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5. どうして断れないの?
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今日も食堂は混雑していて、昼食を摂る生徒たちの楽しげな声がそこかしこから上がっている。わたしと悠夏もその一員だ。わたしたちはいつものように二人用の席に座り、今日は二人とも日替わり定食を食べていた。今日の定食は鯖の味噌煮だ。味噌の味がしっかりとしていてご飯が進む。
悠夏は鯖の身を箸でほぐしながら、いきなりわたしに尋ねてきた。
「詩織、昨日何かあったの?」
「え? なんで?」
「や、寝不足なのかなと思って。午前中もずっと眠そうだったじゃん」
悠夏は鋭い。わたしは確かに寝不足だ。すべては瀧本くんのせいだ。
わたしは昨日の夜まで、悶々と瀧本くんのことを考えていた。どうして瀧本くんのキスは受け入れてしまうのだろうとか、どこまで本気なのだろうとか、実は他に彼女がいるのではないかというところで妄想が進み、気づいたら深夜になっていた。眠ったと言えば眠ったのだろうが、ほとんど眠った気はしない。朝も妙に目が冴えてしまい、いつもよりも早く起きてしまった。そしてその反動が退屈な授業中に出てきて、非常に眠い午前中を過ごしたのだ。
でもわたしの悩みを直球で悠夏に投げるわけにはいかない。それは瀧本くんにも悪い気がする。一応、瀧本くんの想いは秘密にしておくほうが良いように思えた。
わたしは同じように鯖の身を箸でつつきながら、何でもないことのように言った。
「昨日さ、羽鳥くんに告白されて」
「はぁ? また告白されたの?」
「またって言うほどの頻度じゃないでしょ」
「それくらい頻繁でしょ。普通、イベントもないのに告白を受けることなんてないの。それなのに詩織はいっつも告白されてるじゃん。モテるねぇ」
悠夏は憐憫すら感じさせる瞳でわたしを見た。好きでもない相手にモテても嬉しくないということを、悠夏も知っているのだろう。だから、羨ましいというよりは可哀想なのだ。昨日のわたしのような思いをさせられるのだから。
「ちゃんと断れたの? まさかいいって言ったわけないよねぇ?」
「言わないよ。せめて連絡先教えてって言われたけど、それも断った」
「食い下がり系じゃん。よく断れたねぇ、詩織なのに」
悠夏に悪気はない。わたしが断れない人間だと知っている悠夏からしたら、昨日の羽鳥くんの勢いに負けなかったなど信じられないのも無理はない。事実、わたし一人では断れなかったのだし。
わたしは真実を告げるかどうか迷った挙句、悠夏には話すことにした。親友である悠夏にはできるだけ秘密を少なくしておきたかった。
「瀧本くんが来てくれて」
「は? 瀧本くん?」
「うん。それで、羽鳥くんの胸倉掴んで、怒って、助けてくれたの」
わたしのことを俺のものだと言った部分は伏せておく。それを悠夏に言うのは恥ずかしい。
悠夏は鯖を食べながら考えて、飲み込んでから聞いてきた。
「じゃあ、瀧本くんに断ってもらったわけ?」
「ええと、まあ、そうかな」
「そうかな、じゃなくて。一人で断れないなら一人で行くんじゃないの」
瀧本くんと同じ叱責を受けた。それが面白くて、わたしはつい笑ってしまった。
「笑うとこじゃないってばぁ」
「ごめんごめん。昨日、瀧本くんにも同じこと言われたなって思って」
「ほら、みんな思うことは一緒なの。あたし、初めて瀧本くんがまともな人だと思った」
「意外と瀧本くんって優しいんだよ。あんな見た目だけど、別に怖くないし、話しやすいし」
わたしが瀧本くんのことを庇うと、悠夏はきょとんとした顔を見せた。それから、何かを思いついたような表情に変わる。
