイミングで言えばいいんじゃないの。今日だって明日だって来週だって大丈夫だよ」
半ば投げやりになりながら悠夏が応える。
わたしの気持ちの問題だ。わたしが隠していることを知っても、瀧本くんの気持ちが変わらないかどうかを知りたい。瀧本くんはわたしのどこが好きなのだろう。わたしは、瀧本くんが思っているほど綺麗な身体ではないのに。
「じゃあ、武器を買いに行きましょうかぁ。良いマフラー選ばないとね」
「毛はだめなんだって。可愛いよね、意外と肌弱いみたい」
「あ、惚気は結構でーす。遠慮しときまーす」
「惚気じゃないでしょ、ちゃんとした情報でしょ?」
「はいはい。ほんと、何がだめなんだか」
悠夏は苦笑いを浮かべながら、一緒に駅前に行ってくれる。悠夏が一緒なら安心だ。これが似合うとか、これは似合わないとか、ちゃんと言ってくれるだろう。
わたしはその日、瀧本くんに渡すマフラーを買った。喜んでくれると良いけど。
授業が終わってから、早々に悠夏がわたしの席にやってきた。特に調子が悪いわけでもないけれど、悠夏にはそう見えたのだろうか。だとしたら、わたしはきっと自分が気づかないうちにそういう顔をしていたのだろう。
「ううん、別に。大丈夫」
わたしは微笑みを浮かべたが、自分の顔が強張っていることを自覚した。考え事をしていて、知らないうちに顔を顰めていたのかもしれない。
わたしが考えていたのは、瀧本くんのことだ。これが恋なのか、そうではないのか。
瀧本くんの笑顔。声。触れ合った肩。わたしを抱く腕。そして、優しいキス。どれもが鮮やかに蘇ってきて、わたしの心を苦しめる。会えない時間が長く感じられる。別れる時が寂しく思えてしまう。いつでも一緒にいたいと思ってしまう。
もしこれが恋ではないというのなら、いったい何なのだろうか。
もしこれが恋だというのなら、恋とはこんなにも苦しいものだっただろうか。
会いたい。でも、会いたくない。これ以上会ったら、わたしはわたしでなくなる。
今日は授業にも全然集中できなかった。わたしの身体が瀧本くんを求めていた。彼の声が聞きたかった。彼に抱き締めてほしかった。彼を感じたかった。
わたしは、どうしようもなく、瀧本くんを欲してしまっているのだ。冷静になればなるほど、この感情が何なのかはよくわかる。たった一言で説明できてしまう。意地を張るにはもう遅すぎる。わたしはこの感情を認めて、受け入れざるを得ない。
わたしはもう、瀧本くんから離れられない。離したくない。
「どっか行く? あたし、今日暇なの」
悠夏なら、この感情の答えを突き付けてくれるだろうか。まだ認めようとしないわたしに、いい加減現実を見ろと言ってくれるだろうか。
「悠夏、ありがと。ちょっとだけ、付き合ってくれない?」
「ん、いいよ。詩織の話なら何でも聞くよ」
悠夏は二つ返事で承諾してくれた。頼もしい親友だ。
「そうと決まればさっさと行こ。時間は長いほうがいいでしょ?」
「そんなに、深刻な話でもないんだけど」
「いいのいいの。あたしが詩織とデートしたいだけなんだから」