「一回キスされたからって仲良くなっちゃったの?」
「ちっ、違うよ。別に、そんなことない」
「でも最近よく瀧本くんの話するよねぇ。瀧本くんも教室まで会いに来るし」
「あれは、教科書借りたいだけ。と、友達いないんじゃないの?」
「どうかねぇ。詩織には一回のキスも重たかったのかなぁ」
悠夏はどこか楽しそうにしながら食事を進める。わたしをからかって遊んでいるのだ。あんな男に惚れるわけがないじゃないか。確かに、他の男子よりは仲が良いかもしれないけれど、そこで止まるのだ。それより先には進まないのだ。
「どうなの、強引な感じだったの? 瀧本くん、ぐいぐいやってきそうだよねぇ?」
「な、何が? 何の話?」
「キスだよ、キス。どんな感じでされたのかって聞いてるの」
わたしは昨日のキスを思い出してしまって、うっかり自分の唇に触れてしまった。まだあの優しい感触が残っている気がして、頬が紅潮していくのを感じる。
「な、なんでそんなこと聞くの? いいでしょ別に、どんな感じでも」
「気になるでしょー、どの男にも靡かなかった詩織を虜にしちゃう魔性のキスだよ?」
「虜になってないし」
「それでもいいからさぁ、教えてよ。どんな感じだった? 優しい系? 激しい系?」
悠夏はわたしが恥ずかしがっていても攻撃の手を休めることはない。むしろ箸を止めてわたしの話に集中しようとしている。年頃の女子には興味のある話なのだ。激しい系だったら教えるわけないでしょ。
わたしは悠夏と目を合わさず、小さな声で言った。
「優しかったよ。二回とも」
「は? 二回?」
悠夏はそこを聞き逃さなかった。言ってしまってから、わたしは昨日のキスについて悠夏に何も言っていなかったことに気づいた。
「ちょっと待って、二回って何?」
「二回は、二回だよ。昨日またキスされたの」
「えぇ、ちょっと待って。口?」
「あ、口とおでこだから、それだと三回」
「いやいやいや。詩織さ、そんな平然としてるけど、結構なことされてるんだからね? キスって挨拶じゃないんだからね?」
「それは知ってるよ。でも、あの、流れで」
悠夏は頭を抱えてしまった。乱れることも気にせず前髪をかき上げ、その栗色の瞳でわたしを睨みつける。あれ、これは、ちょっと怒ってる?
「流れで男とキスするんじゃないの。嫌じゃないの? 断りたかったんじゃないの?」
「……わかんない」
「わかんない?」
「わたし、自分の気持ちがわかんないの。どうして断らなかったんだろうって思うんだけど、なんか、羽鳥くんだったらもっと嫌がってたよなぁとか思って、どうして瀧本くんだと受け入れちゃうのかわかんなくて」
悠夏に昨夜の悩みの一部をぶちまける。昨日一晩考えてもわたしには答えを導き出すことができなかったが、悠夏なら答えを知っているかもしれないと思った。
悠夏はわたしをじっと見つめて、ため息を吐いてから答えた。
「好きなんじゃなくて? 瀧本くんのこと」
「それはない。好きとかじゃないと思う」
「それがほんとなら、答えはひとつしかないよ」
わたしは悠夏の栗色の瞳を見つめる。悠夏が出してくれた答えに興味があった。悠夏なら、このわたしの悩みにどのような結論を与えてくれるのだろうか。それはきっと、真実に近いのではないだろうかと期待してしまう。
「瀧本くんのキスがめちゃめちゃ巧いんだね」
「えぇ?」
予想していなかった方向からの回答に、わたしは思わず聞き返してしまった。悠夏は自信たっぷりで、声を潜めて解説してくれる。
「だから、キスが巧いんでしょ。詩織がどきどきしちゃうくらい優しいキスなんだよ。詩織はそれが忘れられなくて、ついキスを受け入れちゃうってわけ」
「わ、わたしが、待ってるってこと?」
「そ。実は、詩織は瀧本くんのキスが大好きなの。だから嫌だって思わないんだよ」
俄かには信じ難いし、自分が淫乱な女のように思えて信じたくないが、もしかしたらそうなのかもしれない。わたしが意識していない心のどこかでは瀧本くんからのキスを待っていて、だからこそ断れるタイミングでも断ることができず、受け入れてしまうのかもしれない。でも、まさか、そんな。自分がそんな人間だったと思いたくない。
「瀧本くんのキスはどうだったの? もっとしてほしい感じ?」
「ち、違うよ。そんな、別に、求めてない」
「ふぅん。まぁ、いいけどねぇ。あんまり何回もキスされてると、ほんとに求めちゃうかもしれないよ?」
「そんなことないよ。次は絶対断る」
「まぁ、次があるって思ってる時点で、詩織は瀧本くんのこと嫌いじゃないよねぇ」
悠夏が笑いながらわたしの言葉を拾い上げる。確かにその通りだ。嫌なら瀧本くんを避ければ良いだけの話なのだ。そうしようと思っていないあたり、わたしの中で瀧本くんは少なくとも友達なのだ。キスをするような関係の友達など存在するのかは疑問だけれど。
「あ、瀧本くん」
「えっ?」
悠夏に言われて、食堂の入口のほうを見る。瀧本くんの目立つ茶髪を見逃すはずもなく、瀧本くんが背の高い男子生徒と連れ立って食堂に入ってきたところが見えた。一緒にいる男子生徒もピアスが光っている。友達だろう。瀧本くんは普段からもやはりああいった感じの人と一緒にいるんだな。
わたしが見つめていたからか、瀧本くんがわたしの存在に気づいた。わたしのほうを見ながら、軽く片手を挙げて挨拶してくれる。わたしも小さく手を振って応えた。
「ちょっと詩織、何いちゃいちゃしてんの」
悠夏から鋭い指摘が入る。わたしは慌てて悠夏のほうを向き直った。
「してない。挨拶されたから応えただけでしょ」
「えぇ? めっちゃ顔にやけてたでしょー。詩織がそんな顔してたらどんな男だって落ちるよ」
「にやけてないから。これが普段の顔」
「うっそだぁ。すっかり仲良しになっちゃってぇ」
「なってない。ただの友達だから」
「そうですかぁ。あ、瀧本くんもからかわれてる」
そう言われると、気になってつい振り返ってしまう。瀧本くんは隣にいる男子生徒と何か話しているようだった。ばんばんと背中を叩かれて、相手の肩を殴っている。瀧本くんが他の男子とじゃれあっている姿が新鮮で、わたしは自然と頬が緩んだ。
「詩織、四人席に移ろうか? 瀧本くん呼んであげるよ」
悠夏はにやにやしながら席を立とうとする。わたしは慌てて悠夏を制止した。
「いいから。お昼まで一緒にいることない」
「どうせ帰りは一緒だから?」
「一緒じゃないから。からかわないでよ」
「応援してるつもりなんだけど。親友の恋が実りますようにって」
「だから、恋じゃないってば。なんでもない、ただの友達だよ」
瀧本くんのほうを見るからこんなにからかわれるのだ。わたしは自分の食事に戻る。悠夏はまだ向こうを見ながら、楽しそうに言った。
「あれ、瀧本くんこっち来るんじゃない?」
「えぇ? うそ?」
「なぁんちゃって。ちょっとからかってみただけでしたー」
「悠夏、やめてよ。びっくりするでしょ」
「いいじゃん、慌てる詩織が可愛くてさぁ、意地悪したくなっちゃうの」
悠夏は悪びれた様子もなく笑い、自分の食事に戻った。
全部瀧本くんのせいだ。わたしが悠夏にからかわれるのも、わたしが寝不足なのも、わたしの悩み事も、全部瀧本くんが悪いのだ。一発文句を言ってやりたい。
でも、文句を言ったところでうまく躱されるのだろう。わたしが瀧本くんに敵う日など来ないような気がする。手のひらの上で転がされて、遊ばれて、それから。