悠夏はそう言って、自分の席から荷物を持ってくる。わたしも荷物を持って立ち上がる。
ああ、そうだ。瀧本くんに一言言っておかないと。何も約束していないけれど、もしかしたら急に遊びに行こうと言ってくるかもしれない。わたしは悠夏と遊びに行くことを瀧本くんに連絡した。瀧本くんからは了解の返事がすぐ戻ってくる。こんな短いやり取りだけでも、わたしの心を浮き上がらせるには充分だった。
「なぁに? 旦那?」
「うん。あ、や、違う違う、旦那じゃない、旦那じゃないから」
「いいじゃん、隠語みたいなもんでしょ。瀧本くんって言うよりも誰かわかんないじゃん」
「な、なんで、瀧本くんってわかったの?」
「あたしがどれだけ詩織を見てると思ってるの? わかるよぉ、そんな顔してたら」
悠夏はわたしの頬をつんと突く。わたしは両手で頬を覆い隠した。そんなに緩んだ顔をしていたのだろうか。確かに嬉しいとは思っていたけれど、顔に出ているとは思わなかった。
「あーあ、旦那が羨ましいなぁ。詩織にこんな顔させるなんてねぇ」
「そんな、変な顔してた?」
「可愛い顔だよ。もうね、抱き締めてキスしたくなっちゃうくらい」
「まあ、抱き締めるくらいならいいけど。手でも繋ぐ?」
「え、ほんと? でも遠慮しとくよ、旦那に見られたら浮気だって怒るかもしれないし」
「怒らないよ、優しいから。仲良いなって言われて終わりだよ」
「あの不良が優しい、ねぇ。狂犬に鎖が付いたって感じだよねぇ」
悠夏は笑いながらわたしと腕を組む。遠慮すると言っておきながら、やるのか。わたしは微笑ましい気分になって、悠夏に身を委ねる。
わたしたちはそのまま教室を出る。授業から解放された生徒たちで廊下は騒がしい。これから部活動に行く生徒や、わたしたちと同じようにどこかへ遊びに行く生徒で賑わっている。わたしの目は自然と瀧本くんの姿を探してしまっていて、自分で自分を戒めた。会ったところで、今日は一緒に帰るわけではないのだ。それなら会わないほうが寂しくない。
わたしが視線を彷徨わせていたからか、教室から出てきた三田くんと目が合った。三田くんは優しげな笑みを浮かべて、こちらに歩いてくる。悠夏がまるで自分のものだと主張するかのように、わたしの腕を引いた。
「二場さん、並木さん、今帰り?」
「うん。三田くんも、授業終わったんだね」
「そうだよ。腕を組むなんて、二人は仲が良いね」
「ま、親友だからねぇ。スキンシップもボディタッチも経験済だよ」
「悠夏、その言い方は恥ずかしいからやめて」
三田くんは悠夏の言葉を聞いて笑う。王子様らしい、包み込むような笑顔だ。多くの女子がこの笑顔に落とされてきたのだろう。
「そういえば二場さん、この前瀧本と駅前の喫茶店に行ったんだってね」
わたしは笑顔を張り付けることに失敗した。何も答えられなかった。
どうして三田くんがそのことを知っているのだろうか。窓際の席だったから、誰かに見られていたのだろうか。あんなに二人で近くにいるところを、見られたのだろうか。手を重ねているところも、キスしようとしたところも、全部?