わたしは人知れず首を振って妄想を吹き飛ばした。いけない。昨日のキスから本当におかしくなっている。邪な妄想はさっさと沈めてしまおう。考えるだけ無駄だ。わたしは、三回目は絶対に断るのだ。断れない女だと思われるから、好き放題されるのだ。瀧本くんのペースにはもう乗らない。
その決意がどれだけ脆いものなのか、わたしにはよくわかっていた。
悠夏は鯖の身を箸でほぐしながら、いきなりわたしに尋ねてきた。
「詩織、昨日何かあったの?」
「え? なんで?」
「や、寝不足なのかなと思って。午前中もずっと眠そうだったじゃん」
悠夏は鋭い。わたしは確かに寝不足だ。すべては瀧本くんのせいだ。
わたしは昨日の夜まで、悶々と瀧本くんのことを考えていた。どうして瀧本くんのキスは受け入れてしまうのだろうとか、どこまで本気なのだろうとか、実は他に彼女がいるのではないかというところで妄想が進み、気づいたら深夜になっていた。眠ったと言えば眠ったのだろうが、ほとんど眠った気はしない。朝も妙に目が冴えてしまい、いつもよりも早く起きてしまった。そしてその反動が退屈な授業中に出てきて、非常に眠い午前中を過ごしたのだ。
でもわたしの悩みを直球で悠夏に投げるわけにはいかない。それは瀧本くんにも悪い気がする。一応、瀧本くんの想いは秘密にしておくほうが良いように思えた。
わたしは同じように鯖の身を箸でつつきながら、何でもないことのように言った。
「昨日さ、羽鳥くんに告白されて」
「はぁ? また告白されたの?」
「またって言うほどの頻度じゃないでしょ」
「それくらい頻繁でしょ。普通、イベントもないのに告白を受けることなんてないの。それなのに詩織はいっつも告白されてるじゃん。モテるねぇ」
悠夏は憐憫すら感じさせる瞳でわたしを見た。好きでもない相手にモテても嬉しくないということを、悠夏も知っているのだろう。だから、羨ましいというよりは可哀想なのだ。昨日のわたしのような思いをさせられるのだから。
「ちゃんと断れたの? まさかいいって言ったわけないよねぇ?」
「言わないよ。せめて連絡先教えてって言われたけど、それも断った」
「食い下がり系じゃん。よく断れたねぇ、詩織なのに」
悠夏に悪気はない。わたしが断れない人間だと知っている悠夏からしたら、昨日の羽鳥くんの勢いに負けなかったなど信じられないのも無理はない。事実、わたし一人では断れなかったのだし。
わたしは真実を告げるかどうか迷った挙句、悠夏には話すことにした。親友である悠夏にはできるだけ秘密を少なくしておきたかった。
「瀧本くんが来てくれて」
「は? 瀧本くん?」
「うん。それで、羽鳥くんの胸倉掴んで、怒って、助けてくれたの」
わたしのことを俺のものだと言った部分は伏せておく。それを悠夏に言うのは恥ずかしい。
悠夏は鯖を食べながら考えて、飲み込んでから聞いてきた。
「じゃあ、瀧本くんに断ってもらったわけ?」
「ええと、まあ、そうかな」
「そうかな、じゃなくて。一人で断れないなら一人で行くんじゃないの」
瀧本くんと同じ叱責を受けた。それが面白くて、わたしはつい笑ってしまった。
「笑うとこじゃないってばぁ」
「ごめんごめん。昨日、瀧本くんにも同じこと言われたなって思って」
「ほら、みんな思うことは一緒なの。あたし、初めて瀧本くんがまともな人だと思った」
「意外と瀧本くんって優しいんだよ。あんな見た目だけど、別に怖くないし、話しやすいし」
わたしが瀧本くんのことを庇うと、悠夏はきょとんとした顔を見せた。それから、何かを思いついたような表情に変わる。
「一回キスされたからって仲良くなっちゃったの?」
「ちっ、違うよ。別に、そんなことない」
「でも最近よく瀧本くんの話するよねぇ。瀧本くんも教室まで会いに来るし」
「あれは、教科書借りたいだけ。と、友達いないんじゃないの?」
「どうかねぇ。詩織には一回のキスも重たかったのかなぁ」
悠夏はどこか楽しそうにしながら食事を進める。わたしをからかって遊んでいるのだ。あんな男に惚れるわけがないじゃないか。確かに、他の男子よりは仲が良いかもしれないけれど、そこで止まるのだ。それより先には進まないのだ。
「どうなの、強引な感じだったの? 瀧本くん、ぐいぐいやってきそうだよねぇ?」
「な、何が? 何の話?」
「キスだよ、キス。どんな感じでされたのかって聞いてるの」
わたしは昨日のキスを思い出してしまって、うっかり自分の唇に触れてしまった。まだあの優しい感触が残っている気がして、頬が紅潮していくのを感じる。
「な、なんでそんなこと聞くの? いいでしょ別に、どんな感じでも」
「気になるでしょー、どの男にも靡かなかった詩織を虜にしちゃう魔性のキスだよ?」
「虜になってないし」
「それでもいいからさぁ、教えてよ。どんな感じだった? 優しい系? 激しい系?」
悠夏はわたしが恥ずかしがっていても攻撃の手を休めることはない。むしろ箸を止めてわたしの話に集中しようとしている。年頃の女子には興味のある話なのだ。激しい系だったら教えるわけないでしょ。
わたしは悠夏と目を合わさず、小さな声で言った。
「優しかったよ。二回とも」
「は? 二回?」
悠夏はそこを聞き逃さなかった。言ってしまってから、わたしは昨日のキスについて悠夏に何も言っていなかったことに気づいた。
「ちょっと待って、二回って何?」
「二回は、二回だよ。昨日またキスされたの」
「えぇ、ちょっと待って。口?」
「あ、口とおでこだから、それだと三回」
「いやいやいや。詩織さ、そんな平然としてるけど、結構なことされてるんだからね? キスって挨拶じゃないんだからね?」
「それは知ってるよ。でも、あの、流れで」
悠夏は頭を抱えてしまった。乱れることも気にせず前髪をかき上げ、その栗色の瞳でわたしを睨みつける。あれ、これは、ちょっと怒ってる?
「流れで男とキスするんじゃないの。嫌じゃないの? 断りたかったんじゃないの?」
「……わかんない」
「わかんない?」
「わたし、自分の気持ちがわかんないの。どうして断らなかったんだろうって思うんだけど、なんか、羽鳥くんだったらもっと嫌がってたよなぁとか思って、どうして瀧本くんだと受け入れちゃうのかわかんなくて」
悠夏に昨夜の悩みの一部をぶちまける。昨日一晩考えてもわたしには答えを導き出すことができなかったが、悠夏なら答えを知っているかもしれないと思った。
悠夏はわたしをじっと見つめて、ため息を吐いてから答えた。
「好きなんじゃなくて? 瀧本くんのこと」
「それはない。好きとかじゃないと思う」
「それがほんとなら、答えはひとつしかないよ」
わたしは悠夏の栗色の瞳を見つめる。悠夏が出してくれた答えに興味があった。悠夏なら、このわたしの悩みにどのような結論を与えてくれるのだろうか。それはきっと、真実に近いのではないだろうかと期待してしまう。
「瀧本くんのキスがめちゃめちゃ巧いんだね」
「えぇ?」
予想していなかった方向からの回答に、わたしは思わず聞き返してしまった。悠夏は自信たっぷりで、声を潜めて解説してくれる。
「だから、キスが巧いんでしょ。詩織がどきどきしちゃうくらい優しいキスなんだよ。詩織はそれが忘れられなくて、ついキスを受け入れちゃうってわけ」
「わ、わたしが、待ってるってこと?」
「そ。実は、詩織は瀧本くんのキスが大好きなの。だから嫌だって思わないんだよ」
俄かには信じ難いし、自分が淫乱な女のように思えて信じたくないが、もしかしたらそうなのかもしれない。わたしが意識していない心のどこかでは瀧本くんからのキスを待っていて、だからこそ断れるタイミングでも断ることができず、受け入れてしまうのかもしれない。でも、まさか、そんな。自分がそんな人間だったと思いたくない。