わたしは恐怖さえ感じてしまった。どこで誰が見ているかわからない。それが三田くんの耳に入るくらい、噂になっているのだろう。瀧本くんのファンクラブの子なのか、それとも三田くんのファンクラブの子が言っているのか、あるいは噂好きの子が広めているのかはわからないけれど、わたしたちの行動は誰かに見られていたのだ。
もしかして、キスした日のことも知られているのだろうか。この前うっかり校内でキスしてしまったのも、誰かに見られていたのだろうか。
「やっぱり、瀧本と付き合っているの?」
「ううん、付き合ってないよ。ただの友達だよ」
「でもあの喫茶店、カップルがよく行くお店だよね? てっきり、そうなのかと」
「瀧本くん、一人じゃ入りにくかったみたいで。わたしは付き添い」
事実だ。わたしは瀧本くんがパンケーキを食べるのに付き添っただけ。あの店では何もやましいことはしていない。ちょっと手を重ねて、見つめ合って、からかわれただけだ。
「そうなんだ。よかった」
三田くんは安堵したような表情を見せる。それから、思いもしない言葉を続けた。
「じゃあよかったら、どこか行かない? 三人で」
「え?」
三田くんからの誘いに、わたしは戸惑ってしまった。会った時にそのまま流れるように立ち去ってしまえばよかった。まさか三田くんからまた誘われるとは思っていなかったのだ。
これまで何度も断っているから心苦しいけれど、あの手紙のことを思い出してしまう。瀧本くんのことが好きなら三田くんに近づくな。どこで誰に見られているかわからない以上、三田くんと遊びに行くのは避けたい。また誰かに怒られてしまう。
それに、今日は悠夏に話したいことがある。三田くんには話せないことだ。さて、どうやって断ろうか。体の良い断り文句があるだろうか。
「だめ。詩織は今日あたしとデートなんだから、邪魔しないでよね」
わたしがほとんど悩む間もなく、悠夏が三田くんの誘いを拒んだ。絶対に嫌だという強い意志が感じられる。その態度に、三田くんも少し押されたようだった。
「女子の秘密の話なの。男子禁制だから、また今度」
「ああ、そうか。わかった。ごめんね」
「だいたい、詩織を誘うなら瀧本くんに一声かけたほうがいいんじゃないの? 大々的に詩織は俺のものだって言い切ってるくらいなんだし」
「え? 瀧本くん、それ言いふらしてるの?」
羽鳥くんを振る時に、口実として言ったものだと思っていた。広まれば誰もわたしに寄ってこないとは言っていたけれど、まさか自分から広めていたというの?
「一緒につるんでる人には言ったみたい。そこから面白がってみんなが広めてるよ」
「そう。やめてって言っておく」
わたしは肩を落とした。ファンクラブの子たちを言葉で殴りつけているようなものだ。ファンクラブの子たちがみんな瀧本くんを見守るだけなら良いけれど、この前の女の子みたいにわたしを攻撃しに来る子がいるかもしれない。あまり目立つことはしてほしくなかった。
「二場さん、瀧本に遊ばれているんじゃないの。大丈夫?」
三田くんはわたしを心配してくれている。三田くんは、瀧本くんをよく知らないから。
「うん。瀧本くんはああ見えていい人だから、大丈夫」
「何か困っていることがあったら言ってよ。僕でも何か力になれるかもしれない」
「ありがと。特に困ってないよ」
困っていないわけではないが、三田くんに解決してもらえることでもない。瀧本くんに直してほしいところがあるなら、自分で言える。彼はわたしの話を聞いてくれるから。
「詩織、行こ。時間なくなっちゃうよ」
悠夏が痺れを切らしたようにわたしを促す。わたしは微笑み、三田くんに別れを告げた。
「じゃあね、三田くん。また明日」
「ああ、うん。また明日」
わたしは悠夏に引きずられるようにしてその場を去る。悠夏は逃げるように歩いていく。
一階の土間を出たあたりで、悠夏が深いため息を吐いた。
「詩織はモテるねぇ。瀧本くんも気が気じゃないよ、そりゃ」
「なに、急に。どうしたの?」
悠夏は歩きながらわたしを見上げる。その顔には諦めの色が漂っていた。
「気づかないの? 三田くん、絶対詩織のこと狙ってるよ?」
「まさか。そんなわけないでしょ、三田くんだよ? 周りにもっといっぱいいるじゃん」
わたしが笑いながら否定すると、悠夏はゆっくりと首を振った。
「わかってないなぁ。詩織がいいんだよ。気をつけなきゃだめだよ、また誘ってくるんだから。その気はないんでしょー?」