「瀧本くんのキスはどうだったの? もっとしてほしい感じ?」
「ち、違うよ。そんな、別に、求めてない」
「ふぅん。まぁ、いいけどねぇ。あんまり何回もキスされてると、ほんとに求めちゃうかもしれないよ?」
「そんなことないよ。次は絶対断る」
「まぁ、次があるって思ってる時点で、詩織は瀧本くんのこと嫌いじゃないよねぇ」
悠夏が笑いながらわたしの言葉を拾い上げる。確かにその通りだ。嫌なら瀧本くんを避ければ良いだけの話なのだ。そうしようと思っていないあたり、わたしの中で瀧本くんは少なくとも友達なのだ。キスをするような関係の友達など存在するのかは疑問だけれど。
「あ、瀧本くん」
「えっ?」
悠夏に言われて、食堂の入口のほうを見る。瀧本くんの目立つ茶髪を見逃すはずもなく、瀧本くんが背の高い男子生徒と連れ立って食堂に入ってきたところが見えた。一緒にいる男子生徒もピアスが光っている。友達だろう。瀧本くんは普段からもやはりああいった感じの人と一緒にいるんだな。
わたしが見つめていたからか、瀧本くんがわたしの存在に気づいた。わたしのほうを見ながら、軽く片手を挙げて挨拶してくれる。わたしも小さく手を振って応えた。
「ちょっと詩織、何いちゃいちゃしてんの」
悠夏から鋭い指摘が入る。わたしは慌てて悠夏のほうを向き直った。
「してない。挨拶されたから応えただけでしょ」
「えぇ? めっちゃ顔にやけてたでしょー。詩織がそんな顔してたらどんな男だって落ちるよ」
「にやけてないから。これが普段の顔」
「うっそだぁ。すっかり仲良しになっちゃってぇ」
「なってない。ただの友達だから」
「そうですかぁ。あ、瀧本くんもからかわれてる」
そう言われると、気になってつい振り返ってしまう。瀧本くんは隣にいる男子生徒と何か話しているようだった。ばんばんと背中を叩かれて、相手の肩を殴っている。瀧本くんが他の男子とじゃれあっている姿が新鮮で、わたしは自然と頬が緩んだ。
「詩織、四人席に移ろうか? 瀧本くん呼んであげるよ」
悠夏はにやにやしながら席を立とうとする。わたしは慌てて悠夏を制止した。
「いいから。お昼まで一緒にいることない」
「どうせ帰りは一緒だから?」
「一緒じゃないから。からかわないでよ」
「応援してるつもりなんだけど。親友の恋が実りますようにって」
「だから、恋じゃないってば。なんでもない、ただの友達だよ」
瀧本くんのほうを見るからこんなにからかわれるのだ。わたしは自分の食事に戻る。悠夏はまだ向こうを見ながら、楽しそうに言った。
「あれ、瀧本くんこっち来るんじゃない?」
「えぇ? うそ?」
「なぁんちゃって。ちょっとからかってみただけでしたー」
「悠夏、やめてよ。びっくりするでしょ」
「いいじゃん、慌てる詩織が可愛くてさぁ、意地悪したくなっちゃうの」
悠夏は悪びれた様子もなく笑い、自分の食事に戻った。
全部瀧本くんのせいだ。わたしが悠夏にからかわれるのも、わたしが寝不足なのも、わたしの悩み事も、全部瀧本くんが悪いのだ。一発文句を言ってやりたい。
でも、文句を言ったところでうまく躱されるのだろう。わたしが瀧本くんに敵う日など来ないような気がする。手のひらの上で転がされて、遊ばれて、それから。
わたしは人知れず首を振って妄想を吹き飛ばした。いけない。昨日のキスから本当におかしくなっている。邪な妄想はさっさと沈めてしまおう。考えるだけ無駄だ。わたしは、三回目は絶対に断るのだ。断れない女だと思われるから、好き放題されるのだ。瀧本くんのペースにはもう乗らない。
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