「うん、ない。ファンクラブの子にも怒られちゃうしね」
「瀧本くんに密告しようかなぁ。詩織のこと狙ってる男がいるよって」
「やめてよ。ほんとに殴りに行ったらどうするの?」
「行きそうだよねぇ。いいんだよ、詩織の恋路を邪魔する奴は殴られちゃえば」
「だめ。また瀧本くんが悪く言われるでしょ。ただでさえ変なこと言われてるんだから」
「はぁい。じゃあ、殴りに行かないでねって言っとくね」
悠夏は笑いながら応じた。そもそも三田くんがわたしのことを好きかどうかもわからないのに、わざわざ瀧本くんに伝える必要があるのだろうか。瀧本くんも、それを聞いて何か気にしてくれるのだろうか。
「詩織さ、瀧本くんのことどう思ってるのー?」
悠夏はいきなり話の核心を突いてくる。わたしは言葉に詰まってしまう。
「それを、悠夏に聞きたくて」
「あたしに? ほほう、いいでしょう。教えてあげましょう」
「誰の真似なの、それ」
わたしが噴き出すと、悠夏は優しく笑った。わたしの指に指を絡めて、きゅっと握ってくる。可愛らしい所作に頬が緩む。こういうことをできたら、瀧本くんも喜ぶのだろうか。
「さて、あたしは実はすごいことを知っています」
「なに?」
「瀧本くんは今日、とても可愛い女の子と遊んでいます」
「……えっ?」
思わぬ情報に、強く頭を殴られた気分だった。驚いて悠夏のほうを見ても、悠夏の表情は変わらず笑顔のままだ。それがかえって不自然だった。
瀧本くんが、女の子と? わたし以外の子。友達くらい、いるだろう。瀧本くんは女の子に人気もあるし、誘われることだってあるだろう。その誘いに乗ってしまうことだってあるだろう。今日はわたしもいないのだから、別の女の子と遊びに行こうと思ったのかもしれない。
ちくりと胸が痛んだ。わたしだけじゃなかったんだ。瀧本くんにとって、わたしはたったひとりの女ではなかったのだろうか。選択肢のひとつだったのだろうか。わたしばかりこんなに悩んでいて、瀧本くんに翻弄されていたのだろうか。
「何なら聞いてみてください。今、女の子といるでしょう、って」
「い、いいよ、そんなの。そんなことしたら……鬱陶しいでしょ」
「早く早く。大丈夫、瀧本くんは怒らないからさぁ」
悠夏は嫌がるわたしの腕を振って急かす。何の意味があるのかわからないが、従わないわけにもいかなさそうだ。わたしはスマートフォンを取り出し、瀧本くんにメッセージを送る。
でも、急にそんなことを送ったら不審に思われないだろうか。どうしてそんなことをお前に言われなきゃいけないんだと、怒られることはないだろうか。嫌われることはないだろうか。
躊躇って指を動かそうとしないわたしに、悠夏が横から口を出してきた。
「今女の子と一緒にいるでしょって送ればいいから。送ってあげよっか?」
「や、やめて。いいよ、自分で送る」
指が震える。これを送ったら、瀧本くんはもうわたしの前からいなくなってしまいそうな気がする。そんなことを言ってくる面倒な女はいらないと、言われてしまいそうな気がする。
別に、浮気でもないのだ。わたしたちは付き合っていないのだから。なのに、わたしの心の中はどす黒い感情でいっぱいだった。わたしに向けた言葉は全て嘘だったのか。わたしがいないから、他の女に手を出したのか。わたしは、代わりがいる女だったのか。
悠夏が見ている。わたしは唾液を飲み込み、ゆっくりと呼吸しながら一文字ずつ打っていく。メッセージを打ち終えて、わたしは目を閉じて送信ボタンを押した。
ああ、送ってしまった。重い女だと思われるだろうか。自分が他の女の子と遊んでいる時にこんなメッセージが来たら嫌だろうな。彼女気取りかと思われてもおかしくない。彼女でもないくせに。ずっと、惚れていないと言い続けているくせに。
すぐにわたしのスマートフォンが震えて、わたしは取り落としそうになった。電話だ。
瀧本くんだった。焦って電話をかけてきたのだろうか。まさか、他の女の子と会っていることをわたしが知っているなんて思わなかっただろう。誤魔化すのか、謝るのか、開き直るのか、瀧本くんはどうするのだろう。
悠夏が指を伸ばして、通話を開始する。さらにスピーカーホンに変えた。
『おい、誰がそんなこと言ってんだ』
瀧本くんの声は不機嫌そうだった。当然だろう、女の子との逢瀬を邪魔されたのだから。
「あたしあたし。ごめんね、ちょっと詩織をからかってただけなのー」
「ええ? ち、ちょっと、悠夏?」
からかっていただけ? それは、どういうこと?
『はあ? 俺を巻き込むんじゃねえ。二人で仲良く遊んでろよ』
「はいはーい。ごめんね、また明日ねー」
「えっ、ちょっと、待って、嘘だったの? 瀧本くん、今一人?」
『一人で図書館にいた。お前が訳わかんねえもの送ってくるから電話したんだろうが』
「お、女の子は? 悠夏が、瀧本くんは可愛い女の子と一緒にいるって言うから」
『いねえよ。詩織以外の女と二人で遊ぶわけねえだろ。俺を何だと思ってんだ』
「じゃあね、瀧本くん。今日は詩織借りるからねー」
『はいはい。じゃあな』
そこで悠夏が通話を切ってしまう。わたしが信じられないような面持ちで悠夏を見ると、悠夏は満足そうな微笑みを浮かべていた。
「今のが答えです。詩織が瀧本くんのことをどう思ってるのか」
「ええ、意味わかんないよ。今の、嘘だったの?」
「嘘だよ。瀧本くんは詩織しか見てないから、他の女の子とか全然興味ないもん 」
わたしはほっと胸を撫で下ろした。悠夏がわたしを焦らせるためについた嘘だったのだ。
でも、この嘘と、わたしの気持ちと、何の関係があるのだろうか。悠夏がわたしに何を伝えようとしているのかわからず、わたしは悠夏に尋ねた。
「どうしてこんな嘘ついたの? 関係ある?」
「あるよ。詩織は今の話聞いた時どう思った? 自分に正直になって考えてみて」
「どう、って、それは」
自分の反応を思い返す。どす黒い、沼のような感情。嫉妬。怒り。絶望。悲しみ。その根底にあるのは、たぶん、たったひとつの想い。
「詩織はもう気づいてるよ。自分が瀧本くんのことをどう思ってるのか」
「わたし、は」
悠夏はわたしをじっと見つめた。どこか、ほんの少しだけ、寂しそうに。
「認めなよ、詩織の負け。詩織はもう、瀧本くんのことが好きなんだよ」
わたしは俯いてしまう。突き付けられた答えは、わたしが認めようとしなかったもの。わたしが目を逸らし続けてきたもの。心のどこかでは、ずっとその存在に気づいていたもの。
もう認めるしかない。わたしは、瀧本くんのことがどうしようもなく好きなのだ。
「だいぶ前からだったと思うけどねぇ。いつ詩織が折れるかと思ってたら、今日かぁ」
「そうなのかな。わたし、やっぱり、そうなのかな?」
「まだ抵抗する? だってさ、瀧本くんに会えたら嬉しいでしょ? メッセージが来ても嬉しいでしょ? 毎日離れたくないんでしょ? 他の女の子が瀧本くんの近くにいたら嫌なんでしょ? それで好きじゃないって、そのほうがおかしいよ」
悠夏に完膚なきまでに叩きのめされる。わたしは反論する言葉を失い、ふぅっと息を吐いた。
自覚してしまえば、心は楽になる。もう悩む必要はないのだ。わたしの心をずっと苦しめている感情の正体は、やはり恋だったのだ。こんなにも苦しい恋を、わたしは知らなかった。会いたくて、触れたくて、触れてほしくて、胸が痛む。二人でいる時だけ、まるで麻酔を打たれたかのようにその痛みが和らぐ。幸せだけで心が満たされる。
瀧本くんのことが好きだ。ついに惚れてしまったのだ。わたしは頬が赤くなるのを感じた。
「さて、何か異論は?」
「……ありません。悠夏の言う通りです」
「よろしい。では、さっさと瀧本くんに負けを認めてきなさい」
「や、やだよ。怖いよ、瀧本くんが本気じゃなかったらどうするの?」
「瀧本くんが本気じゃないってことはないと思うんだけど。まぁ、じゃあ、もうちょっとポイント稼ぎしとく? あたしは今から図書館行けよって思ったけど」
悠夏はそう言うけれど、わたしには無理だ。そんな勇気はない。今の関係があまりにも心地よすぎて、この関係を壊してしまう恐怖のほうが勝ってしまっている。
瀧本くんを信じていないわけではない。でも、もしかしたら、わたしと瀧本くんの想いは同じではないかもしれないのだ。そう、勝率を上げてから、挑むほうが良い。
「ポイント稼ぎって、何したらいいの?」
「詩織から抱きついてキスしてって言ったら瀧本くんだって落ちるよ」
「馬鹿なの? わたしは真面目に聞いてるの」
「真面目に言ったんだけどなぁ。詩織でも簡単にできるのは、プレゼントじゃない?」
「プレゼント?」
「そ。ピアスとかさ、身に着ける系がいいよね。ちゃんと付けてくれれば脈あり、そうじゃないなら脈なしってわかるんじゃないの?」
「じゃあ、マフラーかなあ。あげるって言ってあるし」
悠夏は奇怪なものを見るような目でわたしを見た。そんな目を向けられたことがなかったから、わたしも戸惑ってしまう。
「な、なに、その目。怖いよ」
「マフラーあげるって言ったの? それ、どんな流れ?」
「や、瀧本くん、寒いって言うのにマフラー持ってないって言うから、それならわたしが買ってあげるよって」
「で、瀧本くんは? もらってくれそうなの?」
「うん。可愛かったよ、ちょっと動揺しててね。変な柄にすんなよって言ってた」
わたしがあの時のことを思い出して笑うと、詩織は肩を竦めた。
「言いたいことはいろいろあるけどぉ、いいや。マフラーを渡す時に、わたしも貰ってくださいって言えばいいんだよ」
「い、言えるわけないでしょ。引かれたらどうするの?」
「引かないよ、マフラーあげるとか言われて喜んでるんだから! もう、なんで告白しないの? 詩織の中で何がだめなの? もっと自分に自信持ちなよ」
悠夏はまくしたてるようにわたしに言った。そんなことを言われても、わたしにはどうしようもない。どうしたら自分に自信が持てるようになるのか教えてほしいくらいだ。
「言えないよ。もうちょっと、待つ」
「待ったら何かが変わるの?」
「瀧本くんが本気なんだって思ったら言う。わかんないもん、瀧本くんがどう思ってるのか」
「まぁ、いいけどねぇ。詩織がいけると思ったタイミングで言えばいいんじゃないの。今日だって明日だって来週だって大丈夫だよ」
半ば投げやりになりながら悠夏が応える。
わたしの気持ちの問題だ。わたしが隠していることを知っても、瀧本くんの気持ちが変わらないかどうかを知りたい。瀧本くんはわたしのどこが好きなのだろう。わたしは、瀧本くんが思っているほど綺麗な身体ではないのに。
「じゃあ、武器を買いに行きましょうかぁ。良いマフラー選ばないとね」
「毛はだめなんだって。可愛いよね、意外と肌弱いみたい」
「あ、惚気は結構でーす。遠慮しときまーす」
「惚気じゃないでしょ、ちゃんとした情報でしょ?」
「はいはい。ほんと、何がだめなんだか」
悠夏は苦笑いを浮かべながら、一緒に駅前に行ってくれる。悠夏が一緒なら安心だ。これが似合うとか、これは似合わないとか、ちゃんと言ってくれるだろう。
わたしはその日、瀧本くんに渡すマフラーを買った。喜んでくれると良いけど。
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